ローゼンバーグ王国 視察6日目
六日目。
神官セリアは、生産ギルドへ向かっていた。
目的は、黒薔薇パンの件を調べるためだった。
三日目、王都のパン屋で聞いた言葉。
製法登録。
使用料。
ギルド。
あの時、店主は詳しい話を避けた。
細かいことは帳簿を見る者の仕事だ、と。
ならば、その帳簿を見る者に話を聞くべきだ。
そう考えたのだ。
だが、本当はそれだけではなかった。
この数日で、セリアの中には別の疑問も生まれていた。
女王エミリアの改革。
水道。
街灯。
炊き出し。
パン。
神殿建設。
教育。
その多くが、民の生活を改善しているように見える。
しかし、それらは本当に善なのか。
それとも、悪の女王による、より巧妙な支配なのか。
エミリアは民を下僕と呼ぶ。
駒と呼ぶ。
ならば、製法登録や使用料という制度もまた、民から搾り取るための仕組みではないのか。
黒薔薇パンが売れれば売れるほど、王国へ金が入る。
柔らかい白パンの製法が広がれば広がるほど、職人達は女王の仕組みに縛られる。
そう考えれば、全てが違って見える。
水も。
光も。
食も。
教育も。
すべて、民を依存させ、王国から離れられなくする鎖ではないのか。
セリアは胸元の聖印に触れた。
太陽神インティの印は、今日も静かにそこにある。
だが、その印に触れても、胸のざわめきは消えなかった。
生産ギルドは、王都の職人街にあった。
大きな建物だった。
貴族の屋敷のような華美さはない。
だが、堅牢で、実用的で、人の出入りが多い。
正面には大きな扉。
その上に、槌、針、歯車、麦穂、炉を組み合わせた紋章が掲げられている。
中へ入ると、熱気があった。
職人。
商人。
帳簿を抱えた若者。
木箱を運ぶ者。
布地を持ち込む女。
金属部品を見せながら話し込む男達。
そこは神殿とはまるで違う場所だった。
祈りの静けさはない。
あるのは、金と物と技術が動く音だった。
受付に立つ若い職員へ、セリアは身分と用件を伝えた。
「太陽神インティ大神殿より参りました。神官セリアと申します」
「生産ギルドの製法登録と使用料について、お話を伺いたい」
職員は少し驚いた顔をした。
帝国の神官が、生産ギルドの制度を調べに来る。
確かに珍しい客だろう。
職員は奥へ下がり、しばらくして戻ってきた。
「オルガ様がお会いになるそうです」
「オルガ様?」
「はい。こちらへどうぞ」
案内された先は、ギルドの奥にある執務室だった。
広い。
だが、飾り気は少ない。
壁際には棚が並び、そこに帳簿、契約書、見本品、古い工具、封蝋、計量器具が置かれている。
机は大きく、頑丈だった。
その机の向こうに、一人の男が座っていた。
年は五十を越えているように見える。
白髪の混じった髪を後ろへ流し、整えられた髭には疲労の色が滲んでいる。
顔には深い皺があり、目元にも連日の仕事を物語る陰があった。
だが、老いて鈍った男ではない。
むしろ逆だった。
机の上に広げられた帳簿。
指に挟まれた書類。
窓から差し込む夕陽。
その全てを自分の商売道具として扱うような、余裕と鋭さがあった。
身なりは上等だが、貴族のように飾り立ててはいない。
よく働き、よく稼ぎ、よく眠れていない男。
そういう印象だった。
男は書類から顔を上げると、口の端に笑みを浮かべた。
柔らかい笑みだった。
だが、隙はない。
「帝国の神官様が、生産ギルドに何の用かと思えば」
男は低く笑った。
「製法登録と使用料を調べたい、か」
「はい」
セリアは礼をした。
「突然の訪問をお許しください」
「構わねぇよ。こっちも、神官様に商売の話をする機会なんざ滅多にない」
男は椅子に背を預けた。
「俺はオルガ。まあ、この辺の面倒を見てる者だと思ってくれ」
セリアは椅子を勧められ、向かいに座った。
「早速ですが、伺います」
「おう」
「王都では、女王エミリアの考案した製法が職人達へ広がっていると聞きました」
「間違いじゃねぇな」
「黒薔薇パン。柔らかい白パン。その他にも、水道設備や街灯、調味料、石鹸など」
「よく調べてるじゃねぇか」
オルガは感心したように笑う。
「で?」
「それらには、製法登録と使用料があると聞きました」
「ああ」
「税とは別に、ですか」
「そうだ」
オルガはあっさり頷いた。
セリアの眉が動く。
「売れれば売れるほど、使用料が王国に入るのですか」
「入る」
「職人達は、その仕組みに従っているのですね」
「従ってるな」
「それは」
セリアは言葉を選ぶ。
「搾取ではないのですか」
部屋の空気が、少し静かになった。
だが、オルガは怒らなかった。
むしろ、楽しそうに口の端を上げた。
「そう来たか」
「笑い事ではありません」
「いや、いい質問だ」
オルガは机の上にある帳簿を一冊引き寄せる。
「神官様は正直だな。好きだぜ、そういうのは」
セリアは黙ってオルガを見る。
オルガは帳簿を開いた。
「たしかに、エミリアの嬢ちゃんは取ってる」
「嬢ちゃん?」
「おっと、女王陛下だったな」
オルガはまったく悪びれずに言った。
「癖だ。気にすんな」
セリアは気にしないことにした。
少なくとも今は、そこを追及する場面ではない。
「女王エミリアは、取っているのですね」
「ああ。取ってる」
オルガははっきり認めた。
「製法使用料。登録料。特許料に近いもんもある。売れたら売れた分だけ、一定割合で王国に納める仕組みだ」
「やはり」
「ただし」
オルガは太い指で帳簿を叩いた。
「取るだけじゃねぇ」
セリアは目を細める。
「どういう意味ですか」
「製法を教える。道具を貸す。材料の仕入れ先を繋ぐ。衛生管理を指導する。品質基準を作る。売り先も広げる。必要なら、最初の設備投資も融通する」
オルガは次々と数え上げる。
「職人が新しいものを作れるようにして、売れるようにして、客が買えるようにして、その上で売れた分から取る」
「それでも、税とは別に取っているのでは」
「そうだ」
オルガは頷いた。
「だから何だ?」
セリアは言葉に詰まった。
「何だ、とは」
「売れねぇものからは取れねぇ。売れたものから取る。職人は儲かる。客は喜ぶ。王国にも金が入る」
オルガは机に肘をついた。
「商売として、何が悪い?」
「ですが、職人は女王の製法に依存することになります」
「いい製法なら使う。当たり前だろ」
「それでは、女王に逆らえなくなる」
「逆らってまで、不味いパンを焼きてぇ職人がどれだけいる?」
セリアは返せなかった。
オルガの言葉は乱暴だ。
だが、単純でもある。
そして、単純だからこそ強い。
「神官様」
オルガは言った。
「職人ってのはな、いいものを作りてぇんだよ」
「それは、分かります」
「いいものを作って、客が喜んで、金が入る。そしたらまた道具を買える。弟子を育てられる。家族を食わせられる。次はもっといいものを作れる」
オルガは笑った。
「それを回すのが商売だ」
「しかし、女王エミリアは国民を下僕と呼びます」
「呼ぶな」
「民を駒とも呼ぶ」
「呼ぶな」
「その上で、働かせ、学ばせ、製法を使わせ、売れた分から金を取る」
「そうだな」
オルガはまたあっさり認めた。
セリアは苛立ちを覚えた。
なぜ、この男は否定しない。
なぜ、言い訳をしない。
なぜ、悪びれない。
「それを、おかしいとは思わないのですか」
「思わねぇな」
「なぜ」
「儲かってるからだ」
セリアは言葉を失った。
オルガは声を立てて笑った。
「いや、いいねぇ」
「何がですか」
「その顔だよ」
オルガは面白そうにセリアを見る。
「エミリアの嬢ちゃんが見たら、喜ぶだろうな」
「喜ぶ?」
セリアは眉をひそめた。
「私は、女王エミリアを批判しているのですが」
「だからだよ」
オルガは肩を揺らして笑う。
「何故か知らねぇが、あの嬢ちゃんは自分を悪く言われると楽しそうにするんだ」
「……意味が分かりません」
「俺にも分からん」
オルガはあっさり言った。
「普通の王なら、悪だの搾取だの言われりゃ怒る。面子を潰されたと思う。だが、あの嬢ちゃんは違う」
「違う?」
「ああ」
オルガは机に肘をつき、指先で帳簿を軽く叩いた。
「“よく見ているわね”とか、“そこに気づくなら見込みがあるわ”とか、そんな顔をする」
セリアは困惑した。
悪く言われて喜ぶ。
批判されて、見込みがあると評価する。
それは王としておかしい。
いや、女王エミリアならば、あり得るのかもしれない。
そう思えてしまう自分が、セリアには嫌だった。
「つまり、私の批判は女王エミリアにとって不快ではないと?」
「言い方次第だな」
オルガの笑みが少し深くなる。
「頭を使って批判する奴は、あの嬢ちゃんは嫌いじゃねぇ」
「では、何を嫌うのですか」
「見もしねぇで決めつける奴だ」
その言葉に、セリアは一瞬黙った。
オルガは笑っていた。
だが、その目は笑っていなかった。
「そこは、気をつけた方がいい」
セリアは言葉を返せなかった。
自分は見ているのか。
それとも、見せられたものだけで決めつけているのか。
この数日、何度も突きつけられてきた疑問だった。
オルガは再び帳簿へ視線を落とす。
「まあ、神官様には乱暴に聞こえるかもしれねぇがな」
「乱暴すぎます」
「けど、商人と職人にとっちゃ大事なことだ」
オルガは帳簿をセリアの方へ向けた。
そこには数字が並んでいた。
セリアは専門家ではない。
だが、前後の数字を見れば分かる。
増えている。
品目。
売上。
納入先。
雇用人数。
仕入れ量。
「これが、黒薔薇パンの関連だ」
オルガは指で示す。
「こっちは白パン。こっちは石鹸。こっちは簡易水栓の部品。こっちは街灯の金属枠。こっちは厨房用の調理具」
「……増えていますね」
「増えてる」
「職人の数も」
「戻ってきた奴もいる。弟子を取った奴もいる。廃業しかけてた工房が、また火を入れた例もある」
セリアは帳簿を見つめた。
数字は嘘をつかない。
ただし、数字は全てを語るわけでもない。
「ですが」
セリアは言った。
「儲かっていれば、支配されても構わないのですか」
オルガは、少しだけ目を細めた。
「支配されてねぇ商売なんざ、この世にあるか?」
「どういう意味です」
「税に支配される。材料に支配される。客に支配される。天候に支配される。流通に支配される。金を貸す奴に支配される。腕前に支配される」
オルガは淡々と言った。
「商売ってのは、自由に見えて不自由だらけだ」
セリアは黙る。
「だったら、どの不自由を選ぶかだ」
「どの不自由を」
「ああ」
オルガは頷いた。
「前はどうだったと思う?」
セリアは答えられない。
オルガは続けた。
「先王の時代はな、思いつきで命令が降ってきた」
その声に、わずかな苦味が混じる。
「工期は無茶。予算は足りねぇ。材料は遅れる。失敗すりゃ職人のせい。成功すりゃ上の手柄」
「……」
「それでも食うためにやるしかねぇ」
オルガは机の端を指で叩いた。
「そっちの支配と、今の支配。どっちがましかって話だ」
セリアは、五日目に見たマルタの姿を思い出した。
マルタ姉御と呼ばれていた女棟梁。
元建築ギルド長。
一度、現場を退いていた。
今は戻ってきた。
あの職人達の敬意。
あの図面。
あの現場。
「今の支配は、納得できると?」
「少なくとも、筋は通ってる」
オルガは答えた。
「エミリアの嬢ちゃんは無茶を言う。とんでもねぇことを言う。こっちの常識を平気でひっくり返す」
「ですが?」
「だが、理屈はある」
その言葉は、どこかマルタと同じだった。
馬鹿げている。
無茶だ。
だが、理屈は通っている。
「理屈が通ってるなら、商人は計算できる。職人は工夫できる。計算できて工夫できるなら、勝ち筋がある」
オルガは笑った。
「勝ち筋がある商売なら、乗る価値がある」
セリアは深く息を吐いた。
「貴方は、エミリア女王を善人だと思っているのですか」
「善人?」
オルガは本気でおかしそうに笑った。
「まさか」
セリアは眉をひそめる。
「では、悪人だと?」
「それも違うな」
「では、何だと」
オルガは少し考えた。
「厄介な女だ」
その答えは、あまりにも実感がこもっていた。
「とんでもなく頭が回る。性格も悪い。言い方も最悪。自分を悪と名乗って、民を下僕と呼ぶ」
「ならば」
「だがな」
オルガはセリアを見た。
「嫌いじゃねぇ」
その声は静かだった。
「なぜですか」
「面白いからだ」
「面白い?」
「この国は死にかけてた」
オルガは言った。
「商売も死にかけてた。職人も死にかけてた。神殿も、王城も、王都も、皆だ」
その目が、少し遠くを見る。
「そこに、あの嬢ちゃんが出てきた」
今度は訂正しなかった。
オルガにとって、エミリアは今もどこか、突然とんでもない商売を持ち込んできた少女のままなのかもしれない。
「悪の女王になると言い出した」
「民を下僕にすると言い出した」
「そして本当に、水を通し、飯を配り、道を直し、仕事を作りやがった」
オルガは低く笑う。
「面白くねぇわけがない」
セリアは黙る。
「俺は神官じゃねぇ」
オルガは言った。
「神の正しさも、救いの形も、難しいことは分からん」
「だが、商売は分かる」
「人が動く時の顔も分かる」
「死にかけてた職人が、もう一度道具を握る顔も分かる」
オルガは机の上の帳簿を閉じた。
「そういう顔をさせる奴を、俺は嫌いになれねぇ」
セリアの胸が揺れた。
グレゴールとは違う。
グレゴールは、学びと救いを語った。
信仰と教育の言葉で、エミリアを語った。
だがオルガは違う。
商売。
損得。
数字。
職人の顔。
生きるための現実。
そこに、女王エミリアを置いている。
「ですが」
セリアは、無意識に言っていた。
「悪を名乗る女王など、本来ならば廃されるべきではありませんか」
その瞬間。
オルガの笑みが消えた。
先ほどまで、女王エミリアなら喜ぶだろうと笑っていた男の顔から、商人の軽さが抜け落ちる。
部屋の空気が、明らかに変わった。
「神官様」
声は低かった。
怒鳴ってはいない。
だが、先ほどまでとは違う。
「批判するのは構わねぇ」
オルガは静かに言った。
「多分、あの嬢ちゃんも喜ぶ」
セリアは息を呑む。
「だがな」
オルガの目が鋭くなる。
「廃す、潰す、消す」
「そこまで言うなら、話は別だ」
「私は、信仰に基づく一般論を」
「違うな」
オルガは遮った。
「今のは一般論じゃねぇ」
その目が、セリアを見据える。
「俺の前で、エミリアを廃すべきだと言った」
沈黙が落ちた。
「話す相手は選べよ、若造」
静かな声だった。
だが、それは明確な警告だった。
グレゴールとは違う。
グレゴールは、セリアの疑問を受け止め、終わらない説法へ引き込んだ。
この男は違う。
ここから先は踏み込むな。
そう告げている。
「神とか正義とか」
オルガは低く言った。
「俺には難しいことは分からねぇ」
「だがな」
机の上に置かれた指が、静かに帳簿を押さえる。
「俺は、あの嬢ちゃんが気に入ってるんだ」
その言葉には、信仰はない。
崇拝もない。
だが、重かった。
商人として。
王都を見てきた男として。
職人達と生きてきた男として。
エミリアという女王を、気に入っている。
それは、理屈ではない。
「貴方は、女王を守ると?」
「俺は商人だ」
オルガは言った。
「儲かる相手とは付き合う。筋を通す相手には筋を通す。気に入った相手には義理を返す」
「それだけだ」
「それが、エミリア女王に対しても?」
「そうだ」
オルガは答えた。
「だから、俺の前であの女を潰す話はするな」
セリアは黙った。
怖かった。
その感情を認めざるを得なかった。
オルガは剣を抜いていない。
魔法を使ってもいない。
怒鳴ってもいない。
だが、グレゴールとは別の意味で、逃げ場がなかった。
この男は、信仰で動いていない。
善悪でも動いていない。
義理と損得と、気に入ったかどうかで動いている。
だからこそ、太陽神教の正義では測れなかった。
しばらく沈黙が続いた。
やがて、オルガはふっと息を吐き、椅子に背を預けた。
「ま、聞きたいことはそれくらいか」
空気が少しだけ緩む。
だが、完全には戻らなかった。
セリアはゆっくり頷いた。
「……十分です」
「そうか」
「貴重なお話を、ありがとうございました」
セリアは立ち上がり、礼をした。
オルガは手を振る。
「礼はいらねぇ。神官様がどう書くかは知らんが、できれば帳簿の数字は間違えんなよ」
「努力します」
「それと」
セリアが扉へ向かおうとした時、オルガが声をかけた。
「一つだけ覚えとけ」
セリアは振り返る。
「この国は、綺麗な正義だけで救えるほど、軽くねぇ」
オルガは言った。
「泥も金も欲も義理も、全部使わなきゃ回らねぇ」
その言葉は、セリアの胸に重く残った。
ギルドを出ると、王都の音が戻ってきた。
荷車。
職人達の声。
子供の笑い声。
どこかで焼かれるパンの匂い。
遠くに見える街灯。
セリアは立ち止まり、振り返った。
生産ギルドの建物は、神殿ではない。
祈りの場所でもない。
だが、そこでは確かに王国が動いていた。
金で。
物で。
技術で。
契約で。
損得で。
そして、義理で。
セリアは胸元の聖印に触れた。
太陽神インティの教えは、善を尊ぶ。
光を尊ぶ。
正しさを尊ぶ。
だが、この国で見たものは、正しさだけでは割り切れないものばかりだった。
祈りだけでは腹は膨れない。
学びは救い。
儲かっているなら悪い話ばかりではない。
気に入った相手には義理を返す。
それぞれの言葉が、胸の中で絡み合う。
その日の夜。
セリアは客室で調査記録を開いた。
筆を持つ手は、昨日よりも重かった。
【神官セリア調査記録 六日目】
生産ギルドを訪問。
オルガという人物と面会。
立場は詳細未確認だが、生産ギルド内で強い影響力を持つ人物と思われる。
年齢は五十を越えていると思われる。
白髪交じりで、連日の激務による疲労が見える。
ただし思考、観察眼、交渉力は極めて鋭い。
製法登録、使用料、特許料に近い制度について確認。
女王エミリアの考案、もしくは王城由来の製法を使用した場合、売上に応じた使用料が王国へ納められる仕組みが存在する。
税とは別。
一見すれば、職人からの搾取にも見える。
ただし、オルガの説明によれば、王国は製法を教えるだけではなく、道具、材料、衛生管理、品質基準、販売経路、初期設備投資などにも関与している。
売れたものから取る。
売れなければ取れない。
職人は新しい商品を作り、客は喜び、王国は使用料を得る。
商売として筋は通っている、とのこと。
帳簿を確認。
黒薔薇パン、白パン、石鹸、簡易水栓部品、街灯部品、調理具など、複数品目で生産量、売上、雇用が増加している模様。
数字上、王都の職人経済は活性化している。
オルガの発言。
「エミリアの嬢ちゃんは取ってる。だが、取るだけじゃねぇ」
「職人ってのはな、いいものを作りてぇんだよ」
「売れたものから取る。職人は儲かる。客は喜ぶ。王国にも金が入る。商売として、何が悪い?」
「商売ってのは、自由に見えて不自由だらけだ。だったら、どの不自由を選ぶかだ」
「この国は、綺麗な正義だけで救えるほど、軽くねぇ」
また、女王エミリアについて。
オルガは女王エミリアを善人とは評価していない。
悪人とも断じていない。
「厄介な女」
「だが、嫌いではない」
「面白い」
「気に入っている」
と表現。
女王を信仰している様子はない。
しかし、強い義理と好意を持っている。
また、女王エミリアは自分への批判を必ずしも嫌わないらしい。
オルガ曰く、
「頭を使って批判する奴は、あの嬢ちゃんは嫌いじゃねぇ」
「見もしねぇで決めつける奴」を嫌うとのこと。
重大な示唆。
セリアは筆を止めた。
あの時の空気を思い出す。
悪を名乗る女王など廃されるべきではないか。
自分がそう口にした瞬間、オルガの顔から笑みが消えた。
あれは、グレゴールとは違った。
グレゴールは、終わらない説法で逃げ場を塞いだ。
オルガは、言葉少なに境界線を引いた。
ここから先は踏み込むな、と。
セリアは、調査記録にさらに書き加えた。
女王エミリアを廃すべきではないかと発言した際、オルガの態度が明確に変化。
以下の発言あり。
「批判するのは構わねぇ。多分、あの嬢ちゃんも喜ぶ」
「廃す、潰す、消す。そこまで言うなら、話は別だ」
「話す相手は選べよ、若造」
「神とか正義とか、俺には難しいことは分からねぇ」
「俺は、あの嬢ちゃんが気に入ってるんだ」
「俺の前であの女を潰す話はするな」
明確な警告。
信仰に基づくものではない。
商売、義理、現実、個人的評価に基づく反応と思われる。
セリアは筆を置いた。
グレゴールは、エミリア女王を神のごとく見ていた。
オルガは、エミリア女王を厄介で面白い女として見ていた。
二人はまるで違う。
信仰も、価値観も、言葉も違う。
それなのに、二人ともエミリア女王を否定しない。
むしろ、それぞれの立場から支えている。
なぜなのか。
神官。
商人。
職人。
子供。
老人。
パン屋。
神殿。
ギルド。
王都のあちこちで、エミリア女王の影響が形を変えて根を張っている。
恐怖だけではない。
信仰だけでもない。
金だけでもない。
感謝。
利益。
義理。
誇り。
学び。
救い。
それらが絡み合っている。
だからこそ、単純に切り捨てられない。
セリアは最後に、短く書いた。
この国は、分からない。
悪であるはずなのに。
邪であるはずなのに。
人々は、女王エミリアの下で何かを取り戻し始めている。
継続調査が必要。
そう書き終えて、セリアはしばらく動けなかった。
窓の外では、王都の灯りが揺れている。
火ではない光。
神聖魔法でもない光。
悪の女王の国に灯る、奇妙な光。
その光は今日も、正しさだけでは説明できない色をしていた。




