神殿からの使者 挿絵有
2026/06/24 セリア挿絵
一方。
ローゼンバーグ王国から遠く離れた地。
四国の中で最大の版図を誇る、バルディア帝国。
その帝都にそびえる太陽神インティの大神殿では、深夜にもかかわらず神官達が慌ただしく動いていた。
始まりは、神託だった。
大神殿の奥。
太陽神インティの聖印が、突如として眩い光を放った。
夜の静寂を破るように。
黄金の光が、聖堂を満たす。
神官達が一斉に膝をついた。
そして。
光の中から、声が降りた。
厳かで。
温かく。
それでいて、逆らうことを許さぬ神の声。
『南に、災厄の兆しあり』
神官達は息を呑む。
南。
帝国の南方には、いくつもの国がある。
だが、その中でも最近、奇妙な噂が届いている国があった。
ローゼンバーグ王国。
王家が乱れ、貴族が腐敗し、滅びかけていた小国。
そして今。
若き女王が即位したばかりの国。
神託は続いた。
『断じる前に、見極めよ』
『恐れる前に、真実を見よ』
『陽の眼を持つ者を遣わしなさい』
それだけだった。
だが、それだけで十分だった。
光が収まった後も、神官達はしばらく動けなかった。
南に災厄の兆し。
断じる前に、見極めよ。
真実を見よ。
神官長は、すぐに命じた。
「ローゼンバーグ王国のインティ神殿へ連絡を」
「現地の状況を確認します」
神官達が慌ただしく動き出す。
大神殿の通信室に、聖印を刻んだ水晶が用意された。
遠く離れた神殿同士を繋ぐ、神聖魔法による通信具。
大規模な神殿にしか置かれていない、貴重なものだった。
神官が祈りを捧げる。
水晶が淡い金色に輝いた。
やがて。
揺らめく光の向こうに、ローゼンバーグ王国のインティ神殿の神官が映る。
その顔は、ひどく疲れていた。
「こちら、バルディア帝国インティ大神殿」
「ローゼンバーグ王国の状況を報告しなさい」
水晶の向こうの神官は、震える声で答えた。
「ローゼンバーグ王国は……」
「国教を変更しました」
通信室の空気が凍る。
神官長が目を細める。
「何に変えたのです」
「ルミナ教です」
誰かが息を呑んだ。
月と死と転生を司る神。
多くの地で、禍津神と呼ばれてきた存在。
その名を、国教に。
「新女王は、自らを悪の女王と名乗っています」
「戴冠式の場で、ルミナ教を国教とすると宣言しました」
「ただし、他の信仰は禁じておりません」
「太陽神インティへの信仰も、表向きは許されています」
「表向きは?」
神官長が問い返す。
水晶の向こうの神官は、言葉を詰まらせた。
「……はい」
「神殿は壊されていません」
「信者も弾圧されてはいません」
「むしろ、女王は信仰は自由だと宣言しました」
「ですが」
「ですが?」
「禍津神の祝福と称し、人の肉体を作り替えました」
通信室がざわめいた。
「老いた女職人が、若返ったのです」
「失われた足を取り戻しました」
「女王はそれを、イミタートと呼びました」
「救済ではなく、自らが認めた者へ与える褒美だと」
神官長の顔が険しくなる。
人の肉体を作り替える。
若返らせる。
失われたものを取り戻す。
それは、奇跡と呼ぶにはあまりに歪で。
禁忌と呼ぶには、あまりに魅力的だった。
水晶の向こうの神官は続ける。
「さらに、王都には夜の灯りが灯りました」
「火ではありません」
「魔法とも違う」
「街道沿いに設けられた器に、夕暮れと共に光が灯ったのです」
「民達は喜んでいます」
「女王を慕う声もあります」
「ですが……」
神官は唇を震わせた。
「私には分かりません」
「これは本当に、神の御心に反しないものなのでしょうか」
「禍津神を国教に掲げ」
「人の身体を作り替え」
「夜に人工の光を灯し」
「悪を名乗る女王に民が笑って従っている」
「ローゼンバーグは、もう普通ではありません」
通信室に沈黙が落ちた。
神官長は、神託の言葉を思い出す。
南に、災厄の兆しあり。
断じる前に、見極めよ。
恐れる前に、真実を見よ。
神は、断罪を命じなかった。
滅ぼせとも言わなかった。
ただ、真実を見てこいと命じた。
ならば。
送るべき者は、一人しかいない。
太陽神に選ばれし聖女。
帝国の民から敬われ、祈りによって人々を導く者。
そして必要とあらば、異端を裁く審問官としても動くことを許された者。
セリア。
バルディア帝国の聖女。
かつて救われ、今は神のために正義を掲げる者。
泣く者を救いたいと願いながら。
その願いを、神への義務として押し殺してきた者。
夜明け前。
セリアは、太陽神インティ大神殿の奥へ呼び出された。
白を基調とした神官衣を纏い、その縁には太陽神インティを示す金糸の刺繍が施されている。
胸元には、陽光を模した聖印。
手には、黄金の輪を頂いた聖杖。
淡い金色の長い髪は祈りの邪魔にならぬよう緩くまとめられ、同じく金の瞳には、静かな祈りの光が宿っていた。
その姿は、聖女と呼ばれるに相応しいほど清らかだった。
だが、その清らかさは、ただ人々に微笑みかけるためだけのものではない。
太陽の光は、闇を照らす。
そして時に、影を焼く。
必要とあらば、異端を裁く審問官としても動くことを許された者。
それが、太陽神インティに選ばれた聖女セリアだった。
神官長は深く頭を垂れ、厳かな声で告げる。
「聖女セリア様」
「太陽神インティの神託が降りました」
「南に、災厄の兆しあり」
「断じる前に、見極めよ」
「恐れる前に、真実を見よ」
「陽の眼を持つ者を遣わしなさい、と」
神官長は深く頭を垂れ、厳かな声で告げる。
「聖女セリア様」
「太陽神インティの神託が降りました」
「南に、災厄の兆しあり」
「断じる前に、見極めよ」
「恐れる前に、真実を見よ」
「陽の眼を持つ者を遣わしなさい、と」
セリアは静かに聞いていた。
神官長は続ける。
「ローゼンバーグ王国が、禍津神ルミナを国教としました」
「現地神殿からの報告によれば、新女王は自らを悪の女王と名乗り、禍津神の祝福を民の前で披露したとのこと」
「人の肉体を作り替え」
「夜の王都に奇妙な灯りを灯し」
「それでいて、民はその女王を慕っている」
「我々だけでは判断できません」
「神は、真実を見よと命じられました」
神官長は顔を上げる。
「セリア様」
「ローゼンバーグ王国へ向かってください」
「太陽神の聖女として」
「そして必要ならば、異端審問官として」
「かの国の実態を、その目で見届けていただきたい」
セリアは静かに膝をついた。
胸の前で祈りを組む。
「承知いたしました」
その声には、迷いがなかった。
「太陽神インティの御心のままに」
この時のセリアは、まだ知らない。
自分が見ることになるものを。
自分が出会うことになる女王を。
そして。
自分自身の願いを、真正面から突きつけられることを。
こうして。
バルディア帝国の太陽神インティ大神殿より。
太陽神の聖女セリアは。
異端審問官としての権限を携え、ローゼンバーグ王国へ向かうことになった。
◇
その頃。
王城の地下にあるクロエの研究室では、まだ灯りが消えていなかった。
机の上には、街灯に使われた魔道回路の写し。
水力発電装置の記録。
魔道バッテリーの蓄積効率。
そして、エミリアが以前語った異世界の物語に関する断片的なメモが散らばっている。
クロエは、その中央で目を輝かせていた。
「しかし」
「この電気っていうエネルギー、面白いなぁ」
細い金属線に流せば、熱を持つ。
仕組みを整えれば、光になる。
別の形で流せば、小さな金属片がわずかに震える。
クロエは、その反応をじっと見つめた。
「……なるほど」
「これ、熱と光だけじゃないんだ」
小さな金属片が、ぴくりと動く。
それを見た瞬間。
クロエの頭の中で、いくつもの発想が繋がった。
エミリアが言っていた。
異世界の物語。
まんが、という絵物語に出てくる、奇妙で格好いい道具達。
「エミリア様の言ってた、あれとか」
「これを使えば、もしかして……」
クロエはそこで一度黙った。
そして、にやりと笑う。
「試すしかないよね」
すぐに申請書を取り出す。
王国発明登録制度の申請用紙。
クロエは、さらさらと書き込んだ。
【申請内容】
電気エネルギーの新活用方法について。
【目的】
熱と光以外の反応確認。
【備考】
小規模実験。
安全確認済み。
クロエは、少しだけ考えた。
「……うん」
「嘘は書いてない」
嘘ではない。
少なくとも、クロエの中では。
その申請書は、翌朝には書類の山へ紛れ込んでいた。
そして。
それを最初に見つけたのは、ルナだった。
ルナは申請書へ目を通す。
電気エネルギー。
新活用方法。
熱と光以外の反応確認。
小規模実験。
安全確認済み。
ルナは、静かに瞬きをした。
普通なら、オルガへ確認を回すべき案件だった。
だが、ルナはそのまま申請書を眺める。
クロエの申請にしては、妙に内容が薄い。
目的も曖昧。
備考も最低限。
つまり。
書かれていない部分がある。
ルナは無能ではない。
見落としたわけでもない。
むしろ、申請書に書かれていない意図まで、おおよそ察していた。
そのうえで。
静かに判を押す。
「エミリア様が、面白がりそうですね」
そうして、その申請書は処理済みの箱へ移された。
◇
数日後。
王城地下の一室で。
オルガは、ほぼ完成している謎の試作品を前に、しばらく無言で立ち尽くしていた。
金属。
魔道回路。
小型の魔道バッテリー。
そして、どう見ても「小規模実験」で済ませる気がなさそうな制御機構。
何に使うのかは、まだ分からない。
だが。
商人として各地を渡り歩き、危ない儲け話も、怪しい発明品も、山ほど見てきたオルガの勘が告げていた。
これは、面白い。
そして、金がかかる。
たぶん危ない。
間違いなく、エミリアは喜ぶ。
だからこそ、胃が痛い。
オルガは、片手に持った申請書へ視線を落とす。
【電気エネルギーの新活用方法について】
【目的】
熱と光以外の反応確認。
【備考】
小規模実験。
安全確認済み。
低い声が、地下室に落ちた。
「……おいおい」
オルガは、ゆっくりと振り返る。
そこには、いつも通り涼しい顔をしたルナが控えていた。
「ルナ」
「はい」
「この申請書を処理したのは、お前さんだな?」
「はい」
「内容は読んだか?」
「もちろんでございます」
「クロエが何か隠していることも分かったか?」
「はい」
即答だった。
オルガの眉間に、深い皺が刻まれる。
「なら、なんで通した」
ルナは、少しも悪びれずに答えた。
「エミリア様が面白がると思いましたので」
沈黙。
長い沈黙だった。
オルガは天井を見上げ、深く息を吐く。
「……そう来たか」
「はい」
「見落としたわけじゃないんだな」
「はい」
「分かってて通したんだな」
「はい」
「嬢ちゃんが喜ぶと思ったからか」
「その通りでございます」
オルガは片手で顔を覆った。
「一番たちが悪い理由じゃねぇか」
ルナは穏やかに微笑む。
「ですが、エミリア様にとって有益な可能性があると判断いたしました」
「危険性は?」
「ございます」
「予算は?」
「増えるかと」
「クロエは?」
「止まりません」
「全部分かってるじゃねぇか」
「はい」
「なら止めろ」
「ですが、エミリア様が面白がります」
「そこなんだよ、問題は」
オルガは、もう一度、目の前の試作品を見た。
察知できれば止められる。
察知できなければ、完成している。
クロエとはそういう存在だった。
そしてルナは、それを見抜いた上で通した。
エミリアが面白がるから。
それは確かに、価値判断の一つではある。
エミリアという人間へ投資すると決めた以上、オルガにもその理屈は分かる。
分かってしまう。
だから、余計に腹が立つ。
「まったく」
オルガは低く笑った。
怒っている。
呆れている。
だが、完全に否定できない自分もいる。
「嬢ちゃんに投資したのは俺だ」
「面白ぇ案件に乗ったのも俺だ」
「だがな、ルナ」
「はい」
「投資家に黙って危険物を増やすのは、商売の筋が通らねぇ」
「承知いたしました」
「本当に分かってるか?」
「はい」
ルナは静かに頷く。
「次回からは、オルガ様にも事前に共有いたします」
「嬢ちゃんに見せる前にだ」
「はい」
「面白がるかどうかの判断も、俺を通せ」
「努力いたします」
「そこは即答しろ」
ルナは微笑んだままだった。
オルガは、また深く息を吐く。
有能なのは間違いない。
仕事は早い。
判断も的確。
補佐役としては、これ以上ないほど優秀だ。
だが。
どうにも、エミリアの悪ふざけを止める側ではなく。
より美しく整えて差し出す側に回りがちだった。
「……胃薬を常備するべきだな」
「手配いたします」
「そこは早いんだな」
「オルガ様に倒れられると、業務が滞りますので」
「心配の方向が現実的すぎる」
「ありがとうございます」
「褒めてねぇよ」
オルガは申請書を畳んだ。
「で」
「クロエはどこだ」
「研究室におります」
「呼べ」
「かしこまりました」
その後。
クロエには、オルガからアックスボンバーが一発お見舞いされた。
なお。
試作品は壊れなかったらしい。
南に、災厄の兆しあり。
それは邪神国家のことか。
悪の女王のことか。
それとも、地下研究室でこっそり完成しつつある何かなのか。
太陽神インティの神託は、どうやら確かに正しかったようである。
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