生真面目な騎士長
土木工事が終わった。
いや。
正確には、終わったわけではない。
王都の上下水道整備。
街道の補修。
荷車が通れる道幅の確保。
雨が降った時に水が溜まらないようにする排水路。
村へ続く道の整備。
やることはいくらでもある。
だが、少なくとも。
ハルト率いる兵士達が、毎日のように泥にまみれ、石を運び、溝を掘る日々は一段落した。
代わりに命じられたのは、街道沿いの巡回だった。
近くの村々を回り、道の状態を確認し、治安を見て、困り事を聞く。
ようやく兵士らしい仕事になった。
そう思う。
だが。
「……騎士の仕事ではないな」
ハルトは、馬上で小さく呟いた。
かつての騎士の仕事とは。
王を守ること。
城を守ること。
戦場で剣を振るうこと。
貴族の誇りを背負い、敵を打ち倒すこと。
少なくとも、村の老人から橋の傷みを聞いたり、荷車の車輪が嵌まった道を確認したり、農民の愚痴を聞いたりすることではなかった。
だが。
「団長」
部下の一人が声をかける。
「次の村では、井戸の水が濁っているそうです」
「リン殿へ報告を回せ。水路か井戸周辺の汚染かもしれん」
「はっ」
別の兵が続ける。
「こちらの村では、王都の炊き出しについて聞かれました」
「場所と日程を伝えろ。必要なら、次の輸送便で案内役を出す」
「はっ」
ハルトは、目を細めた。
騎士の仕事ではない。
だが。
間違いなく、国民のための仕事だった。
兵達の顔つきも違う。
かつては、命令だから動いていた。
王国が滅びかけていることを知りながら、それでも騎士だから剣を握っていた。
だが今は違う。
自分達が動けば、道が直る。
自分達が回れば、村が安心する。
自分達が伝えれば、食えない者が王都へ辿り着ける。
それが分かるから。
兵達の気合いの入り方も違っていた。
「……エミリア様は」
ハルトは小さく呟く。
「本当に、妙なことをなさる」
悪の女王。
そう名乗る王女。
その命令で、兵士達は泥にまみれ。
その結果、民が笑う。
理解しがたい。
だが、悪くない。
そう思ってしまう自分がいた。
◇
その噂を聞いたのは、街道沿いの小さな村だった。
「野盗が出る?」
ハルトが問い返す。
村長は、怯えた様子で頷いた。
「へぇ」
「この先の林道で、荷を狙われた者が何人かおります」
「怪我人は?」
「今のところ、命を取られた者はおりません」
ハルトは顎に手を当てる。
命を取らない。
荷だけを奪う。
それも、街道沿いの浅い場所。
「……追い詰められた者達か」
本当に危険な賊なら、こんなに簡単に噂を掴ませない。
王国が滅びかけていた頃に、本当に悪辣な連中はすでに奪うだけ奪い、国を見捨てている。
今、こんな場所で尻尾を出す者達は。
おそらく、食うに困った農民崩れだ。
もちろん、見逃すわけにはいかない。
人の物を奪った時点で、罪は罪である。
だが。
斬れば終わり、という話でもなかった。
「出るぞ」
ハルトは短く命じた。
「抵抗すれば捕縛」
「武器を捨てれば殺すな」
兵達が頷く。
「はっ」
◇
野盗達は、予想通りだった。
粗末な槍。
錆びた刃物。
農具を改造した武器。
身なりは悪く、腹も減っている。
目には怯えと焦りがあった。
殺し慣れた者の目ではない。
だが、奪うことに慣れ始めている目ではあった。
「武器を捨てろ」
ハルトは、剣を抜かずに告げた。
「抵抗しなければ殺さない」
野盗達は顔を見合わせる。
逃げようとした者もいた。
だが、周囲はすでに兵達が固めている。
逃げ道はない。
やがて、一人が叫んだ。
「だったらどうしろってんだ!」
「畑は駄目になった!」
「村には食い物もねぇ!」
「王都へ行ったって、俺達みたいな連中が生きていけるわけねぇだろ!」
ハルトは、静かにその男を見た。
痩せている。
怒っている。
だが、怒りの奥にあるのは恐怖だった。
飢えへの恐怖。
明日への恐怖。
もう戻れないかもしれないという恐怖。
ハルトは、深く息を吐いた。
「今の王都は、以前とは違う」
野盗達が顔を上げる。
「食えない者には炊き出しがある」
「働く気がある者には仕事がある」
「むしろ人手が足りない」
「道を直す者」
「荷を運ぶ者」
「水路を掘る者」
「石を積む者」
「倉庫で働く者」
「いくらでも必要とされている」
野盗達は黙った。
信じていない顔だった。
無理もない。
この国は、ずっと彼らを見捨ててきた。
貴族は奪うばかりで。
役人は助けず。
王都は遠く。
城はさらに遠かった。
急に「王都へ来い」と言われて、信じられるはずがない。
だからハルトは、少しだけ顔をしかめた。
本当は、言いたくなかった。
いや。
命令ではない。
エミリア様から、こういう者達に出会った時は伝えなさいと言われただけだ。
だから、言わなくてもいい。
自分の言葉で伝えればいい。
そう思っていた。
だが。
ハルトは真面目だった。
騎士として。
臣下として。
王女殿下の言葉を勝手に変えることが、どうにもできなかった。
ハルトは背筋を伸ばす。
そして、なぜか少し顔を赤くしながら告げた。
「我が国を導く、エミリア王女殿下の言葉を伝える」
兵達が、少しだけ身構えた。
嫌な予感がしたからである。
ハルトは咳払いをした。
「人のものを奪ってまで生きたいなんて」
「見込みがあるわ」
野盗達が固まった。
兵達も固まった。
ハルトは、さらに顔を赤くする。
だが、続けた。
「私の下で」
「その意気込みで好きに生きなさい」
「もっと楽しい思いができるわ」
沈黙。
林道に、なんとも言えない空気が流れた。
隊員の一人が、心の中で呟く。
真面目に、同じように伝えなくても良いのに。
別の隊員も思った。
団長は本当に真面目だ。
真面目すぎる。
ハルトは耳まで赤くなっていた。
だが、言い切った。
騎士として。
王女殿下の言葉を。
正確に。
野盗達は、しばらく呆然としていた。
やがて。
一人が、ぽつりと呟いた。
「……俺達でも、行っていいのか」
ハルトは頷く。
「罪は消えない」
「奪った分は働いて返してもらう」
「だが、働く気があるなら場所はある」
「飯も出る」
「寝る場所も、手配できるはずだ」
「逃げれば追う」
「奪えば裁く」
「だが」
ハルトは、野盗達を見渡した。
「生きたいなら、王都へ来い」
その言葉に。
野盗達の顔が変わった。
信じ切ってはいない。
だが、完全に諦めてもいない。
その中に、一人。
武器を落とした者がいた。
続いて、もう一人。
また一人。
錆びた刃物が地面に落ちる。
粗末な槍が投げ出される。
農具が置かれる。
気づけば、ほとんどの者が武器を捨てていた。
「……行く」
誰かが言った。
「王都へ行く」
「働く」
「飯が食えるなら」
「やり直せるなら」
ハルトは、わずかに目を細めた。
「よし」
「縄は打つ」
「だが、罪人としてではなく、監督下の労働志願者として連れて行く」
兵達が動き出す。
野盗達は抵抗しなかった。
むしろ、どこか安堵した顔をしていた。
なんでか知らんが、大体が喜んで王都へ来る。
ハルトには、いまだに少し理解できない。
だが。
それでいいのだろう。
◇
王都へ戻る道中。
野盗だった者達は、街道を見て驚いていた。
道が直されている。
排水の溝がある。
荷車が通りやすい。
途中の村では、炊き出しの予定が貼り出されていた。
兵士が村人と話している。
怒鳴るためではない。
困り事を聞くために。
王都が近づくにつれ、人の流れが増えた。
物資を運ぶ荷車。
工事へ向かう職人。
診療所へ行く者。
仕事を求める者。
誰もが忙しそうだった。
だが。
死んだ目をしていない。
やがて、王都が見えた。
野盗だった男の一人が、呆然と呟く。
「……本当に、変わってる」
別の男が言う。
「食い物の匂いがする」
「人が多い」
「兵が……民を殴ってねぇ」
誰かが、小さく笑った。
「希望がある」
その言葉に。
ハルトは、ゆっくりと王都を見上げた。
あの王都は、以前とは違う。
滅びを待つだけだった国。
崩れかけた城。
腐った貴族。
飢えた民。
それらが、少しずつ変わっている。
いや。
変えられている。
黒い衣を纏い。
悪の女王を自称する。
あの王女によって。
ハルトは、馬上で小さく息を吐く。
「あのお姫様がねぇ……」
思わず、そう呟いていた。
騎士としては、あまりに不敬な言葉だった。
だが。
そこに込められていたのは、呆れだけではない。
驚き。
敬意。
そして、ほんの少しの誇らしさ。
その日。
王都へ、新たな労働力が加わった。
かつて野盗になりかけた者達。
食うに困り、人の物を奪った者達。
だが彼らは、剣で斬られることなく。
王女の言葉によって、王都へ連れてこられた。
悪の女王を自称する王女は、今日もまた。
本人の意図とは少し違う形で。
民を拾い上げていた。
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