ドールズ・イミタート
書類の山を前に。
エミリアは、ふと手を止めた。
王都の上下水道。
診療所の医療改革。
村々への支援。
王国発明登録制度。
それらは、少しずつ形になり始めていた。
だが。
形になればなるほど。
次に必要なものが見えてくる。
人。
とにかく、人が足りない。
仕組みを作っても。
それを動かす者がいなければ、国は回らない。
エミリアは、以前のオルガの言葉を思い出す。
人手を寄越せ。
あの商人は、疲れ切った顔でそう言っていた。
ルナを融通したことで一時的には楽になった。
けれど、それは根本的な解決ではない。
国が広がり。
仕組みが増え。
仕事が増えれば。
必要な人材も増える。
エミリアは椅子の背にもたれ、指先で机を叩いた。
「……やっぱり、人手が足りないわね」
傍に控えていたルミが、にこりと微笑む。
「でしたら、私の分体を増やしますか?」
「却下よ」
「早いですね」
「便利すぎる手段は、美しくないわ」
エミリアはそう言い切る。
そして、少しだけ目を細めた。
「ルミ」
「はい」
「イミタートって、実用可能かしら?」
ルミは、ほんのわずかに考えるような仕草をした。
「今少し、時間と予算をいただければ……」
「弁解は罪悪と知りなさい」
ぴたり。
ルミの言葉が止まった。
数秒の沈黙。
やがてルミが、じとりとした目でエミリアを見る。
「……それ、言ってみたかっただけですよね?」
「ええ」
エミリアは悪びれもせず頷いた。
「確かに、やってみたかったごっこは良いのよ」
「よろしいのですか」
「ええ」
エミリアは机に肘をつき、愉しそうに笑った。
「可能なんでしょう?」
ルミは、今度こそ迷いなく頷く。
「勿論です」
「神に不可能はありません」
そして、何でもないことのように続けた。
「こんな面倒なことをせずに、全員ドールズにしてもいいんですよ?」
エミリアは眉をひそめる。
「駄目よ」
「なぜです?」
「悪の組織というものには、形式美が必要なの」
エミリアは、当然のように言った。
「幹部には幹部の格がある」
「側近には側近の美学がある」
「褒美には褒美としての演出がある」
「全部まとめてドールズにしました、なんて雑すぎるわ」
ルミは少しだけ首を傾げた。
「神にも、まだ分からないことがありましたねー」
「ルミもそろそろ、そういうところが分かるようになってもらいたいわ」
「努力します」
「期待しないで待っているわ」
「ひどいです」
ルミはそう言いながらも、どこか楽しそうだった。
エミリアは視線を落とす。
イミタート。
神造人間ドールズの模造品。
完全な神造人間ではない。
魂を本人のまま残し。
肉体を再構成する。
エミリアがクロエへ憑依して得た魔科学の知識。
リンへ憑依して得た医療と薬学の知識。
そこへルミナの権能を重ねる。
理屈としては、成立する。
問題は、誰を最初に選ぶか。
失敗する可能性はある。
死ぬ可能性もある。
だからこそ、初めから未来のある若者を使う気はなかった。
どうせ選ぶなら。
もう先がない者。
けれど。
まだ目が死んでいない者。
老い。
病。
怪我。
欠損。
そうした理由で表舞台から退いた者の中に、まだ美しい生き方を残している者がいるなら。
悪の女王として。
褒美を与える価値はある。
エミリアは目を閉じた。
蓮の記憶ではない。
エミリアの記憶を探る。
王女として見聞きした人々。
城に出入りしていた者。
王都のギルド。
かつて名を馳せた職人達。
先王の時代に働いていた者達。
その中に。
一人、いた。
「……いたわね」
エミリアは目を開く。
「うってつけの人物が」
◇
王都の一角。
職人達の住む区画に、その家はあった。
大きな屋敷ではない。
だが、古い木材と石材でしっかりと組まれた、頑丈な家だった。
玄関先には、使い込まれた工具が並び。
壁には古い図面が何枚も貼られている。
現場から退いた人間の家というより。
今もまだ、建築の匂いが残る場所だった。
「王女様が、こんなところまで何の用だい」
出迎えた女は、片足だった。
年齢はオルガと同じ頃。
髪には白いものが混じっている。
杖をついているが、背筋は曲がっていない。
目も濁っていない。
その視線は鋭く。
気に入らない図面を見つけた職人のように、遠慮なく相手を測る目をしていた。
元建築ギルド長。
女棟梁。
マルタ。
かつて、職人達から「マルタ姉御」と呼ばれていた女である。
「邪魔をするわ」
「もうしてるよ」
マルタは鼻で笑いながらも、二人を家の中へ通した。
客として扱うだけの礼儀はあるらしい。
茶も出た。
決して上等ではないが、熱く、濃く、悪くない茶だった。
エミリアはそれを一口飲み、静かに頷く。
「悪くないわ」
「そりゃどうも」
マルタは椅子に腰を下ろし、杖を壁へ立てかける。
「で?」
「あたしみたいな隠居に、王女様が何の用だい」
「今度、神殿を作りたいの」
マルタは即座に顔をしかめた。
「アタシに話すことじゃないね」
「建築ギルドへ行きな」
「今のギルド長は、私の趣味に合わないの」
「はっ」
マルタは短く笑った。
「まあ、あの坊やの図面がつまらないのは否定しないけどね」
「だから貴方に来たのよ」
エミリアは、持ってきていた筒を机に置く。
そして、中から数枚の設計図を取り出した。
「これを見てくれるかしら」
マルタは面倒くさそうに手を伸ばす。
だが。
一枚目を広げた瞬間。
その目が変わった。
「……何だい、こりゃ」
指が止まる。
目が図面を追う。
建物の全体構造。
柱の配置。
採光。
換気。
水の流れ。
排水。
人の動線。
病人の入口。
子供達の生活区画。
薬品庫。
調理場。
洗い場。
地下の配管。
さらに、見慣れない線が壁と通路に沿って走っている。
「神殿……いや、神殿ではある」
マルタは呟く。
「だが、礼拝堂だけじゃない」
「病人を入れる場所がある」
「子供を住まわせる部屋もある」
「水路と排水が最初から組み込まれてる」
「窓の位置も妙だね」
「風を通すためかい?」
エミリアは微笑む。
「ええ」
「病は淀んだ空気を好むもの」
「光も風も、水も必要よ」
「この線は何だい」
「後で使う仕掛けよ」
「仕掛け?」
「ええ」
エミリアは艶やかに笑った。
「完成してからのお楽しみね」
マルタは黙った。
図面を二枚、三枚とめくる。
その顔から、皮肉が消えていく。
職人の顔だった。
かつて現場で数十人を怒鳴りつけ、王都の石と木を動かしていた女棟梁の顔だった。
「馬鹿げてる」
マルタは低く言った。
「けど、理屈は通ってる」
「無茶だ」
「だが、無理じゃない」
「誰が引いたんだい、この図面」
「私よ」
マルタは顔を上げた。
「王女様が?」
「ええ」
「正確には、私の趣味と、私の知識と、私の下僕達の技術を混ぜたものね」
「……とんでもないもんを混ぜるじゃないか」
「作ってみたくない?」
エミリアは、静かに問う。
「貴方なら、これを作れると思うのよ」
その言葉に。
マルタの手が震えた。
図面を握る指先に、力が入る。
「作れるなら」
マルタは、絞り出すように言った。
「作ってみたいさ」
「こんなもん見せられて、血が騒がない職人なんざ職人じゃない」
その声には、怒りに似た熱があった。
だが。
次の瞬間。
マルタは自分の失った足へ視線を落とす。
「けどね、王女様」
「こんな脚のおばさんが現場にいたって、お荷物さ」
「若い連中の邪魔になる」
「図面は読める」
「口も出せる」
「だが、現場には立てない」
マルタは悔しそうに笑った。
「終わったんだよ」
「アタシの現場はね」
エミリアは。
愉しそうに嗤った。
「なんとかなるのよ」
マルタが顔を上げる。
「……何だって?」
「足が邪魔なら、作り替えればいい」
室内の空気が止まった。
ルミは静かに控えている。
マルタは、エミリアの顔をじっと見た。
冗談ではない。
この王女は、本気で言っている。
「私には、ドールズという神造人間がいるわ」
エミリアは淡々と語る。
「そして今、その模造品を作ろうとしている」
「名は、イミタート」
「魂は本人のまま」
「けれど肉体を再構成する」
「成功すれば、貴方はもう一度現場に立てる」
マルタは何も言わない。
ただ、聞いていた。
エミリアは続ける。
「ただし、まだ試作段階よ」
「必ず成功するとは限らない」
「失敗すれば、死ぬかもしれない」
「化け物になるかもしれない」
「元には戻れないかもしれない」
普通なら、脅しのような言葉だった。
だが。
エミリアは、微笑んでいた。
「それでも成功すれば」
「この美しい神殿が建てられるわ」
「貴方の手で」
「貴方の目で」
「貴方の現場で」
マルタの喉が動いた。
図面を見る。
失った足を見る。
そして、もう一度、図面を見る。
エミリアは言う。
「これは救済ではないわ」
「可哀想だから助けるわけでもない」
「私は、そんな慈悲深い女王ではないもの」
黒い瞳が、マルタを映す。
「貴方の目が気に入ったの」
「片足を失っても、まだ図面を見て血を騒がせる」
「終わったと言いながら、終わりきれていない」
「その未練も」
「その悔しさも」
「職人としての矜持も」
エミリアは、艶やかに笑った。
「美しいわ」
マルタは息を呑む。
「だから、褒美をあげる」
「マルタ」
「貴方はどうしたい?」
沈黙が落ちた。
長い沈黙だった。
やがて。
マルタは、ゆっくりと図面を机に置いた。
そして、両手で自分の膝を押さえながら、身体を起こす。
片足で立つ。
ふらつきながらも。
女棟梁は、真っ直ぐにエミリアを見た。
「……作りたい」
声は低かった。
だが、震えてはいなかった。
「この神殿を」
「アタシの手で」
「作ってみたい」
エミリアは満足そうに目を細める。
「いい返事ね」
マルタは、ゆっくりと頷いた。
首を縦に。
一度だけ。
けれど、確かに。
「やるよ」
「そのイミタートってやつ」
「アタシを、あんたの実験台にしな」
エミリアは笑った。
悪の女王のように。
美しいものを見つけた少女のように。
「決まりね」
ルミが静かに一礼する。
その日。
後に初代イミタートと呼ばれる女棟梁マルタは。
悪の女王から、最初の褒美を受け取ることになった。
感想いただけると嬉しいです




