獄天の刀使 シオン ③
聞き慣れた声に、シオンの白い獣耳がぴんと立った。
「……エミリア様?」
『ええ、そうよ。何度斬っても効かないのに、どうして結論がまた斬ることになるのかしら?』
「……もっと強く斬れば、斬れるかもしれない」
『だから、それが問題なのよ……』
エミリアの呆れた声が頭の内側に響く。
シオンは僅かに首を傾げたが、それ以上は何も言わなかった。目の前では、爪を備えた男が再び踏み込んできている。
右腕が突き出される。
シオンは上体を捻り、喉元を狙った爪を躱した。続く左腕の横薙ぎには右足を引いて対応し、振り抜かれた腕の下から男の側面へ回り込む。
相手の動きは、一時間前とは比べものにならないほど洗練されていた。それでも、シオンの足運びにはまだ余裕がある。
『シオン。そのまま戦っていなさい。少し考えるわ』
「……わかった」
シオンは迷わず頷いた。
エミリアが考えると言うのなら、自分は目の前の相手に集中すればいい。
黒刀を構え直し、再び迫ってきた爪の軌道を見極めた。
その間、エミリアは意識を切り替えていた。
分割思考。
シオンの五感を通じて戦況を把握しながら、意識の一部を切り離し、別の思考を走らせる。
目の前の敵を倒す方法。
いや。
そもそも、なぜこの敵は倒せないのか。
(……おかしいのよね)
エミリアはこれまでに見てきた神兵達の能力を思い返した。
リンの相手には、薬が効かなかった。
ランカの相手には、彼女が顕現させた武具が通じなかった。
そして、今シオンが戦っている男には、どんな剣技も通用しない。
一見すると、どれも厄介な能力だ。
だが、そこには奇妙な共通点があった。
(……どうして、そんなに限定的なのかしら?)
もし自分が神兵を作る立場なら、わざわざ攻撃の種類を限定したりはしない。
薬も、武器も、魔法も、すべて無効化できる能力を与えればいい。少なくとも、そうすることが可能なら、その方が確実だ。
しかし、ラクシュはそうしなかった。
いや。
(……できなかった、と考えるべきかしら)
エミリアの思考が、神兵を作り出したラクシュの力へ向かう。
ルミナは、異世界から人を転生させる際に三つの特典を与えている。
蓮自身であれば、憑依、魅了、限界突破。
リンならば、薬学の知識、治癒、読心。
それぞれ、異なる三つの能力だ。
対してラクシュは、今回ほとんど準備らしい準備もなく、五体の神兵を一度に作り出している。
転生という形で人を生まれ変わらせるのか、自ら想像して新たな存在を作り出すのか。方法は違う。
だが、同じ神である以上、一度に行使できる神力の総量に、そこまで大きな差があるとは考えにくい。
(もちろん、神によって得意不得意はあるでしょうけど……)
仮に、この五体すべてが、あらゆる攻撃を無効化する力を持っていたらどうなるだろう。
ルミナが転生者へ与える三つの特典と比べて、あまりにも釣り合いが取れない。
ラクシュ一柱が、ルミナの何倍もの力を平然と行使できることになってしまう。
(いくらなんでも、五倍はないでしょうね)
それに。
エミリアは、先ほどルミナが口にした言葉を思い出した。
――ドールズ達が劣るはずがない。
あの神は、はっきりとそう言っていた。
ルミナが自分の眷属を贔屓している可能性はある。だが、神々の力について、何も知らずに断言するとも思えなかった。
ならば。
(やっぱり、何らかの制限があるはずよ)
エミリアは、ランカの戦いを思い返した。
ラクシュは、彼女の武器についてこう言っていた。
自分の加護を持つ武器でなければ通じない、と。
だが、それは本当に正しかったのだろうか。
ランカが最初に使っていた武器は、《転生鍛冶録》によって顕現させたもの。ルミナの力を使って生み出された、過去の作品だった。
その後、エミリアはラクシュの鍛冶の力を利用し、地面に落ちていた武具を打ち直した。
すると、それまで通用しなかった武器が、神兵を傷つけるようになった。
(……逆だったのかもしれないわね)
ラクシュの加護がある武器しか通用しない。
そうではなく。
ルミナの加護がある武器だけを、無効化していた。
だとすれば、打ち直した武器が通じた理由も説明できる。
ルミナの加護を帯びた武具を、ラクシュの力によって鍛え直した。その結果、神兵の無効化能力が働かなくなったのだとしたら。
(ふふっ……なるほどね)
エミリアの思考が、目の前の戦いへ戻る。
シオンは今も、爪の戦士と攻防を繰り返していた。
男の右腕が大きく振り下ろされる。
シオンは左足を斜め前へ送り、爪の外側へ抜ける。男はすぐに反転し、左腕を突き出したが、シオンは既にその軌道から身を外していた。
右の獣耳が風切り音を拾い、白い尻尾が身体の回転に合わせて大きく流れる。
続いて黒刀が閃いた。
男の胸を横薙ぎに払う。
やはり、何も起こらない。
(……シオンが試した攻撃は、確か……)
斬撃。
刺突。
斬鉄。
峰打ちによる打撃。
そして、闘気を纏わせた斬撃。
攻撃の性質は、それぞれ違う。
刃で斬るだけではなく、突き、叩き、さらには闘気の力まで乗せている。
それでも、すべて無効化された。
(これだけ違う攻撃を、全部無効化している……?)
考え方を変えてみる。
斬撃も刺突も打撃も、それぞれを無効化できるのなら、わざわざ能力を分ける必要などない。
つまり、これらの攻撃には、もっと単純な共通点があるのではないか。
エミリアはシオンの右手へ意識を向けた。
その手に握られている、黒い刀。
(……あ)
一つ、思い当たることがあった。
ラクシュとの、あの奇妙なやり取り。
――あなたの剣による攻撃は通じないのよ!
――これは剣じゃなくて、刀。
――そういうことじゃないのよ!
エミリアの口元が、僅かに吊り上がった。
(……そういうこと、なのね)
ラクシュは、剣と刀の違いを理解していなかった。
だが、そもそも理解する必要があっただろうか。
シオンが使っているのは、この黒刀だ。
刀という武器の分類を知らなくても、シオンが持つ武器を認識することはできる。
事前にドールズ達の戦いを観察していたのなら、なおさらだ。
(あの白虎の剣士が持っている、黒い武器……それを無効化する)
たったそれだけ。
相手がどれほど優れた剣技を持っていようと、武器そのものを無効化できれば、攻撃はすべて通じなくなる。
斬ろうが、突こうが、叩こうが。
闘気を纏わせたところで、使っている武器は同じなのだから。
(つまり、この神兵が無効化しているのは……)
シオンの《黒刀》による攻撃。
それも、シオンが持つ特定の武器に対する、極めて限定的な能力。
五人のドールズそれぞれに、最も有効な特攻能力を与えた。
一体あたりに使える神力が限られているからこそ、そうしたのではないか。
(……ふふっ。そういう仕掛けだったのね)
まだ仮説にすぎない。
だが、試す価値は十分にある。
『シオン、少し身体を借りるわよ』
「……わかった。任せる」
そこに躊躇いはなかった。
エミリアが何かを見つけたのなら、きっと理由がある。
シオンは抵抗することなく、身体の主導権を委ねた。
次の瞬間、身体から漂う空気が変わった。
エミリアは黒刀を握り直し、目の前の男へ視線を向けた。
「さて……答え合わせといきましょうか」
男が踏み込んできた。
右の爪が喉元へ伸びる。
エミリアは左足を引き、上体を捻って避けた。そのまま黒刀を下から斬り上げる。
手応えはない。
男は構わず左腕を振るった。
エミリアはその軌道から身を外し、刀を返して横薙ぎに振るう。
これも通じない。
さらに数合。
シオンの身体が持つ反応速度と剣聖の技量を借り、エミリアは男の攻撃を丁寧に捌いていく。
右腕の突きに対して半歩踏み込み、相手の側面へ移動する。そこから男が振り返るよりも早く、黒刀を振り抜いた。
当然、傷はつかない。
だが、エミリアは少しも落胆しなかった。
むしろ、相手の反応を確かめるように、何度か黒刀を振るい続ける。
男は防御を考えていないのか、刀を避けようともしなかった。
刃が身体に触れても、傷つかない。それを当然のこととして、攻撃だけを繰り返している。
「……なるほどね」
男が右腕を振り下ろした。
エミリアはその内側へ踏み込み、爪を躱す。
今度は黒刀を振るわなかった。
左足へ重心を乗せ、腰を鋭く回す。その回転に合わせて右脚が跳ね上がった。
蹴り。
爪を振り下ろした直後の男は、上体を戻すことができない。
エミリアの足が、無防備な脇腹を捉えた。
ドッ!
鈍い音が響く。
男の身体が横へ折れ、踏み出した足が地面を滑った。
エミリアは蹴りを放った姿勢からゆっくりと脚を戻す。
そして、にやりと笑った。
「……やっぱり。手応えがあったわね」
『……エミリア様?』
頭の内側から、シオンの不思議そうな声が聞こえた。
『今のは……』
「ふふっ。見ていなさい」
男が姿勢を立て直す。
確かに、蹴りによる衝撃は受けていた。
しかし、まるで痛みを気にしていないかのように、再び両腕の爪を構える。
そして、一直線に突っ込んできた。
「……学習する割には、ずいぶん無防備ね」
エミリアは静かに黒刀を鞘へ納めた。
「さて、次は――」
男の右腕が突き出される。
今度は喉元ではなく、胸の中央。
エミリアは右足を半歩外側へ送り、左肩を引いて爪を躱した。
同時に、左手が伸びる。
男の右手首を掴んだ。
そのまま腕を引き、相手が前へ踏み込む勢いをさらに加速させる。
男は咄嗟に足を踏み出し、姿勢を立て直そうとした。
しかし、その足が地面を捉える寸前。
エミリアの脚が、男の足元を払った。
支えを失い、重心が前へ流れる。
その瞬間、エミリアは掴んだ手首を離さず、男の右腕の下へ身体を潜り込ませた。
背中を相手の胸元へ向ける。
膝を深く曲げ、腰を落とす。
男の右腕を自分の肩へ引き込み、肘を締め上げるように固定した。
相手の重心が、エミリアの背中へ乗る。
「――せいっ!」
小柄な身体が、鋭く回転した。
腰を跳ね上げ、掴んだ腕を斜め下へ引き込む。
男の足が大地から離れた。
背負い投げ。
男の身体が、エミリアの肩を支点として宙を舞う。
本来なら、そのまま背中から落ちるはずだった。
だが、エミリアは途中で腕を緩めなかった。
男が身体を捻って受け身を取ろうとする動きを、掴んだ腕ごと封じ込める。
さらに腰を回し、落下の軌道を強引に変えた。
背中ではなく、頭から。
ゴッ!!
鈍い衝撃音が響いた。
男の頭が大地へ叩きつけられ、勢いのまま身体がひっくり返る。両脚が宙を跳ね、遅れて背中が地面へ落ちた。
地面が僅かに砕け、土埃が舞い上がった。
エミリアは掴んだ腕を離し、素早く後方へ退く。
男は地面へ倒れたまま、僅かに身体を痙攣させていた。
「……あら」
エミリアは口元へ指を添え、楽しそうに微笑んだ。
「地面も有効みたいね?」
『エミリア様!』
頭の内側から、シオンの声が響いた。
『今の技は!?』
先ほどまでとは違う、明らかに興味を惹かれた声だった。
エミリアは思わず目を瞬かせる。
「……そこ?」
『投げ技なら知っている。でも、今のは違う。相手の力が、そのまま投げる力になっていた』
「そうね。柔よ。柔よく剛を制す、という考え方の技ね」
『……柔』
「相手の重心を崩し、踏ん張れない状態を作ってから投げるの。力任せに投げ飛ばすわけじゃないのよ」
『……なるほど』
シオンの声には、確かな感心が滲んでいた。
「私のいた世界では、基本的な技なら子供でも学び舎で教わるくらい身近なものだったわ。もっとも、今みたいな危険な落とし方は教えないけれど」
『……子供でも?』
シオンの白い獣耳が、興味を示すようにぴんと立った。
『エミリア様。その話、詳しく!』
「あなたねぇ……今はそんな場合じゃないでしょう?」
エミリアは呆れたようにため息を吐いた。
「帰ったら教えてあげるから、少しは目の前の敵を気にしなさい」
『……わかった。約束』
「ええ、約束よ」
その言葉が終わる頃には、男がゆっくりと身体を起こし始めていた。
頭から大地へ叩きつけられたというのに、その動きにはほとんど淀みがない。
両手を地面へつき、膝を立てる。
そして、何事もなかったかのように立ち上がった。
エミリアはその様子を見つめ、僅かに目を細める。
「……なるほど。効くけれど、頑丈なのね」
『あったりまえじゃない!』
結界の中に、ラクシュの得意げな声が響き渡った。
『そのエンジェルちゃんはね、五体の中で一番弱いのよ! でも、その代わりに大地からのワタクシの加護を、一番強く受けられるようにしてあるんだから! 素手なんかで倒せないわよ!』
「あら、一番弱いの?」
『そうよ! でも、戦えば戦うほど強くなるんだから! いつまでもそのままだと思ったら大間違いよ!』
「……なるほどね」
エミリアは小さく微笑んだ。
やはり、五体の神兵は一律の能力を与えられているわけではない。
それぞれの役割に応じて、力の配分そのものが違うのだろう。
(ふふっ……ずいぶん親切に教えてくれるじゃない)
目の前では、男が再び両腕の爪を構えていた。
その足運びは、先ほどよりも僅かに滑らかになっている。
「素手で戦うのも面倒そうね」
エミリアは口元に笑みを浮かべた。
もちろん、まったく困っていない顔だった。
男が地面を蹴る。
鋭い爪を突き出し、一直線に迫ってきた。
エミリアはその動きを見つめながら、ふと視線を横へ流した。
結界に取り込まれた大地。
その一角に、見覚えのあるものが転がっていた。
「あら?」
六メートルにも及ぶ、長大な十文字槍。
先ほどまでドルガディンが振るっていた武器だった。
シオンとの戦いで取り落とされ、そのまま地面へ転がっていたらしい。
エミリアの口元が、ゆっくりと吊り上がる。
「……ちょうどいいものがあるじゃない」
男の爪が迫る。
エミリアは一歩踏み込み、身体を半回転させた。右肩の外側を爪が通り過ぎると同時に、男の背後へ滑り込む。
白い尻尾が大きな弧を描いた。
そのまま足を止めず、槍の転がる場所へ向かう。
男が追ってくる。
だが、エミリアは振り返りもしなかった。
黒刀を抜く。
地面に横たわる十文字槍へ、その刃を走らせた。
一閃。
長大な柄が、鋭い音とともに切断される。
六メートルもあった槍は、およそ二メートルほどの長さになっていた。
「ふふっ。これくらいなら扱いやすいかしら」
エミリアは黒刀を鞘へ戻し、切り詰めた十文字槍を拾い上げた。
両手で柄を握り、軽く回す。
穂先が風を切り、十字に広がる刃が淡い緑色の光を返した。
長槍だった頃とは、重心も間合いもまるで違う。
それでも、シオンの身体はその重さを難なく受け止めていた。
『……ドルガディンの槍』
頭の内側から、シオンの声が聞こえた。
「ええ。せっかく使えるものがあるんですもの。有効活用しなくちゃね」
エミリアは槍を一度振り、穂先を静かに男へ向けた。
白い獣耳がすっと前を向き、長い尻尾がゆるやかに揺れる。
その口元には、妖しく、どこか愉しげな笑みが浮かんでいた。
槍を構えるシオンの姿は、普段の感情を表に出さない静かな佇まいとは、まるで違っていた。
そこにあるのは、剣聖の研ぎ澄まされた美しさだけではない。
悪の女王が纏う、艶やかで危ういほどの美しさ。
エミリアは男を見据え、愉しそうに目を細めた。
「さて……何を試してみようかしら?」




