獄天の刀使 シオン ④
十文字槍を構えたエミリアは、穂先を軽く振ってその感触を確かめた。
六メートルもの長さを誇ったドルガディンの槍は、今や二メートルほどに切り詰められている。それでも十字に広がる穂先には十分な重量があり、普通の人間が軽々と扱えるような代物ではなかった。
だが、不思議と違和感はない。手の中に伝わる重さ。柄を握る位置。穂先を走らせるための身体の使い方。そのどれもが、以前から知っていたことのように理解できた。
いや、実際に知っているのだ。
今の身体の持ち主である、シオンが。
「あら、シオン。あなた、槍も使えるのね?」
『……武器なら、一通りは使える』
「そうなのね」
エミリアは槍を片手で振り、反対の手で柄を受け止めた。穂先が滑らかな弧を描き、狙った位置でぴたりと止まる。その動きには、僅かな淀みもない。
(……この練度、使えるってレベルじゃないのよね)
さすがはレムリアス大陸最強と謳われた剣聖、といったところだろうか。
シオンの知識と経験は、剣だけに留まるものではなかった。エミリアが教えた刀術を短期間で自分のものにしたのも、こうした幅広い武術の素養があったからなのかもしれない。
「結構。なら、その技量を存分に使わせてもらうわ」
エミリアは槍を構え直し、口角を上げた。
「さて、本番の前にもう少し付き合ってもらうわよ?」
その言葉を合図にしたかのように、神兵が地面を蹴った。両腕の爪を前へ突き出し、一直線に間合いを詰めてくる。
エミリアは右足を半歩引き、十文字槍の穂先を僅かに下げた。
神兵が踏み込む。その瞬間、槍が閃いた。
鋭い刺突。男は咄嗟に身体を捻ったが、穂先から左右へ伸びた刃が右肩を浅く切り裂いた。それでも神兵は怯まない。構わず前進し、爪を振るおうとする。
だが、その腕が届くよりも早く、十文字槍は引き戻されていた。
再び刺突。今度は胸元を狙う。
男が横へ躱せば、穂先はすぐさま軌道を変え、横薙ぎの一撃となって脇腹を掠めた。
「あら、近づかせてあげないわよ?」
エミリアは楽しそうに口角を上げた。
長柄武器の最大の利点は、間合いにある。相手の攻撃が届かない距離から一方的に攻撃できる。しかも、突くだけではない。払い、薙ぎ、時には柄を利用して相手の動きを制することもできる。
先ほどドルガディンが見せた、あの徹底した間合いの支配。今のエミリアは、それをシオンの技量によって再現していた。
神兵が右へ回り込めば、槍の穂先が進路を塞ぐ。左へ踏み込もうとすれば、鋭い刺突が待っている。爪を伸ばそうにも届かない。強引に踏み込めば、伸ばした腕を穂先で払われる。
男は幾度となく攻撃を試みたが、そのたびに槍の長さを思い知らされることになった。右腕を突き出した瞬間には肩を刺され、身体を低くして飛び込もうとすれば、その鼻先を穂先が横切る。
時折、十字に広がる刃が男の身体を捉え、少しずつ傷を増やしていった。
『……黒刀では通らなかった攻撃が、通っている』
シオンは攻防を見つめながら、静かに呟いた。
「ええ。どうやら、読みは当たっていたようね」
エミリアは神兵の動きを観察しながら、さらに槍を繰り出した。
相手の足運びは、確かに巧くなっている。一時間前にシオンが感じた未熟さは、既にほとんど見られなかった。攻撃の予備動作も小さくなり、爪を振るう角度にも工夫が生まれている。
しかし、それでも槍の間合いには対応できていない。
(……なるほどね。あなたが学習していたのは、黒刀を使うシオンの攻撃だったのね)
この神兵は、シオンの黒刀を無効化する能力を持っている。だからこそ、刀による攻撃を恐れる必要がなかった。その状態で一時間も戦い続け、神兵はシオンの動きを学習してきたのだ。
刀の間合い。斬撃の軌道。刺突を放つ際の踏み込み。そうした経験は積み重ねられている。
だが、槍は違う。武器の長さも、攻撃が届く角度も、間合いを詰めるために必要な距離も異なる。
身体の使い方が巧くなったからといって、経験したことのない武器への対処まで身につくわけではない。
「体捌きは確かに巧くなっているわ。でも、長柄武器との戦闘経験が、まるでないみたいね」
『……刀の間合いを外すのは、巧くなっていた。けれど槍では、踏み込みの判断が遅い』
「ええ。だからこそ、今は槍を使うのよ」
エミリアがニヤリと笑う。
その間にも、男は槍の動きを追い、僅かずつ踏み込む角度を変え始めていた。一度目は届かなかった爪が、二度目には柄の近くを掠める。三度目には、エミリアの手元へ向けて伸びてきた。
(……あら。もう覚え始めているのね)
学習能力の高さは本物らしい。だが、それなら話は簡単だ。覚えられる前に、倒してしまえばいい。
「せっかくの優れた能力だけれど、残念ね。あなたの成長を待ってあげる義理はないわ」
エミリアは槍を握り直した。
「そろそろ終わりにしましょうか」
『……次は、何を見せてくれる?』
シオンの問いには、先ほどまでの戦いとは異なる興味が滲んでいた。
「そうね。その前に、あなたにはもう少し覚えてもらいたいことがあるわ」
『……新しい武術?』
「ええ。これは、ある偉大な家庭教師が編み出した闘術よ」
エミリアは十文字槍を構え直し、迫る男の動きを見据えた。
「すべての武器に共通する、三つの基本があるの。それぞれの理念を理解すれば、剣でも槍でも、ほかの武器でも応用できるわ」
『……武器ごとに、技の形は変わるんだね』
「そうよ。まず一つ目は、剛の技。大地をも切り裂くほどの威力を生む攻撃ね」
神兵が右腕を引き、鋭い爪を突き出してきた。エミリアは槍の柄を僅かに傾け、爪の軌道を外す。そのまま穂先を引き、静かに腰を落とした。
「大切なのは、余計な力を抜くこと。無理に力を込めるのではなく、もっとも理想的な動きで、もっとも効率よく力を伝えるのよ」
『……脱力したまま、威力を生む?』
「イメージは、あなたの《斬鉄》よ」
『……なるほど。必要な瞬間だけ、力を通す』
シオンの理解は早かった。
硬いものを斬る際、ただ腕力に任せて刀を振るえばいいわけではない。刃筋を整え、無駄な力を削ぎ落とし、必要な瞬間に必要な力を伝える。その感覚は、シオンにとって馴染み深いものだった。
「理解したようね。なら、よく見ていなさい」
エミリアが踏み込む。
足の運び。腰の回転。肩から腕へと伝わる力。それらが一つの動きとなって、槍の穂先へ集約されていく。
無駄な力みは、どこにもない。理想的な軌道を描く、ただ一度の刺突。
神兵は迫る穂先を見て、反射的に右腕を掲げた。爪を備えた手甲で受け止めようとしたのだろう。
だが、その防御は意味を成さなかった。
鋭い穂先が、手甲を正面から貫いた。硬い金属を穿ち、その奥の腕まで深々と突き刺さる。
「そうね……大地を裂く、剛の一撃」
エミリアの口元が吊り上がる。
「《エアデ・シュパルテン》」
凄まじい衝撃が腕を伝わり、神兵の身体を大きく後退させた。男は数歩よろめき、貫かれた右腕を押さえる。手甲には穴が開き、その奥から緑色の光が漏れ出していた。
『……見事な刺突。無駄がない』
「感心するのはまだ早いわ。次よ」
エミリアは槍を引き、今度は穂先を低く構えた。
「二つ目は、迅。極限まで高められた速度が生む衝撃波は、形なきものさえ斬り裂くわ」
『……形なきもの?』
「魔法や炎のようなものね。普通の刃では捉えにくいものにも届くの。イメージとしては、あなたの《飛斬》に近いかしら」
『……衝撃波そのものを、刃として使うわけか』
「理解が早くて助かるわ。では、実際に見せてあげる」
エミリアは十文字槍を身体の横へ引きつけた。膝を僅かに曲げ、重心を前へ移す。
そして、地面を蹴った。
一瞬だった。
シオンの身体が、神兵へ向かって爆発的に加速する。男が左腕を振り上げたが、その爪が振り下ろされるよりも早く、エミリアは既に間合いの内側へ踏み込んでいた。
槍が閃く。
刺突。
それも、常識外れの速度で放たれた一撃だった。穂先が空気を貫き、鋭い衝撃波がその軌道を追いかける。
男は腕を下ろして防ごうとする。しかし、間に合わない。
エミリアの身体が、神兵の横をすり抜けた。
直後、男の左脚が穿たれる。
衝撃が遅れて伝わり、神兵の身体が大きく傾いだ。
「《メーア・シュナイデン》」
エミリアは背後へ抜けた勢いのまま槍を回し、優雅に構え直した。
左脚を貫かれた男は、膝を折って地面に片手をつく。立ち上がろうとしているが、脚に受けた損傷は小さくないらしい。
『……見えないほどの速度。それでいて、穂先の軌道が乱れていない』
「この程度、あなたの身体なら十分に可能よ。問題は、それを自在に使いこなせるかどうかね」
『……三つ目は?』
「心の技。《ヒンメル・タイレン》というのだけれど……残念ながら、私には使えないわ」
『……エミリア様にも、再現できない技があるんだね』
「ええ。闘気を用いて、幽霊や肉体を持たない存在の核を貫く技よ。単純な力や速さとは違う、もっと繊細な技術が必要になるの」
シオンはしばらく黙っていた。
『……肉体ではなく、存在の核を捉える。闘気の扱いが鍵になるのかな』
「さあ、どうかしら。今の私には再現できない。けれど、あなたなら辿り着けるかもしれないわね」
『……興味深い。試してみたい』
「結構。三つすべてを完成させれば、さらに面白いことができるかもしれないわよ?」
『……三つを極めた、その先に?』
「知りたければ、まずは三つを極めなさい。話はそれからよ」
エミリアはそう言い放ち、神兵へ視線を戻した。
男は左脚に力を込め、ゆっくりと立ち上がろうとしている。貫かれた脚はまだ満足に動かない。それでも、両腕の爪を地面へ突き立て、無理やり身体を起こそうとしていた。
大地の加護によるものなのか、それとも神兵そのものの異常な頑丈さなのか。いずれにせよ、普通の生物ならとうに動けなくなっているはずだ。
(……まったく、しぶといわね)
もっとも、再び間合いを詰められるほど回復するまで待ってやるつもりはない。
エミリアは手にした十文字槍を眺めた。
(……さて。ここまでやると、次はどちらかよね)
思い浮かぶ、二つの大技。どちらも魅力的ではある。
けれど。
(……私はこちらの方が好みね)
その口元に、妖しい笑みが浮かんだ。
「シオン、少し無茶をするわよ」




