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五色煌珠は緑野を蹂躙す②

 ――再び、少しだけ時を遡る。


 シルヴァニア軍が、崩壊した神兵の向こうで再び隊列を整え始めていた頃。


 ローゼンバーグ側の国境砦、その前には五人の黒薔薇人形《ブラック・ドールズ》が傅いていた。


 クロエ。リン。セリア。ランカ。そしてシオン。


 エミリアが自ら選び、自らの傍らへ置いた五人である。


 川向こうには、未だ一万近い軍勢が残っている。二百体の神兵を失ったとはいえ、シルヴァニア側の兵力そのものはほとんど損なわれていない。


 それでも、エミリアの表情に不安はなかった。


 五人を前に、ゆっくりと立ち上がる。胸を張り、左手を腰へ添える。右手は優雅に前へ差し出した。


 その姿は、戦場を前にした王というよりも、これから始まる舞台の幕を自ら上げようとする女王そのものだった。


「貴女達。やることは分かっているわよね?」


 五人が顔を上げる。


 その視線を一人ずつ受け止めながら、エミリアは美しく微笑んだ。


「私の下僕としてここにいるのだから――悪らしく、美しく、そして圧倒的に!」


 差し出していた右手を、そのまま川向こうへ向ける。そこにいるのは、豊穣神ラクシュの名の下に集った者達。神の加護を受け、自分達こそが正しいと信じ、この国へ攻め込んできた一万の兵。


「神様の僕とやらを、蹂躙してきなさい」


 命令とは思えないほど、その声音は楽しげだった。だが、その言葉に宿る期待だけは誤魔化しようがない。


 エミリアは五人を見渡し、さらに笑みを深める。


「私の大切な黒薔薇人形《ブラック・ドールズ》なら、できるでしょう?」


 優美だった笑みが、ゆっくりと形を変える。試すように、煽るように。自分の下僕達が、そんな程度のことをできないはずがないと信じ切った、挑戦的な笑みへ。


「――当たり前よね?」


「もちろんです、エミリア様」


 最初に答えたのはセリアだった。胸元へ片手を添え、嬉しそうに微笑む。主から期待を向けられたことそのものが、彼女にとって何よりの喜びであるかのように。


「エミリア様のご期待に背くような真似はいたしません」


「ふん。そこまで言われて、無様を晒すわけにはいかんのぉ」


 ランカは立ち上がりながら鼻を鳴らした。口元には、いつもの職人気質な頑固さとは少し違う、獰猛な笑みが浮かんでいる。


「儂を誰じゃと思っとる。悪らしく、美しく、圧倒的に……じゃったな。やってやろうではないか」


「うん。エミリア様がそこまで言うなら、ボクもちゃんと期待に応えないとね」


 リンも立ち上がる。普段通りの柔らかな笑顔。それでも、その瞳には僅かな高揚があった。


 その隣で、クロエが静かに眼鏡の位置を直す。


「今までやってきた実験の成果を試すには、いい機会だねぇ」


 声音そのものはいつもと変わらず穏やかだった。しかし、その目は明らかに楽しんでいる。新しい術式、新しい魔導具、新しい魔法の使い方。戦場というより、巨大な実験場を前にしている研究者の目だった。


 そして最後に、シオンが立ち上がる。


「分かった。全部倒せばいいんだな」


「ええ。ただし――美しく、よ?」


「分かった。美しく倒す」


 エミリアは一瞬だけ目を細めた。


 本当に分かっているのかしら。


 そんな疑問が頭を過ぎったが、口にはしなかった。どうせシオンのことだ。本人なりには本気で理解している。それで十分だった。


「行ってらっしゃい。私の可愛い下僕達」


 五人が一斉に頭を下げた。


 そして、戦場へ向かって歩き始める。誰一人として後ろを振り返らない。


 主から託されたものは命令だけではない。信頼と期待、そして自分達ならばできて当然だという、あまりにも傲慢なほどの確信。


 それを向けられて、心が動かない者は一人もいなかった。


 五人はそれぞれ違う思いを胸に抱きながら、国境の川へ向かっていく。


 その途中だった。


「ランカ」


 隣を歩いていたリンが、少しだけ声を落とした。


「なんじゃ?」


「ボクの能力、知ってるよね?」


 ランカが横目でリンを見る。


「……まあの」


「時間もないから端折るけどさ。視るつもりはなかったんだ。でも前に、ランカが昔のことを思い出した時……ちょっとだけ、流れ込んできちゃって」


 ランカの眉が僅かに動く。


 リンは申し訳なさそうに目を伏せた。


「ごめんね」


「……気にするな。お主が好きで見たわけではないんじゃろ」


「うん」


 短く答えてから、リンは再び顔を上げる。そして川向こうへ視線を向けた。一万の兵。その中にいる、一人の男を探すように。


「たぶんだけど――あいつ、あそこにいると思うんだ」


 ランカの足がほんの僅かに止まった。すぐに歩き出したものの、先ほどまで浮かべていた笑みは消えている。


「……よすんじゃ」


「え?」


「昔の話じゃ。儂らはもう、黒薔薇人形《ブラック・ドールズ》なんじゃ。エミリア様の下僕としてここにおる。今さら昔のことまで持ち込む必要はない」


 リンは、その横顔を少しだけ見つめた。


「違うよ」


 はっきりと否定する。


「何がじゃ」


「ドールズだからこそ、でしょ?」


 ランカがリンを見る。


 リンは悪戯っぽく笑っていた。


「ボク達、悪の女王様の下僕なんだよ?」


 ぺろり、と舌を出す。


「だったら――自由に悪いことしていいんでしょ?」


「…………」


「我慢して見なかったことにするなんて、全然悪らしくないよ」


 ランカが目を瞬く。それから、呆れたように小さく息を吐いた。


「お主……いつの間にそんなことを言うようになったんじゃ」


「エミリア様に教わったからね。悪ならもっと、相手が嫌がることを考えなさいって」


「……使い方が微妙に違う気がするんじゃがの」


「そうかな?」


「そうじゃ」


 そう言いながらも、ランカの口元には僅かな笑みが戻っていた。


 リンはもう一度、川向こうへ目を向ける。


「だから、道はボクが作るよ。ランカは、その先に行って」


 しばらく返事はなかった。


 だが、やがてランカは小さく頷く。


「……すまんの」


「うん。任せて」


 少し前を歩くクロエは振り返らず、セリアも何も言わない。シオンも、いつも通り前だけを見ていた。


 誰も聞こえなかったふりをして、そのまま歩き続ける。


 五人はそのまま、戦場へ向かって歩き続けた。


 やがて、五人は国境の川へと辿り着いた。


 そのまま水面へ足を踏み出す。沈むはずの足は水の上で止まり、僅かな波紋だけを残して前へ進んでいく。昨日までなら異様としか思えなかった光景も、今の五人にとってはただの道だった。


 向こう岸では、すでにシルヴァニア軍が迎撃の態勢を整えている。神兵を失った混乱から立ち直り、部隊ごとに間隔を空け、先ほどまでとは明らかに違う陣形へ組み直されていた。


 それを眺めながら、クロエが隣を歩くセリアへ視線を向ける。


 ほとんど同時に、セリアもクロエを見た。


 言葉は交わさない。ただ、互いにほんの僅かに頷く。


 それだけで十分だった。


 川を渡り終える直前、セリアが足を止めた。両手を胸の前で静かに開く。


 直後、周囲の光が揺らいだ。


 空から降り注ぐ光。水面に煌めいていた光。大地を照らしていた淡い輝き。それまで別々の場所に存在していた光が、何かに呼ばれたようにセリアのもとへ集まり始める。


 一つが二つへ。二つが幾つもの光と交わり、重なり、互いに響き合うように輝きを増していく。


 やがてセリアの前に、白銀の光球が形作られた。


 それでも光は止まらない。周囲から集まった輝きを呑み込みながら、光球はゆっくりと大きさを増していく。その輪郭は次第に整い、ついには地上へ降りた満月を思わせるほどになった。


 その隣では、クロエが懐から両手に収まるほどの球体を取り出していた。


 万式演算球《フォーミュラ・オーブ》。


 表面を覆う細かな文字と線へ魔力が流れ、淡い光が走る。


「【光】、【発熱】、【圧縮】、【操作】」


 クロエが順に言葉を選ぶと、球体の前に小さな光が生まれた。同時にクロエ自身の身体も僅かに発光する。


 拳ほどだった光は見る間に膨れ、人の頭ほどになり、さらにその大きさを増していく。白い輝きの内側には熱が蓄えられ、周囲の空気が揺らぎ始めた。


 その異常を、シルヴァニア軍も見逃さなかった。


「……まずい」


 最初に危険を察したのはセルディウスだった。


 何の術なのか、まだ完全には分からない。だが、あれだけの時間を掛け、あれだけの魔力を集めている攻撃が、軽い一撃で終わるはずがない。


「魔法を使える者は前へ! 障壁を張れ! 一枚では足りん、重ねろ! 使える者は全員だ!」


 鋭い号令に、兵の中から魔道士達が一斉に前へ出る。


 一枚、二枚。さらにその前へ、後ろへ。半透明の障壁が次々と重なり、シルヴァニア軍の前には幾重もの光壁が築き上げられていった。


 それを見ても、セリアは動じない。


 集まってくる光が、最後の一つまで月へと溶け込む。


「――月光【交響】《ルミナス・シンフォニア》」


 白銀の満月が完成する。


 同じ頃、クロエの前に浮かぶ光球も最大まで膨れ上がっていた。


 クロエはそれを眺め、ふと思いついたように首を傾げる。


「名前があると便利だねぇ。確かエミリア様が異世界の兵器の話をしていた時……メガとか、荷電とか、粒子とか……まあいい。《魔導粒子砲》とでも呼ぼうか」


 二人の視線が、もう一度だけ交わった。


 そして――同時に放たれた。


 セリアの前に浮かんだ満月から、極太の月光が迸る。


 クロエの光球もまた一気に収束し、膨大な光と熱を束ねた一条の奔流を吐き出した。


 かつてバルディア帝国との戦いで、三人のイミタートが力を合わせ、黒墓標を介して放った三重術式――《黒葬光》。


 三人分の魔力に大型魔道バッテリー、さらに三つの装備へ負荷を分散することで、ようやく成立したローゼンバーグでも屈指の大出力砲撃。


 その《黒葬光》をなお上回る光芒が、今は一人のドールズから一条ずつ放たれていた。


 白銀の月光と、灼熱を孕んだ魔導光。


 二つの極光が並び、大地を喰らうようにシルヴァニア軍へ迫る。


 直後、最前列の障壁へ激突した。


 轟音と共に一枚目が砕け、続けて二枚目、三枚目が弾け飛ぶ。魔道士達が必死に魔力を注ぎ込み、新たな障壁を重ねても、二条の光は止まらない。


「維持しろ! まだ来るぞ!」


 セルディウスが叫ぶ。


 幾重もの障壁が出力を削り、それでも最後の一枚まで砕け散った。


 二条の光はそのまま前衛の大地を抉り、凄まじい爆音と閃光を撒き散らす。兵士達が左右へ吹き飛ばされ、ようやく整え直した陣形に巨大な裂け目が生まれた。


 その光景を見て、リンがにっと笑う。


「ありがと!」


 返事を待つこともなく、水面を蹴った。


 クロエとセリアが開いたその先へ。


 約束した通り、今度はリンがランカのための道を繋ぐ番だった。


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