緑珠の王と黒輝の女王⑤
出立の日。
ローゼンバーグ王城の前には、シルヴァニアへ向かう近衛と魔導兵が整列していた。
近衛を率いるのは団長のハルト。その傍らにはクロエ、リン、セリア、ランカ、シオンの五人と、いつも通りメイド姿のルミが揃っている。
前回の帝国戦とは違う。
今回は五人のドールズ全員が、女王と共に戦場へ向かうことになった。
そして、彼女達を見送る側にも、以前のローゼンバーグではほとんど見られなかった色が増えている。
青い薔薇。
ベルン、ウル、クルド。その少し後ろにはマルタの姿もある。さらに周囲を見れば、職人らしい服装の者、旅装を纏った者、王都で働いているらしい者まで、それぞれ異なる格好をした女性達の胸元や衣服にも、同じ青薔薇が咲いていた。
女王に、その生き方を美しいと認められた者達。
イミタート。
「しかし、今回は私達を連れていかないとはね」
ベルンが胸元の青薔薇へ軽く触れながら、からかうように笑った。
「帝国の時は随分と派手に使ってくれたというのに」
「人聞きの悪い言い方をしないでちょうだい」
エミリアはベルンを見ると、その隣に並ぶウルとクルドにも紫の瞳を向けた。
「イミタートになる時に言ったはずよ。貴女達の生き方が美しかったから、私はその褒美としてイミタートを与えたの」
「覚えているさ」
「なら結構」
エミリアは、見送りに集まった青薔薇達をゆっくりと見回した。
「貴女達に課した義務は一つだけ。その美しさを損なわないこと。それ以外は自由よ。私の兵士になれとも、一生この国に仕えろとも言った覚えはないわ」
「俺は女王様の下僕でいいけどね」
クルドが笑いながら、胸元の青薔薇を指先でつついた。
「それ、自分で言ってるだけでしょう?」
「うん。だからいいんじゃん」
「……変な子ね」
「今さら?」
少年っぽい屈託のない笑みを浮かべるクルドの横で、ベルンが肩を揺らした。ウルはいつも通り静かに二人を眺めている。
「前回は、出来たばかりのイミタートがどこまでやれるのか見てみたかったから、私がお願いしただけよ」
「やっぱり試されていたのか」
「当然でしょう? 今後何が出来るのか、知っておいた方がいいもの」
「まあ、それで好きに暴れさせてもらったんだ。文句はないさ」
ベルンは苦笑した。
「今回は戦場へ来てもらう必要はないわ。私のお留守番をお願いするだけ」
「留守番?」
「ええ。残る兵達の取りまとめをベルンにお願いしたいの。ウルとクルドも手を貸してあげて」
ベルンが片眉を上げる。
「随分と軽い頼み方だな」
「任命じゃないもの。貴女達に正式な役職を与えるつもりもないわ」
エミリアは何でもないことのように肩を竦めた。
「今回はただのお願いよ。嫌なら断ってもいいわ」
ベルンはしばらくエミリアの顔を見つめた。
「……本当に断っても構わないと思っている顔だな」
「当たり前でしょう?」
「そういうところが質悪いんだがね」
「何が?」
「いや、何でもない」
ベルンは小さく笑い、ウルとクルドへ目を向けた。
「私は構わない」
ウルが静かに頷く。
「俺も手伝うよ。女王様が帰ってきた時、国がめちゃくちゃになってたら格好つかないしさ」
「そう。ならお願いするわ」
「うん、任せて」
クルドが明るく答える。
断る自由は、本当にある。
だが、恩を受けた人間が何を選ぶかまで、エミリアが考えていないわけではなかった。
そこでベルンの表情から、先ほどまでの軽さが消えた。
「ただ、一つ気になるな」
「何?」
「連れていく兵が少なすぎないか?」
元騎士の目が、王城前に整列する近衛と魔導兵へ向けられる。
「向こうは神兵まで動かして、国を挙げて来るんだろう? こちらは近衛と魔導兵だけだ。ドールズが全員いるとはいえ、大軍を相手にする数じゃない」
「そうね」
「そうね、じゃないだろう」
横からオルガまで口を挟んだ。
「俺もそこは気になってた。お前、今回かなり兵を残すつもりだろ」
「ええ」
「本当に大丈夫なのか?」
二人から向けられる視線にも、エミリアは動じない。
「十分よ」
「何を根拠に?」
「向こうと兵の数を競うつもりなんてないもの。必要なものだけあればいいわ」
あまりにも平然と言い切る女王に、ベルンが僅かに目を細めた。
「……また何か企んでいる顔だな」
「失礼ね」
「違うのか?」
「悪の女王が戦場へ行くのよ?」
エミリアは口元を吊り上げた。
「何も企んでいない方が不自然でしょう?」
「それもそうか」
「納得するな、ベルン」
オルガが深い溜息を吐いた。そのまま何かを思い出したように、手にしていた書類を持ち上げる。
「そういや、もう一つだ。宣戦布告の件はどうする?」
「どうするって?」
「国民への告知だよ。正式に受け取ってるんだろうが」
「ああ、それ」
エミリアは興味なさそうに答えた。
「公表しなくていいわ」
「……またか」
「何よ」
「何よ、じゃない。情報の早い商人やギルドには、とっくに話が回り始めてるぞ」
オルガの言葉に、ルナが静かに頷いた。
「はい。シルヴァニア側の動員についても、一部の商人や冒険者の間ではすでに噂になっています」
「別に隠すつもりはないもの。知っている者は知っていればいいわ」
「なら、なおさら正式に知らせた方が――」
「必要ないわ」
エミリアはきっぱりと遮った。
「徴兵もしない。店も工房も閉めない。工事も学校もいつも通り。祈りだって止める必要はないわ。国中に触れ回って、わざわざ騒ぎを大きくする必要がどこにあるの?」
「向こうは国を挙げて攻めてくるんだぞ」
「だから?」
エミリアは本気で分からないというように首を傾げた。
「戦争ですらないもの」
「……は?」
オルガだけでなく、ベルンまで一瞬言葉を失った。
「向こうが勝手に私の国へ来るんでしょう?」
エミリアは黒い袖から覗く白い指先を、ひらりと振る。
「だったら、追い返せば終わりじゃない」
「それを普通は戦争って言うんだよ!」
「そうなの?」
「そうだよ!」
オルガの声が王城前に響く。
エミリアは少し考えたあと、あっさり肩を竦めた。
「どちらでもいいわ。私にとっては同じことよ」
「お前なぁ……」
「王都はいつも通り動かしておきなさい。私が少し出かけるくらいで国中が止まるなんて、美しくないでしょう?」
オルガは何か言い返そうとして――諦めたように額を押さえた。
「……分かったよ。公式な布告は出さない。聞かれたら隠しもしない。それでいいんだな?」
「ええ。それでいいわ」
国を挙げて戦争へ向かうシルヴァニアとは違う。
ローゼンバーグの日常は、何一つ止めない。
「それから内務はオルガ。ルナはいつも通り補佐をお願い。王都の治安維持については、グレゴールも手を貸してちょうだい」
「承知いたしました」
ルナが静かに一礼する。
「お任せください。エミリア様への祈りを絶やすことなく、王都の平穏にも目を配りましょう」
グレゴールも穏やかに頷いた。
「ありがとうございます、グレゴール」
セリアが柔らかく微笑むと、グレゴールも静かに一礼を返した。
「……本当に簡単に仕事を置いていくな、お前は」
オルガが疲れた顔で呟く。
「だって貴方なら出来るでしょう?」
「出来るかどうかの話じゃねぇんだよ」
「出来るなら問題ないじゃない」
「そういうところだぞ……」
「心配すんな、オルガ」
豪快な声が横から飛んできた。
マルタだった。
若々しい身体で腕を組み、その胸元にも一輪の青薔薇が咲いている。
「何かあったら、アタシがあんたの尻を蹴っ飛ばして働かせてやるよ」
「なんで俺が蹴られる前提なんだ!?」
「昔から尻叩かれないとすぐ休もうとするだろうが」
「お前にだけは言われたくねぇよ!」
「何だい。まだ若いつもりか?」
「お前も俺と同年代だろうが!」
見た目だけなら、今のマルタはオルガより遥かに若い。
得意げに笑うマルタと、ますます険しい顔になるオルガ。そのやり取りに、周囲から小さな笑いが漏れた。
これから戦場へ向かうというのに、妙に普段通りの空気だった。
「……で」
その時、少し離れた場所から不満そうな声が上がった。
オルグレイだった。
他の者達へ次々と役目が与えられる中、ずっと自分への指示を待っていたらしい。
「俺は?」
エミリアがそちらを見る。
「適当でいいわ」
「適当!?」
「どうせここまで敵兵は来ないもの。王都にいればいいでしょう?」
「俺、確かここの兵士で間違いないよな?」
「何を言ってるんだい」
出発する側から、クロエが眼鏡を指先で押し上げた。
「君は私のモルモ……助手だねぇ」
「今モルモットって言いかけただろ!?」
「気のせいじゃないかねぇ」
「絶対違う!」
クロエはにこやかに笑う。
「助手(笑)だねぇ」
「かっこ笑いとか言葉にしてんじゃねぇよ!」
今度こそ王城前に笑い声が広がった。
エミリアも小さく肩を揺らす。
「まあ、クロエが帰ってくるまで研究室でも守ってなさい」
「それ絶対、危険物の管理まで押しつける気だろ!」
「安心しなよ、オルグレイ」
クロエが優しく微笑む。
「危険なものは、ちゃんと分かるようにしてあるからねぇ」
「どれだ!?」
「爆発したら危険なやつだよ」
「全部じゃねぇか!」
再び笑いが起こった。
そのやり取りを横目に、ハルトが小さく息を吐く。
「……相変わらずですね」
ベルンがその声を拾い、にやりと笑った。
「何だ、緊張しているのか?」
「していません」
「そうか?」
「先輩こそ、留守をお願いします」
「任されたよ」
軽口を引っ込め、ベルンは元騎士らしい落ち着いた表情へ戻る。
「お前は女王陛下をしっかり守ってこい」
「はい」
ハルトも真っ直ぐ頷いた。
エミリアは最後に、見送りに集まった者達を眺める。
オルガとルナ。
グレゴール。
ベルン、ウル、クルド。
マルタをはじめとした青薔薇達。
そして結局、研究室の留守番らしき何かを任されたオルグレイ。
城壁の向こうでは、今日も商人が品物を運び、職人が槌を振るい、人々がいつもと変わらない一日を始めている。
豊穣公国から宣戦布告を受けたことなど、大半の国民は知らない。
それでいい。
以前なら、女王が王都を離れるだけでも大事だった。
今は、自分がいなくてもこの国を動かせる者がいる。
「それじゃあ、行ってくるわ」
エミリアが黒いドレスの裾を翻した。
「留守は任せたわよ」
「……さっさと終わらせて帰ってこい」
オルガがぶっきらぼうに言う。
エミリアは振り返り、当然のように笑った。
「もちろんよ。私の国なんだから、私がいなくてもちゃんと回しておきなさい」
「最後まで偉そうだな!」
「女王だもの」
それだけ言い残し、エミリアは待っていた馬車へ向かった。
五人のドールズとルミが続き、ハルトの号令で近衛と魔導兵も動き始める。
王都の門を抜ける頃には、見送りに集まった者達の姿も少しずつ遠くなっていった。
◇ ◇ ◇
道中、大きな問題は起こらなかった。
王都から伸びる街道は、以前よりさらに整備が進んでいる。兵や物資を載せた荷車も大きく速度を落とすことなく進み、かつては移動するだけで人と馬を疲弊させていた道が、今では軍を動かすための道としても十分に役目を果たしていた。
数日後。
街道の先に、見覚えのある石造りの建物が姿を現した。
「見えてきましたね」
ルミの言葉に、エミリアが馬車の窓から外を見る。
ローゼンバーグ王国の国境砦。
以前、シルヴァニアへバランを訪ねた時にも通った場所だった。
王国の旗が風にはためき、砦の兵達が接近する一行を確認している。やがて女王旗に気づくと、一斉に姿勢を正し、重い門がゆっくりと開かれた。
近衛と魔導兵が次々と砦の中へ入っていく。
数だけを見れば、決して大軍ではない。
国境を越えた先では今、豊穣神ラクシュの名の下に、シルヴァニア豊穣公国が神兵を並べ、国の力を集めてこちらへ向かっている。
神の力。
豊かな国土。
蓄えられた物資。
そして、公国が動かせる軍勢。
その全てをもって、彼らは同胞を救うのだと信じ、進軍していた。
一方のローゼンバーグでは、商人が店を開き、職人が物を作り、工事も学校もいつも通りに動いている。
多くの民は、自分達の国が宣戦布告を受けたことすら知らない。
女王が連れてきたのも、近衛と魔導兵を中心とした寡兵のみ。
しかも、その女王が何を企んでいるのかを知る者すら、味方の中にほとんどいなかった。
神の力と国の全力をもって進軍する豊穣公国。
そして、戦争とすら呼ばず、寡兵のまま不気味なほど静かに策を巡らす悪の王国。
エミリアは馬車を降り、風に長い銀髪を揺らしながら砦の先へ目を向けた。
その向こうは、シルヴァニア豊穣公国。
敵軍が姿を現すまで、もうそう時間はかからない。
「さて――」
紫の瞳が楽しげに細められる。
「来るなら、来なさい」
悪の女王は、国境でその時を待った。




