王土は宝玉を産む④
新しい宝石加工やメッキを使った装飾品が王都へ広がり始めると、その製法へ関心を示す者も増えていった。
王国内の職人だけではない。他国から訪れた商人が工房を覗き込み、腕に覚えのある職人が製法を尋ね、中には金を払ってでも学びたいと申し出る者まで現れている。
そんな報告書を前に、オルガはしばらく黙っていた。
「……嬢ちゃん。今回の技術まで、本当に公開する気か?」
「そのつもりよ」
「そうか」
いつも通りの砕けた口調だったが、その声音には僅かな硬さがある。オルガは報告書を指先で叩きながら、エミリアを真っ直ぐに見た。
「俺は反対だな。魔導技術なら、見たところで簡単には盗めねぇ。術式も魔導具も、形だけ真似したってどうにもならん。だが今回は違うだろ」
宝石の研磨、メッキ、美容品。どれも知識と技術は必要だが、製法を知った腕のある職人が試行錯誤を重ねれば、いずれ再現する者も出てくる。
「せっかく王国だけが先を走ってるんだ。わざわざ外へ教えてやる必要はねぇだろ。公開するにしても、もう少し国内の職人が育ってからでいい」
単なる商売上の損得だけを考えているわけではないことくらい、エミリアにも分かっていた。
オルガは、この国が豊かだった頃を知っている。そして、何もかも失いかけた頃も知っている。先々王に拾われ、その恩を返すように王国を支え続け、滅亡寸前まで経済を繋いできた男だ。
ようやく積み上がり始めたものを、また失いたくないのだろう。
「オルガ」
「ん?」
「誰が、技術を他国まで持っていって教えてあげると言ったの?」
「……どういう意味だ?」
「公開はするわよ。この国でね」
オルガが数秒、エミリアの顔を見つめる。
「……学びたきゃ、ローゼンバーグまで来いってことか」
「そういうこと。知りたいなら来ればいい。見たいなら来ればいい。職人なら、ここで学べばいいでしょう?」
「嬢ちゃん……最初からそう言えよ」
「聞かれなかったもの」
「相変わらずだな、嬢ちゃんは」
呆れたように息を吐いたものの、先ほどまでより僅かに肩の力が抜けている。
「技術そのものを餌にして、職人を呼び込むつもりか」
「人聞きが悪いわね。学びたい者に、学べる場所を用意してあげるだけよ」
「それを餌って言うんだよ」
「そうかしら?」
エミリアは楽しそうに笑った。
「それに、一度この国へ来た本物の職人が……そう簡単に出ていけるかしら?」
「何?」
「今日覚えた技術の、その先が、明日にはもう生まれているかもしれないのよ?」
クロエは一つ答えを見つければ、その瞬間には次の疑問へ向かっている。ランカは新しい素材や工法を見れば試さずにはいられず、ミンメイも与えられた技術を自分なりに磨き上げ、さらに先へ進もうとする。
昨日まで存在しなかったものが今日は形になり、今日の最新技術が明日には一つ前になっていても不思議ではない。
「一つ覚えて帰ったところで、その間にまた新しいものが生まれている。そんな場所を知ってしまった職人が、本当に自分から離れたがると思う?」
オルガはすぐには答えなかった。長く商売と人を見てきた男だからこそ、その意味も理解出来るのだろう。
「……腕のある奴ほど、気にはなるだろうな」
「でしょう?」
「だが、帰る奴はいる。覚えた技術を持ち帰って、向こうで真似する奴もな」
「帰りたければ帰ればいいじゃない」
「簡単に言うなって」
オルガは苦い顔をした。
「他国だって、魔法を使えば電気くらい扱える。メッキだって、やり方を知った奴が帰れば、そのうち真似されるんじゃねぇか?」
「魔法でメッキが作れるなら、私たちの方が教えてもらいたいものだわ」
「……あ?」
「私は魔法技術は分からないもの。電気を起こせるからって、それだけで同じものが簡単に作れるとは限らないでしょう?」
「まあ……そりゃそうか」
そもそもローゼンバーグですら、クロエが何度も条件を変え、失敗を繰り返してようやく形にした技術なのだ。
それでも他国で再現出来る者が現れるなら――。
「別に構わないわよ」
「構わない?」
「ええ。向こうで真似されるくらいならね」
「改良されて、こっちより良いものを作られるかもしれねぇぞ?」
「それなら、それでいいじゃない」
「嬢ちゃん」
「何よ?」
「本気で言ってんのか?」
「本気よ」
エミリアの妖艶な瞳が細められ、口元がゆっくりと吊り上がる。
「私の国の技術を見て、それ以上のものを作れる職人がいるのでしょう?」
「……まあ、そうなるな」
「なら、人材を探す手間が省けるわ」
今度はオルガが黙った。
「……今度はそいつをこっちへ呼ぶ気か」
「優秀なら当然でしょう?」
「簡単に言いやがる」
「簡単よ。より良い設備がある。新しい技術がある。自分より腕の立つ職人までいる。それでも元の場所にいたいと言うなら、好きにすればいいもの」
無理やり連れてくる必要などない。
本人がローゼンバーグにいたいと思えば、それでいい。
「……技術で囲い込むわけか」
「本人が好きで残るのよ?」
「そこまで含めて性質が悪いって言ってんだ」
「褒め言葉かしら?」
「褒めてねぇ」
オルガの口元にも、僅かな苦笑が浮かんだ。
「それに、別に人材だけの話じゃないわ」
「まだあるのかよ」
「相手が私の国の技術を真似して、さらに良いものを作ったのなら――」
エミリアは、ますます深く嗤った。
「今度はこちらが返してもらえばいいだけじゃない?」
「……返してもらう?」
「完成したものを見ればいいのよ」
オルガが眉間に皺を寄せる。やがて、その意味を理解したらしい。
「……向こうが改良したもんを、今度はこっちの職人が真似するってことか」
「先に真似したのは向こうでしょう?」
「そういう問題か?」
「そういう問題よ」
何の迷いもなく言い切る。
「私の下僕は優秀よ?」
楽しそうに嗤うエミリアを、オルガはしばらく黙って見つめた。
「……嬢ちゃん。たまに別人になったんじゃねぇかと思う時はあるが、根っこのところは変わってないみたいだな」
「勘違いしてるわよ?」
「そうしとくよ」
それ以上追及することなく、オルガは小さく笑った。
技術を閉じ込めて守るのではない。技術を求める者が集まる場所を作り、そこでさらに先を生み出す。外で優れた技術が生まれれば、人材も技術も再びこちらへ取り込んでいく。
「……分かった。公開すること自体には反対しねぇ」
「最初からそう言えばいいのよ」
「嬢ちゃんが最初から全部話せ」
「面倒ね」
「こっちの台詞だ」
オルガはため息をつき、改めて報告書へ目を落とした。
「で、公開するならどう教える? クロエたちに来た職人を一人ずつ見させるのか?」
「そんな無駄なことするわけないでしょう?」
「だと思ったよ」
「話がまとまったなら、技術書をまとめなさい」
「技術書?」
「ええ。今回のものだけじゃないわ。これから量産する技術は、出来る限り手順を残すの。成功した方法だけじゃなく、失敗した条件もね」
「失敗までか?」
「後から学ぶ職人に、同じ失敗を一から全部繰り返させるつもり?」
「……それは無駄だな」
「でしょう?」
クロエ、ランカ、ミンメイ。
三人にしか作れないものがあること自体は構わない。クロエにしか到達出来ない理論、ランカにしか仕上げられない一品、ミンメイにしか施せない精緻な細工。そうした最高到達点まで、誰にでも再現させる必要はない。
「でも、普通に量産するものまで三人に作らせる意味はないわ。あの子たちは、その先を作ればいいのよ。出来上がったものを数にするのは、他の職人に任せればいい」
「天才に同じもんばっか作らせるな、ってことか」
「そういうこと」
「理屈は分かった。だが、誰がまとめる? 普通の書記じゃ、クロエの話なんて半分も理解出来ねぇぞ」
「そうね」
エミリアは少し考え、すぐに答えを出した。
「統括はルナに任せるわ」
「……は?」
「神の力こそ持っていないけれど、あの子なら知識もあるし、クロエたちの話もある程度理解出来るでしょう。必要な書記を付けて、技術書全体をまとめさせればいいわ」
「おい、待て」
オルガの顔色が変わった。
「ルナをそっちに回したら、俺の仕事が――」
「早く技術書が出来るといいわね」
「前言撤回だ!」
オルガが机を叩いた。
「やっぱり別人の悪の女王様だよ!」
エミリアは満足そうに微笑んだ。
「褒め言葉だわ」
「褒めてねぇ!」
◇
数日後。
王城の一室には、クロエ、ランカ、ミンメイと数人の書記、それに数名の職人が集められていた。
その中心で、ルナが淡々と書類を整理している。
「今回作成する技術書は、完成した技術を他の職人が再現するためのものです。まず、各工程を分類します。文章だけでは説明困難なものは実演を記録し、必要に応じて直接指導を併用します」
「話が早くて助かるわ」
「ありがとうございます、エミリア様」
ルナはいつもの落ち着いた調子で一礼した。
ルミナの分体である彼女に神の権能はない。だが、知識と思考力、そして大量の情報を整理する能力という点では、普通の書記とは比較にならない。
「まずクロエ様。メッキに関する研究記録を確認させてください」
「構わないよ。研究室にまとめてある」
「量はどの程度でしょうか?」
「今回の分なら、それほど多くないねぇ」
ルナが僅かに視線を上げる。
「具体的には?」
「机三つ分くらいかな」
一瞬、書記たちの手が止まった。
「承知しました」
ルナだけは表情一つ変えなかった。
「……頼もしいわね」
「そうでしょうか?」
「ええ」
一方、ランカは最初から露骨に嫌そうな顔をしていた。
「わしは書かんぞ」
「ランカ様に執筆をお願いする予定はありません」
「おお、話が分かるではないか」
「ただし、実演と説明をお願いします」
「説明くらいならするがの」
ランカは腕を組み、何でもないことのように言った。
「鉄なら、火の色を見て頃合いで叩けばええ」
ルナの隣にいた書記の筆が止まった。
ミンメイがランカを見る。
「おじいちゃん。その“頃合い”を説明するために書いてるんだけど」
「見りゃ分かるじゃろ」
「分からない人に教えるんだってば」
「むう……」
ランカは難しい顔で考え込む。
「こう……鉄が、そろそろじゃぞ、と言ってくる時があるんじゃ」
「鉄は喋らないよ!」
エミリアは数秒だけ二人を眺め、それからルナへ視線を向けた。
「……ランカは実演中心でいいわ」
「承知しました。温度や色の変化については、他の職人からも聞き取りを行い補足します」
「それがいいでしょうね」
「最初からそうせい」
「おじいちゃんが説明出来れば一番早いんだよ?」
「職人の技は見て盗むもんじゃ」
「だから、それを少しでも早く覚えられるようにする話でしょう?」
「むう……」
ランカが再び黙り込み、クロエが横で面白そうに笑っている。
「ミンメイはどう?」
「私は出来るだけ説明します。でも、宝石は石によって違うので、全部同じ削り方には出来ませんよ?」
「それでいいわ。何を見て判断しているのかを残しなさい。最後は経験が必要でも、最初の道くらいは作れるでしょう?」
「はい!」
「クロエも同じよ。成功した条件だけじゃなく、失敗したものまで全部出しなさい」
「失敗もかい?」
「貴女と同じ爆発を、後から来た人間にも全部経験させるつもり?」
「それは実に無駄だねぇ」
「でしょう?」
「オルグレイ様の鎧が銀色になった件も記載しますか?」
突然ルナが尋ねた。
「……それも研究記録にあるの?」
「先ほどクロエ様より概要を伺いました」
「もちろん残すべきだろう? あれが反射面の発見に繋がったんだからねぇ」
エミリアは一瞬だけ考えた。
「……事故例として残しなさい」
「承知しました」
「俺の鎧は教材じゃねぇ!」
どこからか聞こえたオルグレイの抗議は、誰にも拾われなかった。
エミリアは改めて、集まった者たちを見渡した。
「最高の一品まで、誰にでも作れるようにする必要はないわ。それは貴女たちが持っていればいい」
クロエ、ランカ、ミンメイ。
三人には、三人にしか届かない領域がある。そこまで平らに均すつもりはない。
「でも、量産出来るものまで貴女たち三人しか作れないのでは意味がないの」
新しいものを生み出す者。
それを磨き上げる者。
そして、安定して数を作る者。
全てを同じ人間にやらせる必要などない。
「貴女たちは、その先を作りなさい。今あるものは、他の職人へ渡すわ」
「了解したよ。では私は次の研究へ戻ろうじゃないか」
「その前に記録を全部ルナへ渡しなさい」
「……全部かい?」
「全部よ」
「エミリア様」
ルナが静かに手を挙げた。
「クロエ様の研究室にある記録ですが、現在確認出来た分だけで、先ほど伺った量を超えております」
「どれくらい?」
「机五つ分ほどです」
書記たちの顔から、一斉に血の気が引いた。
エミリアは彼らを見渡し、優雅に微笑んだ。
「……頑張りなさい」
「エミリア様!?」
こうしてローゼンバーグ王国では、新しい技術を生み出す者と、その技術を国のものへ変えていく者たちの役割が、少しずつ形になり始めた。
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