王土は宝玉を産む③
昼下がりの王城で、エミリアは小さな宝石を陽の光へ翳していた。
透明な石の内部で光が跳ねる。僅かに指先を傾けるだけで、細かく削られた面が次々と光を返し、これまで見慣れていた宝石とは明らかに違う煌めきを見せた。
「……へえ」
「ど、どうですか?」
向かいに立つミンメイが、期待と不安を半分ずつ浮かべている。
「いいじゃない。前に見せてもらったものより、ずっと綺麗よ。ただ、こことここ。少し形が違うわね」
「うっ……そこまで分かるんですね」
「私が身につけるかもしれないものよ? 見るに決まっているでしょう。でも、光の返り方は前と全然違うわ」
そう言うと、ミンメイはすぐに表情を明るくした。
「そこ、かなり調整したんです!」
机の上には、いくつもの試作品が並んでいる。上面の広さ、側面の数、下側へ向かう角度。同じ程度の大きさの石でも、一つとして同じ形はなかった。
「最初は、面を増やせば増やすほど綺麗になると思ったんです。でも、そうでもなくて。削る角度を少し変えただけで暗くなったり、逆に急に光るようになったりするんですよ」
「面白そうね」
「面白いですよ! 同じ形でも石の種類で全然違いますし、透明な石と色の濃い石でも変わるんです」
発端は、以前加工済みの宝石を見た時のことだった。
この世界の宝石加工は、原石の形を整え、表面を滑らかに磨き上げるものが主流だ。それだけでも十分に美しい。だが、蓮が日本で見慣れていた宝石は、もっと複雑な形をしていた。
そこで、記憶だけを頼りにミンメイへ説明した。
「確か、上が平らで、その周りに細かい面がたくさんあったのよ。下側も、こんな感じに尖っていて」
「どのくらいの角度で削るんですか?」
「知らないわ」
「面はいくつくらいです?」
「それも知らない」
「……じゃあ、何を知ってるんですか?」
「綺麗だったことは知ってるわ」
我ながら、随分と無責任な説明だったと思う。
だが、ミンメイはそれで諦めなかった。削って、光へ翳し、また削る。形を変え、石を変え、失敗するたびに別の方法を試した。
その結果が、今エミリアの指先で煌めいている。
「なら、もっと調べなさい。石ごとに一番綺麗に見える形があるのでしょう?」
「多分あります!」
「なら見つければいいわ。せっかく綺麗な石なんだもの。もっと綺麗に出来るなら、その方がいいでしょう?」
「はい!」
「私の宝石箱へ入れても見劣りしないところまで仕上げなさい」
「……急に難しくなりましたね」
「何を言ってるの。貴女なら出来るでしょう?」
一瞬だけ目を丸くしたあと、ミンメイは嬉しそうに頷いた。
「やってみます!」
細工師の天禀。
細かな部品を作るために発揮されていた才覚が、今では宝石という新しい分野にまで広がっている。
エミリアは満足そうに石を机へ戻した。だが、並べられた宝石を眺めているうちに、ふと別のことが気になった。
「……王都の装飾品って、少し地味じゃない?」
「そうですか?」
「服は前より華やかになったでしょう? 髪型にも気を使う女が増えたし、黒薔薇の品まで使っている。それなのに、髪飾りや首飾りになると急に種類が少ないのよ」
「金や銀は高いですからね。宝石はもっとですけど」
「そこなのよね」
中まで全部、金や銀。そう考えるから高くなる。
そこで、蓮の記憶に一つの言葉が浮かんだ。
「……メッキ」
「めっき?」
「表面だけ、別の金属で覆う技術よ。中は別の金属でも、外側だけ金や銀に出来るの」
「そんなこと出来るんですか?」
「日本では普通にやっていたわ。確か、電気を使って」
詳しいところまでは覚えていない。
だが、電気と聞いて喜びそうな者なら、すぐに思い浮かんだ。
「クロエを呼びましょう」
◇
「なるほどねぇ」
説明を聞き終えたクロエは、小さな金属片を指先で転がしながら目を細めた。
「つまり、金属の表面へ極めて薄く金や銀を付けたいわけだね?」
「そうよ」
「それなら、均等に金を貼り付けることくらいなら出来るねぇ。極限まで薄く伸ばして――」
「それ、金箔を貼っただけでしょう?」
エミリアが即座に遮った。
「……違うのかい?」
「違うわよ。私が言っているのはメッキ。薄い金属を貼るんじゃなくて、金属そのものを表面へ付着させる技術なの」
「相変わらず肝心なところが曖昧だねぇ」
「私は研究者じゃないもの」
蓮も正確な製法を説明出来るほど詳しくはない。ただ、金属が溶け込んだ液体のようなものへ材料を入れ、電気を流して別の金属を表面へ付着させていた。その程度の記憶はある。
「それと、ブリキもメッキで作れたはずよ」
「ブリキ?」
「鉄の表面をスズで覆ったもの。ランカがパン型で作ったでしょう?」
「ああ、あれか」
食パン型を作った時、錆びにくくするためにランカが提案したスズ被覆。この世界でも結果そのものは既に存在している。
「日本では、あれも電気を使ってスズを付ける方法があったはずなの」
「なるほど。既に出来上がったものがあるなら比較も出来る。まずスズで試せば、どれだけ薄く均一に付くかも分かるわけだ」
クロエの口元が徐々に持ち上がる。
「面白いじゃないか」
「……その顔をすると嫌な予感がするのだけれど」
「失礼だねぇ。私は頼まれたメッキを研究するだけだよ」
この時点では、おそらく本人も本気でそう思っていた。
◇
数日後。クロエの研究室には、何枚もの鉄片が積み上がっていた。
まず試したのはスズだった。
「強すぎれば表面が荒れる。弱すぎればほとんど付かない……時間だけ長くしても駄目か。なら次は――」
電気の強さ、流す時間、液体の状態、土台となる鉄の表面処理。条件を一つずつ変えながら試し続けるうち、やがて薄く均一にスズを付着させる方法が見え始めた。
「なるほど。貼り付けるのとは根本的に違うわけだ」
既存のスズ被覆と比べても、表面は滑らかで薄い。
クロエの目が楽しそうに細められる。
「なら――次は銀だねぇ」
そこから先も、順調とは言い難かった。
銀が斑に付く。黒ずむ。ざらつく。剥がれる。
そして何度目かの試行で、研究室に小さな爆発音が響いた。
「またかよ!」
煙の向こうからオルグレイの怒声が飛んでくる。
防御付与のおかげで本人は無傷だった。
ただし。
「……なんだ、これ」
煙が晴れると、オルグレイの鎧は頭から足先まで見事な銀色になっていた。
しかも、ただ銀色になっただけではない。表面は磨き上げられた鏡のように滑らかで、研究室の景色を歪みながらも鮮明に映し返している。
「クロエ! 俺の鎧どうなって――」
「……ん?」
「おい」
クロエは返事をしなかった。
オルグレイの胸当てへ映り込む研究室の光景を、じっと見つめる。
「……これは」
「だから俺の鎧が何でこんな――」
クロエの目が、徐々に輝き始めた。
「以前エミリア様から聞いて作った、周囲の景色へ紛れて姿を見えなくする仕組み……光学迷彩だが」
「俺の鎧の話をしろ!」
「この反射を使えば、術式に任せていた部分を減らせるんじゃないか?」
「聞けよ!」
オルグレイの叫びを背に、クロエの思考は完全に別の方向へ走り始めていた。
◇
「エミリア様。面白いものが出来たよ」
数日後。
執務室を訪れたクロエは、銀色に輝く小さな試験片を机へ置いた。
「メッキ?」
「その研究途中で見つけたものだね」
「もう嫌な予感しかしないわ」
「まあ聞きたまえ。以前エミリア様から聞いて作った、周囲の景色へ紛れて姿を見えなくするあれ――光学迷彩だが、この銀の反射面を使えばもっと効率を上げられそうなんだよ」
「……どうしてメッキの研究からそっちへ行くのよ」
「光を扱っているからに決まっているだろう?」
クロエによれば、今の仕組みは周囲の光をほとんど術式だけで制御している。そのため魔導エネルギーの消費も大きい。だが、反射させられる部分を銀の層へ任せれば、術式は細かな補正へ集中出来るという。
「つまり、同じ魔導エネルギーでも今より長く維持出来る。精度を上げる方へ回してもいい」
「……便利なのは認めるわ」
「だろう?」
「で、それを誰が使っているかは知らなくていいわよ」
「はいはい。以前作ったものが、どうやらどこかで使われていることくらいは分かっているさ」
「そこまでで止めておきなさい」
内側から、『エミリア』が呆れたように声を漏らす。
『また全然違うものが出来ましたね』
「何で毎回、SF方面に一足飛びで進むのかしら」
『でも、クロエさん楽しそうでしたよ』
「皆、私を楽しませてくれるわ」
そこは否定出来ない。
自分が何気なく渡した知識を、クロエたちは勝手に膨らませ、時には蓮自身も想像していなかった方向へ育てていく。
「それじゃあ、私は研究室へ戻るよ。まだ試したいことがあるんでね」
「待ちなさい。肝心のメッキは?」
「ちゃんと続けているとも。これはその途中で見つけただけさ」
「途中で別のものを完成させないでちょうだい」
「研究とはそういうものだよ、エミリア様」
楽しそうに笑いながら、クロエは銀色の試験片を机へ残し、さっさと部屋を出ていった。
「まったく……」
『でも、前に作った透明になるものが良くなったなら、無駄ではないんですよね?』
「分かってるわよ。何でメッキを頼んで、透明になる装備の改良が先に終わるのかって話よ」
小さく息を吐き、エミリアは再び書類へ視線を落とした。
しばらくして。
机の端で、銀色の試験片が光を返している。
「…………」
何気なく手に取ると、そこに自分の顔が映っていた。
角度を変える。
やはり映る。
多少歪んではいるが、目元も口元も十分に確認出来る。
「…………鏡?」
『鏡ですね』
「…………」
エミリアの眉が、ぴくりと動いた。
次の瞬間、椅子から立ち上がる。
「ちょっと待ちなさい!」
『蓮!?』
勢いよく扉を開けると、廊下の先にはまだクロエの背中が見えていた。
「クロエ!」
「ん?」
振り返ったクロエへ、エミリアは銀色の板を突きつける。
「貴方、鏡出来てるじゃないのよ!」
「……ああ」
「ああ、じゃないわよ!」
現在、王国で作られている上等な鏡には、水銀を利用した加工が使われている。手間が掛かり、扱いにも気を使うため、大きく鮮明な鏡は限られた者の持ち物だった。
「これ、今までの鏡にも使えるでしょう?」
「出来ると思うが」
「水銀を使わずに?」
「銀を薄く均一に載せて、平らな透明板で保護すればね。少なくとも、今の方法より扱いやすくはなるだろう」
「先に言いなさいよ!」
「私は透明になる方を考えていたからねぇ」
「元はメッキでしょうが!」
「その途中だと言っただろう?」
どこまでも悪びれない。
エミリアはこめかみを押さえたが、試験片へ映る自分を見れば、放っておく気にもなれない。
「……鏡がもっと簡単に作れるなら、それはそれでいいわ」
「欲しいのかい?」
「当然でしょう?」
服を選び、髪を整え、黒薔薇で肌や髪を手入れし、装飾品を身につける。その最後に自分の姿すら確認出来ないのでは、美しくなりようがない。
「王都の女たちが、自分の姿もまともに確認出来ないなんて美しくないもの」
「結局そこへ行くんだね」
「どこへ行こうと私の勝手でしょう?」
「それもそうだ」
クロエは楽しそうに笑った。
「では、鏡の方も少し――」
「待ちなさい。今度こそ、先にメッキを完成させなさい」
「……善処しよう」
「その返事は禁止!」
◇
さらに数日後。
「ほら。出来ただろう?」
クロエは勝ち誇った顔で、小さな金属片を机へ置いた。
元はありふれた金属だったはずの表面が、薄く均一な銀色に覆われている。エミリアは指先で擦り、布でも強めに磨いてみた。
剥がれない。
「……最初からこれをやりなさいよ」
「結果的に出来たんだから、問題ないじゃないか」
「過程に問題があるのよ」
「寄り道で条件が分かったからこそ、早く完成したとも言えるね」
「そこだけは認めたくないわね……」
それでも、欲しかった技術は完成した。
「これならミンメイに渡せるわ」
「私の仕事は終わりかい?」
「ええ。これ以上貴方に任せたら、装飾品から何が生まれるか分かったものじゃないわ」
「それは残念だ」
「残念がらないで」
◇
「これ、本当に表面だけ銀なんですか?」
試験片を受け取ったミンメイは、何度も表裏を確認した。
「ええ。中はもっと安い金属よ」
「全然分からないですね」
「綺麗ならそれでいいでしょう?」
「それはそうですけど。これなら、形の方も色々試せそうですね」
「任せるわ。そこは貴女の仕事でしょう?」
「はい!」
そこから先は、ミンメイの領分だった。
安価な金属へ薔薇や蔓草の意匠を刻み、髪飾りや腕輪、首飾りへと仕上げる。完成した土台へ、クロエが確立した方法で銀や金を薄く纏わせていく。
しばらくして、いくつもの試作品がエミリアの前へ並んだ。
銀色の髪飾り。金色の腕輪。小さな色石を嵌め込んだ首飾り。
素材そのものは高価ではない。それでも、細かな意匠と金属の輝きが加わるだけで、印象は大きく変わっていた。
「……いいじゃない。この石は?」
「宝石じゃないですよ。普通の色石です。少し面を付けて磨いてみました」
光へ翳せば、小さな石が柔らかく煌めく。
本物の宝石には及ばない。
だが、十分に美しい。
「安いからって、粗末である必要はないのよね」
「はい?」
「何でもないわ。好きに作りなさい。王都が華やかになるなら、私に文句はないわ」
「はい!」
ミンメイは嬉しそうに頷いた。
◇
新しい宝石加工も、メッキを使った装飾品も、エミリアが王都へ広めろと命じたわけではなかった。
職人が作れば商人が目を付け、店へ並べば欲しがる者が現れる。
やがて王都では、髪へ銀色の飾りを挿した娘や、色石の首飾りを身につけた女たちの姿が珍しくなくなっていた。その傍らでは、新しく作られた銀鏡を覗き込みながら、髪飾りを選ぶ者までいる。
今まで限られた者しか持てなかった華やかさが、少しずつ街へ広がっていく。
すると、その上にいる者たちも動き始めた。
貴族は、より美しく加工された宝石を求める。
豪商は、自分だけの意匠を職人へ注文する。
職人たちは腕を競い、商人たちは新しい品を各地へ運び、その技術を求めて他国から王都を訪れる者まで現れ始めていた。
エミリアは、そんな王都を王城のバルコニーから眺めていた。
『……本当に変わりましたね』
「そうね」
『前よりずっと賑やかになって、綺麗なものも便利なものも増えて……皆、楽しそうです』
眼下では、銀色の髪飾りを身につけた女たちが笑いながら通りを歩いている。その向こうでは、職人と商人が何やら熱心に話し込んでいた。
『この国、本当に良くなりましたね』
「ええ」
エミリアは素直に頷いた。
そして通りに溢れる装飾品を眺めながら、ふっと口元を吊り上げる。
「面白いでしょう?」
『何がです?』
「少し前まで、金や銀を身につけているだけでも特別だった。でも、メッキのおかげで、それなりに華やかなものなら手が届くようになったわ」
『はい』
「そうなったら、今まで上にいた連中はどうすると思う?」
『エミリア』が少し考える。
『……もっと良いものを欲しがる?』
「正解」
誰でも美しく飾れるようになれば、それだけでは満足出来ない者が現れる。
もっと珍しいもの。
もっと美しいもの。
誰も持っていない、自分だけのもの。
「虚飾の質が上がれば、上にいる者ほど、さらに上を欲しがるのよ。そして今、この王国で最高級の宝飾を作れるのはミンメイだわ」
『……また悪い顔してますよ』
「失礼ね」
けれど、否定はしない。
「さて。こんな餌を垂らしておいたら、どんな大物が釣れるかしらね」
『釣る気なんですね……』
「当然でしょう?」
エミリアは眼下の王都へ視線を戻した。
「人の欲って、とても素直なのよ。美しくなりたい。便利に暮らしたい。他人より良いものが欲しい。その欲を否定する必要なんてないわ」
欲しければ、人は動く。
もっと欲しくなれば、さらに近づいてくる。
「なら、その欲が向かう先を私の国にしてしまえばいい」
『……蓮』
「人の欲を支配すれば、自ずと国は発展するものよ」
この国へ来いと命じたわけではない。
それでも職人が集まり、商人が集まり、他国から人がやって来る。
誰も剣で連れてきたわけではない。皆、自分の欲に従って勝手にやって来たのだ。
『でも、そのおかげで皆さん喜んでますよ?』
「結構なことじゃない。私の下僕でいる方が幸せだと思わせておけば、わざわざ逆らう理由もないでしょう?」
『……言い方は凄く悪いですけど』
「悪の女王だもの」
当然のように言い切る。
「他の国まで、わざわざ力で支配する必要なんてないのよ。美しいものも、便利なものも、優れた技術も――欲しいものがこちらにあれば、向こうから近づいてくるわ」
エミリアは妖艶に笑った。
「私はここで待っていればいいの。そのうち勝手に――私の前へ跪くわ」
『……本気で悪の女王をやってるんですよね、蓮って』
「今さら何を言ってるの?」
『それなのに、国がどんどん良くなってるんですよねぇ……』
「何か問題でも?」
『……ありませんね』
「でしょう?」
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