王土は宝玉を産む
夜の王都を、エミリアは王城のバルコニーから眺めていた。
眼下に広がる街には、以前よりも明らかに多くの光が灯っている。大通りを照らしていた魔導街灯はさらに数を増し、そこから枝分かれする道にも白い光が伸びていた。遠くの住宅区にも、蝋燭や油灯とは違う均一な明かりを漏らす窓が、まだ疎らながら見え始めている。
「……随分と増えたわね」
「当然だろう? 私が手を入れたんだよ。以前と同じ水量から、これだけ余裕を作ったんだ。もっと感心してくれても構わないんじゃないかい?」
隣に立つクロエが、いかにも満足そうに口元を吊り上げた。
今夜ここへ集まっているのは、王都の魔導エネルギー供給設備の改良が一区切りついたためだ。クロエのほか、加工面を担当したランカとミンメイも報告のために呼ばれている。
王都へ魔導エネルギーを供給する仕組みそのものは、以前から稼働していた。川の流れで水車を回して電力を生み出し、それを魔導変換器へ送り、この世界の魔導具が利用出来る魔導エネルギーへ変換する。蓄えられた力は、王城や給水設備、街灯、一部の工房などへ供給されていた。
そこへ今回、ランカとミンメイの技術が加わった。
高い負荷に耐える大型部品や金属加工はランカが、従来では難しかった細かな部品や魔導回路の接続部はミンメイが担当する。クロエが理論上は以前から考えていた改良案を、ようやく現物へ落とし込める環境が整ったのだ。
「変換効率も上がった。蓄積出来る量も増えたし、供給時の損失もかなり減っている。まあ、私としてはまだ弄りたいところがいくつもあるが、実用設備として見れば十分な出来だね」
「ランカとミンメイのおかげでもあるのでしょう?」
「もちろんさ。いくら私の理論が優れていても、形に出来る者がいなければ紙の上の空論だ。優秀な手があるなら、それを正しく使うのも研究者の仕事というものだろう?」
「その言い方だと、お主が一番偉いように聞こえるんじゃが」
「実際、設計したのは私だからね」
「言いよるわ」
ランカが呆れたように笑い、ミンメイもその横で肩を揺らした。
クロエはそんな二人を横目に、城下へ伸びる明かりを眺める。
「それに、ランカ君たちの加工技術がここまで上がったなら、以前エミリア様から聞いた風力発電というものも、そろそろ現実的に考えられるかもしれないね」
「風で羽根を回して発電するやつね」
「ああ。原理そのものは単純だ。風で大きな羽根を回して、その力を発電機へ伝えればいい。ただ、水力と違って風は一定ではない。設置する場所も選ぶし、羽根もかなり大きくなるだろう」
「また仕事を増やす気か?」
ランカが露骨に嫌そうな顔をする。
「面白そうじゃないか、ランカ君」
「お主がそう言う時は、大抵わしらが忙しくなるんじゃ」
「でも、おじいちゃん。やるって言われたら絶対作るよね」
「……ミンメイ、お主は黙っとれ」
ミンメイが楽しそうに笑った。
「水の流れがない場所でも発電出来るなら、使い道はあるわね」
「そういうことだよ。まあ、すぐにどうこうする話ではないさ。風の強さが安定する土地を探すところからだしね。今は水力をもう少し詰める方が先だ」
クロエにしては珍しく、自分から先送りを口にする。それでも、その目がすでに次の研究対象を見つけていることくらい、エミリアにも分かった。
「それで、家庭への供給も始めたの?」
「ああ。試験区画から順番にね。今のところは照明用途が中心だ。消費量も小さいし、最初に普及させるなら妥当だろう」
エミリアは再び城下へ目を向ける。
すべての家に届いているわけではない。それでも、夜になれば闇へ沈んでいた住宅街に、小さな灯が確実に増え始めていた。
「なら、王国民には供給開始から半年間、魔導エネルギーを無料で使わせなさい」
クロエが片眉を上げた。
「ほう? エミリア様にしては随分と気前がいいじゃないか」
「無料なのはエネルギーだけよ。照明器具も、家まで引く設備工事も有料。半年経っても使いたければ、その時から使用料を払わせればいいわ」
一瞬の沈黙のあと、クロエの笑みが深くなる。
「なるほど。先に便利さを覚えさせるわけだね?」
「人聞きが悪いわね。試用期間よ」
「半年も夜を明るく過ごしてから、元の生活へ戻るか料金を払うか選ばせる。名前を変えても本質は同じじゃないか」
「選ぶ自由は与えているでしょう?」
「ふふっ。それもそうだ」
最初から未知のものへ金を払えと言えば、導入を躊躇う者もいる。ならば先に使わせればいい。
半年間、暗くなれば蝋燭を使う生活と、魔導灯を点ければすぐに部屋が明るくなる生活を比べさせる。そのうえで元へ戻りたいなら好きにさせればいい。
照明器具と工事費には最初から金が動く。設置する職人にも仕事が生まれる。半年後から入ってくる利用料は、設備の維持や次の区画への拡張に回せばよい。
「夜になった途端、私の王都が真っ暗になるなんて美しくないもの」
「そこまで仕組みを考えておいて、最後の理由が美しさなのかい?」
「当然でしょう?」
「実にエミリア様らしい」
クロエが愉快そうに笑った。
その時、侍女たちがバルコニーへ飲み物を運んできた。
エミリアは並べられたグラスを一瞥する。
「私はぶどうジュースでいいわ」
「かしこまりました」
以前、酒を飲んだ時のことは途中からほとんど覚えていない。
普通に飲んでいたはずなのに、気がつけば翌朝だった。頭痛や吐き気は残っていなかったが、自分がアルコールに強くないらしいことだけは理解した。
何より、何をしたのか自分で覚えていないという状況が気に入らない。
それ以来、特に理由がなければ普段は酒を飲まないようにしている。
やがて運ばれてきたグラスを手に取り、一口。
「……あら?」
エミリアはグラスを見る。
冷たい。
少し涼しい程度ではない。暑さの残る夜に心地よいほど、きちんと冷えている。
「おお、もう使っとるのか」
ランカはグラスを傾け、感心したように中身を見る。
「ちゃんと冷えてるね。厨房に入ったって聞いてたけど、もう飲み物に使ってるんだ」
ミンメイも一口飲み、楽しそうに笑った。
その横で、一人だけクロエが得意げに笑っていた。
「ふふん。ようやく気づいたかい?」
エミリアが横目で見る。
「……何よ、その顔」
「お披露目を待っていたんだよ。エミリア様が欲しがっていたものが、ようやく形になったのでね」
「頼んだ時から楽しそうだったでしょう?」
「当然だろう? 私の知らない仕組みを聞かされて、それを実際に作れるんだ。楽しくない理由がどこにあるんだい?」
クロエは胸を張る。
「さあ、驚くといい。エミリア様が望んだものは、もう出来ている」
その言葉に、エミリアは少し前のことを思い出した。
◇
「クロエ」
「なんだい?」
「いつでも冷たい飲み物が飲みたいわ」
研究机へ向かっていたクロエが、ゆっくりと振り返った。
「氷なら私が作れるが?」
「その度に貴方を呼ぶのは面倒でしょう?」
「随分な理由だねぇ」
「好きな時に、勝手に冷えている飲み物が出てくればいいのよ」
クロエは一瞬だけ呆れたような顔をしたが、すぐに思考へ沈んだ。
「……冷えた状態を維持する装置、ということか」
「そう。要するに冷蔵庫ね」
蓮にとって、冷蔵庫は未知の技術ではない。
冷媒を圧縮し、外側で熱を逃がす。圧力を下げて庫内側で気化させ、その際に周囲の熱を奪わせる。そして再び圧縮して、同じ流れを繰り返す。
技術者ではなくとも、基本的な仕組みくらいなら知っていた。
「中を直接冷やし続けるんじゃないの。冷媒を循環させて、中の熱を外へ運び出すのよ。圧縮して、外で熱を逃がして、圧力を下げて中で気化させる。その時に周囲の熱を奪う。あとはそれを繰り返すの」
クロエの目つきが変わる。
「なるほど。冷気を作るのではなく、熱を移動させる……」
「そういうこと」
「面白いじゃないか」
机の上から紙を引き寄せる。
「それで、冷媒とやらは何を使う?」
「そこが問題なのよ。地球ではフロンガスなんかも使っていたけれど、そんなものの作り方まで知らないわ」
「では使えないね」
「でも、大型の業務用冷蔵設備にはアンモニアを使うものがあったはずよ」
「アンモニアか」
この世界にもアンモニアは存在する。
強い刺激臭を持つ毒素として知られ、薬師や錬金術師も扱う物質だった。
「圧縮、放熱、減圧、気化……それを閉じた経路で循環させるわけだね」
クロエはもう猛烈な勢いで図を書き始めている。
「圧縮には【収縮】を使える。流れそのものは【操作】で補助すればいい。【変化】を組み合わせれば、液体と気体の状態変化も安定させられるだろう。箱の方は【結界】で外から入り込む熱を抑える……」
「クロエ?」
「聞こえているとも」
「まだ作れるとは言ってないわよ?」
「原理が分かって、こちらで使える材料まであるんだ。それで試さない研究者がいるものか」
クロエは顔を上げ、尊大な笑みを浮かべた。
「少し持ち帰らせてもらうよ」
「頼んだわ。私は冷たい飲み物が飲みたいの」
「まったく、エミリア様という人は……これだけ面白い知識を持ち込んでおいて、目的だけはいつも単純だねぇ」
「悪い?」
「まさか」
クロエは楽しそうに笑った。
「だから面白いんじゃないか」
◇
数日後。
クロエは大量の設計図を抱え、ランカの工房を訪れていた。
「ランカ君。頼みがある」
「その呼び方で来る時は、大抵ろくでもないものを作らされるんじゃが」
「失礼だね。今回は特に面白いものだよ」
作業台へ設計図を広げる。
「この中へ冷媒を閉じ込めて循環させる。だから継続的に圧力を掛けても歪まず、長く使える配管と容器が欲しい」
ランカは図面を一目見るなり眉を寄せた。
「今使っとる管じゃ駄目じゃな。厚くするだけでは重くなりすぎる。材質から見直した方が早い」
「だから君のところへ来たんじゃないか。私に鍛冶までやらせるつもりかい?」
「本当に人使いの荒い奴じゃ」
「適材適所と言ってほしいね」
そこへ、作業台の向こうからミンメイが顔を覗かせた。
「何作るの?」
「冷蔵庫というものだよ。箱の中を低温に保つ装置さ」
「へえ、面白そう!」
ミンメイが設計図へ身を乗り出す。
「……でもクロエ、ここどうやって繋ぐの?」
「そこかい?」
「これ、ずっと圧力かけるんでしょ? 普通の接合じゃ少しずつ抜けるよ。こっちの弁も、もっと細かく調整出来ないと駄目じゃない?」
クロエが僅かに目を細める。
「なるほど。なら、その辺りはミンメイ君に頼もう」
「どのくらいの精度?」
「可能な限り」
「一番困るやつじゃん、それ」
「君なら出来るだろう?」
「……まあ、やってみるけど」
「うむ。いい返事だ」
「なんでクロエが偉そうなの?」
ミンメイの突っ込みに、ランカが吹き出した。
そうして三人による試作が始まった。
ランカが圧力に耐える配管と容器を作り、ミンメイが弁や接合部を仕上げる。そこへクロエが魔導回路を組み込み、アンモニアを閉じた経路の中で循環させていく。
【収縮】で圧縮を助け、【操作】で流れを制御する。【変化】はアンモニアそのものを別物へ変えるのではなく、液化や気化が起こりやすい状態へ導くために用いる。そして冷蔵庫本体には【結界】を応用した断熱を施し、外から入り込む熱を抑えた。
魔法で直接、箱の中へ冷気を生み続けているわけではない。
熱を運ぶのはアンモニア。
魔導技術は、その働きを制御している。
何度も調整を繰り返し、やがて試験用の箱の中へ置いた水が、はっきりと冷たさを保つようになった。
「ふふっ……いいじゃないか」
クロエは冷えた容器を手に取り、満足そうに笑った。
「知らなかった仕組みを知り、それをこちらの技術で組み直して、実際に形にする。やはり研究というのはこうでなくてはいけないね」
「余計なもんばかり作らされるが、飽きんというところはわしも同意じゃ」
ランカも完成しつつある装置を眺め、口元を緩める。
「職人としても、これだけ次から次へと新しいものに挑ませてもらえる場所は、そうそうないからの」
その言葉を聞いたミンメイが、にやりと笑った。
「おじいちゃん、そんなこと言ってたけどさ。この前、公国から来た職人さんと飲んでた時、『この酒はわしが作ったんじゃ』って、すっごい得意そうだったじゃん」
「なっ……あれはじゃな。同じ職人として話が盛り上がっただけじゃ」
「その割には、蒸留器の仕組みまで最初から全部説明してたよね?」
「……ミンメイ、お主は余計なことをよく覚えとるのう」
「だって面白かったし」
ミンメイが楽しそうに笑う。
クロエも肩を揺らした。
「まあ、気持ちは分かるとも。私だって同じ立場なら自慢するさ。エミリア様のところにいると、知らないものが次々転がり込んでくる。研究者として退屈する暇がない」
「職人も同じじゃ。次は何を作らされるのか分からん」
「嫌そうに言ってるけど、絶対楽しみにしてるよね、おじいちゃん」
「……うるさいわい」
言葉とは裏腹に、ランカの顔はどこか楽しそうだった。
完成した第一号は、とても一般家庭へ置ける大きさではなかった。
だが、それでも問題はない。
最初から置く場所は決まっていた。
◇
「――というわけで、第一号は王城厨房に設置したよ」
現在へ戻り、クロエが誇らしげに告げた。
一行が厨房へ向かうと、その一角には大型の魔導冷蔵庫が鎮座している。扉を開けば、ひんやりとした空気が流れ出した。
中には飲み物だけではなく、肉や魚、乳製品、果物などが整理されて収められている。
「陛下、これは本当に素晴らしいものです!」
料理長が興奮を隠さず声を上げた。
「肉や魚をこれまでより長く保存出来ます。乳製品も傷みにくくなりますし、仕入れた食材を急いで使い切る必要もありません。仕込みの予定もずっと立てやすくなりました」
「そうね。食材の管理が楽になるわ」
エミリアにとって、それ自体は驚くような話ではない。
冷蔵庫のある生活を知っている。保存出来る期間が延びれば廃棄が減り、扱える食材も増える。料理の幅が広がることも分かっている。
「好きに使うといいわ」
「よろしいのですか?」
「ええ」
エミリアは冷えたグラスを軽く傾けた。
「私が満足するものを用意できるのであれば」
「もちろんでございます!」
料理長が力強く頷く。
クロエはそんな様子を見て、満足そうに笑った。
「ふふん。注文通りだろう、エミリア様?」
「ええ。これなら合格ね」
「それは何よりだ」
クロエが冷蔵庫を軽く叩く。
「エミリア様は本当に飽きさせないね。こちらにない知識を持ち込んでは、まだ存在しないものを作らせる。研究者としては、これほど面白い環境もそうないよ」
「余計なものばかり作らされるが、飽きんというところはわしも同意じゃ。職人としてもな」
ランカが頷く。
「また言ってる」
ミンメイが笑うと、ランカが渋い顔をした。
「今度は何も自慢しとらんじゃろうが」
「今はね」
「お主という奴は……」
そんな二人を横目に、エミリアは改めて冷蔵庫へ視線を向ける。
「今の大きさなら、商会や酒場、宿屋、料理店には売れそうね」
「私もそう思う。家庭用まで小さくするには、まだかなり弄る必要があるがね」
「なら、先にこれを置くことで利益が出るところへ売ればいいわ。食材を捨てる量が減るなら、その分だけ元は取れるでしょう?」
「研究費にもなる」
「貴方、本当にそればかりね」
「研究には金が掛かるんだよ。そこはエミリア様が一番よく分かっているだろう?」
「分かっているから好きにさせているのよ」
そう答えながら、エミリアは冷蔵庫の内部へ目を向けた。
その中では、この世界でも既知の毒素であるアンモニアが、冷媒として閉じた配管を循環している。
そこで、ふと一つの疑問が浮かんだ。
「ねえ、クロエ」
「なんだい?」
「これ……アンモニアを【解毒】したらどうなるのかしら?」
クロエの動きが止まった。
「…………何だって?」
「必要なのは冷媒としての性質でしょう?」
「……そうだね」
「なら、毒である必要はないじゃない」
静寂。
クロエが冷蔵庫を見る。
ランカがクロエを見る。
ミンメイもクロエを見る。
「……試してみようじゃないか」
クロエはすぐに動いた。
【解毒】を施したアンモニアを用意し、冷媒として循環させる。
しばらく待つ。
庫内の温度は、問題なく下がっていった。
「……冷えている」
クロエが呟く。
「冷媒としての性質も変わっていない」
「なら安全になったわね」
「……そうなるね」
ランカが腕を組む。
「まあ、密閉はどのみち必要じゃ。中身が抜けたら冷えんからの」
「接合部も弁もそのまま必要だしね」
ミンメイも頷いた。
三人の仕事が無駄になったわけではない。ただ、万が一装置が破損した場合に毒素が漏れ出す危険だけが、最後の最後であっさり消えた。
クロエはしばらく冷蔵庫を見つめていた。
「……エミリア様」
「何?」
「それを、もう少し早く思いつくことは出来なかったのかい?」
エミリアは少し考える。
「今思いついたのよ」
「……そうかい」
珍しく覇気の抜けたクロエの声に、ランカが吹き出す。ミンメイも堪え切れず笑い出し、冷たい空気の流れる王城厨房に、しばらく三人の笑い声が響いていた。
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