新緑は集いて森となる②
クロエの研究室を後にしたシオンが次に向かったのは、リンが働いている治療院だった。
王都でも大きな治療院の一つだけあって、昼を過ぎた時間でも人の出入りは絶えない。薬草や酒精の匂いが漂う院内へ入ったシオンが周囲を見回していると、白衣姿の少女が奥から顔を出した。
「何か用?」
「リンという者に会いに来た」
「ボクがリンだけど……ああ、もしかして君が新しくドールズになった子?」
「シオンだ。エミリア様から、他のドールズに挨拶してこいと言われた」
「そっか。ボクはリン。よろしくね、シオン」
差し出された手を、シオンも素直に握り返す。
リンはそのままシオンを上から下まで眺めた。クロエのように珍しい研究対象を見つけた目ではない。もっと実務的な、患者の状態を確かめる医者の目だった。
「せっかく来てくれたんだし、一つ聞いていい?」
「何だ?」
「身体が変わってから、何か不調はない? 痛いところとか、動かしにくいところとか」
「ない」
即答だった。
リンは少しだけ眉を下げる。
「……本当に?」
「問題なく動く。剣も振れる」
「剣が振れるかどうかだけじゃなくてさ。元々は白虎の獣人だったんでしょ? 今は見た目だけじゃなくて、身体の造りそのものがかなり変わってるはずなんだ。重心とか手足の長さとか、感覚の違いとか。不便なことはない?」
シオンは少し考える。
「最初は胸が邪魔だった」
「そこなんだ……」
「だが、もう慣れた」
「そっか……」
リンは何とも言えない顔をしたが、すぐに気を取り直した。
「耳は? 聞こえ方が変わったりは?」
「むしろ前よりよく聞こえる」
「尻尾はちゃんと動く?」
尋ねられると、白い尻尾が左右へ揺れる。
「問題ない」
「眠れないとか、食事が合わないとか、疲れやすくなったとかは?」
「ない」
一通り確認を終えたリンは、ようやく安心したように息を吐いた。
「なら、今のところは大丈夫そうだね。でも、何か変だと思ったらちゃんと言ってよ。ドールズだから絶対に何も起きない、なんて保証はないんだから」
「分かった」
「本当に?」
「リンは仲間だ。必要なら頼る」
リンが僅かに目を見開いた。
「……うん。そうして」
それ以上は何も言わなかったが、その口元は少しだけ嬉しそうに緩んでいた。
その時、入口の方から慌ただしい声が響く。
「リン先生! お願いします!」
何人かの男たちが続けて運び込まれてきた。大きな事故というほどではないようだが、建築作業中に足場を崩したらしく、腕や脚に怪我を負っている者が多い。
「はい、今行く!」
リンの雰囲気が変わった。
「頭を打った人は奥へ! 出血してる人は先に止血して! 歩ける人は壁際で待ってて!」
次々と指示を飛ばしながら、自分も患者の一人へ取りかかる。
しばらくその様子を見ていたシオンが声を掛けた。
「手伝うことはあるか?」
「え?」
「戦場では簡単な治療くらいは自分たちでやっていた」
「ほんと? じゃあ助かる! シオン、そっちの人お願い。腕を怪我してるから!」
「分かった」
任された男の前へしゃがみ込み、腕を見る。
骨がずれている。擦り傷からも少し血が出ていた。
「少し痛むぞ」
「え?」
シオンは腕を掴んだ。
ごきり。
「ぎゃあああああっ!?」
ずれていた骨を一息に戻す。続いて傷口へ酒精をかけ、近くにあった布を手に取ると、腕が動かないようきつく巻いた。
「よし」
「よし、じゃないよ!」
いつの間にかリンが隣へ飛んできていた。
「その人、骨折してるんだから! ちゃんと添え木して固定しないと!」
「位置は戻した。消毒して縛った。これで治る」
「治らないよ!」
シオンが不思議そうに首を傾げる。
「治るぞ?」
「シオンはね!」
「獣人なら大体これで治る」
「この人、人間だから!」
言われて、シオンは改めて患者を見る。
「……そうなのか」
「そうなの! 変な方向にくっついたらどうするの!」
「骨は勝手に繋がるものだと思っていた」
「雑っ!」
リンはシオンの巻いた布を解き始めた。
「戦場ではこれで問題なかった」
「それは君たち獣人の回復力がおかしいの! シオンはもういいよ。そこ座ってて!」
「分かった」
叱られたシオンは反論することもなく、素直に壁際へ移動した。
それからしばらく、治療院の様子を眺める。
「リン先生、こちらお願いします!」
「先生、ありがとうございました」
「リン先生、この薬はいつまで飲めばいいですか?」
患者だけではない。助手や薬師たちも、何かあれば自然とリンへ声を掛ける。リンはその一つ一つへ答え、必要なら自分で動き、時には厳しく、時には笑いながら患者を診ていた。
ようやく一段落した頃、リンが疲れたように椅子へ腰を下ろした。
「ふぅ……ごめんね。せっかく挨拶に来てくれたのに」
「構わない」
シオンは少し考えてから続けた。
「リンは随分と慕われているんだな」
「え?」
「皆、お前を呼んでいた。困った時はリンを頼っている」
リンはきょとんとして、それから少しだけ視線を逸らした。
「……そう見える?」
「そうとしか見えなかった」
「そっか」
リンの口元が小さく緩む。
「なら、頑張った甲斐はあるのかな」
「?」
「なんでもないよ」
立ち上がったリンが笑った。
「また何かあったら来てね。怪我でも、身体の違和感でも」
「ああ。頼る」
「うん」
今度は、はっきりと嬉しそうに笑っていた。
◇
次に向かったのは、セリアがいる教会だった。
王都の中心部へ近づくにつれ、人通りはさらに増えていく。職人、商人、荷物を抱えた旅人、新しく王都へ移り住んできたらしい家族。以前よりも街そのものが賑わっていることは、シオンにもすぐ分かった。
教会へ向かう途中、一軒の酒場から怒鳴り声が響いた。
「ツケとけって言ってるんだよ!」
「ですが、前の分もまだいただいておりません! これ以上は――」
「うるせぇ!」
続いて悲鳴。
シオンの足が止まった。
酒場へ入ると、店員の男が腕を押さえて床へ蹲っていた。その前には酒に酔った男が立ち、血の付いた短刀を握っている。
「代金なんざ後で払うって言ってんだろうが!」
「何をしている」
男が振り返る。
「なんだ、このガキ。関係ねえだろ!」
「その者を斬ったのはお前か?」
「あぁ? だったらなんだ!」
短刀を持ったまま近づいてくる。
「邪魔すんなら、お前も――」
それ以上は続かなかった。
銀閃が一度だけ走った。
短刀が床へ落ちる。
それと一緒に、男の腕も落ちた。
「――え?」
一拍遅れて、男が自分の肩を見る。
「ぎゃああああああっ!?」
シオンは血を払うように片刃剣を振った。
「武器を持ったまま向かってきたから斬った」
男が床へ転がり、切断された腕を見て叫び続ける。
その時、店の入口から別の声が響いた。
「待ってください!」
シオンが振り返る。
教会の服を纏った少女が駆け込んできて、店内を見た瞬間に顔色を変えた。
床には、腕から血を流して倒れている店員。
少し離れた場所には、腕を斬り落とされた男。
そしてその中央には、血の付いた剣を持った見知らぬ少女が立っている。
セリアから見れば、どう見ても一人の少女が二人を斬った現場だった。
「剣を下ろしてください! もう十分です!」
「?」
「これ以上、その人たちを傷つけないでください!」
シオンは素直に剣を下げた。
「私は一人しか斬っていない」
「一人ならいいという話ではありません!」
「セ、セリア様……違います……」
最初に斬られた店員が、痛みに耐えながら声を上げた。
「その子は……俺を助けてくれたんです。そいつが代金を払わないって暴れて、俺を斬って……」
「……え?」
セリアが固まる。
シオンはその顔を見て口を開いた。
「私はシオンだ。エミリア様から、セリアに挨拶してこいと言われた」
「…………」
「セリア?」
「ご、ごめんなさい!」
勢いよく頭を下げられ、今度はシオンが首を傾げた。
「何故謝る?」
「事情も聞かずに、シオンが二人とも斬ったのだと思ってしまって……」
「別にいい」
「ありがとうございます……それより、まず治療を!」
セリアはすぐに店員のもとへ駆け寄り、傷口へ手を翳した。淡い光が広がり、切られた腕の傷がゆっくりと塞がっていく。
一通り治療を終えると、今度は切断された男へ向かった。
シオンが尋ねる。
「そいつも治すのか?」
「もちろんです」
「店員を斬ったぞ」
「罪を犯したことと、怪我を治すことは別ですから」
セリアは床へ落ちている腕を見る。
「シオン、その腕を取ってもらえますか?」
「これか」
シオンは切断された腕を拾い、そのままセリアへ差し出した。
「もう少し丁寧にお願いします!」
「分かった」
セリアは腕を受け取り、切断面を合わせる。
淡い治癒の光が強くなった。
時間を掛けて筋肉や血管、骨を繋ぎ直していく。やがて男の指先が僅かに動いた。
「……動く!」
男の顔に安堵が浮かぶ。
だが、その直後。
「治療費については、労役期間へ加算されます」
「……は?」
男が顔を上げた。
「ちょっと待て! この腕を斬ったのはそこの女だろうが!」
「私が斬った」
シオンが淡々と認める。
「ほら見ろ!」
「ですが、シオンはあなたが短刀を持って襲いかかったために制圧したのでしょう?」
セリアの口調は穏やかなままだった。
「それに、エミリア様は仰っています」
どこか誇らしげに胸へ手を当てる。
「『私の下僕を傷つける者に、慈悲を与える必要はないわ』と」
男の顔が引き攣った。
「あなたは代金を踏み倒そうとし、店員さんを刃物で傷つけました。その結果としてシオンに制圧されたのです。ですから、こちらの治療費もあなたに負担していただきます」
「そんな無茶な!」
「大丈夫です。労役中も食事はきちんと出ますし、休憩時間も睡眠時間もあります」
「そういう問題じゃねえ!」
「疲れ切った状態で働かせても効率が悪いと、エミリア様が仰っていますから。十分に食べて、休んで、最も効率よく働いて罪を償っていただきます」
「それを慈悲って言うのかよ!?」
セリアは不思議そうに首を傾げた。
「もちろんです。罪を犯した者をただ切り捨てるのではなく、償い、もう一度社会へ戻る機会まで与えてくださるのですから。エミリア様は国民をとても大切にされているんですよ」
シオンは少し考えた。
エミリア本人は、下僕と言っている。
セリアは国民と言っている。
「……言っている意味はよく分からないが、エミリア様の言うことなら間違いないのだろう」
「はい!」
二人は納得した。
男だけが納得していなかった。
ほどなくして兵士が到着し、無銭飲食まがいの行為と傷害について事情を確認したあと、男を連れていった。店への弁済、店員への補償、そして自分の腕を繋いだ治療費。その分まで労役へ加算されることになるらしい。
◇
騒ぎが片付いたあと、シオンは改めてセリアと教会へ向かった。
中では炊き出しの準備が行われ、別の一角では仕事を探している者たちへ職の紹介が行われている。相談を受ける者、子供の面倒を見る者、街から持ち込まれた話を整理する者までいて、シオンが想像していたよりずっと慌ただしい場所だった。
用意された茶を前に、セリアが申し訳なさそうに笑う。
「最初から騒がしくてすみませんでした」
「先ほどのようなことは多いのか?」
「以前よりは増えましたね」
セリアは窓の外へ視線を向けた。
「最近は王都へ来る人が本当に増えているんです。職人さんや商人さん、仕事を探しに来る人、新しく住み始めるご家族……。人が増えること自体は良いことなんですけど、その分だけ揉め事も増えてしまって」
「人が増えれば、争いも増えるか」
「はい。大半の方は何も問題を起こしません。でも、お酒で喧嘩をしたり、仕事先で揉めたり、慣れない土地で苛立って誰かと衝突したりする方もいます」
教会も、炊き出しや仕事の斡旋だけをしているわけではないらしい。手の空いている者には街の様子を見てもらい、揉め事や困っている人を見つければ、兵士へ知らせたり教会で仲裁したりしているという。
「兵は何をしている?」
「巡回してくださっています。でも、今の王都は人が増えるのが早くて……現在の人数だけでは、どうしても手が足りなくなっているみたいです」
「なら、増やせばいい」
「簡単に言いますね」
セリアが苦笑する。
「兵士は人数だけ揃えればいいものでもありません。訓練も必要ですし、信頼出来る人かどうかも見なければなりませんから」
「そういうものか」
「そういうものです」
少し笑ってから、セリアはシオンを見る。
「だから、シオンのような頼りになる方が増えてくださったのは、本当に助かるんですよ」
「私が?」
「はい。エミリア様のドールズとして、いざという時に動いてくださる方が一人増えた。それだけでも、出来ることはずっと増えます」
シオンは少し考え、それから頷いた。
「分かった。必要なら呼べ」
「いいんですか?」
「ああ。エミリア様の国で、エミリア様の下僕に害をなす者なら私が――」
「斬る前に、私か兵士へ知らせてくださいね?」
シオンが黙る。
「……何故分かった?」
「今日のシオンを見れば分かります」
「そうか」
「約束してください」
「善処する」
「約束してください!」
珍しく強い口調になったセリアを見て、シオンの白い耳が僅かに傾いた。
◇
それから一日後。
ランカから工房へ来るよう伝言を受けたシオンは、指定された時間に扉を開いた。むっとする熱気と金属の匂いが肌を撫でる。
完成した刀が待っているものだと思っていたが、作業台の上に置かれていたのは柄や鍔、黒い鞘――すでに仕上げられた拵一式だけだった。肝心の刀身は、まだランカの前にある。
「来たか、シオン」
「刀はまだ出来ていないのか?」
「ああ。お前さんが来るのを待っとった」
ランカはそう言って、漆黒の刀身へ目を落とした。
昨日シオンから預かってから、ほとんど付きっきりで極彩銀を調べていたらしい。何度叩いても、熱を入れても、【不壊】の刀身はランカの意思では姿を変えなかった。
だが、まったく変化していないわけでもなかった。
「こいつがお前さんにどう馴染もうとしておるのか、一日見続けてようやく読めた。長さも、反りも、重心もな」
ランカが作業台を顎で示す。
「柄も鍔も鞘も、その形になることを見越して先に直してある。あとは刀身だけじゃ」
「まだ、その形にはなっていない」
「ああ。わしがいくら叩いても、最後のところだけ動かん。どうやら、ここから先はお前さん自身の力が要るらしい」
シオンは刀身を見てから、ランカへ視線を戻した。
「何をすればいい?」
「先手を頼む。わしが合図した場所を鎚で打て。出来るなら、打つ瞬間に魔力も込めてほしいんじゃが――」
「私は魔力を外へ出すことは出来ない」
「そうじゃったな」
ランカは少しだけ考え、大鎚を指差した。
「なら、腕を思い切り強化して、そいつでぶん殴れ」
「分かった」
「話が早くて助かるわい」
シオンは大鎚を手に取った。その重量を確かめるように一度だけ持ち上げ、肩へ担ぐ。
「ただし、わしが合図してからじゃぞ。好き勝手に叩くなよ?」
「分かっている」
ランカは僅かに不安そうな顔をしながらも、漆黒の刀身を台へ据えた。
小鎚で軽く叩き、響く音を聞く。角度を変え、表面へ指を滑らせる。その仕草は金属を加工しているというより、極彩銀が向かおうとしている先を探っているようだった。
「……そこではない。もう少し先じゃ」
再び向きを変える。
やがて、ランカの手が止まった。
「シオン。そこを打て」
シオンは示された場所を確認し、大鎚を振り上げた。意識を右腕へ集中させる。クロエと試したばかりの局所的な身体強化。まだ自在とは言えないが、止まった状態で一箇所へ力を集めるだけなら出来る。
「――今じゃ!」
大鎚が振り下ろされた。
澄んだ金属音が、工房いっぱいに響き渡る。
ランカがどれだけ叩いても変わらなかった漆黒の刀身が、ほんの僅かに伸びた。
「やはりじゃ!」
ランカの目が輝く。
「もう一度。次は少し手前じゃ!」
シオンが再び大鎚を構える。
一打。
ランカが刀身を確かめ、位置を変える。
二打。
僅かに反りが変わる。
三打。
極彩銀はほんの少しずつ、しかし確実に姿を変えていった。
シオンが力任せに形を作っているわけではない。ランカもまた、自分の理想を無理に押しつけてはいない。
ランカが極彩銀の変わろうとする方向を読み取り、シオンがそこへ自身の力を叩き込む。
二人で、その変化を最後まで導いていく。
そして――。
「そこじゃ! これで最後じゃ!」
シオンが大鎚を振り下ろした。
ひときわ高い音が響き、長く尾を引いて消えていく。
ランカが手を上げた。
「……そこまでじゃ」
シオンは大鎚を下ろした。
工房に炉の燃える音だけが戻る。
ランカは刀身を持ち上げ、光へ翳した。長さを確かめ、反りを眺め、重心を見る。何度か角度を変えたあと、作業台に置いてあった拵へ刀身を合わせた。
寸分違わず収まる。
その瞬間、ランカの口元に満足そうな笑みが浮かんだ。
「……うむ。わしの見立て通りじゃったな」
「最初から分かっていたのか?」
「一日もこいつと睨めっこしとったんじゃぞ。このくらい読めんで何が鍛冶師じゃ」
そう言って笑うと、ランカは柄と鍔を取り付け、刀を仕上げていく。先に完成形を見越して整えていたため、今さら削り直す必要もない。最後に黒い鞘へ収めると、そのままシオンへ差し出した。
「ほれ。今度こそ出来上がりじゃ」
シオンが刀を受け取る。
柄を握った、その瞬間だった。
「……」
指が止まる。
以前とは違う。
僅かに伸びた刀身。変化した反り。手元へ寄った重心。そして、それに合わせて仕上げられた柄が、指一本一本の位置まで自然に受け止めてくる。
どこにも自分の方から合わせにいく必要がない。
「……馴染む」
「振ってみい」
シオンは刀を抜いた。
一歩踏み込み、斬る。
鋭い風切り音が、遅れて工房へ響いた。刃を返して横へ薙ぎ、そのまま身体を沈めて斬り上げる。
速い。
だが、それ以上に違う。
刀を操っているという感覚が薄い。
自分が動けば、その先に刃がある。
まるで腕の続きだった。
シオンは動きを止め、漆黒の刀身を見つめた。
「……これだ」
「そうか」
ランカはそれだけで満足したように頷いた。
「結局、こいつは変わらん刀ではなかった。わしの都合では変わらんだけじゃったんじゃ」
「私なら変わる?」
「お前さんの魔力、握り方、振り方。こいつはそれを覚えて、お前さんに合う姿へ変わろうとしておった。だから最後の仕上げには、お前さん自身の力が必要だったんじゃろう」
シオンは手の中の刀を見る。
「なら、これは私も作ったのか?」
「最後だけな。元を打ったのはわしじゃ」
ランカは笑いながらも、どこか嬉しそうだった。
「じゃが、最後の形を決めたのはお前さんと、この刀じゃ。これから先、お前さんが変われば、こいつもまた変わるかもしれん」
「完成したのに?」
「今は完成しとる。じゃが、それが最後の姿とは限らんということじゃ」
シオンはしばらく刀を眺め、それから尋ねた。
「銘は?」
「打っとらん」
「何故だ?」
「今の姿だけを見て名を付けて、これで終わりだと決めるのも野暮じゃろう。こいつがこの先、どう変わるかも分からんからの」
シオンは漆黒の刀身へ視線を落とした。
名のない刀。
自分と共に、これからも姿を変えるかもしれない刀。
やがて静かに口を開く。
「なら――無銘でいい」
その言葉を口にした瞬間、炉の炎が揺れた。
光が漆黒の刀身を撫でる。
刃元に、ごく一瞬だけ淡い翠が浮かんだように見えた。
「……?」
シオンが刀を僅かに傾ける。
そこには、いつも通りの黒い刃しかない。
もう一度、光へ翳す。
角度が変わった瞬間だけ、表面の奥に翠が滲み、すぐに漆黒へ溶けて消えた。
シオンは少しの間、その刃を見つめていた。
「……お前も、それでいいか」
もちろん、返事などない。
ただ――刃元にもう一度だけ、淡い翠の光が揺れたような気がした。
シオンは僅かに口元を緩め、《無銘》を静かに鞘へ収めた。
感想、御意見いただけると嬉しいです




