新緑は集いて森となる①
「シオン。今日は他のドールズたちに、ちゃんと顔を出してきなさい」
朝食を終えたところでエミリアにそう告げられ、シオンは白い耳を僅かに動かした。
「全員にか?」
「ええ。本当なら一度に紹介したいところだけれど、皆それぞれ仕事を抱えているのよ。だから一人ずつ回ってきなさい。これから一緒に働く仲間なんだから、顔と名前くらいは覚えておきなさいね」
「分かった」
「まずはランカのところへ行くといいわ。貴方の刀についても、聞きたいことがあるそうよ」
「刀か」
それまでほとんど変わらなかったシオンの表情が、ほんの僅かに明るくなる。エミリアはその変化を見逃さなかった。
「……本当に分かりやすいわね、貴方」
「何がだ?」
「なんでもないわ。行ってらっしゃい」
首を傾げるシオンを送り出し、エミリアは小さく笑った。
◇
ランカの工房へ足を踏み入れると、炉の熱気と金属の匂いがシオンを迎えた。奥ではランカが作業台に向かっていたが、シオンの姿を認めると手を止め、その腰に差された漆黒の刀へ視線を移す。
「来たか。ちょうどええ。シオン、その刀を少し振ってみせてくれんか?」
「これを?」
「ああ。作った時には使い手がおらんかったからの。実際に使うところを見ておきたい」
シオンは頷き、刀を抜いた。極彩銀から打たれた漆黒の刀身が、炉の炎を鈍く映す。
エミリアから刀の基本を教わってまだ日は浅い。それでも、シオンの動きにはすでに迷いがなかった。中段に構え、踏み込みと同時に振り下ろす。返す刀で横へ薙ぎ、重心を沈めて下段から斬り上げる。数度の素振りを終えて刀を止めるまで、ランカは一言も発さず、その身体と刃の動きを目で追っていた。
「……どうだ?」
「悪くはない。じゃが、少し重心が合っとらんな」
ランカは考え込むように顎を撫でた。
「お前さんなら腕力で扱えてしまうが、もう少し重心を手元へ寄せた方がええ。それと刀身も……ほんの僅かに長さが欲しいところじゃな」
「長い方がいいのか?」
「お前さんの間合いと振り方なら、その方が力を乗せやすい。じゃが……残念じゃのう」
ランカは漆黒の刀を見つめながら、惜しそうに息を吐いた。
「こいつには【不壊】を付けてしもうた。鍔や柄で重心を寄せることは出来ても、刀身そのものにはそう簡単に手を入れられん」
「そんなことはない」
「ん?」
「これほど素晴らしい武器を、私は知らない」
シオンは手の中の刀へ視線を落とした。
「剣とは違う。重心も、振り方も、間合いも違う。だが、振れば振るほど面白い。私はこの武器が気に入っている」
ランカが目を丸くし、やがて嬉しそうに笑った。
「ほう。大陸最強と謳われた剣聖にそこまで言ってもらえるとは、鍛冶師冥利に尽きるの」
しばらく満足そうに頷いたあと、ランカは手を差し出した。
「ちと貸してくれんか。刀身までは弄れんでも、柄や鍔ならまだ調整出来る。出来る限り、お前さんに合わせてやろう」
「ああ。よろしく頼む」
シオンは何の躊躇もなく刀を差し出した。
ランカが柄を握る。
その瞬間、その表情が変わった。
「……ん?」
刀を横へ寝かせ、握り直す。柄から鍔へ、そして漆黒の刀身へとゆっくり視線を這わせる。今度は刃を炉の光へ翳し、目を細めた。
「どうした?」
返事はない。
長年、あらゆる金属に触れてきた鍛冶師の指が、刀身へそっと添えられる。
やがてランカの目が見開かれた。
「これは……そうか」
「ランカ?」
「シオン。すまんが、二、三日こいつをわしに預けてくれんか?」
「構わないが、何かあったのか?」
ランカはすぐには答えず、手の中の刀を見つめた。まるで、言葉を持たない相手の声を聞いているかのように。
「どうやらこの刀、お前さんに使われることを望んどるようじゃ」シオンの耳が僅かに動く。
「刀に意思があるのか?」
「いや。そういう意味ではない」
ランカは笑って首を横に振った。
「意思があるわけでも、生きとるわけでもない。じゃが、この極彩銀はお前さんの魔力や振るい方に馴染もうとしとる。ほんの僅かじゃが、わしが打った時とは違う方向へ変わろうとしておるんじゃ」
「【不壊】なのに変わるのか?」
「壊れんことと、変われんことは同じではないらしいのう。もっとも、普通の鍛冶師が無理に叩けば傷一つ付けられんじゃろうが」
ランカの口元が楽しそうに吊り上がった。
「こいつがどこへ行きたがっとるのか。それを見ながらなら、わしにも出来ることがあるかもしれん」
シオンには、その感覚までは分からない。だが、ランカの目を見れば十分だった。
剣を極めようとする時の自分と、よく似た目をしている。
「分かった。任せる」
「おう。楽しみにしとれ」
ランカはもうシオンではなく、手の中の刀しか見ていなかった。
その姿をしばらく眺めてから、シオンは工房を後にした。
◇
刀を預けている間、シオンにはランカが作った片刃剣が貸し出された。刀とは違うが、以前から慣れ親しんだ剣に近く、造りもしっかりしている。腰へ差して次に向かったのは、クロエの研究室だった。
扉を開けると、机の上には紙束や魔石、用途の分からない部品が積み上がり、壁際にはいくつもの魔導具が並んでいた。その中央で何かを書き込んでいたクロエが顔を上げる。
「やあ。話は聞いてるよ、剣聖君」
シオンの足が止まった。
「私の名前はシオンだ」
「ん?」
「エミリア様からいただいた名前を、間違えてほしくはない」
クロエは一度目を瞬かせると、素直に頷いた。
「それは申し訳ない、シオン君。私はそういった機微には疎くてね。気を悪くしたかい?」
「クロエは仲間だ。別にいい」
「そうか。それならよかった」
謝る側も、許す側も実にあっさりしていた。
クロエは椅子から立ち上がると、今度は興味深そうにシオンの身体へ視線を向ける。
「早速で申し訳ないんだが、君が使う獣人の身体強化について興味があるんだよ。少し見せてもらうことは可能かい?」
「それくらいなら問題ない。どうすればいい?」
「そうだねぇ……」
クロエは少し考え、研究室の奥へ声を掛けた。
「オルグレイ君、出番だよ」
「おう!」
待っていたかのように現れたのは、全身を重厚な鎧で包み、巨大な鋸剣を背負ったオルグレイだった。
シオンを見るなり、兜の奥から楽しそうな声を上げる。
「悪名高い剣鬼様と戦えるなんて、楽しみにしてたぜ」
その言葉が落ちた瞬間、シオンの白い耳がぴたりと止まった。
表情は変わらない。
けれど、先ほどまで何の気配もなかった少女から、ほんの僅かに冷たい空気が滲んだ。
かつてシオンを剣鬼と呼んだ者たち。その多くは皇帝に近しい者か、自分を裏切った者たちへ連なる者だった。シオンにとって、決して好ましい呼び名ではない。
しかし、クロエもオルグレイもその微かな変化には気づかなかった。
「では、隣の実験室へ移ろうか」
歩き出しかけたクロエが、ふとシオンの腰を見る。
「おや? 刀はどうしたんだい?」
「ランカに預けている。代わりにこれを借りた」
シオンは腰の片刃剣へ手を添えた。
「ランカが作ったものだ。これで十分だろう」
オルグレイが笑う。
「後で武器が悪かったとか、誰かさんみたいなことは言わないでくれよ?」
「問題ない」
「お、言うねぇ」
クロエだけが小さく首を傾げた。
「誰かさん?」
「気にすんな」
◇
研究室に併設された実験場は、魔法や魔導具の試験にも使われるため、普通の訓練場より遥かに頑丈に造られていた。
中央でオルグレイが巨大な鋸剣を構える。その向かいでは、シオンが借り物の片刃剣を片手に下げていた。
「準備は?」
「いつでもいい」
「じゃあ――行くぜ!」
オルグレイが床を踏み抜く勢いで突進する。
超重量の鋸剣が唸りを上げ、横薙ぎに振るわれた。まともに食らえば、人間なら鎧ごと吹き飛びかねない一撃だった。
だが、当たらない。
「なっ――」
受け流されたわけではない。
ハルトのように力の方向を巧みに逸らされたわけでも、ベルンのように攻撃を完全に読み切り、紙一重で見切られたわけでもなかった。
振り始めた時には、もうそこにいない。
オルグレイが振り向くと、シオンはすでに背後に立っていた。「ちっ!」
鋸剣を強引に引き戻し、今度は斜めに叩きつける。
また消える。
側面。
オルグレイは咄嗟に身体を捻り、鋸剣を合わせた。
金属音が爆ぜる。
「うおっ!?」
シオンの片刃剣が鋸剣の側面を打ち、両手で支えていた超重量の武器そのものが大きく横へ弾かれた。
「なんだよ、それ……!」
オルグレイは踏ん張り、再び巨大な剣を構える。
何度振っても届かない。ようやく武器を合わせても、今度は力で押し返される。
技量、速さ、力、間合い。
何か一つが優れているのではない。
根本的に、格が違った。
ようやく距離を取ったオルグレイが、大きく息を吐く。
「これがドールズの力かよ……反則だろ」
「いや、オルグレイ君」
壁際で記録を取っていたクロエが、紙から顔も上げずに答えた。
「もう少し頑張ってくれたまえ」
「は?」
「シオン君は、まだ身体強化を使っていない。これでは研究にならないじゃないか」
オルグレイの動きが止まった。
「……嘘だろ?」
「使っていない」
シオン本人からも即答される。
「いやいやいや! 今ので!?」
「クロエが望むなら使おう」
「ぜひお願いするよ」
「分かった」
シオンは片刃剣を軽く下げる。
そして、オルグレイを見る。
「少しだけ……痛い目に遭ってもらおう」
「ちょっ――」
姿が掻き消えた。
先ほどまでとは明らかに違う。
今度はオルグレイの目にも、辛うじて影しか追えない。
右から肩を打たれ、振り向くより早く左の脇腹へ衝撃が走る。背後へ回ったシオンが膝裏を峰で叩き、重い鎧ごと体勢を崩した。
「ぐおっ!?」
そこへ胸甲。
肩。
脇腹。
背中。
金属を叩く鈍い音が、間を置かず実験場へ響き続ける。
シオンは刃を使わず、徹底して片刃剣の峰と剣身で打ち据えていた。フルプレートに守られているとはいえ、一撃ごとの衝撃は容赦がない。オルグレイが反撃しようと鋸剣を持ち上げる頃には、シオンはすでに別の方向へ回り込んでいる。
「待っ、待て! ちょっと待――ぐぉっ!?」
胸甲へ叩き込まれた一撃で、巨体が床を転がる。
起き上がろうとすれば脚を払われ、立てばまた背中を打たれる。
文字通り、鎧を着たままボロ雑巾のように転がされていった。
やがてシオンが動きを止めた頃には、オルグレイは実験場の中央で大の字になっていた。
シオンはその横へ歩み寄る。
「オルグレイ」
「……なんだよ……」
「私は剣鬼ではない」
白い耳が僅かに揺れる。
「シオンだ」
オルグレイはしばらく黙り、ようやく何かに気づいたように顔を動かした。
「……もしかして……怒ってたのか……?」
返事を聞く前に、そのまま力尽きた。
「素晴らしいよ、シオン君!」
すぐ横から明るい声が飛んできた。
床に転がったオルグレイには目もくれず、クロエが記録用紙を片手に目を輝かせている。
「やはり獣人の身体強化は、人間が一般的に用いるものとは魔力の巡らせ方そのものが違うようだ。筋力だけではなく神経系にも強く作用している。これは魔導回路の構成にも応用出来るかもしれない」
「ん。クロエが喜ぶならよかった」
「いやあ、実に面白い。出来ればもう少し細かく測定を――」
何かを書き込みながら、クロエの手がふと止まった。
「ああ、そういえば。シオン君はエミリア様から、新しい刀の技を教わったそうだね?」
「ああ」
「エミリア様が憑依していた時と同じようには使えなかったとも聞いたが」
「同じ技にはならなかった。だが、工夫して再現は出来た」
「なるほど」
クロエは顎へ指を当て、先ほど取った記録へ視線を落とした。
「なら、一つ試せそうなことがあるね」
シオンの耳が動く。
「何だ?」
「今の身体強化だよ。君は全身へ魔力を巡らせていたが、必ずしも全身を同じ強さで強化する必要はない」
「?」
「例えば踏み込む瞬間には下肢へ強化を集中させ、運動連鎖に合わせて腰部、背部、肩、腕へと順次魔力の流れを移行させる。全身へ均等に配分する場合より局所的な魔力密度を高めれば、その部位に限って強化効率を――」
シオンは黙って聞いていた。
白い耳が、ゆっくりと横へ傾く。
クロエが説明を止めた。
「……分からないかい?」
「分からない」
「そうか」
クロエは少し考え直した。「では、もう少し噛み砕こう。全身へ同じように魔力を流すのではなく、必要な部分へ多く集めるんだ。その瞬間に使う部位だけを強くすれば、全身を同時に強化するよりも――」
「…………?」
今度は反対側へ耳が傾いた。
「…………」
「クロエ?」
クロエはしばらくシオンを見つめ、やがて小さく息を吐いた。
「要するにだねぇ……力を使いたいところへ集中する。そこへ魔力を込める。そして動く。まずはそれで確かめていけばいいんじゃないかねぇ……」
「なるほど」
今度は即座に頷いた。
「グッとして、バッとすればいいのか」
「……まあ、随分と雑になったが、そういうことだよ」
シオンは借り物の片刃剣を握り直した。
右腕を見る。
全身へ薄く巡らせていた魔力を抑え、意識を腕だけへ集中させる。最初は散っていた魔力が、少しずつ一箇所へ集まり始めた。
しばらくして、剣を振る。
鋭い風切り音が実験場へ響いた。
クロエの目が僅かに見開かれる。
「……出来るんだねぇ」
「出来た」
シオンは自分の右腕を見た。
もう一度、同じように魔力を集めようとする。
今度は上手くいかない。意識した瞬間に流れが崩れ、全身へ散ってしまった。
三度目。
僅かに集まる。
だが、剣を振る直前にまた散る。
「ふむ……」
何度か試したあと、シオンは剣を止めた。
「集中すれば出来る。だが、安定しない。それに動きながらでは難しいな」
「それで十分だよ。少なくとも理論自体は間違っていないことが確認出来た。今は一箇所へ集めるだけで精一杯だろうが、慣れれば実戦中に強化する場所を切り替えられる可能性はある」
「脚から、腰、腕へも?」
「理論上は可能だね」
シオンの目が変わった。
「詳しく」
「……今ので分かったんじゃないのかい?」
「グッとしてバッとするところまでは分かった」
「私はその先まで説明していたつもりなんだがねぇ……」
クロエは額へ手を当てた。
その口元には、呆れとも笑みともつかないものが浮かんでいた。
床では、気絶したオルグレイがまだ転がったままだった。
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