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新芽は梟雄に導かれる②

「さて。型だけ見せても分かりにくいでしょうし、今度は実際にやってみせるわ」


一通りの構えと足運びを教え終えたエミリアは、シオンの持つ刀へ視線を落とした。形だけなら、シオンはほとんど一度見ただけで覚えてしまった。だが、刀という武器の扱い方を知ったわけではない。


「エミリア様が使うのか?」


「いいえ。貴方の身体でよ」


シオンの白い耳がぴくりと動いた。


「……憑依か」


「ええ。私が動かした方が、貴方自身も身体で覚えられるでしょう?」


「分かった。好きに使え」随分と軽い返事だった。剣に関わることとなると、自分の身体を貸すことにすら躊躇がないらしい。エミリアは小さく笑い、意識を集中させた。


【憑依】。


蓮の魂がエミリアの身体を離れ、シオンへ移る。その瞬間、力の抜けかけたエミリアの身体が僅かに揺れたが、すぐに自ら踏ん張り、ゆっくりと目を開いた。


今、その身体を動かしているのは本来のエミリアだった。


「……ふぅ」


久しぶりに自分自身の意思で指を動かし、軽く手を握る。その様子を見ていたルミが、慣れた手つきで外套を差し出した。


「エミリア様、どうぞ」


以前ならすぐに受け取っていた。蓮が好んで選ぶ衣装は、本来のエミリアには少々大胆すぎる。自分の身体とはいえ、人前でその格好をするのが恥ずかしくて、蓮が憑依で離れるたびに外套で身体を隠していた。


けれど今回は、エミリアは外套を見てから小さく首を横に振った。


「ありがとう、ルミさん。でも、もういらないです」


「……よろしいのですか?」


少し驚いたようにルミが目を瞬かせる。エミリアは自分の衣装を見下ろした。やはり落ち着かないし、少し恥ずかしい。それでも、以前のように慌てて隠したいとは思わなくなっていた。


「蓮が美しいと言っているんですもの。だったら、恥ずかしがることなんてないんだって……私も、そう思えるようになりました」


そう言って、ほんの少し胸を張る。


ルミはしばらくエミリアを見つめてから、柔らかく笑った。


「変わられましたね」


「……そうでしょうか?」


「はい。でも、お顔は真っ赤ですよ?」


エミリアは一瞬固まった。


「……大丈夫です」


「そうですか?」


「大丈夫です!」


言い切ったものの、耳まで赤い。ルミが堪えきれずに笑い、エミリアもやがてつられるように笑った。


◇


一方、シオンの身体へ移った蓮は、ゆっくりと目を開いた。視界の高さも、手足の長さも、身体の重心も違う。耳から入ってくる音の広さまで、エミリアの肉体とはまるで別物だった。


(……これが今の剣聖の身体ね)


『何をする?』


内側からシオンの声が聞こえる。


(まずは身体に慣れるわ。いきなり変な動きをして壊したら嫌でしょう?)


『ドールズの身体はそう簡単には壊れない』


(そういう問題じゃないのよ)


首を回し、肩、腰、膝と順番に動かしていく。その場で軽く跳ね、何度か踏み込んでみるだけでも、身体が驚くほど素直についてきた。


軽い。いや、単純に体重が軽いわけではない。思った場所へ、思った瞬間に身体が動くのだ。


蓮自身もエミリアの肉体を日々鍛えている。身体操作にはかなり自信があるつもりだったが、この身体は基礎からして違う。


刀を抜き、軽く構える。一歩踏み込み、鋭い一閃を放った。振り抜いた刀をそのまま翻し、重心を移しながら刃の軌道を反転させる。ほとんど間を置かず、二撃目が走った。


二つの風切り音が重なる。


(――燕返し)


日本にいた頃なら、十分に達人芸と呼べる動きだった。


だが、内側から返ってきた声に感嘆はない。


『なるほど。刀ではそう使うのか』


(……それだけ?)


『一撃目を振り抜いた後、無理に腕で戻さず、重心を移しながら刀身を返すのだな。剣とは重心が違う。参考になる』


(驚いてないわね?)


『似た技なら剣で使っている』


(…………)


蓮は少し黙った。地球なら十分に漫画じみた技だったはずなのだが。


(そういえば、ここファンタジーな世界だったわね)


『何を今さら言っている?』


(しかも貴方、レムリアス大陸最強の剣聖だったわね……)


ただ、興味がないわけではないらしい。


『もう一度やってくれ。今度は腰の動きを意識して見たい』


(そこにはちゃんと食いつくのね)


『剣と刀では勝手が違う。覚えておきたい』


蓮は小さく笑った。ならば、この剣聖を本当に驚かせるには、もう少し無茶をする必要がありそうだ。シオンの身体へ意識を向ける。


獣人であった頃から、シオンは身体強化を得意としていた。その感覚は今の身体にも残っている。蓮が意識を向ければ、魔力をどう巡らせればいいのか、身体の方が教えてくれた。


試しに全身を強化する。


その瞬間、軽く踏み込んだだけの身体が一瞬で数歩分の距離を駆け抜けた。踏み込んだ場所では、一拍遅れて土が小さく弾ける。


「……え?」


(何、今の)


『身体強化だ』


(それは分かってるわよ。貴方、普段からこんな出力――じゃないわね。こんな力を出せるの?)


『いや』


即答だった。


(……出せないの?)


『今のは、私より強い』


蓮は自分の――正確にはシオンの手を見る。もう一度、今度は慎重に力を巡らせてみるが、やはりおかしい。


筋力だけではない。踏み込みも、瞬発力も、反応も、シオン本人が知っている感覚より明らかに引き上げられている。


(……【限界突破】?)


これまで【限界突破】は、エミリアへ好意や忠誠を持つ者を常時少しだけ底上げする能力だと思っていた。だが、どうやら【憑依】している間だけ、その効き方まで変わっているらしい。


(面白いじゃない)


『何がだ?』


(貴方、自分で思っているより今の身体はずっと強いわよ)


さらに身体の感覚を探っていく。その中に、筋力とは違う強化方法があった。もっと細く、もっと繊細なもの。


(……神経?)


『ああ』


シオンの返事と同時に、その力を強めた。


世界が、遅くなった。


風に揺れる草がゆっくりと傾き、舞い上がった土埃が一粒ずつ見える。少し離れた場所にいるルミの瞬きすら、異様なほど長く感じられた。


時間が止まったわけではない。


思考、知覚、そしてその指令を肉体へ伝える神経。その全てが、異常な速度まで引き上げられている。


(……何よ、これ)


『どうした?』


(貴方、いつもこんなことしてるの?)


『神経を強化することは出来る。相手の動きを読み、先の先や後の先を取る時にも使う』


(それで剣聖なんてやってたのね)


『だが、ここまでは出来ない』


まただ。


身体強化だけではない。シオンが本来持つ能力そのものが、【憑依】している間だけ一段も二段も上へ引き上げられている。


異常な身体能力。世界が遅く感じられるほどの神経強化。そして、手には刀。


(……待って)


蓮の脳裏に、昔読んだ漫画が浮かんだ。


人間がやれば無茶でしかない。だからこそ、漫画の中でしか成立しない神速の剣技。


だが、今使っているのは人間の身体ではない。ドールズとなった剣聖の身体だ。しかも今は、【憑依】によって本人以上の力まで引き出されている。


(この状態なら……)


シオンの顔で、蓮がにやりと笑った。


『何を考えている?』


(ちょっと、面白いことを思いついたのよ)


◇「これから貴方に教えるのは、使い手が天を飛翔するかのように駆け、その動きは神速と呼ばれる流派の技よ」


シオンの身体で、蓮は刀を肩へ担ぐように構えた。


『そんな流派が、蓮の世界にあったのか?』


「ええ。名前は、ひて――」


止まる。


「……じゃないわ」


『?』


何事もなかったように胸を張った。


「獄天黒薔薇流よ!」


しばし沈黙。


『……大仰な名前だな』


「今、私が命名したわ!」


『元々あった流派ではないのか?』


「大人の事情よ!」


『そうか』


納得するところではない。


少し離れた場所では、本来のエミリアとルミが揃って何とも言えない顔をしていた。


蓮は咳払いをして刀を下段へ構え、身体を低く沈める。脚へ力を巡らせ、一気に地面を蹴った。


「――獄翔赫」


瞬間、シオンの姿がその場から掻き消えた。


一拍遅れて地面が弾け、下段から振り抜かれた刀が銀色の軌跡を描く。脚力、腰の捻り、背から肩へ伝わる力、その全てを乗せた斬撃と共に、シオンの身体そのものが上空へ駆け上がった。


『……刀では、こう繋ぐのか』


(どう?)


『速い。威力もある。だが、この後は隙だらけだ』


(その通り)


『……欠陥では?』


(最後まで聞きなさい。この技は二段構えよ)


上空へ抜けた身体を、そのまま落下させない。


蓮は腰を強引に捻り、脚を振った。足場など存在しない空中で、強化された全身の膂力だけを使って身体の向きを変え、落下軌道そのものをねじ曲げる。


『……今、空中で軌道を変えたな』


(ええ)


『足場もないのに?』


(この身体なら出来たわ)


『…………』


頭上へ刀を掲げ、狙う場所を定める。重力へ身体強化を重ね、そのまま地上へ向かって身体を落とした。


「――獄鎚赫」


墜ちる。


落下というより、地上へ向かって撃ち出されたと言った方が近い。上空で変えた軌道のまま加速し、落下の勢いと強化された全身の力を一本の刀へ集約する。


刀は地面へ触れる直前で止まった。それでも衝撃だけで訓練場が震え、土埃が円を描いて吹き飛ぶ。


『……なるほど』


(獄翔赫で斬り上げ、そのまま獄鎚赫で斬り下ろす。これなら空中に残る隙も潰せるでしょう?)


『相手が一人ならな』


(別に、一人である必要はないわよ)今度は自ら前方へ跳んだ。


空中で身体を翻し、一人目を想定した場所へ獄鎚赫を叩き込む。そのまま止まらず、着地の衝撃を膝と腰で受け、沈み込んだ身体に蓄えた勢いを次の動きへ繋げた。


別方向へ、斬り上げる。


「――獄翔赫」


斬り下ろしから一転して斬り上げ。シオンの身体が再び宙へ舞う。


『逆にも繋げられるのか』


(そういうこと。斬り上げた相手をそのまま斬り下ろしてもいいし、上へ抜けたところから別の相手へ落ちてもいい)


強引に軌道を変えながら、上下左右へ戦場を駆ける。


「元々は、一対多を想定した刀術よ」


『普通なら空中に出た時点で狙われる』


(だから、この身体能力と反応速度が必要なのよ)


相手が動いてからでも間に合うほどの神経強化と、その判断を無理矢理形に出来る身体能力。普通なら成立しない。今のシオンの身体だからこそ出来る、文字通りの神速剣だった。


何度か獄翔赫と獄鎚赫を繋ぎ、逆の流れまで試す。やがて刀を止めると、内側からすぐに声が飛んできた。


『もう一度だ』


(十分やったでしょう?)


『今の逆の繋ぎを、もう一度見たい』


(仕方ないわね。本当に剣のことになると――)


もう一度、刀を構える。


その瞬間だった。


『……ぐっ』


シオンの声が歪んだ。


(シオン?)


身体ではない。もっと深い場所から、軋むような違和感が伝わってくる。


「エミリア様、すぐに【憑依】を解除してください」


ルミの声が鋭く響いた。


「え?」


「それ以上は、シオンの魂が限界です」


蓮は迷わず、即座に【憑依】を解く。


視界が切り替わり、意識がエミリアの身体へ戻った。本来のエミリアが内側へ退き、再び蓮が身体の主導権を握る。


目の前ではシオンが片膝をつき、荒い息を吐いていた。


「シオン!」


「……問題ない」


「問題あるから止めたのよ!」


「もう一度くらいなら出来る」


「魂が限界だって言われたでしょう!」


それでもシオンの視線は刀へ向いたままだ。エミリアは呆れながらルミを見る。


「どういうこと?」


「一つの身体を二つの魂が強く使い続けたためです。特に先ほどのような状態では、肉体より魂の方へ大きな負担がかかります」


「……魂に?」


「はい。今回の様子なら、安全に続けられるのは長くても一時間ほどでしょう。それ以上はシオンの魂を傷つける危険があります」


「一時間……」


思ったより短い。【憑依】中だけ異常なまでに力を引き出せる代わりに、時間制限があるらしい。


「……時間が足りないな」


横から聞こえた声に、エミリアはゆっくり振り返った。


「貴方ねぇ……」


「もっと教えてくれ」


「今、魂が壊れかけたのよ?」


「次に憑依出来る時でいい」


「そういう問題じゃ――」


言いかけて、エミリアは止まった。そして少し考え、口元を吊り上げる。


「……駄目よ」


「何故だ」


「貴方、今教えた技すらまだ自分のものにしていないでしょう? まずは今教えた技を完璧にしてみなさい。私が見て、美しいと思えるところまで」


エミリアは一歩近づき、シオンの胸元を指先で軽く叩いた。


「私を楽しませることが出来たら――次を教えてあげるわ」


白い耳が立つ。


しばらくして、シオンは刀を握り直した。


「……分かった」


その目はもう、次の修練へ向いていた。


◇


それから数日。


シオンは暇さえあれば訓練場にいた。


エミリアに身体を使われていた時の感覚は残っている。獄翔赫も、獄鎚赫も、どう動けばいいのかは分かっていた。


だが、再現出来ない。


「……足りない」


同じように踏み込んでも、あの速度には届かない。同じように飛んでも、空中であれほど強引に身体を操ることは出来ない。獄鎚赫も、ただ落下の勢いを乗せただけでは、エミリアが見せたような威力にはならなかった。


当然だった。


あの時の動きは、【憑依】によって引き上げられた身体能力を前提にしている。言ってしまえば、力で成立させたデタラメな動きだ。


ならば、同じ動きをする必要はない。


シオンは何度も刀を振った。失敗し、転がり、地面を抉る。それでも飛び上がる高さを変え、刀を振る角度を変え、身体の捻り方を変えながら試し続けた。


そして、一つの答えへ辿り着く。


エミリアが力でねじ伏せた無茶な軌道を、自分は技で作ればいい。


◇数日後。


「エミリア様」


執務中のエミリアの前へ、シオンが現れた。


「何?」


「出来た」


「……何が?」


「獄翔赫と獄鎚赫だ」


エミリアの手が止まる。


シオンの白い耳が、僅かに誇らしげに立っていた。


「ただし、そのままではない」


「へぇ?」


その一言だけで、エミリアの表情が楽しそうに変わる。


二人はそのまま訓練場へ向かった。


シオンは刀を抜き、低く構える。


「私一人では、エミリア様に憑依されていた時ほどの力は出せない」


「そうでしょうね」


「なら、足りない分を技で補えばいい」


地面を蹴る。


だが、以前の獄翔赫とは違った。


「――獄翔赫・蹴」


脚で地面を強く蹴り上げるのと同時に、刀を下から大きく跳ね上げる。腰を反らし、斬り上げの勢いを全身へ伝え、そのまま後方へ身体を回転させた。


まるでバック転するように空へ抜ける。


単純な脚力だけで飛ぶのではない。踏み切り、斬撃、腰の捻り、身体の反転。その全てを一つに繋ぎ、エミリアが力だけで作っていた上昇軌道を、技術によって再現している。


「……なるほど」


エミリアの口元が上がった。


だが、シオンは止まらない。


獄翔赫・蹴で生まれた回転を、そのまま空中でも維持する。身体を回転させながら落下へ移り、蓄えた勢いを腰から肩、腕へと繋いでいく。


「――獄鎚赫・廻」


刀が振り下ろされた。


落下、回転、身体強化。その全てが一つの斬撃へ重なる。


以前のように力任せに軌道をねじ曲げるのではない。自ら作った回転の中で身体を制御し、狙った場所へ斬撃を落とす。


重い衝撃音が訓練場へ響いた。


そしてシオンは着地すると、そのまま構えを崩さない。視線を前へ残し、意識を切らさず、数日前に教えた残心まできっちりと取ってみせた。


エミリアはしばらく黙っていた。「……改良したのね」


「ああ」


「私が力任せにやっていた部分を、回転で補った」


「ああ」


「しかも、その回転を二つの技の間に繋げた」


「ああ」


シオンの尻尾が僅かに揺れる。


「どうだ?」


ほとんど無表情。けれど、褒められるのを待っていることくらい、もう分かる。


エミリアはふっと笑った。


「いいじゃない。合格よ」


白い耳がぴんと立つ。


「なら――次だ!」


一歩詰め寄ってくる。


「早いわよ!」


「約束した」


「したけれど!」


「私を楽しませた」


「……まあ、それは認めるわ」


エミリアは腕を組み、目の前の剣聖を見る。


ここまで本気で食いついてくるとは思っていなかった。だが、悪くない。むしろ――かなり面白い。


エミリアは楽しそうに目を細めた。


「次はね……」


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