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第五薔薇人形 シオン

22日分更新を間違えて投稿してしまいました…

22日零時更新は今回ありません、申し訳ありません

剣聖への教育は、エミリアが想像していたより順調に進み――同時に、想像していた以上に難航した。


最初に教えたのは、歩き方や立ち姿だった。ただ女性らしく振る舞わせたいわけではない。エミリアが求めているのは、自らのドールズとして、そして悪の女王の配下として相応しい美しさだった。


立っているだけで目を惹き、歩けば自然と視線が集まる。強者であることは当然として、その強さすら美しく見せる。


「背筋を伸ばして。歩幅はもう少し小さくなさい。今までの身体とは脚の長さも重心も違うのだから、そのつもりで歩くのよ」


「こうか」


剣聖は一度歩き、エミリアの指摘を聞くと、その場で向きを変えた。


次の一歩から、もう違った。


背筋を伸ばし、肩の力を抜く。歩幅を新しい身体へ合わせ、重心を滑らかに移動させる。外へ流れていた足先まで自然な位置へ収まり、長い髪や衣服の裾を乱さない歩き方へ変わっていた。


エミリアは僅かに目を見開く。


「……覚えるのが早いわね」


「身体の使い方なら分かる」


長い年月、剣を振り続けてきた者である。体幹、重心、呼吸、足運び。自分の身体をどう使えば望んだ動きになるのか、その感覚はすでに達人の域にあった。


一度見せれば覚える。二度目には修正する。


美しい立ち姿も、優雅に見える歩き方も、本人にとっては別段難しいものではないらしい。エミリアが求める動きを言葉にすれば、剣聖は水を吸うように自分のものへ変えていった。


「こういうところは、本当に手がかからないのね」


「剣と変わらん。身体をどう使うかというだけだろう」


「……剣と一緒にされるのは少し複雑だけれど、まあいいわ」


問題は、形を覚えられるかどうかではなかった。


何故そんなことをする必要があるのか。


その価値観の方だった。


◇


昼食の席で、剣聖は皿に盛られた肉へ当然のように手を伸ばした。


「待ちなさい」


ぴたりと止まる。


「何だ」


「手で食べるんじゃないわ。ナイフとフォークを使いなさい」


剣聖はテーブルの上に並べられた二本の道具を見た。


「何故だ」


「何故って……食事の作法でしょう?」


「手で食った方が早い」


「速さを競っているんじゃないのよ」


納得している様子はまるでなかったが、エミリアが自ら使い方を見せると、剣聖は素直にナイフとフォークを手に取った。


「こうして、一口で食べられる大きさに――」


言い終わるより早かった。


剣聖の両手が霞む。


ナイフとフォークが残像を引きながら皿の上を走り、肉が瞬く間に均等な大きさへ切り分けられていく。フォークが一切れを捉えたと思った次の瞬間には、すでにそれは剣聖の口の中へ消えていた。


もぐ。


エミリアが固まった。


ルミも固まった。


剣聖は肉を飲み込むと、手にしたナイフとフォークを見せる。


「使ったぞ」


「……そういう使い方をしろとは言ってないわよ!」


「何が違う?」


「全部よ!」


「切る。刺す。食う。教えられた通りだ」


「速度がおかしいのよ! 何で食事中に残像が見えるの!?」


剣聖は手元のナイフとフォークを見た。


「……武器だろう?」


「違うわよ!」


「ナイフは斬れる。フォークは刺せる」


「食事をするための道具よ!」


「使い方次第では十分殺せるが」


「食卓で殺傷能力を確認するんじゃないわ!」


技術的には完璧だった。ナイフは肉の繊維を正確に断ち、フォークの扱いにも一切の無駄がない。おそらく、エミリアが一度見せただけで完全に使い方を理解している。


ただし、テーブルマナーというものを根本的に理解していなかった。


「ゆっくり食べなさい」


「何故だ」


「だから! 食事は戦闘じゃないのよ!」


「知っている」


「だったら、その速度をやめなさい!」


その日の教育は、そこから長かった。


◇


数日後。


「……何をしているの?」


エミリアの声が低くなった。


剣聖が振り返る。


「何だ」


「何だ、ではないわ」


エミリアが指差したのは、剣聖が身につけている服だった。


正式な衣装が出来上がるまでの間、城の衣装係が用意してくれた簡素な仮着。その袖が大きく破られ、裾も一部が大胆に裂かれている。


「なんで服を破いているのよ……」


「動きにくかった」


悪びれる様子はまるでない。


「だから破いた」


「だからって破かないでちょうだい!」


「動きやすくなったぞ」


そう言って、剣聖は軽く身体を捻ってみせた。確かに、先ほどより動きやすそうではある。


「そういう問題ではないでしょう!? それ、衣装係が用意してくれたものなのよ!」


「使いにくいものを使いやすくしただけだ」


「服を武器みたいに扱わないでちょうだい!」


エミリアは頭を抱えた。


身体の使い方なら何を教えても一度で覚えるというのに、身だしなみや衣服の扱いになると途端に話が通じなくなる。


破られた仮着は衣装係へ回され、その日のうちに直されて戻ってきた。


そして、その夜。


「……いない」


自室を訪ねたエミリアは、使われた形跡すらないベッドを見て眉を寄せた。


城内を探し、訓練場を見て回り、最後に辿り着いたのは中庭だった。


木の下に何かいる。


銀白色の長い髪を芝生へ広げ、白い尾を身体へ巻き付けた剣聖が、地面に横になって眠っていた。


エミリアは無言で近付く。


髪には細かな草が絡み、服は土埃まみれ。つい数時間前に直してもらったばかりの袖にも、葉が一枚しっかりとくっついている。


「起きなさい」


白い耳がぴくりと動いた。


剣聖が目を開ける。


「何だ」


「何だじゃないわ! 自分の部屋があるのに、なんで中庭で寝てるのよ!」


「落ち着く」


「しかも土と草だらけじゃない!」


剣聖は身体を起こし、自分の服を見る。袖に付いていた葉を摘まんで捨てた。


「これでいいか」


「良くないわよ! その服、さっき衣装係に直してもらったばかりなのよ!?」


「破れてはいない」


「今度は汚しているでしょう!」


剣聖は少し考えた。


「洗えば落ちる」


「そういう問題ではないの!」


「昔は野宿の方が多かった。地面の方が落ち着く」


「ここは王城よ! 貴方にはちゃんと部屋もベッドもあるの!」


「柔らかすぎる」


「慣れなさい!」


夜の中庭に、エミリアの声が響いた。


少し離れた場所でその光景を見守っていたルミが、困ったような、それでいて少し楽しそうな笑みを浮かべる。


「エミリア様の選ぶ方は、皆様本当に個性的ですね」


エミリアが振り返った。


「そうかしら?」


「ええ。普通の方は、あまりいらっしゃらないような気がします」


「普通?」


エミリアは本気で意味が分からないという顔をした。


「普通って何かしら? とっても私好みの娘達よ」


ルミは一瞬だけ黙った。


研究となれば周囲が見えなくなるクロエ。エミリアから必要とされることを何より喜ぶリン。救える者がいるなら放っておけないセリア。物作りとなれば寝食すら忘れかねないランカ。


そして今は、土と草まみれになって中庭で眠っていた剣聖までいる。


ルミは僅かに呆れを滲ませながら微笑んだ。


「……とっても悪の組織らしいですね」


「ふふっ。分かってきたじゃない」


エミリアは満足そうだった。


どうやら、こちらの感情までは伝わらなかったらしい。


ルミはそれ以上何も言わなかった。


◇


それからも教育は続いた。


食事の作法。衣服の扱い。人前での振る舞い。用意された部屋で寝ること。毎朝、髪や服装を整えること。


一度形を教えれば覚えるのは早い。姿勢や足運び、身のこなしに関しては、むしろ教える側が驚くほどだった。


しかし、それを美しく見せることに意味があると理解させるまでには時間がかかった。


強いだけでは駄目。


実用的なだけでも駄目。


悪の女王のドールズなら、立っているだけで人の目を奪う。


エミリアが何度もそう言い聞かせ、剣聖もようやく少しずつ、その価値観を受け入れていった。


何故そんなことをする必要があるのかと疑問を口にすることは多かったが、エミリアが必要だと言えば最終的には従う。


元々、学ぶことそのものを嫌っているわけではない。


ただ、剣以外のことに驚くほど興味が薄いだけだった。


そんな日々を経た、ある日のこと。


エミリアは剣聖を自室へ呼び出した。


「来たわね」


「ああ」


部屋へ入った剣聖の視線が、机の上へ向かう。


そこには一着の衣装が置かれていた。


黒を基調とした、これまで身につけていた仮着とは明らかに違う服だった。


「これは?」


「その前に、一つ決めることがあるわ」


エミリアは剣聖の前へ立った。


「いつまでも『剣聖』では呼びにくいのよ」


「好きに呼べばいい」


「だから、好きに決めるのよ」


エミリアは改めて目の前の少女を眺める。


銀白色の長い髪。頭には白虎の耳。腰から伸びる縞模様の尾。美しい少女の姿になっても、その立ち姿には長い年月を剣へ捧げてきた者だけが持つ研ぎ澄まされた鋭さが残っている。


そして、その奥には今も、まだ見ぬ高みを求め続ける執念がある。


エミリアは僅かに微笑んだ。


「――シオン」


白い耳がぴくりと動く。


「シオン?」


「ええ。今日から貴方の名前よ」


少女はその響きを確かめるように、一度だけ口の中で繰り返した。


「……シオン」


少し考え、頷く。


「悪くない」


「もう少しくらい喜びなさいよ」


「気に入った」


「ならいいわ」


エミリアは満足そうに笑うと、机の上に置かれていた衣装を手に取った。


「そして――これはシオンの制服よ」


シオンの視線が衣装へ向かう。


黒を基調とした軍装風の装いだった。身体の動きを妨げないよう仕立てながら、金具や鎖を用いた華やかな意匠を取り入れている。銀白色の髪と白い耳に似合う帽子も用意され、実用だけでは終わらない、悪の女王のドールズとして人目を惹くことまで考えられた一着だった。


シオンはしばらくそれを眺める。


「これも、衣装係が用意したのか?」


「いいえ」


エミリアは首を横へ振った。


「今まで着せていた仮着とは違うわ。これは私が貴方のためにデザインして、貴方の身体に合わせて仕立てさせたものよ」


シオンが顔を上げる。


「……エミリア様が、私のために?」


「そうよ。私のドールズだもの、当たり前でしょう?」


何でもないことのように、エミリアは胸を張った。


シオンは黙った。


そして、もう一度制服へ目を落とす。


これまでの服を見る時とは、明らかに違う目だった。


両手を伸ばし、エミリアから制服を受け取る。その手つきまで、先ほどまでとは比べものにならないほど慎重だった。


「……大事にする」


エミリアが僅かに目を丸くした。


「服には興味がなかったでしょう?」


「ない」


即答だった。


「でも、それは大事にするの?」


「ああ」


シオンは腕の中の制服を見つめたまま答える。


「エミリア様が、私のために作ったものだ」


服というものに興味を持ったわけではない。


ただ、この一着だけは違う。


自分が主と認めた者が、自分のためだけに考え、与えてくれたものだった。


それだけで、シオンには十分だった。


「着てみなさい」


「ああ」


しばらくして。


制服を纏ったシオンが、姿見の前へ立った。


黒い衣装に銀白色の髪が映え、白虎の耳と尾もその装いへ自然に馴染んでいる。美しい少女の姿でありながら、その佇まいには抜き身の刃を思わせる鋭さがあった。


エミリアは満足そうに頷いた。


「完璧ね」


シオンは腕を上げ、肩を回す。腰を落として重心を移し、身体を捻ってみる。


袖も裾も邪魔にならない。


そして今度は、破ろうとはしなかった。


「動きやすい」


「当然でしょう。貴方のために作ったんだから」


シオンはもう一度鏡を見る。


少しだけ間を置いてから、エミリアへ顔を向けた。


「……似合っているか?」


エミリアが目を瞬いた。


服に興味がないと言い切ったシオンが、自分からそんなことを聞くとは思わなかった。


すぐに口元へ笑みを浮かべる。


「ええ。とても美しいわ。私のドールズに相応しい」


「そうか」


白い耳が、ぴこりと動いた。


ほんの僅かに、嬉しそうに。


エミリアはそれに気付いたが、あえて何も言わなかった。


振り返ったシオンは、制服の胸元へ軽く手を添えた。


「エミリア様」


「何?」


「この身体も、この服も。大事にする」


エミリアは一瞬だけ黙った。


新しい肉体。新しい名。そして、主から自分へ贈られた制服。


そのすべてを、シオンは誇りとして受け取ったのだろう。


やがてエミリアは、悪の女王らしく尊大に微笑んだ。


「当然よ。どちらも私が貴方に与えたものだもの」


「ああ」


シオンは頷いた。


エミリアはそれに満足すると、今度こそ部屋の隅へ置いていた刀へ視線を向けた。


「さて。随分待たせたわね」


その一言で、シオンの目が一瞬にして刀へ向いた。


「振っていいのか?」


「ええ。今度こそ、好きなだけ振りなさい」


シオンは差し出された刀を受け取り、鞘ごとその重みを確かめた。


先ほどまで制服を眺めていた時とは、また違う光が瞳に宿る。


「……これが、刀か」


「そうよ」


エミリアは、その様子を満足そうに眺めた。


新しい身体。新しい名。そして、自分だけの制服。


レムリアス大陸最強と謳われた剣聖は、第五の薔薇人形――シオンとして、新たな一歩を踏み出した。


そして、その手にはまだ扱い方を知らない剣がある。


刀という、新たな高みへ続く剣が。


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