土小人は酒精を好む②
数日後。
ランカの工房では、奇妙な金属の塊が存在感を放っていた。
大きな釜から金属管が伸び、その途中には蒸気を冷やすための装置が組み込まれている。管の先に置かれているのは、液体を受けるための容器。
エミリアが描いた大雑把な図を元に、クロエが構造を考え、ランカが実際に形へした単式蒸留器の試作一号機だった。
そして、その少し離れた場所。
オルグレイは腕を組み、露骨に嫌そうな顔で装置を眺めていた。
「……なあ」
「なんだい?」
クロエは釜の様子を確認したまま答える。
「なんで俺がここにいるんだ?」
「助手だからだよ」
「いつからだよ!」
「最近かなぁ」
「勝手に決めんな!」
最近のオルグレイは、何故かクロエの研究に付き合わされることが増えていた。荷物を運ばされ、道具を取らされ、時には試作品を装着させられる。
気がつけば、本人の意思とは無関係に助手のような立場へ収まっていた。
もっとも、クロエが助手と言う時、そこには高確率で『実験台』という意味も含まれている。
「で、これは何なんだ?」
「エミリア様が教えてくださった蒸留器だよ。酒を温めて、出てきた蒸気を冷やす。そうすれば元より酒精の強い酒が取れるらしい」
「酒を温める?」
オルグレイの眉がぴくりと動いた。
装置を見る。
炉を見る。
もう一度、装置を見る。
「……それ、本当に大丈夫なのか?」
クロエとランカが同時に振り返った。
「何がじゃ?」
「いや、蒸気が出るんだろ? そいつをこの管に通すんだろ?」
「ああ」
「どっか詰まったらどうすんだ?」
一瞬、工房が静かになった。
クロエが配管を見る。
ランカも見る。
オルグレイが嫌な顔をした。
「おい」
クロエが口を開く。
「その場合は、内部の圧力が――」
パンッ!!
言い終わるより早く、甲高い破裂音と共に配管の継ぎ目が弾け飛んだ。
「だから言っただろうがぁぁぁっ!!」
白い蒸気と熱気が一気に工房へ噴き出す。
クロエとランカはほとんど動かなかったが、まともに衝撃を受けたオルグレイの身体は後方へ吹き飛び、そのまま床を転がった。
「うおっ!?」
さらに外れた管から熱い液体と蒸気が降りかかる。
「熱っ! 熱い! なんだこれ!?」
鎧は無事だったが、隙間から入り込む湯気と液体まではどうにもならない。慌てて起き上がった頃には、頭から足までびしょ濡れだった。
「クロエ! 止めろ! 止めろって!!」
「オルグレイ! そこの栓を閉めて!」
「俺にやらせんのかよ!」
文句を言いながらも、オルグレイは駆け寄って栓へ手を伸ばした。ランカが炉の火を落とし、クロエが配管を外す。
三人がかりでようやく蒸留器が止まり、工房に静けさが戻った。
床には水と酒が広がり、辺り一面に強烈な匂いが漂っている。
その中心で、オルグレイは全身から湯気を立てていた。
「……なあ」
「なんだい?」
「俺、必要か?」
クロエは散らばった部品と濡れた床を見渡した。
「今、蒸留器を止めるのに役に立ったし、片付けてくれる人も必要だろう?」
オルグレイはしばらく黙った。
「……雑用じゃねぇか!!」
ランカは二人のやり取りを気にも留めず、破損した配管を拾い上げた。
「むぅ……」
釜や炉、骨組み、太い配管。その辺りなら、ランカにとって難しい仕事ではない。
だが問題は、その先だった。
蒸気を漏らさない継ぎ目。細く均一な管。複雑に曲げても潰れず、歪みの少ない部品。冷却装置へ正確に接続する小さな金具。
どれも大雑把に鍛えれば済むものではない。
「こいつは厄介じゃな。大物ならどうとでもなる。じゃが、この辺りは細かすぎる」
クロエも図面と部品を見比べた。
「構造自体は間違ってないと思うんだけどねぇ。ほんの少しの歪みで蒸気が漏れるし、無理に締めれば今度は管が潰れる」
試作二号は蒸気漏れ。
三号は継ぎ目が外れた。
四号では冷却管の途中で流れが悪くなった。
修正するたび、別の場所に問題が出る。
そしてそのたびに。
「なんで毎回俺の近くでやるんだよ!」
オルグレイの怒声が工房に響いた。
◇
それからも試作は続いた。
ランカの工房には連日のようにクロエが顔を出し、机の上には設計図と失敗した部品が増えていった。
そして、その傍らにはいつもミンメイがいた。
とはいえ、彼女が開発に参加していたわけではない。
「おじいちゃん、お茶ここに置くね」
「おう」
ランカの返事を聞き、ミンメイは湯気の立つ杯を机の端へ置く。その隣にも一つ。
「クロエさんも」
「ありがとう」
食事を用意し、散らかった工具を片付け、工房の掃除をする。
病から救われ、再び身体を動かせるようになってから、ミンメイはランカの世話をしながら、少しずつ以前の日常を取り戻していた。
ただ、どうしても気になるものがある。
机の上に広げられた設計図。
そして、その脇に積み上げられた失敗作。
ミンメイは横を通るたび、つい目を向けてしまっていた。
特に気になるのは、小さな金属部品だった。
僅かに径の違う管。
綺麗に噛み合っていない継ぎ手。
曲げた部分がほんの少し潰れた細管。
――これなら。
そう思うことが、少しずつ増えていった。
ミンメイは幼い頃から細工が好きだった。宝石を削り、金属へ細かな模様を刻み、小さな部品を組み合わせて狙った形へ整える。
ランカから基礎も教わっていた。
けれど、一人前の職人として仕事を任されるより早く病に倒れた。
実際に品物を任された経験はない。
職人としてどこまでやれるのか、それを試す機会さえ失っていた。
それでも今は指が動く。
目も見える。
もう一度、道具を握れる。
ミンメイはしばらく迷った末、ランカへ声を掛けた。
「……おじいちゃん」
「なんじゃ?」
「その部品……私にやらせてもらえないかな」
ランカの目が細くなった。
祖父の目ではない。
職人の目だった。
「どれじゃ」
「この継ぎ目と、細い管」
ミンメイは失敗した部品を手に取った。
「こっちとこっち、少しだけ太さが違うよね?」
「分かるか」
「うん。それに、ここ」
指先で曲がった管をなぞる。
「曲げた時に内側が潰れてる。もう少し細かく調整しながら曲げれば、形を崩さずに作れると思う」
ランカは黙ったままミンメイを見る。
「やってみせい」
「……いいの?」
「聞こえんかったか?」
ランカは作業台を顎で示した。
「やってみせい。失敗しても構わん。じゃが、雑な仕事だけは許さんぞ」
「うん!」
久しぶりに道具を握る。
小さな槌。
細いやすり。
細工用の器具。
最初は少しだけ震えていた指も、作業を始めればすぐに落ち着いた。
削る。
合わせる。
また削る。
ほんの僅かな歪みを確かめながら管の径を揃え、一度に曲げず、少しずつ角度を付けては形を確認する。
ランカが金属そのものを鍛える職人なら、ミンメイは出来上がった金属を必要な形へ整えていく職人だった。
「……ほう」
ランカが小さく声を漏らす。
ミンメイは気づかない。
完全に作業へ集中していた。
やがて。
「できた」
差し出された継ぎ手をランカが受け取り、管へ差し込む。
ぴたり。
今までより遥かに隙間が少ない。
クロエも興味深そうに覗き込んだ。
「こっちの管もかい?」
「はい」
「随分綺麗に曲げたねぇ」
「こういう細かい作業は、昔から好きだったので」
クロエが、その言葉に少しだけ目を細めた。
ミンメイの指。
完成した部品。
そして机の端へ置かれた、別の設計図へ視線を移す。
「……ミンメイ」
「はい?」
「少し、別のことも頼んでみていいかい?」
クロエが一枚の板を持ってきた。
そこには細い金属線が何本も配置されている。
冷却装置を動かすための魔導回路だった。
「魔導回路……ですよね?」
「ああ。理屈まで分かる必要はないよ。私が困っているのはこっちだ」
クロエは隣り合う二本の金属線を指差した。
「この導線を、もっと細くできないかと思ってねぇ。それから、この部分。線同士をもっと細かく繋ぎたい。ただ、私がやるとどうしても太くなる」
「これを……ですか?」
「ああ。配置は私が決める。ミンメイには、その通りに作れるか試してほしい」
ミンメイは顔を近づけた。
魔法の理屈は分からない。
何故この線がここを通り、何故ここで繋がるのかも分からない。
だが、細い金属を加工し、決められた位置へ置き、小さな接点を作る。
それなら、細工と変わらない。
「……やってみます」
クロエが指定する位置へ一本ずつ金属線を置き、曲げ、繋ぎ、余分な部分を削る。
「そこはもう少し右だねぇ」
「このくらいですか?」
「そう。そのまま」
作業はゆっくりだった。
だが、確実だった。
やがてクロエが完成した板を持ち上げる。
「……できた」
自分で作ったものより遥かに細い。それでいて接点は綺麗に揃っている。
クロエの目が輝いた。
「なるほどねぇ」
その声を聞いて、ランカも近づいてくる。
「なんじゃ?」
「ランカ。この子、かなり使えるよ」
「誰の孫だと思っとる」
ランカは当然のように言った。
「その割には随分驚いてたじゃないか」
「基礎は教えておった。じゃが、仕事としてやらせる前に病に倒れたんじゃ。ここまでとは思わなんだだけじゃ」
ミンメイは二人のやり取りを聞きながら、戸惑ったように自分の指を見る。
ランカが鼻を鳴らした。
「鍛冶なら、まだまだじゃ。じゃが、細工なら話は別じゃな」
ミンメイが顔を上げる。
ランカは完成した部品を手に取った。
「悪くない」
そして少しだけ口元を緩める。
「いや。かなり良い」
その言葉に、ミンメイは何も言えなかった。
ただ、嬉しそうに小さく頷いた。
◇
そこから、開発は一気に進んだ。
クロエが理論と構造を作る。
ランカが釜や炉、骨組みなどの大物を仕上げる。
ミンメイが細管や継ぎ手といった精密部品を作り、クロエの指示に従って細かな魔導回路を形にする。
一人では形にならなかったものが、三人揃うことで少しずつ完成へ近づいていった。
そして数日後。
工房の中央に、新たな単式蒸留器が据えられた。
「……なあ」
少し離れた場所から、オルグレイが疑いの目を向ける。
「今度は本当に大丈夫なんだろうな?」
「大丈夫だよ」
クロエが答える。
少し間を置き。
「たぶん」
「最後の一言いらねぇんだよ!!」
「安心せい。細かいところはミンメイが仕上げた」
ランカの言葉に、オルグレイがミンメイを見る。
「なら少し安心した」
「どういう意味だい?」
「お前より信用できるって意味だ!」
火が入れられた。
やがて釜の中の酒が温まり、蒸気が管へ流れていく。
今度は漏れない。
継ぎ目も外れない。
蒸気は滞ることなく冷却部へ流れ、そこでゆっくりと液体へ戻っていった。
ぽたり。
透明な一滴が落ちる。
もう一滴。
そして細い流れとなり、受け皿へ液体が溜まっていく。
誰も声を出さなかった。
しばらくして、クロエが容器を持ち上げる。
「……できたねぇ」
透明な酒。
見た目だけなら、水とほとんど変わらない。
だが香りは違う。
ランカが僅かに口へ含んだ。
「……強い」
目を見開き、やがて口元を緩める。
「こいつはいい」
王都で飲まれていた麦酒や果実酒とは、まるで違う。
酒精が濃い。
喉へ落とせば、身体の奥まで熱が走る。
エミリアが前の世界で知っていた呼び方を借りるなら。
スピリッツ。
単式蒸留器による、最初の酒が完成した。
ランカはもう一度だけ杯を口へ運び、満足そうに息を吐いた。
「これならドワーフ共も文句は言わんじゃろう」
「ひとまず成功だねぇ」
クロエも満足そうだった。
だが、そこでランカが杯を見つめる。
「……いや」
「なんだい?」
「まだじゃ」
クロエが首を傾げた。
「エミリア様が言っておったじゃろう。この先があると」
「ああ」
クロエも思い出したらしい。
以前、エミリアは蒸留酒の話をした際、もう一つの酒についても話していた。
蒸留した酒へ香草や木の実の香りを加える。
そうして作る、ジンと呼ばれる酒。
正確な製法まではエミリアも知らなかったが、方向性くらいは聞いている。
ランカは杯を置いた。
「ここまで作って、ただ強いだけの酒で終わらせる気はないぞ」
ドワーフとして。
そして職人として。
酒に妥協する気はないらしい。
一方のクロエは、すでに別の意味で目を輝かせていた。
「香りを酒へ移すのか……面白そうだねぇ」
「じゃろう?」
「やってみようか」
理由は違う。
だが結論は同じだった。
それから三人は、完成したスピリッツを使ってさらに試作を始めた。
香りの強い木の実や香草を使い、量を変え、組み合わせを変え、どうすれば酒へ綺麗に香りを移せるのか確かめていく。
クロエが方法を考え、ランカが味と香りに妥協せず、ミンメイが必要になる細かな器具を整える。
何度かの失敗を経て。
やがて、二種類の透明な酒が工房の机へ並んだ。
一つは、強い酒精を持つ透明なスピリッツ。
もう一つは、そこへ香草や木の実の香りを纏わせた、前の世界でいうジンに近い酒。
ランカは二つの杯を眺め、満足そうに腕を組んだ。
「これなら文句はない」
「飲み過ぎる奴は出そうだけどねぇ」
クロエが笑う。
その横で、ミンメイは完成した蒸留器をじっと見つめていた。
自分が作った継ぎ手。
自分が曲げた管。
自分が繋いだ細い金属線。
どれも小さなものだった。
けれど、そのどれか一つが欠けても、この装置は完成しなかった。
ほんの少し前まで、自分は祖父の仕事を見ているだけだった。
病に倒れ、もう職人になることなどできないと思っていた。
けれど今は違う。
自分の仕事が、確かにこの蒸留器の一部になっている。
ミンメイはそっと、自分の指先を見つめた。
もう一度。
この手で、作っていける。
そう思えた。
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