↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
111/149

土小人は酒精を好む①

その日、エミリアは王都の大通りを歩いていた。


もちろん、女王としてではない。


髪をまとめ、目立たない外套を羽織った、謎の悪女エミィとしてである。


いつもの休暇も、そろそろ終わり。


王城へ戻る道すがら、エミリアは賑わう街並みを眺めていた。


「随分、店が増えたわね」


通りの両側には、以前にはなかった露店や飲食店が並んでいる。


香ばしく焼けた肉の匂い。煮込み料理から立ち上る湯気。焼きたてのパンを求める人々の声。


半年前まで、王都には食事を楽しむ余裕さえほとんどなかった。


それが今では、昼を過ぎてもあちこちから客を呼び込む声が聞こえてくる。


悪くない。


寂れた街よりも、こうして華やかな方が私の国らしい。


そんなことを考えながら歩いていると、見覚えのある看板が目に入った。


黒い薔薇を描いた看板の下で、店主が忙しそうにパンを焼いている。


黒薔薇ソーセージパン。


以前、エミリアが教えた料理だった。


今ではすっかり王都に定着しているらしく、店先には何人もの客が並んでいた。


「あっ、エミィさん!」


店主がこちらに気づき、嬉しそうに手を振った。


「聞いてくださいよ。このパン、本当に売れるんですよ! 最近じゃ似たようなのを出す店まで増えてきて」


「あら。それは結構なことではなくて?」


「ええ! 最初に教えてくれたエミィさんには頭が上がりませんよ」


エミリアは満足げに微笑んだ。


前世で知っていたものを少し教えただけで、それが街へ広がり、商売へ育っていく。


こういう光景は嫌いではない。


むしろ、自分の言葉ひとつで街が変わっていく様は、なかなか気分がいい。


店主と別れ、さらに通りを進んでいく。


すると今度は、香辛料の強い香りが鼻をくすぐった。


「……カレーね」


最近、王都でも少しずつ見かけるようになった料理だ。


店の中を覗けば、大皿に盛られたカレーを豪快にかき込む客達の姿がある。


その光景を見た瞬間、エミリアの脳裏に前世の記憶が蘇った。


――そういえば、あれもあったわね。


エミリアは先ほどのパン屋へ振り返る。


「店主。少しいいかしら?」


「はい?」


呼び戻された店主が、不思議そうに首を傾げた。


エミリアはカレー屋を指さす。


「今度、あのカレーをパンの中に入れてみなさい」


「カレーを、パンに?」


「ええ。ただ、そのまま入れたら中身が流れ出すでしょうから、ルーは少し固めにした方がいいわね」


店主が真剣な顔で頷く。


「なるほど……」


「それから、焼くだけではなく揚げてみるといいわ。表面に衣をつけてもいいでしょうね」


「パンを揚げるんですか?」


「そうよ」


前世では珍しくもなかったカレーパン。


この世界では、まだ見たことがない。


そこまで教えれば、あとは料理人達が勝手に試行錯誤するだろう。


「まあ、試してみなさい。美味しくできたら今度いただくわ」


「分かりました! やってみます!」


目を輝かせる店主を残し、エミリアは再び歩き始めた。


そのままカレー屋へ目を向けると、奥の席に数人のドワーフ達が座っている。


どれも仕事帰りなのだろう。


厚手の服には黒い煤や細かな金属粉がこびりつき、袖を捲った腕にも汚れが残っていた。額には乾いた汗の跡があり、疲れた身体を椅子へ預けながら、それでも大皿のカレーを勢いよくかき込んでいる。


「辛ぇ! だが美味ぇ!」


一人が顔を真っ赤にしながら笑った。


「こりゃ仕事上がりにはたまらんな!」


「おい、もう一杯酒をくれ!」


その声に、店員が申し訳なさそうに首を振る。


「すみません、それで最後なんですよ」


「もうないのか……」


ドワーフが残念そうに杯を覗き込んだ。


隣の男も、自分の杯を一口飲んで眉を寄せる。


「しかし、やっぱり薄いなぁ」


「贅沢言うな。今じゃ酒が飲めるだけマシじゃろ」


「そりゃそうだがよ。炉の前で一日働いた後くらい、もっとこう……腹にガツンと来る酒が欲しいじゃねぇか」


「それは分かる」


誰かを責めているわけではない。


ただ、一日の仕事を終えた職人達が、食事と酒を囲みながら愚痴を零しているだけだった。


エミリアは足を止めた。


――酒。


そういえば。


王国へ来てからというもの、まともに酒のことを考えた記憶がない。


食料。


道路。


上下水道。


商売。


工房。


最近では農地まで弄っている。


だが酒造りには、ほとんど手をつけていなかった。


理由は単純だ。


蓮自身、前世で酒を日常的に飲む人間ではなかった。


エミリアの身体になってからも、特に欲しいと思ったことがない。


だから、完全に後回しになっていた。


「……酒、ね」


店先に置かれた樽を見る。


そこでエミリアは、ふと思った。


赤いワインを満たしたグラス。


夜のバルコニー。


月明かりを背負いながら、優雅に杯を傾ける悪の女王。


「……そういえば、ワインを片手に佇む悪の女王を、まだやっていないわね」


これはいけない。


悪の女王を名乗る以上、あまりにも大きな見落としである。


「必要だわ」


王都の酒事情をどうにかしなければならない。


極めて重要な案件として、エミリアの中で優先順位が一気に上がった。


◇


王城へ戻ったエミリアは、早速クロエ、ランカ、そしてオルガを呼び出した。


「今度は酒か、嬢ちゃん」


オルガは開口一番、少し呆れたように言った。


「ええ。この国の酒について知りたいの。種類と値段、それから、どの程度流通しているのか」


「また急だな」


そう言いながらも、オルガはすぐに頭を切り替えた。


王都の商業を取り仕切る人間だけあって、この手の話には強い。


「庶民が飲んでるのは、麦酒か安い果実酒が中心だな。ただ、どっちも酒精はそれほど強くねぇ」


オルガはそのまま説明を続ける。


「質も安定しちゃいない。麦酒は長く保たねぇし、果実酒も店によってかなり差がある。水で薄めて出してる店も珍しくねぇな」


「強い酒はないの?」


「ないわけじゃねぇよ。上等な果実酒や、長く寝かせた酒ならある。ただし値が張る。飲んでるのは貴族か、金を持ってる商人くらいだ」


なるほど。


存在しないわけではない。


だが、庶民や職人が毎日のように飲めるものではないらしい。


「それと、最近は別の問題も出てる」


「何かしら?」


「単純に、酒そのものが足りねぇ」


オルガは困ったように頭を掻いた。


「王都の人間が増えた上に、飲食店も一気に増えただろ。酒を扱う店が増えた分、供給が追いつかなくなってんだよ」


エミリアは腕を組んだ。


街が活気づいた結果、別のものが不足する。


当然と言えば当然の話だった。


「それで、今日ドワーフ達が酒の話をしていたのね」


その言葉に、ランカが鼻を鳴らす。


「そりゃそうじゃ。ドワーフから酒を取り上げるなど、槌を取り上げるようなものじゃ」


「そこまで?」


「そこまでじゃ」


即答だった。


「炉の前で一日中鉄を叩くんじゃぞ。仕事が終われば酒を飲む。それで明日も槌を振るう。酒はいる。絶対にいる」


ランカは腕を組み、断言した。


「しかも王都の酒は薄い。あれでは飲んだ気にもならんわ」


「随分な言われようね」


「事実じゃ」


どうやら、ドワーフ達にとってはかなり切実な問題らしい。


エミリアは少し考えた。


「オルガ。当面の酒は輸入できる?」


「できなくはねぇな。東の公国から回してもらえば、当面の分くらいは何とかなるだろ」


その言葉にランカも頷いた。


「向こうなら酒造りをしておる土地も多い。ドワーフ向けの酒も、ここのものよりはずっとマシじゃ」


「それなら話は早いわね」


「ただな、嬢ちゃん」


オルガが少し表情を険しくする。


「輸入に頼り続けるとなりゃ話は別だ。量を増やせば金も掛かるし、向こうの事情ひとつで値段も入ってくる量も変わる」


「気に入らないわね」


自分の国で必要なものを、いつまでも他国の都合に左右されながら買う。


エミリアの趣味ではない。


輸入は当面の応急処置として使えばいい。


だが、それとは別に、自前でも作れるようにしておくべきだ。


「なら、こちらでも作りましょう」


「酒をか?」


「ええ。それも、ドワーフ達が文句を言えないくらい強いものを」


ランカの目が光った。


「ほう?」


クロエも面白そうに口元を緩める。


「エミリア様。また何か知っているのかい?」


「前の世界に、強い酒を作る方法があったわ」


そこでエミリアは記憶を探った。


酒そのものに詳しいわけではない。


だが、仕組みくらいなら知っている。


「まず、酒を温めるの」


「ほうほう」


クロエが身を乗り出す。


「すると、酒精を含んだ蒸気が出る。それを管へ通して、別の場所で冷やすのよ」


エミリアは紙を引き寄せ、簡単な図を描いていく。


釜。


そこから伸びる管。


冷却する部分。


最後に液体を受ける容器。


「蒸気を冷やせば、また液体に戻る。その液体を集めれば、元の酒よりずっと強い酒になるはずよ」


クロエが図を覗き込み、しばらく黙った。


「……なるほど」


やがて、その目が完全に研究者のものへ変わる。


「沸点の差を利用するわけか。完全に分離するわけではないだろうけど、酒精を濃くすることはできそうだねぇ」


「作れそう?」


「できると思うよ」


クロエはあっさり答えた。


その横からランカも図を覗き込む。


「釜と炉なら、わしが作れる。太い管や骨組みも問題ないじゃろう」


「じゃあ決まりね」


エミリアは満足げに微笑んだ。


「クロエが仕組みを詰めなさい。ランカは釜と炉、それから必要な金属部品を。人手がいるなら工房のドワーフ達も使って構わないわ」


「任せておけい」


「面白くなってきたねぇ」


こうして、ローゼンバーグ王国で強い酒を生み出すための新たな試みが始まった。



感想、御意見いただけると嬉しいです

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。