処刑台の少女 ②
少年の前世には母がいなかった。
正確には。
最初から存在しなかった。
父は著名な医師だった。
家には金があり。
教育もあった。
不自由は無かった。
だが。
愛情も無かった。
父は常に仕事。
家の管理と世話はハウスキーパーが担当していた。
少年はそれを当たり前だと思っていた。
疑問すら持たなかった。
学校へ入ると。
成績は常に上位。
スポーツも出来る。
容姿も整っていた。
自然と人が集まった。
友人も出来た。
恋人も出来た。
傍から見れば順風満帆な人生だった。
だが。
ある日。
友人達との何気ない会話で違和感を覚える。
母親の話。
家族の話。
思い出話。
自分だけが持っていないものだった。
気になった少年は父へ尋ねた。
「僕の母さんってどんな人?」
父は書類から顔も上げずに答えた。
「そんな事を考える暇があるなら勉強しろ」
会話はそれで終わった。
そして。
そのやり取りを聞いていたハウスキーパーが後日教えてくれた。
自分は試験管ベイビーだと。
借り腹によって生まれた子供だと。
母親と呼べる存在は最初から居なかったのだと。
少年は初めて理解した。
自分が何か足りない理由を。
それからだった。
愛情というものを意識するようになったのは。
恋人も作った。
好意を向けられれば応えた。
好きだと思った相手とは真剣に向き合った。
だが。
長続きはしなかった。
「重い」
「相手の気持ちが分かってない」
そう言われて別れることが多かった。
少年には理由が分からなかった。
好きだった。
大切にしていた。
それでは駄目だったらしい。
やがて医大へ進学する。
才能はさらに開花した。
現代医学を次々と吸収し。
教授達からは天才と呼ばれた。
患者からも慕われた。
将来を嘱望される若き医師。
誰もがそう思っていた。
だが。
ある日。
全てが崩れる。
父が汚職で逮捕された。
世界が変わった。
昨日まで笑っていた人達が。
まるで最初から敵だったかのように態度を変えた。
少年は医大を去った。
名前を隠し。
病院で働いた。
それでも医療だけは続けた。
人を助けることだけは。
嫌いになれなかった。
そんな時だった。
一人の女性と出会った。
恋人になった。
結婚の約束もした。
ようやく。
幸せになれるかもしれないと思った。
しかし。
それも長くは続かなかった。
彼女は。
父の不正によって人生を壊された被害者遺族だった。
全ては復讐だった。
最後に彼女は泣きながら言った。
「どうしてあなたなのよ……」
刃が胸を貫いた。
視界が赤く染まる。
意識が遠のく。
最後まで。
少年には分からなかった。
自分は何を間違えたのだろう。
人を助けたかっただけなのに。
誰かを大切にしたかっただけなのに。
どうしてこんな結末になったのだろう。
そして。
気が付くと。
そこは月だけが浮かぶ暗い空間だった。
静寂。
風も無い。
音も無い。
ただ巨大な月だけが世界を照らしている。
「目が覚めた?」
声がした。
振り返る。
そこには一人の女性が立っていた。
黒いドレス。
月光のような銀髪。
どこか人間離れした美貌。
女性は楽しそうに笑う。
「私はルミナ」
「月と死と転生を司る神よ」
少年は少し考えた。
「死んだんですか」
「死んだわね」
あっさり返された。
「そうですか」
「意外と冷静ね」
「仕事柄です」
ルミナはくすりと笑う。
「嫌いじゃないわ」
そして。
指を鳴らした。
月光が舞う。
「せっかくだから異世界へ転生させてあげる」
「特典も付けてあげるわ、好きなものを言いなさい」
少年は迷った。
強い力、莫大な財産、不老不死、色々考えられた。
だが。
口から出た言葉は違った。
「温かい家族が欲しいです」
ルミナは一瞬だけ目を丸くした。
そして。
楽しそうに笑った。
「そんなもの」
「ついでにあげるわ」
少年は目を瞬かせる。
「ついで、ですか」
「ええ」
ルミナは当然のように頷いた。
「私は優しいもの」
「家族なんて願う人間」
「久しぶりに見たわ」
その言い方は。
慈悲深い女神というより。
珍しい玩具を見つけた子供のようだった。
善意なのか。
気まぐれなのか。
少年には分からなかった。
けれど。
少なくとも。
ルミナは少年に興味を持ったらしい。
ルミナは少年の額へ指を当てる。
冷たい月光のようなものが。
魂の奥へ流れ込んできた。
「まず、医療の知識をあげるわ」
少年は息を呑む。
「あなたが前の世界で学んだ医学だけじゃない」
「この世界にある病も」
「怪我も」
「薬も」
「薬草も」
「人を癒やすために必要な知識を刻んであげる」
少年は目を見開いた。
「薬草も、ですか」
「当然でしょう」
ルミナは楽しそうに笑う。
「世界が変われば」
「病も」
「薬も」
「変わるもの」
そして。
少しだけ意地悪く目を細めた。
「それに」
「薬を知るなら、毒も知ることになるわね」
少年の眉がわずかに動いた。
「毒も」
「薬と毒は隣り合わせでしょう?」
「使い方次第よ」
それは。
少年にも分かる話だった。
人を救うものも。
量を間違えれば人を殺す。
毒であっても。
扱い方次第では薬になる。
ならば。
知らないままでいる方が危うい。
少年は静かに頷いた。
ルミナは満足そうに笑う。
「次に」
「理解した病気や怪我を癒やす力」
ルミナの指先から。
淡い光が流れ込む。
熱ではない。
炎でもない。
祈りに似た。
静かな月の光だった。
「ただし、万能ではないわ」
「知らないものは癒やせない」
「理解できないものには届かない」
「死者も戻せない」
少年は、自分の胸に手を当てる。
そこに。
確かに何かが宿っていた。
「それでも十分です」
静かに答えた。
ルミナは目を細める。
「そして」
「人の心を読む力」
少年は眉をひそめた。
「読心ですか」
「ええ」
「ただし、制限付きよ」
ルミナは人差し指を立てる。
「相手の目を見た時だけ」
「心を読むことが出来るわ」
少年は少し考える。
「常時じゃないんですね」
「当たり前でしょう」
ルミナは呆れたように肩を竦めた。
「そんなもの常時聞こえていたら」
「あなた、三日で壊れるわよ」
「確かに」
少年は素直に頷いた。
人の心。
それは。
ずっと知りたかったものだった。
どうして皆が離れていくのか。
どうして気持ちが伝わらないのか。
何度も知りたいと思った。
もし知ることが出来たなら。
失わずに済んだものもあったかもしれない。
ルミナは悪戯っぽく笑う。
「欲しかったでしょう?」
少年は否定できなかった。
だから。
ただ小さく頷いた。
ルミナは満足そうに頷く。
「じゃあ行ってらっしゃい」
「今度は楽しませてね」
「楽しませる、ですか」
「ええ」
ルミナは月明かりの中で笑う。
「せっかく温かい家族まで用意してあげるのだから」
「つまらない人生にしたら、許さないわよ」
少年は少しだけ考えた。
そして。
静かに頭を下げる。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
ルミナは軽く手を振った。
「あなたの次の父親は猟師」
「母親は織物職人」
「どちらも平凡だけれど」
「悪くない人間よ」
少年の胸が、わずかに震えた。
父親。
母親。
その言葉だけで。
なぜか痛いほど温かかった。
「その人達は」
少年は恐る恐る尋ねる。
「僕を、愛してくれますか」
ルミナは笑った。
「ええ」
「きっと、あなたが戸惑うくらいにはね」
世界が白く染まっていく。
月も。
空間も。
ルミナの姿も。
少しずつ遠ざかっていく。
「行ってらっしゃい」
最後に。
ルミナの声が聞こえた。
「温かい家族を願った、寂しい子」
そして。
少年の意識は。
光の中へ溶けていった。
◇
目を開ける。
優しい女性が泣いていた。
「生まれたわ!」
その声は震えていた。
悲しみではない。
喜びだった。
自分の誕生を心から喜ぶ声だった。
「可愛いぞぉぉぉ!!」
隣では大柄な男が号泣していた。
涙も鼻水もぐちゃぐちゃだった。
だが。
その顔は誰よりも嬉しそうだった。
少年は理解した。
転生したのだと。
そして。
願いは叶ったのだと。
父がいた。
母がいた。
そして。
二人とも自分を愛していた。
ただそれだけで。
十分だった。
◇
村で育った。
父は猟師。
母は織物職人。
裕福ではなかった。
だが。
家には笑顔があった。
父はよく肩車をしてくれた。
母は毎晩抱きしめてくれた。
熱を出した日は。
二人とも仕事を休んで看病してくれた。
前世では知らなかった。
家族とはこういうものなのだと。
少年は幸せだった。
本当に。
幸せだった。
少し変わった子供だった。
「手は洗った方がいいよ」
「肉はちゃんと火を通して」
「その傷は洗わないと駄目」
村人達は不思議がった。
だが。
父と母は笑った。
「賢い子だな」
「本当に物知りねぇ」
それだけだった。
否定されなかった。
怒られなかった。
受け入れてくれた。
だから。
少年はこの家が好きだった。
父が好きだった。
母が好きだった。
この村が好きだった。
この世界が好きだった。
◇
ある日。
父が猟で大怪我を負った。
腹を裂かれ。
大量の血を流していた。
村中が集まる。
神父も駆け付けた。
だが。
神父は首を振った。
「私の奇跡では無理だ」
絶望が広がる。
母が泣く。
村人達が祈る。
誰か助けてくれと。
だから。
少年は動いた。
傷を見た瞬間。
理解した。
動脈損傷。
内臓損傷の疑い。
失血量。
残された時間。
助かる。
まだ間に合う。
だから迷わなかった。
目の前に患者がいる。
助けられる命がある。
なら。
やるべき事は一つだった。
ナイフを取る。
父の傷口を切り開く。
村人達が悲鳴を上げた。
「何をしてる!」
「やめろ!」
だが。
少年は止まらない。
傷を確認する。
患部を露出させる。
そして。
ルミナから授かった力を使った。
淡い光が傷口を包む。
血が止まる。
裂けた肉が繋がる。
失われた生命力が戻っていく。
そして。
父は助かった。
本来なら。
奇跡だった。
本来なら。
祝福されるはずだった。
だが。
神父の顔は青ざめていた。
「邪神だ」
神父は震える声で呟いた。
「これは邪神の力だ」
村人達の顔色が変わる。
まただった。
前世と同じだった。
人々の態度が。
掌を返した。
◇
それからの日々は短かった。
神父は騒ぎ立てた。
邪神の子。
悪魔の子。
災厄の種。
村人達も流された。
父と母だけが違った。
最後まで守ってくれた。
最後まで愛してくれた。
だから。
二人は罪に問われた。
邪悪な子を育てた罪。
邪神を匿った罪。
理不尽だった。
あまりにも。
処刑の日。
父と母は最後まで少年を見ていた。
泣いていた。
だが。
後悔はしていなかった。
少年にはそれが分かった。
目を見れば。
心が読めたから。
二人は最後まで。
少年を愛していた。
だから。
余計に苦しかった。
僕は何を間違えたんだろう。
人を助けただけなのに。
僕はどんな悪いことをしたんだろう。
皆を助けたかっただけなのに。
どうして。
どうして僕は。
愛されないんだろう。
そして。
処刑台へ連れて行かれる。
月の見えない昼の空。
少年は静かに目を閉じた。
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