枯野は恵みの地へ②
「嬢ちゃん。こいつは、ちょっと面白いことになってるぞ」
数日後、生産ギルド長のオルガが資料の束を抱えて執務室へ入ってきた。その後ろには、さらに多くの書類を抱えたルナが続いている。
「帝国側の鉱脈ですが、想定以上に広いようです」
ルナが机の上へ資料を並べた。
「既に掘り出され、使い道がないまま放置されている分だけでも相当量があります」
「向こうでは、今も価値のない石扱いなのね?」
「ああ」
オルガは椅子へ腰を下ろし、地図を広げる。
「鉄も多少は取れる。だが質が悪い。わざわざ運んで精錬するくらいなら、別の鉱山からまともな鉄鉱石を持ってきた方が安い。だから今までは誰も欲しがらなかった」
エミリアは地図へ目を落とした。
今のバルディア帝国は、各地で反乱が続いている。かつて一つの命令で動いていた国は分断され、物流も乱れている。地域によっては、金貨よりも今すぐ使える物資の方が遥かに価値を持っていた。
内乱で足りなくなるのは、武器や防具だけではない。鍋が壊れ、農具が足りなくなり、馬車を直す金具も要る。建物の補修にも、工具にも鉄が必要になる。日々の暮らしを続けるための物まで、戦乱の中では少しずつ足りなくなっていく。
「……そう」
エミリアの口元が、ゆっくりと吊り上がった。
「アルミニウムの精製技術を公開するのは、少し待ちなさい」
オルガが片眉を上げる。
「……嬢ちゃん、悪い顔してるぞ」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
「で?」
「帝国が価値に気付く前に、限界まで引き取りなさい」
「金で買うのか?」
「いいえ。今の帝国に、金より欲しいものがあるでしょう?」
オルガは一瞬だけ考え、やがて同じように口元を歪めた。
「……鉄製品か」
「ええ」
アルミニウムの量産に向け、王国内では既に鋳型や製造工程の整備が始まっている。だが、まだ原料が足りない。
設備を遊ばせておくくらいなら、今ある鉄を使えばいい。鍋や農具、工具、釘や金具、それに剣や盾。今の帝国なら、いくらあっても困らない物ばかりだった。
「向こうは必要な鉄製品を手に入れる。こちらは、向こうが捨てている鉱石を受け取る」
エミリアは優雅に微笑む。
「鉄も多少は含まれているのでしょう? なら、こちらなら加工できそうだから仕方なく引き取ってあげる――そういうことにしておきなさい」
オルガは数秒黙り、それから肩を揺らして笑った。
「はっ。そりゃ商人としては断れねぇ話だな」
「でしょう?」
「で、十分に押さえた後は?」
「公開するわよ。精製法も、ランカが作った合金の製法もね」
「そこは隠さねぇのか」
「隠す必要がないもの」
エミリアは頬杖をついた。
アルミニウムの精製には、高い温度を安定して扱える設備が要る。クロエの作った擬似的な電力も必要になる。そして何より、原料の状態を見ながら火を扱える冶金技術が欠かせない。
方法だけ知ったところで、すぐに真似できるものではない。だが、出来上がったアルミニウムや合金を買えば、加工できる職人はいる。
「素材を売ればいいのよ。そこから何を作るかは好きにさせなさい」
「新しい商品を作られたら?」
「結構なことじゃない」
「国外へ技術を持っていかれたら?」
「それも好きにすればいいわ」
エミリアは不敵に笑った。
「ここより面白く、高い技術を持つ国があるのかしら?」
オルガが目を細める。
「相変わらず大した自信だな、嬢ちゃん」
「当然でしょう?」
昨日の技術を真似したいのなら、勝手に真似すればいい。その頃には、こちらはもっと面白いものを作っている。
◇ ◇ ◇
そうして、ローゼンバーグと帝国の間に新しい商流が生まれた。
山を越えて帝国へ向かう荷馬車には、鍋や農具、工具、建物や馬車を直すための金具、そして剣や盾が積まれる。反乱と混乱の続く帝国では、そのどれもが歓迎された。
帰りの荷台には、これまで価値がないと思われていた低品位鉱石が山積みにされる。
行きも帰りも、荷台は空にならない。
商人も運送業者もすぐに食いつき、荷馬車が増え、倉庫が増え、帝国へ流す製品を作る工房にも次々と注文が入った。
そして当然、その全てを管理する者の仕事も増えた。
「嬢ちゃん、人が足りねぇ」
数週間後、オルガは執務机の上へ書類を置くなり、そう言った。
「今度は何?」
「今度は、じゃねぇよ。全部だ。鉄製品を作る工房、鋳型、仕上げ、研磨、検品、梱包、倉庫、荷運び、御者、帳簿、帝国との取引。戻ってきた鉱石の保管と精製。増えた商人の対応までだ」
「増やせばいいじゃない」
「簡単に言うな!」
その後ろから、ルナが一枚の書類を差し出した。
「新規雇用候補の一覧です。現在の工房配置を基準に三案作成しました」
オルガが受け取る。
「……早ぇな」
「倉庫の増設候補地も整理済みです。帝国方面へ向かう荷馬車の増便案もあります」
さらに差し出された書類を受け取り、オルガはしばらくルナを見つめた。
「……たまに、お前さんが何人かいるように見えるんだが」
「気の所為です」
「そうかよ……」
エミリアはそんな二人を横目に、資料へ目を通した。
「それで、人が足りないというのは?」
「特に工房と倉庫だな。職人を増やすにしたって限界がある。男手もかなり持っていかれてる」
エミリアが顔を上げる。
「何故、男に限定しているの?」
「……あ?」
「女でもできる仕事でしょう?」
オルガは一瞬黙った。
「まあ、仕上げや検品、帳簿なんかはそうだが」
「なら使いなさい。鋳造そのものを任せられなくても、製品は磨ける。数も数えられる。読み書きができるなら帳簿も任せられるでしょう?」
「そりゃそうだがな」
「なら、女でも、老人でも、貧民街の人間でも構わないわ。孤児院を出た者でもいい。職人でなければできない仕事と、そうでない仕事を分けなさい」
エミリアは、何を当たり前のことを聞いているのかと言わんばかりに首を傾げた。
「だいたい、私の国の国民なんだから、私のために働くのは当然でしょう?」
「……嬢ちゃんは、そういう言い方するよな」
「何かおかしい?」
「いや。結果だけ見りゃ文句はねぇんだが」
エミリアは鼻を鳴らした。
「働ける者を遊ばせておくなんて無駄よ。性別や身分だけで使える人材を捨てるなど、無能のすることだわ」
そこで、ふと思いついたように続ける。
「ただし、ちゃんと休みは取らせるのよ」
「……は?」
オルガが目を瞬いた。
「人数が増えるなら、働く時間も分ければいいわ。そうね……三交代制にしましょう」
「三交代?」
「一日をいくつかに分けて、働く人間を交代させるの。一人がずっと働く必要なんてないでしょう?」
「いや、それはそうだが……」
「人間は休ませる。その代わり――工場は休ませないこと」
「……工場を?」
「ええ。せっかく電気も照明もあるのよ?」
数か月前まで、日が沈めばローゼンバーグの王都も暗闇に沈んでいた。大通りでさえ頼れるのは店先の灯りや手持ちのランプ程度で、夜の工房で細かな作業をするなど、効率が悪いどころか危険ですらあった。
だが今は違う。
少し前に整備されたばかりの魔導街灯が大通りを照らし、日が落ちても人々が歩けるようになっている。工房には、それ以上に明るいクロエの魔導照明を設置することもできた。
広い作業場であっても、昼間とほとんど変わらない明るさを確保できる。
「人間は交代で休ませればいい。でも設備まで一緒に休ませる必要はないでしょう? 工場にはクロエの魔導照明を入れなさい。昼も夜も、交代で動かし続けるのよ」
オルガは少し考え込んだ。
数か月前なら、夜間に同じ能率で工場を動かすなど現実的ではなかった。だが今なら、手元は十分に見える。細かな仕上げや検品だって、昼間とほぼ同じ条件で行える。
「……それ、働く連中の環境が良くなってねぇか?」
「その方がもっと働けるでしょう?」
「言い方よ」
「何がおかしいの?」
エミリアは本気で分かっていない顔をした。
「疲れた状態で一日働くのと、最高の状態で半日働くのでは、どちらが効率がいいと思う?」
そして、わずかに笑う。
「貴方なら分かってくれると思うのだけれど?」
オルガは腕を組んだ。
人間は交代する。設備は止めない。同じ人間を朝から晩まで酷使するより、疲れていない者へ順番に仕事を回した方が、作業の速度も精度も落ちにくい。事故も減る。
そのうえ工場そのものは、昼夜を通して動かせる。
「……一理あるな」
「でしょう?」
エミリアは満足そうに頷いた。
「あるものは動かさないと無駄よね」
それは労働者を思いやって考えた制度ではない。
国民は自分のために働くもの。ならば、最も良い状態で、最も効率良く働かせる。
エミリアにしてみれば、それだけの話だった。
「ちなみに嬢ちゃん、俺は?」
「休みたいなら休めばいいじゃない」
オルガの顔が少し明るくなる。
「お?」
「休めるのならね」
オルガは机の上を見た。
帝国との取引、倉庫の増設、新規雇用、工房の再編、輸送計画。その横では、ルナが新しい書類を静かに追加している。
「……休めねぇじゃねぇか!」
「なら働きなさい」
「やっぱり俺だけ扱いおかしくねぇか!?」
ルナが淡々と一枚の書類を差し出す。
「三交代制導入に伴う工房再編案です」
「増やすな!」
「必要な案件ですので」
「そういう意味じゃねぇ!」
◇ ◇ ◇
それから、王都の働き方は少しずつ変わっていった。
工房では女たちが鋳造品の縁を整え、金属製品を磨き、完成品の検品や数量確認を行うようになった。倉庫で荷物を管理する者、帳簿を付ける者、商品を包み荷馬車へ積み込む者も増えていく。
その中には、夫を戦で失った未亡人もいた。貧民街から働きに来た者もいる。読み書きを覚えた娘が、商人の下で帳簿を任されることもあった。
元々のローゼンバーグ王国にも、女は家を守るものだという古い考えは残っていた。最初は眉をひそめる者もいる。
だが、出来上がった品物に男も女もない。
正確に仕上げ、間違えずに品物を数え、きちんと帳簿を付ける。仕事を果たした者が評価される。それだけだった。
そして夜。
工房の窓からは、昼間のような明かりが漏れるようになった。中では昼に働いた者とは別の者たちが、同じ設備を使って仕事を続けている。
一人が帰れば、別の一人が来る。
人間は休む。
だが、炉と設備は止まらない。
皮肉なことに、悪の女王が効率を追い求めた結果、王国の労働環境は以前よりずっと整い始めていた。
やがて、帝国から大量の鉱石が王国へ流れ込むようになった。
それはアルミニウムへ変わり、ランカが作り上げた合金は地金として市場へ出される。一度金属として取り出されたアルミニウムは、一般的な炉でも十分に融かすことができるため、精製設備を持たない職人でも地金さえ買えば扱えた。
市場には鍋やフライパン、軽い容器、食器、金具といった新しい商品が少しずつ並び始める。
「この鍋、鉄のやつよりずっと軽いぞ」
「旅に持っていくならこっちだな」
「もっと薄くできないか?」
「この大きさなら食事を入れて持ち歩けそうだ」
売れれば、今度は商人が注文を持ってくる。
「もっと大きいものを作れないか?」
「この形なら南で売れそうだ」
「丈夫さを優先した合金はないのか?」
注文は職人へ戻り、職人は試し、別の形や用途を考える。
登録された技術を使って商品が売れれば、その利益の一部は王国へ戻る。そこから新しい商品が生まれれば市場が広がり、改良した技術を登録する者が現れれば、王国全体で使える知識がまた増えていく。
帝国へ流す鉄製品を作ることで仕事が生まれ、それを運ぶことで商人と物流業者に金が落ちる。帰りに持ち帰った鉱石から新しい素材が生まれ、その素材からまた商品が生まれる。
一つの技術が、次の仕事と商売を呼び込んでいた。
その噂は、少しずつ国外へも広がっていった。
ローゼンバーグには、今までほとんど手に入らなかった軽い金属がある。新しい炉が作られ、新しい合金が次々に試され、登録された技術なら学ぶこともできる。
豊穣公国からドワーフが来た。帝国から流れてきた職人もいる。鍛冶師、細工師、木工職人、石工。新しい技術を学び、しばらくして帰る者もいれば、そのまま工房を構える者もいた。
誰も帰ることを止めない。
それでも、明日には今日まで存在しなかったものが生まれているかもしれない。そんな場所から離れたがる職人は、そう多くなかった。
ある日。
ランカは鍛冶ギルドの入口で、ふと足を止めた。
以前より、人が多い。鎚の音も、荷車も増えている。
知らない職人が、自分の知らないものを作っていた。工房では女たちが鋳造品を磨き、商人が職人と値段を交渉している。外では帝国へ向かう荷馬車へ鉄製品が積まれ、その隣では戻ってきた鉱石が次々と倉庫へ運び込まれていた。
ランカは、そんな光景をしばらく眺めていた。
自分はただ、鉄を打ちたかった。
もっと良いものを作りたかった。
始まりは火だった。幼い頃、赤々と燃える炉に魅入られ、その火の中から生まれる剣を見て、自分もこんなものを作りたいと思った。
だから、鍛冶師になった。
けれど、剣匠と呼ばれるようになるずっと前。まだ名もない職人だった頃は、壊れた道具を直し、鍋を作り、農具を打った。頼まれれば、剣以外のものだって何でも作った。
そういえば、あの頃も楽しかった。
剣だけが好きだったわけではない。火を見て、鉄に触れて、自分の手で昨日までなかったものを作り出す。それそのものが好きだったのだ。
最近の自分を思い返す。
爆発しない鍋の蓋を作った。新しい金属を作り、合金を試し、鋳物を作った。今度は、新しい炉まで作ろうとしている。
どれも剣ではない。
それなのに、毎日が妙に楽しい。
「……なんじゃ」
ランカの口元が、ゆっくりと緩んだ。
「儂、ちゃんと好きなことやっとるじゃないか」
周囲では今日も鎚の音が響いている。誰かが作り、それを見た誰かが、また違うものを作る。
「……まったく。騒がしい土地になったもんじゃ」
「ランカ君」
背後から声を掛けられた。
振り返ると、紙束を抱えたクロエが立っている。
「なんじゃ?」
「頼まれていた耐熱材の試験が終わったよ」
ランカの表情が変わった。
「本当か?」
すぐに紙を受け取る。
ローゼンバーグへ来てから、改良を続けてきた新しい炉。より高い温度を、より安定して、より長く維持するための炉だった。
素材を変え、構造を変え、空気の流れを見直し、クロエの魔科学も組み込んだ。何度も失敗し、そのたびに作り直してきた。
「前のものより、かなり長く保つ。これなら君が求めていた領域まで届くかもしれないねぇ」
ランカは記録へ目を走らせ、その口元をゆっくりと上げた。
「……ようやくか」
新しい炉が完成すれば、今まで扱えなかった温度へ届く。今まで試せなかったものを試せる。今までできなかった鍛造ができる。
ランカの頭に、一つの金属が浮かんだ。
希少で、厄介で、長い職人人生の中でも何度も手を焼かされた金属。
「クロエ」
「なんだい?」
「完成したら、一度派手に火を入れるぞ」
「ほう。何を試すんだい?」
ランカは答えなかった。
ただ、新しい玩具を見つけた子供のように、楽しそうに笑っていた。
誰にも価値を見出されなかった鉱石が、新しい素材へ変わった。その素材から仕事が生まれ、商売が生まれ、人が集まった。
数か月前まで夜になれば眠っていた工房では、今では明かりが灯り続けている。
人は休む。
火は消えない。
新しいものを作りたいという音が、昼も夜も王都に響く。
一人の職人が再び火を灯した場所から、恵みは少しずつ周囲へ広がっていく。
かつて何も実らなかった枯野は。
今や、新しいものが次々と芽吹く土地へと変わり始めていた。
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