枯野は恵みの地へ①
ランカがローゼンバーグの鍛冶場で、再び鉄を打ち始めてから。
王国の職人たちを取り巻く環境は、少しずつ変わり始めていた。
その始まりは、エミリアにとっては何気ない一言だった。
執務室の机の上に、小さな銀白色の金属塊が置かれている。
ランカが持ち込んだ、珍しい金属の一つだった。
エミリアはそれを摘まみ上げると、手のひらで軽く転がした。
見た目から想像するよりも、遥かに軽い。
「これ、アルミニウムでしょう?」
「知っとるのか?」
向かいに座っていたランカが、少し意外そうな顔をする。
「私がいた世界では珍しくもないわ。食器にも、容器にも、建物にも、乗り物にも使われていたもの」
「……これがのう」
エミリアから受け取り、ランカも改めて重さを確かめる。
この世界でも、アルミニウムの存在そのものは知られていた。
だが、鉄や銅のように鉱山から掘り出し、炉で精錬すれば手に入る金属ではない。金属としてまとまった量が市場へ出ることはほとんどなく、ごく僅かに得られたものが珍品として高値で取引されている。
「これだけ軽いなら、合金にすれば使い道はいくらでもあるでしょう?」
エミリアが当然のように言うと、ランカは呆れたように鼻を鳴らした。
「簡単に言うでない。そもそも、こいつはまともに採れんのじゃ」
「採れない?」
「金属のまま出てくることが、ほとんどないんじゃよ。似た成分を含んどる石や土なら珍しくないそうじゃが、普通に炉へ入れても取り出せん。炭と一緒に焼いても駄目。温度を上げても駄目。じゃから、こんな小さな塊でも馬鹿みたいな値段になる」
「……ああ」
そこでエミリアは、蓮が元の世界で得た知識を掘り返した。
現代では当たり前のように使われていたアルミニウムが、昔は金や銀にも劣らないほど高価だったという話。
理由は確か、金属そのものが珍しいからではない。
自然界には大量に存在するのに、他の物質と強く結びついていて、そこからアルミニウムだけを取り出すのが難しかったからだ。
そして、その状況を変えたものが――。
「確か……熱と電気があれば、分解できるはずよ」
「は?」
ランカが眉を寄せた。
「普通の金属みたいに、鉱石を炉で焼いて取り出すんじゃないの。一度、扱える状態にして、高い温度を維持しながら電気を流して分離するのよ」
「温度は?」
「知らないわ」
「どのくらいの電気を流すんじゃ?」
「知らないわね」
「何を混ぜる?」
「そこまでは覚えていないわ」
「お前さん、何を知っとるんじゃ!?」
「できることは知っているわ」
エミリアは悪びれることなく胸を張った。
「何も分からず手探りするより、答えが存在すると分かっているだけでも十分でしょう?」
「その答えまでの道が分からんと言っとるんじゃが……」
「だから、貴方たちがいるのでしょう?」
エミリアは当然のように言い切った。
「私は知っていることを教える。貴方たちは、それをこの世界で使える形にする。それでいいじゃない」
ランカはしばらくエミリアを見つめていた。
やがて、小さく鼻を鳴らす。
「……まったく。簡単に言ってくれるわい」
そう言いながら。
その目にはもう、職人の火が灯っていた。
◇ ◇ ◇
「なるほど。熱した原料へ電気を流し、中から目的の金属だけを分離する、と」
話を聞いたクロエは、驚くどころか楽しそうに目を細めた。
「面白いねぇ」
「お前さんは何でも面白がるのう」
「未知の現象を前にして面白がらない研究者がいるなら、私はその人物の方に興味があるよ」
クロエの研究では、既に電気に似た現象を擬似的に発生させ、魔導具へ利用するところまでは進んでいる。
雷の魔法をそのまま使うわけではない。
一定の力を長時間、安定して流す。
それを魔科学によって再現しようとした結果だった。
だからといって、アルミニウムがすぐに取り出せるわけではない。
そもそも、どの状態の原料へ電気を流せばいいのか。
どの程度の温度が必要なのか。
何を混ぜれば、その温度を下げられるのか。
エミリアの知識にあるのは、あくまで進むべき方向だけだった。
そこから先は、自分たちで確かめるしかない。
原料を砕く。
別の鉱物を混ぜる。
熱する。
電気を流す。
失敗する。
条件を変え、また試す。
当然、そのたびに材料も器具も動かさなければならなかった。
「オルグレイ君。その箱をこちらへ運んでくれたまえ」
「……これ全部かよ」
実験室の入口には、鉱石を詰めた箱がいくつも積まれていた。
「全部だよ」
「研究者ってのは、自分で持たねぇのか?」
「適材適所という言葉を知っているかい?」
「便利な言葉だな、おい」
ぶつぶつ言いながらも、オルグレイは箱を担いだ。
鉱石を運び、重い容器を移動させ、装置を固定する。炉の周囲へ資材を並べたかと思えば、今度はランカに位置が悪いと言われ、また動かされる。
「今置いたばっかりだぞ!」
「そこじゃ熱が逃げるんじゃ。もう少し寄せい」
「お前ら二人して人使い荒くねぇか!?」
「ほう。まだ文句を言えるなら余裕がありそうだねぇ」
「そういう意味じゃねぇ!」
最初の試験では、何も起こらなかった。
次は温度を上げすぎて、容器の方が先に傷んだ。
別の鉱物を混ぜれば、今度は融けやすくなったものの、目的とは違う塊が残った。
そのたびにクロエは結果を記録し、ランカは材料を手に取って確かめる。
「出力をもう少し上げようか」
「待て。今やったら容器がもたんぞ」
「では温度を下げる?」
「それでは中身が動かん。別のもんを混ぜた方が早そうじゃ」
「なるほど。それなら、この条件を残して次へ行こう」
クロエは数字を見る。
温度。
時間。
流した電気の強さ。
混ぜた原料の量。
対してランカは、炉そのものを見る。
炎の色。
中身の融け方。
表面に浮かぶもの。
容器へ伝わる熱。
長い間、金属と火を相手にしてきた職人には、数値だけでは拾えない僅かな違いが見える。
何度目かの試験だった。
ランカは炉の中を覗き込み、じっと動かなくなった。
「……もう少しじゃな」
「温度を上げるかい?」
「ああ。じゃが一気に上げるな」
片手を炉へ向ける。
「――【真火】」
炎の様子が変わった。
ただ激しく燃え上がるのではない。
必要な場所へ、必要なだけの熱が集まっていく。
ランカは目を細めたまま、原料の変化を追う。
「……まだじゃ」
クロエは黙って待った。
数瞬。
さらに数瞬。
「今じゃ。そこから上げるな」
「了解した」
クロエが装置へ手を添える。
低い唸りとともに、擬似的に作り出された電流が流れ込んだ。
「オルグレイ君、そこを押さえていたまえ」
「やっぱり俺いるのかよ!」
「動くと困るからねぇ」
「先に言え!」
オルグレイが慌てて装置を固定する。
ランカは炉から目を離さない。
クロエは流れる電気を確認しながら、少しずつ出力を調整する。
やがて。
「……おい」
ランカが小さく声を上げた。
炉の底。
そこに、これまでの失敗では見られなかったものがあった。
銀白色の金属。
ほんの僅かな量。
だが、確かにそこに溜まっている。
慎重に取り出し、十分に冷ましてからランカが手に取る。
「……軽い」
表面を削る。
軽く叩く。
手触りを確かめる。
「たぶん、これじゃな」
「たぶん?」
「儂もアルミそのものを何度も扱ったことがあるわけではない。じゃが、エミリアが持っとったものと同じじゃ」
「なら、成功した可能性が極めて高い、と記録しておこう」
クロエはすぐに紙へ書き込み始めた。
ランカは手のひらの銀白色を、もう一度眺める。
これまで、この世界ではごく僅かな量しか手に入らなかった金属。
それが今。
自分たちの手で、ありふれた原料の中から取り出された。
「……こいつは面白いのう」
ランカの口元が、楽しそうに緩んだ。
その少し後ろで。
何度も鉱石を運び、器具を支え、散々実験に付き合わされていたオルグレイが、ぽつりと呟いた。
「……爆発しねーのな」
クロエが顔を上げる。
「失礼だねぇ。私の実験が毎回爆発するわけではないよ」
「毎回じゃねぇだけだろ」
「ふむ。確かに」
「否定しろよ!」
ランカが堪えきれず吹き出した。
◇ ◇ ◇
数日後。
精製できる量を少しずつ増やし、ようやくまとまった金属塊になったところで、ランカはそれをエミリアのところへ持っていった。
エミリアは銀白色の塊を持ち上げ、満足そうに眺める。
「ちゃんとアルミニウムになったみたいね」
「少量ならの。まだ、安定して大量に作れるところまでは行っとらん」
「十分よ。作れると分かったのなら、次へ進めるもの」
「次?」
「合金よ」
エミリアはアルミニウムを机へ置いた。
「そのままだと柔らかいでしょう?」
「そうじゃな。軽いのは面白いが、これでは使える場所が限られる」
「私の世界では、他の金属を混ぜて強くしていたわ。確か銅やマグネシウムなんかを使っていたはずよ。ほかにも色々あったと思うけれど」
ランカがじっとエミリアを見る。
「割合は?」
「知らないわ」
「やっぱりか」
「それくらい貴方が調べなさい」
エミリアは平然と言い放った。
そして今度は、完成した金属を見ながら用途を考え始める。
「鍋やフライパンみたいに形の決まったものなら、鋳物にしてしまえばいいでしょうね」
「鋳物か」
「型へ流し込むのよ。一つ一つ貴方が鎚で作る必要なんてないでしょう? 型さえきちんと作れば、もっと多くの職人が同じ物を作れるわ」
「……確かにの」
「薄い板にできるなら、型で抜いて押し込んで、箱や容器にするのもいいわね。お弁当箱なんかにも使われていたわ」
「べんとうばこ?」
「食事を入れて持ち運ぶ箱よ。軽い方が便利でしょう?」
さらに何かを思い出し、エミリアはアルミの表面を指先で撫でた。
「そういえば、表面をわざと酸化させる加工もあったわね」
「わざと錆びさせるんか?」
「普通の錆とは少し違ったと思うけれど。表面に膜を作って、腐食しにくくしたり、傷に強くしたりするのよ。確か、また電気を使っていたはず」
少し離れた場所で別の資料を見ていたクロエが、ぴくりと反応した。
「ほう?」
ランカが即座に睨む。
「お前さんは今反応するでない」
「私は何も言っていないよ?」
「顔が言っとるわ!」
エミリアはそんな二人を見て、満足そうに笑った。
「後は好きに試しなさい。私は完成したものを見れば十分よ」
「最初からそのつもりじゃ」
ランカはアルミニウムを抱えると、自分の工房へ戻っていった。
それから数日。
一週間。
さらに、その先。
ランカの工房には、失敗した銀白色の金属片が少しずつ積み上がっていった。
銅を混ぜる。
量を変える。
別の金属を加える。
熱の入れ方を変える。
冷ます速度を変える。
同じ配合でも、扱い方一つで性質が変わった。
「……これは脆すぎるのう」
失敗した塊を横へ放る。
別の一つを削る。
「こっちは悪くない。じゃが加工が面倒じゃな」
また別の配合を試す。
硬さだけを求めても駄目だった。
硬すぎれば脆くなる。
柔らかければ加工はしやすいが、用途が限られる。
軽さを残しながら、必要な強度を持たせる。
何に使うかによって、求める性質も違う。
ランカは一つずつ、使い道を想像しながら配合を変えていった。
誰かに答えを教えられたわけではない。
エミリアが示したのは、ただ方向だけ。
そこへ実際に辿り着くのは、職人の仕事だった。
それが。
楽しかった。
「……ほう」
ある日。
新しく作った合金を曲げ、叩き、ランカは笑った。
軽い。
それでいて、最初の純粋なアルミニウムより遥かに丈夫だった。
「こいつは使えそうじゃな」
用途の違う合金も、いくつか形になり始めた。
次は鋳造を試した。
型を作り、融かした合金を流し込む。
アルミニウムは鉄より低い温度で融ける。
一度金属として取り出してしまえば、一般的な炉でも十分に扱える。
「なるほどのう……」
冷えて固まった試作品を型から外す。
一つ一つ鎚で形を作るのとは違う。
もちろん、良い型を作る技術も必要だ。
融けた金属をきれいに流し込み、欠陥を出さずに固めるにも経験が要る。
それでも、工程さえ確立してしまえば。
ランカのような名工でなくとも、同じ形の製品を何個も作れる。
「こいつは、数を作るのに向いとる」
それは剣匠バランが長く追い求めてきた、一点物の世界とは少し違う。
一人の職人が魂を込めた、たった一つの名品。
それもいい。
だが。
同じ物をたくさん作れるからこそ、届く場所もある。
アルミニウムという新しい金属は、少しずつランカの中に新しい可能性を広げ始めていた。
ただし。
本格的に使おうとすれば、一つ大きな問題が残る。
原料だった。
国内で見つかるものだけでも、研究を続ける程度なら足りる。
だが。
鍋を作る。
容器を作る。
地金として職人へ売る。
そこまで広げようとすれば、まるで足りない。
報告を受けたエミリアは、執務室で地図を眺めていた。
「……大量の原料ね」
どこかにないか。
そう考えた時。
ふと。
この身体に残された記憶の中に、引っ掛かるものがあった。
王族として過ごしていた頃。
元々のエミリアが目を通したことのある、周辺国の地理や資源に関する古い記録。
ローゼンバーグ北西。
山脈の向こう。
バルディア帝国側に、昔から不毛の鉱脈と呼ばれている地域があった。
鉄分は含んでいる。
だが質が悪い。
不純物が多く、精錬の手間に対して得られる鉄が少ない。
別の鉱石を採る際にも大量に出るが、使い道がなく、そのまま捨てられている石も多い。
「……そういえば、あったわね」
エミリアは地図の一点を指でなぞった。
すぐに、帝国方面から少量の試料を取り寄せるよう命じた。
数日後。
クロエたちの調査結果が届いた。
エミリアは報告書へ目を落とす。
そして。
ゆっくりと口元を上げた。
長年。
誰にも価値を見出されず。
不毛と呼ばれてきた鉱脈。
そこには。
アルミニウムを作るための原料が、大量に眠っていた。
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