枯野に恵みの歌を②
鍛冶ギルドの共同鍛冶場には、今日も絶え間なく鎚の音が響いていた。
幾つもの炉が赤々と燃え、剣を打つ者、農具を直す者、金具を仕上げる者が、それぞれの仕事に没頭している。鉄と煤、それから熱せられた金属特有の匂いが満ちるその場所へ、一人の少女が入ってきた。
金色の髪を二つに結び、黒を基調としたゴスロリ調の衣装を纏った、小柄なドワーフの少女だった。
どう見ても鍛冶場には似つかわしくない。
ただし、その小さな手に提げられた鍛冶鎚だけは別だった。
「おいおい、嬢ちゃん。ここは遊び場じゃないぞ。火も飛ぶし危ないから――」
近くにいた人間の鍛冶師が、困ったように笑いながら声を掛ける。
「待て」
それを遮ったのは、年嵩のドワーフだった。
「ん?」
「いいから、待て」
彼が見ているのは少女ではない。その手に握られた鎚だった。
長く使い込まれた柄。余計な装飾などほとんどない、実用一点張りに見える鍛冶鎚。だが、ラクシュの加護を受け継いできたドワーフの職人であれば、その意味を知る者もいる。
ごく一部の、神に認められた職人だけが授かる神具。
「……嬢ちゃん。その鎚は」
「ん?」
少女――ランカは自分の手元を見て、何を言われているのか分からないように首を傾げた。
「儂の鎚じゃが?」
「いや、そういう意味では……」
年嵩のドワーフが言葉を失う。
ランカはそれ以上気にすることもなく、鍛冶場を見回した。燃える炉、積まれた鉄、金床。あちらこちらから響く鎚の音。
懐かしい匂いだった。
胸の奥が、ほんの少しだけ騒ぐ。
「悪いのぅ、少しの間、ここを使わせておくれ」
「あ、ああ……」
誰も止めなかった。
ランカは空いている炉へ向かい、その傍らに積まれていた鉄材の一本を手に取る。希少な鉱石でもなければ、特別な魔力を秘めた金属でもない。どこの鍛冶場にでも置かれている、何の変哲もない鉄だった。
重さを確かめ、表面を指で撫でる。
何を作るかなど、まだ考えていない。
鉄がある。炉がある。そして、手には鎚がある。
「……打つかの」
鉄を炉へ入れた。
赤く染まっていく様子を眺め、頃合いを見て引き上げる。金床へ置き、ランカは鍛冶鎚を振り下ろした。
――カァン。
澄んだ音が響く。
近くの職人が、僅かに顔を上げた。
もう一打。
――カァン。
火へ戻し、また取り出す。強く打ち、弱く打ち、伸ばし、整える。一見すれば同じ鎚を振り下ろしているだけなのに、一打ごとに込められた意味が違う。
最初に声を掛けた鍛冶師が、いつの間にか手を止めていた。
「……なんだ、あの音」
隣にいた職人も振り返る。
一打一打に迷いがない。狙った場所へ、必要なだけの力が落ちる。
ランカ本人は、そんな周囲の変化など気にも留めていなかった。
太かった腕は細くなった。節くれだった手も、小さく滑らかな少女のものへ変わった。それなのに、以前より鎚は正確に落ちる。鉄の奥まで力を通したいと思えば通せる。僅かな形を整えたいと思えば、指先で触れるような繊細さで打てる。
「……ほう」
ランカの口元が、僅かに上がった。
面白い。
もう一度、鉄を打つ。
いつしか鉄は細長い形へと変わり始めていた。剣を作ろうと決めていたわけではない。ただ打っているうちに、鉄がそういう形を求めているように感じた。
ならば、それでいい。
「ふん、ふふん……」
小さな鼻歌が混じった。
最初は鎚の音に紛れるほどのものだった。
だが、その旋律を知る者が、この鍛冶場にはいた。
年嵩のドワーフが目を見開く。
古い、古い鍛冶歌。
ランカの口から、自然と言葉が零れ始める。
「火を入れたら、鉄を打て。
鉄を打ったら、水かけろ。
水をかけたら――声を聞け」
赤熱した鉄を持ち上げ、ランカは水槽へ目を向ける。
「――【真水】」
水面が微かに揺れた。
ラクシュの加護を宿した水へ、赤い鉄を沈める。激しい音とともに白い蒸気が立ち上った。
その様子をじっと見つめ、ランカは鉄を引き上げる。状態を確かめると、もう一度炉へ戻した。
「――【真火】」
炎が変わる。
炉の中で燃えていた火へ、職人のための祝福が重なった。
「真火……?」
ドワーフたちがざわめく。
ランカは振り返らない。頃合いを見て鉄を取り出し、金床へ置くと鍛冶鎚を握り直した。
「――【創造の鎚】」
一打。
澄み切った音が、鍛冶場の奥まで響いた。
鉄のどこを打つべきか。どこを伸ばし、どこを残すべきか。鎚を通して返ってくる僅かな感触を、一つも逃さない。
そして鼻歌だったものが、いつしかはっきりとした歌へ変わっていく。
「鉄の声が聞こえたら、鎚の音を響かせろ。
鎚の音が響いたら、鉄に命が芽吹きだす」
鎚が鳴る。
火が揺れる。
ランカは歌いながら、ひたすら鉄を打つ。
「打てよ、打て。
火を絶やすな。
鉄が笑えば、良いものができる」
一人、また一人と職人たちが鎚を置いていた。
やがて広い鍛冶場から、ランカ以外の鎚の音が消える。
誰も話さない。
ただ、小さな少女が歌いながら鉄を打つ姿を見ていた。
ランカの動きには無駄がなかった。炉と金床の間を移り、鉄を返し、鎚を振るう。長年積み重ねられた職人の所作が、少女の身体によって以前より滑らかに、軽やかに繋がっていく。
本人にそんなつもりなどない。
だが、歌と鎚の音に合わせて動くその姿は、傍目にはまるで舞っているようにも見えた。
ランカだけが、そんなことには気づいていなかった。
鉄を打つ。
火へ入れる。
水へ落とす。
また打つ。
そして形が整っていくにつれて、ふと一人の男の姿が頭に浮かんだ。
ハルト。
ローゼンバーグ王国の騎士団長。
以前見たときより、重い剣を使うようになっていた。
別に意識して観察していたわけではない。それでも職人の目は、歩き方、体格、肩幅、腕の長さ、腰の位置、剣を携えた時の重心まで勝手に覚えている。
「あの坊主なら……」
刀身を僅かに長くする。
両手剣ほどではない。片手でも十分に扱える長さを残しながら、柄には必要なら両手を添えられるだけの余裕を持たせる。
重さも少しだけ増やした。
今のハルトなら、その方がいい。
片手で素早く扱い、必要なら両手で握って剣の重さを乗せる。守るにも、斬り込むにも、あの男にはこの形が合う。
片手半剣。
何の変哲もない鉄から始まった一振りは、いつしか王国を守る一人の騎士のための剣へと姿を変えていた。
最後の仕上げへ入る。
ランカは刃を確かめると、小さく息を吐いた。
「――【真研】」
指先で刃をなぞるように状態を確かめながら、研ぎを進めていく。
やがて完成した剣を持ち上げ、軽く振る。
重心を確かめる。
「……悪くないのう」
それだけだった。
周囲にいた職人たちは、まだ誰も仕事へ戻っていない。
ランカはその中から近くのドワーフを呼び、無造作に剣を差し出した。
「おい。これ、あの坊主に渡してやってくれ」
「……坊主?」
「ハルトじゃ。騎士団長の」
「騎士団長を坊主って……」
「よいから渡しておけ。あやつに合わせてある」
「は、はい!」
ドワーフは慌てて両手で剣を受け取った。
だが、視線はすぐにランカへ戻る。
「……あの」
「なんじゃ?」
「あれほどの【真火】を使える職人なんて、そうはいません。それに【創造の鎚】まで……」
ランカの眉がぴくりと動いた。
「……それがどうした」
「しかも【真水】に【真研】まで。まさか全部、ラクシュ様の上位加護を……」
「おい」
嫌な予感がした。
「【真火】――ビューティフル・ファイアー。【創造の鎚】――ゴージャス・ハンマー。【真水】――クール・ビューティー。それに【真研】――エクセレント・シャープ……!」
「やめんか!!」
鍛冶場にランカの声が響いた。
「何をそんな大声で恥ずかしい名前を並べとるんじゃ!」
「恥ずかしいって、ラクシュ様から授けられた正式な――」
「知っとるわ!」
周囲のドワーフたちがざわつく。
その視線が、今度はランカの手にある鍛冶鎚へ集まった。
先ほどから黙って見ていた年嵩のドワーフが、震える声で口を開く。
「……その鎚も、まさか」
ランカが露骨に顔をしかめた。
「言うでないぞ」
「【ラクシュ・エレガント・ハンマー】……!」
「言うなと言っとるじゃろ!!」
完全に静まり返っていた鍛冶場へ、今度は堪えきれない笑い声がぽつぽつと漏れ始める。
「笑うでない!」
ランカは鍛冶鎚を抱えるようにして、ぷいと顔を背けた。
「鍛冶鎚じゃ。名前なんぞどうでもよいじゃろ……」
せっかく久しぶりに気持ちよく鉄を打てたというのに、最後の最後で台無しだった。
「……しまらんのぅ」
そう呟きながら、ランカは何気なく鍛冶場の窓へ目を向ける。
遠くに王城が見えた。
そのどこかに、ミンメイがいる。
ランカの口元には、言葉とは裏腹に満ち足りた笑みが浮かんでいた。
そして誰も気づかない窓の下。
石畳の僅かな隙間から、季節外れの小さな花が数輪だけ顔を覗かせていた。
◇ ◇ ◇
同じ頃。
王城の一室で、ミンメイがふと手を止めた。
「……?」
何かが聞こえた気がした。
耳を澄ます。
けれど、ここから鍛冶場までは離れている。鎚の音など届くはずがない。まして、歌声など。
それでも。
ミンメイには聞こえた。
火を入れたら、鉄を打て。
鉄を打ったら、水かけろ。
水をかけたら――声を聞け。
そして、その先も。
鉄の声が聞こえたら、鎚の音を響かせろ。
鎚の音が響いたら、鉄に命が芽吹きだす。
打てよ、打て。
火を絶やすな。
鉄が笑えば、良いものができる。
幼い頃から何度も聞いた歌だった。
工房で。炎の前で。大きな背中を見ながら聞いていた、懐かしい鍛冶歌。
ミンメイの表情が、ゆっくりと綻ぶ。
「……お爺ちゃん」
目を閉じる。
遠いはずの歌が、今だけはすぐ傍で聞こえているような気がした。
「また、歌えたんだね……」
何故、届くはずのない歌が届いたのか。
そんなことは、どうでもよかった。
ただ、嬉しかった。
こうして。
剣匠バランがその名を捨て、ランカとなって初めて打ち上げた一振りは、何の変哲もない鉄から生まれた。
大仰な名前を与えられることもなく、王国を守る一人の騎士団長へ無造作に渡されたその剣は、後に幾度となくローゼンバーグを守り、人々から一振りの守護剣として語られることになる。
けれど、その始まりを知る者は多くない。
その日、一人の職人が再び鉄を打ち、再び歌った。
枯れていた場所へ。
小さな恵みの歌が、確かに芽吹いていた。
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