枯野に笑顔は咲かない⑤
「私の国なら治せるって」
エミリアは、当然のような顔でそう言った。
バランは何も答えられなかった。
眠るミンメイの傍らへ戻り、その小さな手を握る。先ほどまで苦しげだった呼吸は穏やかで、青白かった頬にも僅かながら血色が戻っている。
何度見ても、信じられない。
妻を奪った病。
どれほど高位の治療師に診せても、決して治ることのなかった病。
それが今、目の前で消えた。
「……恩に着る」
バランはゆっくりと立ち上がり、エミリアへ深く頭を下げた。
「この恩は忘れん。儂の命を使ってでも返す」
「命なんていらないわよ」
エミリアは即座に言い切った。
バランが顔を上げる。
「前にも言ったでしょう? 私が欲しいのは貴方よ。私の国で、私のために鎚を振るいなさい」
「…………」
「何よ、その顔は」
「ミンメイを救ってもらった恩は必ず返す。お前さんが望むなら、儂にできることは何でもしよう」
そこで、バランは一度言葉を切った。
「じゃが……儂がまた鉄を打てるかは、別の話じゃ」
その声は、アイゼルの工房で初めて会った時と同じように沈んでいた。
妻を失い、息子夫婦を失い、最後に残った孫娘まで病に倒れた。
いつしかバランは、鎚を握る理由そのものを見失っていた。
「そう」
エミリアは少しだけバランを見つめたが、意外にもそれ以上は迫らなかった。
「なら、その前に一つ見せてあげるわ」
「何じゃ?」
「ルミ」
「はい」
「あれを持ってきなさい」
「承知しました」
ルミは一礼し、部屋を出ていく。
バランが怪訝そうにその背中を見送った。
「何を見せる気じゃ?」
「貴方なら、見れば分かるものよ」
「相変わらず説明する気がないのう」
「説明するより早いもの」
ほどなくして戻ってきたルミの手には、一本の武器があった。
細長い鞘に収められた、バランの知る剣とは明らかに異なる形。
「こちらでよろしいでしょうか」
「ええ。ありがとう」
エミリアは受け取ると、そのままバランへ差し出した。
「見てみなさい」
「……何じゃ、これは」
「刀よ」
「カタナ?」
「ええ。私が知っている世界にあった武器よ。私の知識をもとに、王国の鍛冶師達に作らせたの」
バランは慎重に受け取り、鞘から刀身を抜いた。
「…………」
その瞬間、目つきが変わった。
僅かに反った細長い刀身。鋭く伸びた切っ先。そして、刃に沿って浮かぶ独特の模様。
バランは何も言わず刀を傾け、光を当てる。刃先、峰、刀身の厚み、反り。確かめる箇所が次々と変わっていく。
「……見事じゃ」
「あら」
「こいつを打った連中は、いい腕をしとる」
「でしょう?」
エミリアは満足そうに笑った。
バランはさらに刀を眺め、やがて低く唸る。
「しかし……随分と思い切った武器じゃな」
「何が?」
「こいつは、斬ることに特化しとる」
エミリアの目が僅かに細くなった。
「分かる?」
「分からいでか。刃は鋭い。反りも、振り抜いた時に斬るための形じゃ。だが、こんなもので鎧を力任せに叩き割ろうとすれば、すぐに刃を傷めるぞ」
「そんなこと、分かってるわ」
「分かっとるのか?」
「当然でしょう?」
エミリアは刀身へ視線を落とす。
「これは何でもできる剣じゃない。斬るという一つの目的を、ひたすら突き詰めた武器よ」
そのために形を変え、刃を作り、鉄を選ぶ。鍛え方を変え、焼き入れにまで工夫を凝らす。
「一つの目的のために技術を積み重ね、余計なものを削ぎ落としていく」
エミリアは微笑んだ。
「そこには魂が宿っていると思わない?」
「…………」
「貴方にうってつけでしょう?」
バランは答えなかった。
ただ、先ほどまで以上に真剣な目で刀を見つめる。
「……なるほどのう」
「何か分かった?」
「この刃に浮かんどる模様。飾りではないな」
「刃文よ」
「ハモン?」
「焼き入れによって生まれるものね。刃と背で、焼きの入り方を変えるの」
「……待て」
バランが顔を上げた。
「同じ一本の剣で、わざと性質を変えるのか?」
「そうよ」
「刃は硬くして斬れ味を得る。だが、全体を同じように硬くすれば衝撃を受けた時に脆くなる。だから背には粘りを残す……」
エミリアの口元が上がった。
「そう。それよ」
思わず声にも熱が入る。
「王国の鍛冶師達にも同じことを説明したのだけれど、そこがなかなか伝わらなかったのよ」
「この刀を見る限り、腕が悪いわけではなさそうじゃが」
「腕はいいわ。私の注文通りのものを作ろうと、随分頑張ってくれたもの。でも、私が何故そう作れと言っているのかまでは、完全には理解していなかった」
バランはもう一度、刀を見る。
「……刃を硬く、背には粘りを残す。だから、この形でなければならんのじゃな」
「ええ」
「反りも最初から曲げて打っとるわけではない?」
「焼き入れの時に生まれるわ」
「熱の入り方と冷え方の差か……」
バランの口数が増えていく。
先ほどまでの沈んだ老人とは思えないほど、問いが次々と飛んでくる。
「材料は?」
「本来なら玉鋼という鋼を使うわ」
「タマハガネ?」
「砂鉄と木炭から、たたらという炉を使って作るの」
「砂鉄から?」
「ええ」
「どんな炉じゃ?」
「大まかな理屈なら知っているわ。でも、この国で一から同じ設備を作って玉鋼まで再現できるほど詳しいわけじゃない」
バランが目を細める。
「……それにしては、随分と刀に詳しいのう」
「あら、分かる?」
「分からいでか。さっきから鍛え方だの焼き入れだの、ただ形を知っとるだけの者の話し方ではない」
「そうね」
エミリアは一瞬だけ考え、それから意地の悪い笑みを浮かべた。
「その辺りは、貴方が私のために鎚を振るうと約束したら教えてあげるわ」
「……何?」
「知りたいんでしょう?」
「お前さん……」
「欲しいものには対価が必要よ」
「性格の悪い女じゃな」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
バランは呆れたように息を吐く。
だが、刀を手放そうとはしなかった。
「刀だけじゃないわよ」
「何?」
「鉄の作り方も、金属の混ぜ方も、熱の加え方も、冷まし方も。私の知っている世界には、この国とは違う冶金の技術が山ほどあったわ」
「……冶金?」
「金属を作って、加工して、望む性質を引き出すための技術よ。硬さ、粘り、錆びにくさ、重さ――金属は扱い方次第でいくらでも変わる」
「……まだ、あるのか」
いつの間にか、バランは完全にエミリアの話へ引き込まれていた。
「たくさんね。貴方が知らない金属も、知らない加工法も、見たことのない武器もあるわ」
「例えば?」
「あら?」
「他には、どんなものがある」
バラン自身が気づいているかは分からない。
だが、その声にはもう、工房で出会った時の無気力さはなかった。
エミリアはそんな変化を楽しむように、いくつか知っているものを口にする。
バランは聞くたびに問い返し、自分の知識と照らし合わせ、時には刀へ視線を戻した。
「なら、この技術を別の剣へ応用することも……いや、待て。使う金属が変われば、焼きの温度も変わるか」
「その辺りは貴方の仕事でしょう?」
「当たり前じゃ。じゃが、前提になる金属の性質が分からんことには――」
そこで、バランの口が止まった。
「…………」
自分が何を言っていたのか、今更気づいたらしい。
エミリアは満面の笑みを浮かべる。
「楽しいでしょう?」
「……ふん」
「否定しないのね」
「うるさいわい」
どう作る。どうすれば、もっと良くなる。
どんな鉄なら、どんな炉なら――。
ほんの少し前まで失われていたものが、確かにバランの中へ戻り始めていた。
エミリアはそれを見逃さない。
「私の持つ知識を、すべてあげるわ」
「……何?」
「貴方が知りたいものも、作ってみたいものも。私が知っていることなら、全部教えてあげる」
そして、悪の女王は楽しそうに笑う。
「その代わり――貴方のすべても、私に捧げなさい」
「…………」
バランは手の中の刀を見る。
未知の技術。
知らない金属。
まだ見たことのない武器。
そのすべてが、自分の手で形になるかもしれない。
気がつけば、口元まで僅かに上がっていた。
「おう。なら――」
返事は、ほとんど反射だった。
だが。
その時、視界の端にベッドが入った。
「…………」
眠るミンメイ。
続くはずだった言葉が止まる。
刀を握る手から、僅かに力が抜けた。
エミリアは急かさなかった。
バランはしばらく孫娘を見つめ、やがて静かに刀を鞘へ戻した。
「……少し、時間をくれ」
「いいわ」
「ミンメイが本当に治ったのか、この目で確かめたい。それから返事をする」
「好きになさい」
エミリアは余裕たっぷりに微笑む。
「どうせ答えは決まっているもの」
◇
その夜。
バランは、ミンメイの傍らに座っていた。
治療から何時間か経ったが、症状が戻る気配はない。咳は出ておらず、熱もない。呼吸も穏やかだった。
それでも、バランは何度も孫娘の額へ触れ、胸の動きを確かめる。
妻の時も、治療を受けた直後は良くなった。
だからこそ、まだ簡単には信じられない。
「……ん」
小さな声がした。
「ミンメイ?」
少女の瞼がゆっくりと開く。
「……お爺ちゃん」
「ミンメイ!」
バランが身を乗り出した。
「苦しくないか? どこか痛むところは? 息は――」
「大丈夫」
声はまだ弱い。
だが、病に苦しんでいた時とは違い、はっきりと言葉になっていた。
「身体……すごく軽い」
「……そうか」
バランは椅子へ腰を戻した。
「そうか……」
それ以上の言葉が出てこない。
ミンメイはそんな祖父を、しばらく静かに見つめていた。
「お爺ちゃん」
「何じゃ?」
「……聞こえてたよ」
「何がじゃ?」
「エミリア様と話してたこと」
バランの目が僅かに見開かれる。
「苦しくて何も言えなかったけど……ずっと聞こえてた」
「…………」
「お爺ちゃん、もう鉄を打たないの?」
その問いに、バランはすぐには答えられなかった。
「儂は……」
言葉に詰まった祖父を見て、ミンメイが小さく口を開く。
「火を入れたら、鉄を打て」
「……!」
「鉄を打ったら、水かけろ。水をかけたら――声を聞け」
掠れた声で口ずさんだのは、古くからドワーフの鍛冶師達に歌い継がれてきた鍛冶歌だった。
炉へ火を入れ、鎚を振るう。その音に合わせて、昔ながらの鍛冶師達が歌ってきた素朴な歌。
「……覚えておったのか」
「うん」
ミンメイは小さく頷いた。
「お爺ちゃん、昔いつも歌ってたもん。カン、カンって鉄を打ちながら」
「…………」
「また見たいな」
「何をじゃ?」
「昔みたいに、お爺ちゃんが鉄を打ってるところ」
ミンメイは少しだけ笑った。
「鎚を振って、あの歌を歌ってるの。私、ずっと好きだったんだ」
「…………」
その言葉に、遠い日の声が重なる。
『アタシはね、あんたが好きな仕事をしてる時の笑顔が、一番好きなんだよ』
妻の声だった。
あの頃は、毎日のように炉の前へ立っていた。
昨日より良いものを。
今日よりもっと良いものを。
金にも名誉にも興味はなかった。
ただ鉄を打ち、自分が納得できるものを作る。
それが楽しかった。
バランは黙って、自分の手を見る。
長い年月、鎚を握り続けてきた手だった。
◇
翌朝。
ミンメイは自分で身体を起こしていた。
まだ長く歩けるほどではないものの、昨日までとは比べものにならない。少ないながらも自分で朝食を口にし、咳一つせずバランと会話をしている。
その姿を見届けたバランは、自分の鎚を手にエミリアの前へ立った。
「……返事をしに来た」
「あら。随分早かったわね」
「一晩考えた」
バランは手にした鎚を見る。
久しぶりに感じる、その重さ。
「儂は、もう一度鉄を打ちたい」
エミリアは何も言わず、その先を待った。
「お前さんの国で、鎚を振るわせてもらう」
「そう」
満足そうに微笑む。
「賢明な判断ね」
「それで、儂に何を作らせるつもりじゃ?」
「好きなものを作りなさい」
「……は?」
「聞こえなかった?」
「聞こえたから聞き返しておるんじゃ。お前さんの欲しいものを作るんじゃないのか?」
「それは貴方の判断に任せるわ。私が欲しいものを頼むことはあるでしょうね。でも、興味がなければ断ってくれて結構よ」
エミリアは少し意地の悪い笑みを浮かべる。
「興味がなければ、ね」
「……何じゃ、その言い方は」
「別に?」
「何か企んどる顔じゃぞ」
「失礼ね」
まったく否定する気のない顔だった。
「それに、貴方は魂がこもらないと仕事ができないんでしょう?」
「…………」
「だったら、嫌々作らせても意味がないじゃない」
エミリアはバランを真っ直ぐ見る。
「好きなものを作りなさい。昨日より良いものを、今日よりもっと良いものを作るの」
バランの目が僅かに見開かれた。
「貴方が楽しんで、笑いながら作りたいものを作りなさい」
妻の言葉が脳裏を過ぎる。
昨夜、ミンメイが歌った鍛冶歌も。
そんなことをエミリアが知るはずはない。
ただ、自分が望むものを、悪の女王として堂々と言い放つ。
「そうして、貴方の最高の作品で私を楽しませなさい」
「…………」
「それが私の命令よ」
しばらく沈黙が続いた。
やがて、バランが俯く。
「……くっ」
「何?」
「くくっ……ははは!」
堪えきれなくなったように笑い始めた。
「何がおかしいの?」
「いや……とんでもない女王じゃと思ってな」
「あら、今更?」
「そうじゃな。今更じゃ」
バランは鎚を握り直した。
少し前まで、あれほど重く感じていたはずの鎚。
今は不思議なほど、手に馴染む。
「その命令、受けてやるわい」
エミリアの眉が上がった。
「受けてやる?」
「……謹んでお受けします、女王陛下」
「よろしい」
満足そうに頷く。
「でも、覚悟しておきなさい」
「何をじゃ?」
「貴方の知らない武器も、貴方の知らない金属も、まだまだたくさんあるわ」
バランの口元が自然と上がった。
「……そいつは楽しみじゃな」
「ええ。存分に楽しみなさい」
エミリアも満足そうに笑う。
そして、その笑みが僅かに深くなった。
「ただし――」
「ん?」
「私の配下になるのなら、美しさは必要よ」
「……何?」
「喜びなさい」
エミリアは胸を張る。
「貴方は四人目のブラックドールズよ」
「…………」
バランの眉間に、深い皺が寄った。
「何言っとるんじゃ?」
「異議は認めないわ」
「は?」
その瞬間。
バランの意識は、暗闇へと落ちた。
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