特別編『真実の鏡』(76話)
「こしゃくな」
アセトビノスは杖を地に突き立て、『ドォォォォォ──ッ!』と雄たけびを上げる。
地が揺れ、空気が痺れ、衝撃波が部屋丸ごと襲う。
(身動きがとれない……)
凄まじい衝撃波に、ゼノは動きを封じられる。そして、空気の刃が容赦なくゼノを切り裂いた。全身を切り刻まれるような激痛。
腕や足、胴体にも切り傷が生まれ、黒い髪が数本床に落ちたと同時に、傷口から飛び散った血が辺りを汚した。
床にできた血飛沫。
「不愉快だよ」
ゼノは床に散った赤い自分の血を見て、不機嫌な声を出す。それは怪我をしたことでも、床に散った血飛沫でもなく、アセトビノスが手加減をしたことに対してだった。
絶好のチャンスを無下にして手加減して、切り傷程度のダメージしか与えなかったアセトビノス。
「貴様に死なれては、本末転倒なのだよ」
「僕に力はないって言ったよね」
ゼノを利用しようと考えているだろうアセトビノスへ、自分にはそんな力などないと断言する。例え、アセトビノスが何かを感じ取っていたとしても、それを実際に見なければ、目の当たりにしなければ、信じはしないだろうとゼノは真顔を作る。
誰しも、架空の創造だけでは真意には辿りつけず、何の証拠にも、事実にも結び付かないと分かっているから。
あくまでも無力だと主張するゼノだが、アセトビノスは不敵な笑みを浮かべたまま、攻撃態勢を崩した。
「力を開放したくなるよう、手助けをしてやろうでないか」
アセトビノスは意味深にそう言葉を投げると、部屋の入り口に向かい何かの合図を送った。
数人の足音とともに聞きなれた声が部屋に入ってくる。
「冗談じゃない、オレなんか公開処刑しても面白くもなんともねーぞ」
体格のいい二人組に掴まれたまま連行されてきたのは、
「ライたんっ!」
その人だった。
部屋に連行されたライラはゼノと再会を果たす。
「お子様、生きてたのか」
「当たり前でしょ。ライたんはちょっと見ないうちに老けた?」
「んだと、──っ」
── ガシャリ ──
二人の会話も長くは続かず、拘束されているライラの首に剣が宛がわれた。
それが意味することはゼノには言わずと知れた。
「卑怯だね」
ゼノはライラから視線を逸らし、アセトビノスを見る。
「こうでもしなければ、本気を出せないのではないか」
「何度も同じこと言わせるの」
あくまでもそんな力はないとゼノは言い張る。
「おい、お子様何の話だ」
明らかに人質に捕られているライラが状況を飲み込めず、叫ぶ。が、声を上げた時に動いたわずかな揺れで剣先が肌に触れ、首筋に傷を生む。
「動かないでライたん」
「んなことわかってるよ。説明しろ、説明」
「わかったから」
また暴れだしそうなライラにゼノが仕方なくそう宥める。とはいえ、正直に説明する気など更々ないのだが。
適当に何か説明しようとしたその時だった。
部屋の奥から身震いするような獣じみた声が風に乗った。その声にアセトビノスが怪訝な表情を見せた。いままで余裕を持て余したかの表情しか見せなかったアセトビノスが初めてみせる表情。
時空が歪む。
何もなかった場所に、ガラスの割れるようなピキピキと撓る音がし、空間が裂ける。
そして、
『ウ゛ォォ、ゥ──、オォォォォォッ』
亀裂から地を這うような低い唸り声が響いた。
その場にいた者全てが、身動きが取れなくなるほどそれは悍ましい声。
「ゼノ!」
轟音に混じり、ゼノはもう一人の懐かしい声を耳にする。声のした方へ視線を上げれば、柔らかな金髪が見えた。
「イズたん」
「無事ですか」
「なんとかね」
ボロボロだけど、大丈夫だとゼノはいつものように笑う。しかし、イズの背後にはセラムが立っており、おそらく身動きは取れないだろうと推測できた。
だがそんな再会の感動にも浸れず、空間にできた亀裂は徐々に砕け散り、黒い霧が溢れだしてきていた。
「下がれ」
アセトビノスは部屋にいた兵士たちにこの場から離れるように指示を下す。その表情は険しく歪んでいる。
霧に混じり流れ込んでくる、ヘドロのような地を這う得体のしれない力に、ライラ、イズ、ゼノでさえ、言葉を失い事の成り行きを見守っていた。正確にはその力に縛られたかのように動けなかったのだが。
『ウォォ、グォ──、ォォォ』
再び悍ましい声が地を這い、亀裂が大きく割れた。
溢れ出る黒い霧に混じり、ドクンドクンと脈打つ、黒い塊が姿を見せた。
それは人の形などしていない塊の一部。時空の裂け目から現れる塊は、しっとりと湿っていて、心臓のようにいくつもの脈が露出しており、不気味に脈を打つ。
部屋にいた誰もが息を飲む。
「ハクコクジュの子供に引き寄せられたか……」




