ステージ6『深淵』(33話)
先を行くロイルに追いつくようにゼノは足早に歩きだし、少し離れたところでまた片手を軽く空へ上げた。
「僕と遊んでくれてありがとう。すごく楽しかったよ、……それじゃあ、またね」
明るく元気な声を残して、ゼノはロイルの後に続き、森の奥へと姿を消した。
「ゼノ―――ッ!!」
イズの叫び声がどこまでも森に響き渡った。
◆◆◆
声を詰まらせとめどなく流れる涙を止められず、ただ泣いていた。
わずかに震える肩が見え、ライラから言葉を奪う。
「どうしてですか……、こんな時だけ逃げないなんて卑怯です」
地に手を伸ばし、強く土を握り締めながらイズはきつく唇を噛み締めた。
いつも冷静で取り乱すことなどほぼなかったイズが、壊れたように泣いている。
その姿にライラはかける言葉が何一つでてこない。
「ゼノ……、ゼノ、ボクがどんなにあなたに救われたか知らない」
地面を抉るように地を掻いたイズは、血と泥で赤黒くなった手を強く自分の前で握った。
「ぐっ……はぁ……」
全身に力を入れた瞬間、イズの傷が痛みを訴え血を吐かせた。
「おいイズ!」
イズ同様まったく動けないライラが、なんとか首だけをイズに向ける。
「ボクをボクだと認めてくれたんです……ゼノは……」
「……イズ」
傷ついた身体を丸めてイズが本心を語りだす。
「心から笑ったり、怒ったりしたのはもう何年も昔のことなんです。地界では誰もボクをボクだと認めてくれなかった……名前すら呼ばれない……」
「名前にこだわっていたのはそれか……」
ここではじめてライラはイズが名前にこだわるその理由を知った。どんな事情があるかは知らないが、おそらくあだ名のような二つ名があり、イズは誰からもその名で呼ばれていたのだろう。だから、出会ったときにあれほどまでに名前にこだわりをもっていた。
【まさかボクのこと『お前』とか『貴様』なんて呼ぶつもりじゃないですよね】
自分をちゃんと名前で呼んでほしいのだと。
「作り笑いしかできず……感情的になることもなかった……、でもボクはゼノに出会って変わったんです。いや、変えられたんですよ。心から笑って、喜怒哀楽を知った。……本当に楽しいと感じることができたんです」
止まらない涙の向こうにイズは優しい笑顔を浮かべた。
そして、ライラもふと笑みを溢した。
「オレも、あいつに変えられた」
ライラはイズに向けていた視線を空へと移し、自分もゼノに変えられたと笑う。
自分も喜怒哀楽というものをゼノから教わったのかもしれないと思いながら。
自分の事をまったく話さなかったイズが壊れたように話し出す。
「失いたくないと思ったのは母のとき以来なんです」
「……失ったのか?」
「ええ、母は自害しました」
辛い過去を淡々とイズは話した。
「わりぃ」
なんとなく聞いてはいけなかったとライラは謝る。
だが、イズは首をわずかに左右に振った。
「ライラならかまいませんよ。……母は殺されたも同然ですから」
「殺された?」
「追い詰められて、結局母はその道を選んでしまったんです。……だからボクは母を追い詰めたあの男を許せない」
憎しみを露にしたイズの瞳が色を変えていた。どんなことがあっても許すことなどないという決意の色。
誰にでも触れてほしくない過去くらいある。だからこそライラはイズの過去を聞くことはしなかった。自分にも触れてほしくない過去がある、本人が話したくなるまではそれに触れないように気をつけてきたが、唐突に自分の事を話し始めたイズに、ライラはちゃんと聞いてやろうと決めた。
「復讐すんのか?」
イズの願い、目的、成し遂げたいことはそれなのかと、ライラは問う。復讐の機会をずっと伺っていたのかと。
「……のつもりでした。地獄に落としてやりたいのは本心です。今もそれは変わりませんが、ちょっと予定がくるってしまいましたので、ボクは今ここにいるんです」
「予定って、なにかいい計画でもあったのかイズ」
「お子様だったんです」
「はぁ?」
「ボクの願いを叶えてくれるはずだったものが、お子様だったんですよ」
イズはそういうと先ほどまでの悲しみ、怒りを捨て、クスリと笑っていた。いつのまにか止まっていた涙にも気づかず。
間界にきた本来の目的を懐かしそうに思い出すイズは、あの時感じたものすごい脱力感をまるで昨日のように思い出す。
【僕にそんな力があるの?!】
確か、あのお子様はこんな台詞を言った。
世界の生んだ者……それはどんな願いも叶えてくれると聞いてきたはず。
それがとんだデマも嘘もいいとこだった。願いを叶えるどころか手ばっかりかかるとんでもないお子様だったのだから。




