16話 音のない悲鳴
16話 音のない悲鳴
12月27日午前8時30分
次の日も、掲示板やチャットは膨大なデータが交錯していた。
あまりにも行方不明者が多く、なおかつ事前に様々な地図を用意していたとはいえ、地理にも明るくないため急遽、コミュニティの人たちに声をかけた。
手伝ってもらうのと同時に、アメリカの救助チームが動き始め、最初に動いたのはオーストラリア、シンガポール、そして被災しているインド。
昨日のうちに外交関係からインドの海軍にインドでの主な被災している地域の衛星写真、並びに渡した情報をまず贈られたそうだ。
ギデオン捜査官が持って行った被災地の覚えている限りの情報で様々な地域に派遣されている現地の情報がまずもって届けられた。
通常なら会議が必要な案件だが、渡してきた相手からの情報が高い確度の確率で情報通りだと軍の衛星写真から判断され海上にいたインドの海軍に即座に届いたという訳だ。
その後も救助活動に尽力するチームに情報提供がなされ、一人ひとりの名前が混雑しているネットの中に徐々にだが増えていった。
大学でのパソコンルームを活用してのボランティア活動は前日で10数人にもみたなかった。
だが、コミュニティ関係の人を招いてまたは何かやりたいと、自発的に参加した若者、または社会人、老人問わず参加してくれた。
テレビを持ち込んでニュースを見ながら、やっと悲惨な現状がほんの少しだけ映像に映りだした。
被災者の留学生以外にも大勢が息をのむ、日常ではありえない、存在しない光景に時間がとまる。
文字通り、建物が軒並み瓦礫に変わり、日常が破壊された光景。
屋根がそのまま地面に落ちてる、そんな一階の壁部分はどうなったのかと思えるものなど、もはや無事である部分を確認するほうが簡単な映像の町の痕。
故郷が消失している。
地図の上には人は見えない。よく言ったものだ。
昨日から震えていた留学生や今日から参加していた人たちは慟哭を嘆きを必死に抑えて震えている。
私自身も叫びだしたくなるほど、記憶よりもさらに悲惨なニュースに堪えなくてはならなかった。
私が知ってただけで。私がやったことじゃない。私のせいじゃない!
内心恐怖をこらえ、泣きたくなるが、
涙にくれ、けれどまだ動く。
沢山の人がいる中で、悲惨な状況ながらも歯を食いしばってたえてくれている人たち。
いや、今は耐えるしかないと情報が入るにつれ理解してしまった。
止まっていると、呼吸が出来なくなるから走っている、そんな感じで動いている人が何人もいる。
そんな人の中では正気を保つしかない。
糸が切れた瞬間喚き散らしてしまうのが分かるから。
英語に翻訳してもらい、回答を英語で文章にする。
前世培ったブラインドタッチでそのままタイピングしたりリスト化する。
それをまた現地の言葉に変換する。
心理的ストレスが蓄積していく中、刻一刻と迫っていくタイムミリット。
実際のデータとの差は知らないが、亡くなっていくリストと生存者のリストがどんどん伸びていく。
地図や区画の特徴を記されている場所や、わかる限りの救出作業への協力リストの更新。
呆然とする暇はない。
アメリカからも行方不明者が出ており、すぐさま家族、または職場や親戚に連絡をするため、アメリカ国務省へと連絡を取るさい、リスト化してファックスを送った。
ファックス自体は、簡単な作業なので電話は大人たちがして子供の私はファックスを送信していた。
名前からアメリカの旅行者だとわかれば、アメリカの領事館へフランス人だと認識してすればフランスの領事館へ連絡するため時間が駆け足で過ぎていった。
救助のため以外にも被災者家族がバラバラになっていれば連絡先を書いてもらい住所と現在地を載せ合流の手はずを整え。
一時帰国希望の留学生にはレナードが大学の学長に掛け合ってくれた。
パパがお金を出し、私が航空会社へ電話したりメールで誰が何時頃に乗るのか、フライト時間と到着時間の調整をさせてもらい、帰りのチケットの手配を現地のNGOの人に託すため連絡をすませたりと慌ただしかった。
その際、現地での食事医療などあてにできない可能性があるため、救援物資と現地で使う浄水タブレットやら、高性能ろ過機などの手配も大学生のグループに交じっての手伝いふらふらになる毎日を送っていた。
こうして、新年のハッピーで愉快な年越しパーティーどころか暗い冬休みが終わった。
1月3日、クリスマスや年越しをどのように過ごしたかを発表する緩い授業が始まった。
1月5-7日から学校が始まる日本とは違い、非常に速い。
やれることはやったし、クワンティコに戻ったギデオン捜査官はやることはやるけど融通が利かないともいうが・・・信頼できそうな人間なので契約を締結できるように動いてくれるだろう。
「私は冬休みの間、親と一緒にボランティア活動をしていました。先日記憶も新しいスマトラ沖地震、そこの現地の被災者と連絡を取りながら、可能な限りの情報を載せた行方不明のリストを死亡者リストを作成して、フランス人ならフランスの領事館に連絡をイタリアの人ならイタリアの領事館に正式文章ではないけれど連絡するための、リストを作っていました。
おかげで、沢山辞書を引く回数増えました。
勿論、喜ばしいことに生還した人のリストも多数送ることができたので、意義あるボランティア活動をチームで取り組めた期間でした。あれだけ緊迫した空間でも・・・妙な連帯感があって、食事の時には各自様々なことを教えていただきました。昼食はサンドイッチとシチューをママと一緒に家で作って食べたり、学長がデリバリーしたものをみんなで食べました。たまに夕飯はパパがデリバリーストアに頼んでピザやサラダを取り寄せてくれましたけど・・・・。」
「お父様がとりまとめていらした現地のインターネットを使った情報収集のボランティア活動でしたね?」
「はい、先生も先日は大変お世話になりました。先生が現地の地理に詳しいって初めて知りました。本当に――助かりました。もともとはインターネットからの情報収集と父の共同研究のための活動だったんですけど・・・・あのような出来事があったので方向転換をしたんだそうです。」
「アンジェラ、こちらこそありがとう。私にもスリランカの友人がいます。彼らのためになにかしたかった・・・。とても意義のある一日でした。・・・では次はサンドラお話をお願い」
「はい・・・」
授業の後、意地悪な子がいて怒って本当は言い返したかった。
『ならあなたも経験してみたら?』
って、
もじだけだけど、母親が突き飛ばし板の上に乗せられたおかげで何とか助かった小さな息子が泣きながら助けてほしいと・・・情報を大人が書いている文章を、そのあとその家族が結局クラッシュ症候群で亡くなった。
――っ!遺体は泥だらけで、しかも水の中にいたから身元の確認が難しくて、特徴的な服装の情報を載せてそれを家族が涙ながらにチャットで確認してくる文章をあなたは見たことある?
私以外の元からいたチームに先ほどいた先生、それに大勢のあちらの国出身の外国籍や言葉を話す人たち・・・・そんな人たちの前で私に羨ましいと一言でもいえる?あなたは私だから言えたのよね?
ってクールに言いたかった。
「あなたが今痛みを覚えているのは、経験した人にしかわからない痛みよ。その痛みを知らない人、もしくは知ろうとしない人に理解を求めるのは難しいわ。あなたの反応は、心を守るための防御行動。」
頷き、本当は言いたかった言葉をつづけた。
本当は・・・それに、しっかりと
謝罪して、せめてそこで真摯に謝ってくれない?12月26日からずっと頑張ってきた私に向かって随分と失礼なことを言いましたって。
ねぇ、別に気が晴れるわけじゃないし許そうなんてみじんも思えないんだけど、とりあえずは謝ってくれる?じゃないとこんなことを言われたってインターネットのチャットルームで貴方の名前を実名でストーリー付きで投稿してしまうかもしれないじゃない?
そんな私の気が晴れるように謝罪するべきじゃないの?ああ、それともインドネシア諸国のコミュニティにこんな失礼な子がいたのって涙まじりに相談すべきかしら?
私と同じ年なのに、苦労知らずなせいか知らないけど酷い言いがかりをつけられたって。
どう?私の気が変わるようにごめんなさいっていう気になったかしら?傲慢なあなたには謝罪の意味もわからないでしょうけど
って
「言いたかったんです。本当は」
「あなたは・・我慢したのね。」
「ええ。だって、彼女がそう言ってしまうのもわかるもの。実際彼女はどちらかと言えばクラスの完璧な山猿タイプ。」
「そうなの?あったことも話したこともあるけど、そういう感じには・・・」
「相手に対して尊重するような言動さえするけれどその実自分がトップでないと気が済まない。特に同年代もしくは年が下だと相手をノックアウトして自身の下に置かないと気が済まない性質の人間なの。だから、周囲にはどちらかと言えば自分に対してイエスマンしか置かない。そういう彼女に面と向かって悲しい出来事を訴えてその上教えてあげるなんて時間の無駄だと――」
「すいません・・・・それは言いすぎですね。これからの行動や周りの影響で変化があるかもしれないし。
——でもその役目は私ではないの。」
「今現在の彼女はクラスで少し孤立気味。でも彼女のことを気にかけるなんて私には甲斐性も気もないの…これって冷たい?」
「いいえ。距離を取るのはあなたの心を守るためにも友好的だと思うわ」
首を振りつつ、カウンセラーはいった。
「その言葉を胸に抱え続けて、来たの。あなたの感じたあらゆる怒りも悔しさという感情
何も間違ってなんかない。ネットの中だけど、あなたが見ていた集めていた場所は世界中のエンジニアや交流を持つ人たちで溢れてる。
私自身も噂になっていたから覗いたわ。——悲惨な状況が英語に直されてまたは日本語に直されて書かれていた。口を開けなくなったくらいのログに溢れてた。」
「——よく我慢したわ。私だったら殴りつけてたかもしれないわね。あの記録に触れて相手を傷つけずによくここまで内心思いとどまってくれてよかった」
「貴方は正しいわ。他人の未熟さにまで責任を負おうとしないのは自然なことだし、今回の対応は何も間違ってなんかない。それは教師や親の――領分よ。他に何かココで吐き出したいことはある?」
水が・・・清潔な水を保有している人って意外と少ないの。
ああいう津波被害の後は特に。
だから泥水のろ過の方法を伝えた。
っだけどね、弱ってるとそれでも十分じゃないの。
刻一刻と過酷な状況が明らかになっていくにつれて・・・・
――わかる範囲でこれなら?
ネット環境があまりにもない震源地から一番近い場所はどうなんだろう?って。
なんでだろう?
私は今日は学校だけど、明日も学校に行けるけど、
暖かい布団で眠ることも出来ずに、冷たい地面の・・・
しかも余震が危ないから外で眠るしかないそんな人が大勢いる中で。
アマチュア無線のマイクから直接かかってくるように衛星電話もあったけど、本当にアマチュア無線って被災地では強いよね。
電話にもつながるんだよ?
大活躍だった。
凄く大変だったでしょうに山にも登ってくれて。
英語ができる人が変わって話してくれたけど、
刻一刻と犠牲が増えていくのが分かるの。
デットラインが・・・・迫ってくる。
毛布が水が薬が医者が救助が足りないのっ。
・・でも現地の人の気力も何もかも足りないの分かるの
・・・・さらに悲しみが増えてるってことが・・・でも何もできないの。
子どもが英語でたどたどしくお母さんのお父さんの妹の情報をいうの。
名前をいうの。
その声が啼き声が耳から離れない・・・・・・!!
目を閉じると音が思い出される。
瓦礫の建物がさらに崩れる音や余震の影響でまた被災者が増えてしまう絶望の悲鳴。
「貴方は、あなたの行動は十分、あなたのできる行動を超えているわ。耳から離れないのはあなたが人の痛みに反応できる人間だから、大人でもこういう心理的に負担がある作業はあなたの言うような不調を訴えるわ。」
「・・・その声を追い払わなくても、ただ今あなたは安全だよと伝えてあげるのが一番よ。」
川のせせらぎの音楽やヒーリング音楽を勧められ、ラストにこう言われた。
「マディソンとは学校としても問題だと思ってるの。貴方には伝えておくけど、家庭環境に起因があるとみてる。今回は学校としても親を読んで面談する手はずを整えてるのよ。」
もしも相手の親がうちの両親や私に会いたいと言ってきたら会うことができるよう手はずを整えて大丈夫かと聞かれたので、
「大丈夫だと思います。相手の親があまりに愚かであったならわかりませんが。」
泣きつかれて乾いた眼を向けながら返事をした。
カウンセラーは苦笑して、それなら手配はしないから心配しないでと言われた。




