表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/41

第三十九章 大切な君と

「……むかしむかし、あるところに——」


自分の声が、


こんなにもやわらかくなるなんて、


知らなかった。


ページをめくるたびに、


小さな手が、私の服の裾をぎゅっと掴む。


隣で、


規則正しい寝息。


まだ幼い我が子は、


いつの間にか夢の中に落ちていた。


絵本の途中。


王子様が呪いを解く、


いちばん大事な場面の手前で。


「……あらら、寝ちゃった」


小さく笑う。


でも、


本を閉じることができなくて、


そのまま、指をページに挟んだまま、


しばらく動けなかった。



(……私も、こうやって読んでもらってたんだ)


ふと、思い出す。


白い天井。


消毒液の匂い。


窓から差し込むやわらかい光。


そして、


あの人の声。


——霞叔母ちゃん。


どんな時でも、


笑っていた人。


どんな物語も、


本当にそこにある世界みたいに、


連れて行ってくれる人だった。


「……」


気づけば、


胸の奥が、じんわりとあたたかくなる。


同時に、


少しだけ、きゅっと締め付けられる。


(……あの時の気持ち、今なら少しわかる気がする)


この小さな存在に、


何かを残したいと思う気持ち。


何もできなくても、


せめて、


物語だけでも。


夢だけでも。


優しさだけでも。



「……霞叔母さんも、こんな気持ちだったのかな」


ぽつりと、


零れるように呟く。


自分でも驚くくらい、


自然に出た言葉だった。



「……そうなんじゃない?」


隣から、


穏やかな声。


顔を上げると、


夫が、少し笑いながらこちらを見ていた。


その視線はやさしくて、


どこか、全部を受け止めてくれているようだった。


「会ってみたかったな。その人に」


静かに続く言葉。


「君をこんなに素敵な女性に育ててくれた人の一人なんだろ?」


その言い方に、


胸の奥が、ふっとほどける。


(……ああ、この人は)


全部を知らなくても、


ちゃんと理解してくれている。


無理に踏み込まないで、


でも、ちゃんと寄り添ってくれる。


そんな人だ。



「……私も」


小さく笑いながら、


我が子の頭をそっと撫でる。


「会って欲しかったな」


指先に伝わる、


やわらかいぬくもり。


「この子にも、会って欲しいって思うし」


言葉にした瞬間、


胸の奥にあった想いが、


ゆっくりと形になっていく。


叶わない願い。


でも、


消したくない願い。



夫は何も言わずに、


ただ隣に座る。


その距離が、


ちょうどよくて、


安心できた。



「来月の月命日、行くかい?」


ふと、夫が言う。


その言葉は、


とても自然で、


とても当たり前みたいに響いた。


「そうだね!」


思わず、少しだけ声が弾む。


「挨拶に、行こうか」



窓の外では、


風が木々を揺らしていた。


やわらかい光が、


カーテン越しに揺れている。


あの日と同じ、


優しい時間。



(……ちゃんと、繋がってる)


そう思えた。


叔母がくれたもの。


あの時間。


あの声。


あのぬくもり。


全部が、


今の私の中にあって、


そして、


この子へと続いていく。



眠る我が子を見つめながら、


そっと絵本を閉じる。


表紙には、


あの物語のタイトル。


何度も読んだ、


大切な一冊。



「……また、続きを読もうね」


小さく囁く。


届かなくてもいい。


でも、


きっと届いている気がした。



その夜、


私は久しぶりに、


夢の中で、


あの人の声を聞いた気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ