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第三十三章 それぞれの場所で

体育館の扉が開いた瞬間、


ざわめきと拍手が一気に流れ込んできた。


式が終わったあとの、少しだけ解放された空気。


あちこちで笑い声が弾けて、


名前を呼ぶ声や、


写真を撮るシャッター音が重なっていく。


(……卒業、か)


人の波の中で、


私は少しだけ立ち止まる。


ついこの前まで、


制服が少し大きく見えていたはずなのに。


今はもう、


ちゃんと“自分のもの”になっている。


(……大きくなったな)


そんな当たり前のことを、


今さらのように思う。


視線の先で、


弟が友達と笑っている。


無邪気な笑い方は変わらないのに、


どこか落ち着いた空気もあって。


子どもと大人の境目みたいな、


そんな顔をしていた。


「おーい」


呼ぶと、


少し遅れて気づいた弟が振り向く。


「写真撮るよ」


そう言うと、


「はいはい」と少し面倒くさそうに近づいてくる。


でも、その顔は、


どこか照れている。


(……分かりやすい)


昔から、こういうところは変わらない。


家族の前だと、


ちょっとだけ素直じゃなくなる。


でも——


ちゃんと、ここに来る。


それが、答えみたいなものだった。


校門の前で、


家族みんなで並ぶ。


「もうちょっと寄って」


「はい笑ってー」


そんなやり取りの中で、


シャッターが切られる。


その瞬間の、


ほんの一瞬の笑顔。


それが、


とても自然で、


とても大切なものに見えた。


(……よかった)


心の奥が、じんわりとあたたかくなる。


家に戻って、


簡単なお祝い。


テーブルの上には、


少しだけ豪華な料理と、


ケーキ。


「おめでとー」


「ありがと」


ぶっきらぼうに返しながらも、


ちゃんと嬉しそうにケーキを切る弟。


フォークを持つ手が、


ほんの少しだけぎこちない。


(……照れてる)


その様子が、可笑しくて、


でも、愛おしい。


一口食べて、


「うま」と小さく呟く。


その何気ない一言に、


胸がすっと軽くなる。


(……大丈夫だ)


そう思えた。


あの子は、


ちゃんとここにいる。


ちゃんと笑って、


ちゃんと前に進んでいる。


それが、何よりも大事だった。



卒業式の少し前。


私は、あの話をした。


実父のこと。


櫻井さんのこと。


全部。


隠さずに。


弟は、驚かなかった。


少しだけ考えて、


それから、あっさりと口を開いた。


「……ふーん、いいんじゃない?」


あまりにも軽い返しに、


一瞬、言葉が止まる。


でも、そのまま続ける。


「でも、連絡先はいらない」


きっぱりとした声。


迷いはなかった。


「送るなら、姉ちゃんがして」


少しだけ視線を逸らしながら、


付け足す。


「多分、その方がいいよ」


その言い方が、


少しだけ冷たく聞こえて、


一瞬だけ胸が引っかかる。


(……冷たいな)


そう思いかけて、


すぐに気づく。


(……違う)


これは、


拒絶じゃない。


線引きだ。


自分の中での、


ちゃんとした整理。


「……そっか」


それ以上、何も言わなかった。


言う必要もなかった。


(……これが、この子の答え)


無理に近づかない。


でも、完全に切り離すわけでもない。


その距離感が、


とても、この子らしかった。


弟にとって、


“家族”はここにいる人たちで。


実父は、


“実父”でしかない。


それ以上でも、


それ以下でもない。


(……それでいい)


無理に何かを変える必要はない。


このままでいい。


この子は、


ちゃんと自分で選んでいる。


(……前に進んでる)


それが分かるから、


もう不安はなかった。



夜。


少し静かになった部屋で、


スマホを手に取る。


今日撮った写真を見返す。


校門の前での一枚。


弟の笑顔。


少しだけ照れていて、


でも、ちゃんと前を向いている顔。


(……これでいい)


それだけを、送る。


メッセージはつけない。


言葉にすると、


余計なものが混ざりそうだったから。


ただ、この瞬間だけを、


そのまま届ける。


送信ボタンを押す指が、


一瞬だけ止まる。


(……これ以上は)


できない。


しない方がいい。


それが分かっていた。


ぽん、と軽い音。


送信完了の表示。


それだけで、


少しだけ胸が静かになる。


(……これでいい)


繋がっている。


でも、踏み込みすぎない。


その距離が、


今の私たちにはちょうどいい。


窓の外を見る。


夜の空気は、少しだけ冷たい。


でも、嫌な感じじゃない。


(……ここが、居場所)


改めて、そう思う。


弟がいて、


両親がいて、


日常があって。


それが、何より大切なもの。


そして——


あの人は、あの人の場所で生きている。


互いに、


違う場所で。


でも、


どこかで繋がっている。


(……それでいい)


そう思えた。


私は、スマホをそっと置いて、


小さく息を吐いた。


静かな夜の中で、


心は、不思議と穏やかだった。

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