第三十二章 君の前にやっと来れた Sside
姪から聞いた場所は、
思っていたよりも静かなところだった。
人の気配は少なくて、
風の音だけが、ゆるやかに流れている。
(……ここか)
足を止める。
目の前にある名前を、
一度、ゆっくりと確かめる。
間違いない。
探し続けて、
ようやく辿り着いた場所。
それが——
こんなにも静かな場所だなんて、
どこか皮肉に思えた。
(……遅かったな)
胸の奥に、
じんわりとした痛みが広がる。
分かっていたことなのに、
実際に立つと、
やっぱり違う。
手に持っていた花を見下ろす。
向日葵。
君が好きだと言っていた花。
明るくて、
太陽みたいだと笑っていた顔を思い出す。
(……似合うよな)
小さく、息を吐く。
墓前にそっと供える。
鮮やかな黄色が、
静かな空間の中で、
少しだけ浮いて見えた。
でも、それが逆に、
君らしい気がした。
しばらく、何も言えなかった。
ただ、そこに立っているだけ。
風が、少しだけ強く吹く。
シャツの裾が揺れる。
その感覚が、
妙に現実的で、
逃げ場がないことを教えてくる。
(……来るの、遅くなったな)
心の中で呟く。
謝る資格があるのかも分からない。
それでも、
言わずにはいられなかった。
視線を、墓石に向ける。
「……正直さ」
声に出すと、
思っていたよりも低く響いた。
少しだけ、乾いた声。
「君との将来、ずっと考えてた」
言葉が、自然と続く。
止める理由もなかった。
「叶えたいって、思ってたよ」
あの頃の自分。
仕事に追われながらも、
どこかで、
ちゃんと未来を描いていた。
曖昧じゃない。
ちゃんと、現実として。
「……見つかったらさ」
一度、言葉が途切れる。
喉の奥が、少しだけ詰まる。
「結婚しようって、言うつもりだった」
風が、静かに吹く。
向日葵の花びらが、
かすかに揺れる。
「本気だった」
短く、言い切る。
それは、
今さら証明することもできない想い。
でも——
嘘じゃない。
あの時の自分は、
確かにそう思っていた。
(……遅いけどな)
小さく、苦笑する。
過去形でしか語れない未来。
それが、
妙に重い。
「……あの頃にさ」
視線を少し落とす。
「もっと、君を守れる力があれば」
自然と、言葉が零れる。
もし、もっと余裕があったら。
もし、もっと気づけていたら。
もし——
いくらでも出てくる“もし”。
「違った未来、あったのかな」
問いかけても、
答えは返ってこない。
分かっている。
それでも、
考えずにはいられない。
(……タラレバばっかだな)
心の中で、自嘲する。
今さら、
どれだけ並べても、
何も変わらない。
それでも、
言葉にしないと、
この気持ちは行き場を失う。
「……君の病室にもさ」
ふと、浮かぶ光景。
見たことのない場所。
でも、確かに存在していた場所。
「行ってみたかった」
その言葉に、
少しだけ感情が滲む。
「看病とか、したかったよ」
誰にも見せない顔で、
弱っている姿を支える時間。
そんな当たり前のことさえ、
自分にはなかった。
(……何も、できなかったな)
その事実が、
静かに胸に落ちる。
風が、また吹く。
今度は、少しだけ優しく。
「……今更だな」
ぽつりと、呟く。
全部、
遅すぎた。
タイミングも、
選択も。
「きっとさ」
顔を少し上げる。
空を見上げるように。
「見つけたとしても」
君の顔を思い浮かべる。
あの、揺れない目。
「君は、受け入れなかっただろうな」
確信に近い感覚。
「意志、強いからな」
ほんの少しだけ、笑う。
懐かしさが滲む。
(……分かってるよ)
最後まで、
自分を選ばない選択をする人だと。
それでも——
それでも、好きだった。
それは、
今も変わらない。
しばらく、何も言わずに立つ。
風の音だけが、流れる。
不思議と、
さっきまであった重さが、
少しだけ軽くなっている。
(……話せたからか)
届いたかどうかは分からない。
でも、
ちゃんと口にした。
それだけで、
少しだけ前に進めた気がした。
「……また来るよ」
静かに、言う。
約束するように。
「話したいこと、いっぱいあるから」
まだ、終わっていない。
終わらせるつもりもない。
形は変わっても、
この関係は、
続いていく。
そう思えた。
最後にもう一度、
向日葵に目を向ける。
明るい黄色が、
風に揺れている。
(……似てるな)
やっぱり。
君みたいだ。
俺は、ゆっくりと背を向ける。
足を一歩、踏み出す。
その瞬間、
背中に、やわらかな風が触れた。
振り返らない。
それでも——
確かに、
そこにいる気がした。
そのまま、歩き出す。
もう、
探さなくていい。
ちゃんと、
ここに辿り着いたから。




