第四十幕 「風読み」
脇目も振らずに空を駆けた
頭は歓喜で満たされた
伝えよう、この便りを
伝えよう、この報せを
「……あんた誰だっけ?」
「今でも鮮明に覚えている。その日、儂の所を訪れた身重のヴァルは覚悟と怒りを目に宿し、意志の強さを全身に漲らせていた。」
彼女が変わってしまった日のことを話してくれたクロイヌの目は遠い過去を思い出し、失われた何かを憂うような疲れた目をしていた。
「あんなにも我が子を喜んでいたあの者が、なぜ一晩で人が変わってしまったのか。儂もあの6年前の日に随分と悩んだものよ。」
深いため息をつき、一息入れるように杯を煽る。
「結局彼女は『今後の自分は見るに堪えない母となります。子を愛せぬ母となることをお許しください。』とだけ言い放ち、私の目を見るだけだった。理由を聞いても語れぬ、不安なのかと問えば答えは得ている、我々が手を貸すと言っても拒絶する。当時の儂の困惑を理解できるものはそうはおるまい。」
だが、彼はヴァルの意図を判断し、決断した。
そして今がある。
「でもあなたは彼女の意図を察し、長としての決定をくだした。そして今のルドに対する鳥人族の振る舞いがあるわけでしょ?その察した部分を話することすらできないのかしら。」
その対応が正解である可能性が高いのであれば、私はヴァルが母として選択した道を理解することが出来るかもしれない。
「これを話すことは一族どころか我々鳥人族全ての存在を脅かすことになる。おいそれと簡単に話せるような内容ではない。いかに聖女と言えど、これを将来政治的に利用され人族に利する可能性は皆無ではない。鳥人族を束ね、長としての信用を維持せねばならない儂にとって、それがどれほどの愚策なのかわからぬ貴殿でもあるまい。」
ズルズルと逃げるつもり……?
いえ、違う。
これは――
「ええ、わかっているわ。そして私は既に一つの結論を導き出してもいるわ。少し長くなるけど聞く気はあるかしら?」
前置きを据えて、相手の意思を尋ねる。
クロイヌは黙ってまっすぐこちらをみて、聞く姿勢を示した。
むしろ聞かせて欲しい。
むしろ気付いてほしい。
そんな意志が込められている。
だったら、遠慮はいらないわね。
私は座ったまま背筋をピンと伸ばし、姿勢を正す。
そして口を開く。
「風の精霊によって風のマナを媒介に『風の民』すなわち鳥人族へと伝えられる『風の便り』の正体について。
それは精霊の本質である万象に宿るマナが、全ての者に等しく接することから幾つかの推論が導き出されると思うの。
全てに等しく接し、分け隔てのない恵みと破滅をもたらす自然たち。それぞれの精霊たちもまた、己が司る事象において「恵みと破滅」をもたらす。
なのに風の精霊は風の民にたいして『風の便り』という特別な情報伝達の役割を『風読み』たちに課しているわ。それはつまり『風読み』を担わせる代償として特別な恩恵があるということに繋がる。そう予測するわ。
さて、我々人族が魔導工学の発展において、現時点において一番難解を極めたのが『空への進出』よ。
この世界の自然現象における最も身近で最も苛烈な存在である空気の流れ。それを読み解き制御する魔術は他の属性に比べて難易度が飛び抜けているわ。
長い魔術の歴史で体系化された現在において、その難度というのは忘れられて久しいけれども、近年台頭してきた魔導工学はそれを再認識することになった。
苦労の果てに我々人族が開発した『魔導飛空艇』はとてつもない発明であるとともに、今もなお安全性に疑問が残る上でその利便性ゆえに活用されている技術の一つ。
空を飛ぶということは、それだけ難しくて凄いこと。
では『風読み』を任される鳥人族はどうかしら?
元の鳥類の因子が含まれるということを加味しても、到底その翼だけでは大空を飛ぶことは叶わない。せいぜい滑空するのが関の山。
だけど、あなた達鳥人族はほぼもれなく風のマナと幼少の頃から高い親和性をもっていて、空を自由に飛ぶことを可能としているわ。
生まれてたったの数ヶ月で空を飛べるようになる。
これがどれほど特別なことか、普通に暮らしているぶんには考えもしないことでしょうけどね。
じゃあ全てに対し分け隔てなく接する精霊達がなぜ鳥人族にだけには高い風のマナの適性を保証するのかしら?
それが『風の便り』の宿命。
風の精霊は何らかの目的により『風の便り』を伝える者を必要とした。
そしてその役割を担う者として、空を舞うために必要な力。それを鳥の因子を持つ獣人に対し与えることを古代に決め、鳥人族はその恩恵を受けながら独自の発展を遂げた。
そして、この破格の恩恵は一つの条件を持つのではないかしら?
『精霊は嘘をつかない。』
その精霊が真実を伝えるものを限定し、その役割を担う恩恵を約束した。じゃあ、その役割を担う者。つまり、風の民の『風読み』は――」
クロイヌの目つきが期待と不安に見開かれている。
彼だけではない、書記板に記録する手をとめたままイスタが私をじっと見つめている。
周りに控えていた護衛の兵士たちも、従者たちも。その場にいる全ての鳥人族たちが私の方を向いて視線を集中させている。
みな一様に、期待と不安の眼差しを隠すことなく、その目に宿している。
あなた達はそんなに待っていたのね……
それを理解するものを。
柄にもなく発言に気合が入る。
「あなた達『風読み』は『風の便り』を伝えられる相手が限定されている。そもそも、『風読み』の言葉は対象者にしか聞こえない。
もし別の手段でこの『他者に伝わらない、伝えるべきではない情報』を教えてしまった場合、あるいは知られてしまった場合。あなた達は風の精霊からの加護を失う。
つまり、空を飛べなくなる。
これがあなた達『風の民』がもつ『自由に空を飛ぶ』ことと別に持つ、もう一つの種族魔法『超高度な風のマナ制御による情報伝達魔術』。それが『風の便り』の正体。そして『風の民』と『風の精霊』の関係性。」
高度な風のマナの制御により空を自由に飛べるようになる種族魔法。そしてそれに加えて、超高度な風のマナの精密制御による、局所的な『音の伝播』を可能とする技術。『対の指環』の思念会話とは異なり、通常空間における通常の言語伝達が、特定の人にしか伝わらないように空気を限定的に振動させる、尋常ならざる種族魔法。
これが超高度な情報伝達魔術をなんの修行もなく使える代償。
私は眼の前にある果汁入りの盃を手に取り、こくこくと飲み干した。喋り続けて枯れた喉に、不思議な味わいの果汁が染み渡る。
盃を盆に置いて、クロイヌへと視線を向け反応を見る。
彼は私が話している間、終始笑顔を崩すことなくずっと私の目を見つめたままで静かに話を聞き続けていた。
今は満足げな顔で、何かを噛みしめるかのように目を瞑っている。
「だから、ヴァルの話を聞けなくてもあなた達は彼女の発言を受け入れた。種族全体でルドを排斥することを選んだ。それが風の精霊に求められたことで意味のあることだと察したのね。そしてそれを知ろうとしたり覆そうとすれば自分たちが独占している空の支配という種の優位性を失うのだから。何より精霊が求める所に必ず意味があると信じているから。
あなたは種族を束ねる長として、風とともに生きる民として、選択をして命令を下した。皆もそれを受け入れた。
そして今がある。」
話し終えたことを示すかのように、私は伸ばしていた背筋から力を抜いて背後にあったクッションへと体を預ける。
左側で唖然とした表情で固まっているリリスの顔が視界に入る。
「ま、こんなところかしら。」
気合を入れて姿勢をただし、じっと相手を見つめながら真剣に話したものだから、妙に目が乾燥してしまった。
目を瞑って理力を行使する。
ぱぱっと全身を調律して体調を整えてしまう。
数瞬後、目をあけてクロイヌを再び見る。
未だ何かを期待するように、こちらを見て黙したままの彼が目に映る。
……はぁ。
ここまで言わなきゃ安心できないってことか。
小さくため息をついて、崩した姿勢のまま再び口を開く。
「もちろん、これを是とも非とも断ずることすら、あなた達にとっては危険なことなのを理解してるわ。せいぜい言えることと言えば、話せないということを話す程度。先程の貴方のように、ね。」
そう付け加える。
ここまで聞いたクロイヌはようやく安心したように息を吐く。
そして、私同様完全に力を抜いてクッションへと体を投げ出した。
彼もまた、柄にもなく緊張していたようだ。
それを隠そうともせず、安堵と歓喜を全身で表している。
一族の長といえど、可愛い所もあるのか。
ちょっと意外。
結局のところ。
ルドの母親であるヴァル同様、彼らはルドを嫌ってなどいない。
風の精霊を信じ、ヴァルを信じ、ルドを信じ、そして自らの長の決断を信じて筆舌しがたい苦難に耐え続けている者たち。
空を自由に飛ぶ力を得た彼らは、それに傲ることなく気高く生きる。
それ故にその力を失うことを恐れる。それと同時にその力を持つ仲間を信じている。だから、ルドが自分たちの元から離れてしまったことも受け入れた。
風の精霊を信じ、彼女を取り巻く自然を信じた。
それが今の鳥人族だ。
何のことはない。
彼らは仲間を信じてる。
その中にはルドもしっかり居る。
それだけのこと。
私は寛いだままクロイヌの反応を待った。
リリスは相変わらず唖然としたままで、迷子になってしまった自分の憤りの向かう先を見いだせず動き出せないままだ。
「くっくっく……。」
脱力して目を瞑っていたクロイヌがくつくつと笑い出す。
なんやねん。おい。
是も非もできないなら笑ってごまかすとかじゃあるまいな?
胡乱げな薄目を彼に向けて突き刺してみる。
「いや、なに。すまぬ。一つ話を思い出してな。」
クッションに体を投げ出し、肘ついた方の腕で目を覆い、ニヤけたように歪んだままの口を隠そうともせず。彼は口を開いて語り始めた。
「昔、爺様から聞いた話だ。
とある生命力溢れる立派な体躯を持つ鳥人族が居て、その膂力を風の精霊に認められた連中の一人が『風の便り』を任されたそうだ。
そいつは喜び勇んで全身に歓喜と興奮をたぎらせたまま大地を飛び立ち翼を広げて便りを届けに行った。
そいつは目的の場所の人物の所を目指して太空を疾駆したのだ。
だがな、そいつは頭の造りに少々難を抱えていてな……なんというか、壊滅的に記憶力と思考力が欠けていたのだ。
元より家族の名前や姿を覚えることすらたびたび違えるほどの者でな。
そんなやつがどこぞのだれぞになんぞの便りを任せられて、本当にちゃんと便りが届くのか?
案の定、そいつはまったく関係のない別の誰かの所に降り立ち『風の便り』を伝えようとした。
だが、なぜか相手は不思議な顔をしてこちらを見るばかり。
自分は伝えようとしてるのに、相手は不思議な顔をして困惑するばかり。
業を煮やしたそいつは、手早く伝達内容を拙い筆跡で紙に記し、文字にて伝えたそうだ。
そんなバカが文字を覚えていたことに驚くがな。
それを見た風の精霊は落胆しただろうな。
とんだ見込み違いだった。と。
そして連中は空を飛ぶことをしなくなった。
……まぁ、その奇跡のアホは今も元気に南方大陸の大地を疾走してるがな。
化け物じみた生命力と奇跡的な頭の悪さと記憶力のまま、信じがたい脚力を生かして立派に生きている。」
そこまで話して、彼は再び面白おかしそうに笑う。
「そいつのことをなぜか思い出してな。思わず笑った。他意はない。赦してもらえれば……ありがたいな。」
彼は目を覆ったまま、口を歪ませて笑った。
彼の隣に居たイスタも、いつの間にか俯いたまま小さく肩を震わせている。
周りの護衛兵も従者たちも俯いたり、天を仰いだまま何かをこらえて動けないようだ。
「あなた達も大変ね。」
私は大きくため息をついて、彼らを労う。
「空を飛ぶということは、相応に色んな重荷を抱えることということだ。……なあに、真なる友を新たに得ることも解った。儂の選択が未来を紡いだのであれば、こんなに嬉しいこともあるまい。」
彼は覆っていた手で目を拭うように振り払うと、少し赤い目で笑ってみせた。
「ところで、昼食はまだであろう?儂と一緒にどうだ。腕によりをかけさせる。新たな友に是非とも食わせたい料理がある。どうだ、セレナ。」
「そうね、ごちそうになろうかしら。世話になるわ、クロイヌ。」
「決まりだ!みな急ぎ準備を進めてくれ!」
満面の笑顔で彼は立ち上がり、手を掲げて命を下す。
「「「はい!」」」
彼の声に同じく満面の笑顔で返事をした従者たちが我先にと動き出す。
慌ただしく動き出す鳥人族たちを見回していたリリスは、やや複雑な面持ちだったが、やがて納得したかのように小さくため息を漏らした。
私の視線に気付いてこちらを向くと、照れくさそうに笑った。
相棒も彼らのことを理解したようでなにより。
彼女に笑顔を返して、私も一安心する。
ウソをつくのも大変よね。
生命力あふれる、奇跡のアホ
そうです、あの鳥です
色んな鳥がいますが、ある意味別格
大好き




