第三十二幕 「求道者」
全てはここに在る、お前もその一部だ
だが、お前たちはそれ以外を識ってしまった
だからもう一度戻るためには、気の遠くなる努力が必要なのだ
「それがたとえ、何億年の果てだろうと、お前たちは求めるだろう。」
トレードウィンドの北西。
人気のない岩場が続く高台の先には、白銀山脈の北端の山裾が見えた。
高台を登りつづけ北へ向かうと、やがて岬が見えてくる。
その岬の先端近くには、街からも見えていた大きな灯台。
既に自動化された遠方投射型魔導灯が、駆動音を静かに響かせながら、水平線と空に向かって光を届けていた。朝焼けのまだ少し暗い空に照らし出された雲が浮かび上がっている。
灯台も建物自体は古いようで、潮風に耐えるために塗り固められた壁材が風化して所々剥がれているのが目に付く。
その灯台のすぐ下に建っている小屋。
潮風から守られるように、灯台の影に建てられた小さな建物。
とても家と呼べるような立派なものではない。
本当に小さな小屋だった。
この小屋もずっと潮風に晒されていたのだろう。
塗装はくすんで殆ど剥げ落ちてるし、木材は潮風に削られて白化してしまっている。所々が不器用に補修されてはいるものの、もはや崩れてしまう寸前なのではと思えてしまうくらいにはボロボロの小屋だった。
簡素な扉には錠前の穴もなく、簡素なドアノブがついているだけ。
ノブをひねるとカチャリと軽い音が聞こえた。
これもほとんど壊れてるようだ。
軽くて薄いドアは乾いた音を軋ませながら簡単にひらいた。
中は狭く、質素なものだった。
一人で寝るので精一杯な小さなベッドと、小さなテーブル。
大人がなんとか座れるくらいのイス、小さなスツール。食器が幾つか入った棚。その下には、かまど。
1人分の料理くらいならなんとか作れそうかな?その程度のかまど。
ベッド脇には小さな棚があり、本がいっぱい詰め込まれている。
どれも傷んでしまっているが、装丁が傷んでる箇所をみれば大事に読まれていた本だということが見て取れた。
背表紙に書かれているエリシア語をみると、古い時代を舞台にした古風な言い回しが特徴の老剣士が主人公の物語シリーズが並んでいる。
私も読んだことがある。
「我が征く道を阻む者よ。覚悟せよ。何人たりとも我を止められぬ。」
そう言って敵に斬りかかり、必ずピンチを切り抜ける。
そんな決め台詞が好きだった。
他には薬草の知識の本だとか。海洋生物の本だとか。
生活に役立つであろう雑学の知識ばかり載っている本など。
小屋の主人の趣味が垣間見える本たちだった。
小屋も家具も本も傷んでしまっているが、中は小綺麗に掃除されており不快な感じは無かった。ベッドの脇に焦げ茶と白の鳥の羽をまとめて作った小さな箒があった。
たぶん、ルドの羽根だろう。
でも、羽箒ってそういうんじゃないんだけどな。
そんな言葉を思い浮かべ、クスッとわらってしまった。
「セレナ。大丈夫ですか?」
扉から小屋を覗き込みながらリリスが声をかけてきた。
「うん。大丈夫。どうやらルドは、思ってた以上に貧しい暮らしだったみたいね。」
もう一度部屋の中を見回しながら、そう返事をした。
鳥人族は平均的に小柄な種族なので、彼ら用に作られた小屋ともなると相当小さいようで、長身なリリスが入るのが難しそうだったので外で待機してもらっていたのだ。
対して私は小柄な部類に入る。
そんな私にとっても、この小屋は小さくて狭かった。
『ハクトウ』の氏族であるルドも、羽根を広げれば横幅は随分ある。
彼女にとってもこの小屋の中は十分な広さとは言えないだろう。
ベッドは小さくて傾いているし、隙間風もひどそうだ。
それでも、今までずっとこの小さな空間は彼女の大事な思い出と安らかな眠りを守ってきてくれた場所なのだろう。
そう思うと、なぜだかこの場所がとても温かな所に思えて、私は自然と笑顔になって、最後にもう一度部屋の中を見回した。
そうして私は彼女の思い出の場所を見終えて小屋の外に出た。
「ティガは居た?気配殺してるのか私でも見つからないんだけど。」
先に周りを見たであろうリリスに私は尋ねた。
「岬のさきっちょです。座って瞑想してましたよ。」
笑顔で彼女が教えてくれた。
なるほど。
精神統一して瞑想してんのか。
さすが『ナガレ』を目指す者だ、感じ取った感覚を完全に自分のものにするまでは油断できないってか。
「修行熱心なことね。」
「ちょっと私にはない価値観です。」
そういうストイックさとは無縁そうね、リリスは。勤勉家で凄い頑張り屋なのは認めるけど。まず間違いなく武人肌ではあるまい。
そんなことを考えつつ、私は岬の先端へと向かう。
波しぶきすら届かないほど高いところにある高台の岬。さらに上に向かって切り立つように尖り出ている岩場の先。
ティガはその細長い場所にあぐらをかいて座り、ピクリとも動かない。
私は無造作に彼女のそばへと歩み寄り、右隣の位置で立ち止まりしゃがみ込む。そして覗き込むようにして彼女の顔を確認する。
目を瞑ったティガが足を組んで座り、手を正面で妙な形に組みながら静かに呼吸だけをしている。本当に静かで長い呼吸のためか、ティガが一切動いてないような錯覚に陥るくらいには、彼女の吐息は静かなものだった。
多分これはティガの故郷か『ナガレ』の修行の一環だろう。
南方諸国にそういった精神修行の文化があると聞いた記憶がある。たしか猫人族の主な居住地域も南方諸国周辺だ。
彼らの文化的源流にも近しいものがあるに違いない。
『にしても、微動だにしないわね。』
『呼吸してるのか不安になるレベルで動いてませんね、ティガ。』
私とリリスでティガを挟み込む形の立ち位置で彼女の観察を続ける。邪魔するつもりは無いので指環の完全隠匿機能使用状態なうえに、一応思念会話でのやりとり。
だと言うのに。
「セレナとリリスか?」
ティガは不意にそんなことを口にする。
驚いた私はリリスの方を見る。
『隠匿解除した?』
『いいえ、此処に来る前からずっと隠匿状態です。』
『私もよ。』
リリスも驚いたような顔だ。
「いるんだろ?気配も音も匂いも無いけど、なんかわかるんだ。」
そう言えば『対の指環』は臭跡にも対応してたな。リリスと初めて出会った夜も彼女の香りには気づいてなかったのを思い出す。
「驚いたわ。あなた指環の隠匿機能を見破ったの?」
「やっぱり居たんだな。見破ったのとはちげーと思うぜ。今のあたし、なんつーか色々とギンギンでさ、感覚が研ぎ澄まされてんだよ。」
「あら、おっかない。」
「あたしもだ。今まで無かった感覚が体に満ちてる。ちょっと怖いくらいだ。」
「でもそうなると『魂の香り』はどうなるのかしら。」
私はティガを指環の効果範囲内に含めるよう広げてから喋りかける。
「ああ、それも実際の嗅覚を介して嗅ぎ取ってるからな。匂いを嗅ぐことができない状況でもわかんなくなるね。だから今2人がいるって思ったのは『そこに何も無い違和感』のようなものを感じたからかな。」
また驚かされる。
今のティガは私の理力による知覚強化や魔力感知を併用したレベルと同程度の周辺認識能力を有しているということだ。
「私もそれ判るわ。万象の流れに空白が生まれる感じよね。」
「……ほんと、なにもんなんだセレナは。あたしがようやく手にした境地をやすやすと語ってくれるじゃねーか。たまったもんじゃないねぇ。」
そんな憎まれ口をたたくが、顔は嬉しそうに笑っている。
「で、なにか掴めたのかしら。」
「お陰様で。自己の内面認識が一皮むけたっつうか、己の中にある『内の流れ』を認識できた。おかげで己の『外の流れ』との違いもわかる。
あとは溶け込むだけだ、……自然体で自分の外と内を見つめ、一体化するだけ。思った以上に難しいけど、かなり楽しい。
ようやく師匠が言っていた意味を理解した。これであたしはマナの流れを理解できる。それが嬉しくてしかたない。」
珍しく饒舌に語る彼女の目は、とても澄んでいて落ち着いた眼差し。だが瞳の奥に爛々と燃え盛る歓喜と待望の意思が宿っている。
「言ってること、わかるようでよくわからないけど。あなたが嬉しそうで何よりよ。」
私はそういって立ち上がる。
「ルドはここに来てないのか?」
ティガがふと思いついたように尋ねてきた。
「ええ、ミアとお買い物。これからお互いのそれぞれの旅に必要なものを揃えようってね。シャルが付き添ってるわ。」
「そっか。……いい場所だよな、ここ。日差しは強くて、ゴツゴツした岩の足場。あんなに海は荒々しいし、風が強くて冷たいのに。ここは何もなくて、全てを感じられる。後でルドにお礼言わなきゃだ。」
そう言いながらティガは深呼吸する。冷たい潮風を肺に満たし、息を止めてまた目を閉じる。
「ちょっとティガが言ってることがよくわかりません。……貴女はここで何をしていたんですか?」
前かがみだった姿勢から状態を起こしながらリリスが不思議そうな顔で問いかける。
「平たく言えば修行だ。自分が世界の一部だって知るための……『ナガレ』として歩むための第一歩のな。」
まるで何千回何万回も自問自答してきた境地への答え。
それをもう一度だけ繰り返す。そんな果てなき道を歩み続けてきた者が持つ、穏やかさや達観。
今のティガからはそんな神妙な気配を感じる。
「……余計わからなくなっちゃった。」
でもそんなことは関係なく、そういった世界に触れたことすらない彼女らしい反応。
また少し笑ってしまう。
「リリスはそれでいいのよ。こういうのは『求道者』の役割よ。貴女が無理に理解するような世界でもないわ。」
「ははっ、そうかもな。」
「むー。ちょっとは興味あるんだけどな。実は私、『夢見』をやってると、色んな人のいろんな感覚や感情を知る段階があってね、それを認識するため『夢見』空間で共有してると千差万別の感性の違いを追体験するの。
誰一人として同じ『魂の形』はなくて、いろんな形を知るたびに共感したり驚嘆したり、すっごく楽しいんだ。」
「へぇ。サキュバスの種族魔法はそんな所まで知れるのか。感覚がわかんねーからなんとも言えないけど……なんかすげーな。」
「リリス、あなた……夢見のたびにそれほど多くの情報に触れるの?」
「そうですよ。記憶やイメージを知るために必要なことは、その人の根幹と感性、感情や人間性を知る『魂の形』を認識するところから始まるんです。
そうやって対象の人となりを知ることで記憶とイメージの断片が何を意味するのかを読み取ります。そして、その時の感情の起伏を読み解く。
そうやって得た情報から『夢見』の世界を構築して、違和感のない場所や状況を再構成するんです。元が理解できてなきゃ、そっから応用も転用も、まして悪用なんてできませんからね。」
「……すまん、あたしにはさっぱりだ。」
「あはは。私も実はちゃんと理解してないかも。」
「……さすがリリスね、本当に凄いわ。」
本当に、心の底からそう思った。
その人の心の根幹。ありとあらゆる行動原理の原初。
人となりを構築する『魂の形』を認識する能力。
サキュバスの種族魔法の根底にある原理。
『それこそが彼女の真価。』
ディダが一言だけ呟く。
『……ある意味この力は。』
『そうだよ。セレナの考えているとおりだ。いつも通りで悪いけども。』
『解ってるわよ。当人に言うつもりはないわ。』
『ふふ。ありがとう、セレナ。大好きだよ。』
……ま。
いずれ彼女も識ることなのだろう。
私たちの役目がそうであり、目指すところがそうであるなら。
その場所に待ち構える者たちが答えを示す。
それがいつになるかは私にはわからないけど。
不思議と焦燥感のようなものは感じない。
私たちはシャルやルドが示した『世界の終わり』が未来に控えているという事実を知っているはずなのに。
ほんと不思議な感覚。
「で、ここに2人は何しに来たんだ?あたしに会いにって訳じゃないだろ?」
「色々確かめたくてね。あの子の……ルドの思い出や、話してくれたことの事実関係なんかをね。」
「私はセレナが行きたいって言うから付き添いです。」
「事実関係?」
「ここからはよく見えるわ。」
私は踵を返し、岬の東にあるトレードウィンドの街並みに目を向ける。
『夢見』で彼女が見ていた視線のさきにある街並みの一角。
街の片隅にあって時折『空便』の仕事中であろう鳥人族が飛び立ったり戻って来る建物と、その周辺にある家屋。
人族用とは明らかに建築様式の異なる、高いところに入口が設けられている鳥人族用の住居群。恐らく、ルドの氏族や家族もあそこにいる。
本当に、よく見える。
視界を遮るものは何も無い。
「やり残しがあったら嫌だからね。確かめておきたいの。」
一言、そういって私は歩き出した。
「邪魔したわね。私は用事を片付けてくるわ。また夜に、宿部屋で。」
振り替えずにそう付け加えておく。
「セレナ。」
彼女が強い意思の籠もった声で、歩き続ける私に声をかけてきた。
私は立ち止まること無くゆっくりと歩き続けた。
「我が求道の先に、貴女が居てくれたことに。心からの感謝を。」
ティガの口からは。ゆっくりと心と想いを込めた言葉が紡がれた。
「受け取っておくわ。きっとこれからも大変だろうけど、頑張りなさい。」
やはり止まることも振り返る事もせずに、私は返答する。
「……おう。セレナも。」
ティダは短く返事をして、また精神統一へと戻った。
リリスは何も言わずに後をついてきてくれる。これから向かう先も察してくれているだろう。それでも信じて一緒にいてくれる。
さて、正念場かしら。
そう思いながら、私はふんすと鼻を鳴らし目的の場所へ向かった。
ルドの母親のところへと。
瞑想って良いですよね
物事を別の視点から観察する時に便利です
自分の中に別の自分を生み出し、第三者的な視点で自分を見つめ直す
おい、寝るな。
自分。




