第三十幕 「強化獣化」
あとちょっとで手が届くんだ
そうおもったまま数年が過ぎた
何も変わらない日々がここまでの地獄だなんて
昔の自分は夢にも思わなかっただろうな
「でも、もう違う。」
最初に動いたのはミア。
倒れ込むような前傾姿勢からの、前に落ちるような加速。同時に彼女は前かがみに身を縮こませて、曲げた膝を一気に伸ばし両足で地面を蹴り抜いた。速度が最小から急激に最大へと膨れ上がる。
今まで二拍で詰めていた距離が半拍で埋まる。
だがルドは動じていない。
見開いた金色の目をミアから離さず、真っ直ぐ下に体を落として小さく翼を広げる。数瞬後、ミアの手が届こうとするその刹那。まるでミアの伸ばした手から生じる風になびくかのように、彼女のからだがゆらりとブレる。
そのままミアの右手をぬるりと避け、彼女の低い体勢のさらに下をくぐるように、ルドの体が超低空飛行で地面を通り抜けた。
ミアの手を逃れた直後に開いた翼から、風のマナが迸り同時にルドの小さく軽い体が矢のように風切り音を立てながら水平に飛翔する。
ほんの一拍ので起きた接近と攻防と回避と離脱。
だがミアは次の瞬間には無拍子で停止と方向転換と再突撃の準備を終わらせ、次の半拍には水平な地面を突進と逆方向へと跳ね返り、ルドの回避先を追従する。
回避行動をした先のルドは超低空飛行のまま大きく広げた羽根で体を翻し、そのまま風を孕んだ翼の前で風のマナを練りこんだ。
途端に空気が凝縮され、励起されたマナが薄緑色の燐光を放つ。
歓喜に打ち震えた風の精霊たちが、行使者の思いに応え、金色の円らな瞳が捕え続ける、灰色の影へと躍りかかる。
灰色の影の目が驚きに見開かれ、眼前に迫る無数の真空に意識が向かった。
まっすぐ飛来するはずだった刃は風を受けて舞う羽根のように、ふわりと軌道を変えた。まるで対象者の動きに合わせるかのように追尾してくるのだ。
それでも影は構わず突き抜ける。せまりくる無数の羽根を速力と体の柔らかさを駆使した奇妙な体の捻りを連続で繰り出し、次々とすり抜ける。
しかしルドは、相手が弾幕を抜けきる前に翼で大きく羽ばたくと『空域』へと上昇してしまう。
五秒が経過したのだ。
ルドは自分有利のフィールドに退避すると、上空からミアを睥睨する。
凄い。
ほんとうに、凄い。
行動の最小単位が先ほどの戦闘とは天地の差だ。
さっきだって決して常人の域ではなく、間違いなく高速戦闘の部類だ。
しかし今回の2人は、半拍の間に2~3個の行動を織り交ぜ、裏拍で既に次の行動や対処を決め終え、次の半拍で行動できている。
一拍一合の間にお互いの攻防が入り乱れているのだ。
「これが戦闘種族の生来の資質なのね……呆れ返るわ。」
「二人とも、動きが見違えましたね……。」
「あら、ルドは『ハクトウ』だからそうかもだけど。ウチの子は『灰の一族』よ、平和で温厚なことで昔から有名なのよ?」
シャルが嬉しそうに我が子の動きを目で追いながら、しれっと答える。
「じゃ、父親の教育ね。しっかり戦闘種族のセンスだわ。」
「あら、自分で焚き付けておいて人のせい?貴女らしくない。」
「私は彼女の蒙を啓いただけよ。眠っていた力を一時的に呼び起こしたの。それでミアが戦闘狂になっても、それは彼女の元来の本質よ。」
「セレナ……そういうのを焚きつけるっていうのでは?」
リリスに突っ込まれた。
無念。
「にしても、素晴らしい成長っぷりだ。惚れ惚れするね。」
ディダは眼下の流れを見ながら感心している。
「泣き虫と弱虫が、あんなに立派に戦うさまを皆に見せつける日がくるとは、本当に驚きね。」
「子供の成長をみると、母としてこんなにも心躍ることはないと言わざるをえないです。」
私とシャルも眼の前で起きている驚異の成長を思い思いに評価する。
「シャルさんが幸せそうで何よりですけど……大丈夫です?アレ……。」
一人だけ心配で目が離せないリリスが、歓談する我々の注意を引く。
『空域』に逃れたルドは高度をとってミアが追従できない高さまで昇る。
そして大きく翼を広げて空中に静止したかと思うと、手を広げて大量のマナを練り始めた。
薄暗い空の雲がうねり始め、渦をまく。
風が巻き起こり荒れ地で砂埃が舞い始める。
それはルドを中心に集約される大気の咆哮。
圧縮され解き放たれるまで、軋み、膨れ上がり、無秩序に騒ぎ立てる風のマナ達が今か今かとはしゃいでいる。
放たれる前だというの強風が地面を舐めて砂嵐が起きている。
あれじゃ目も開けていられないだろう。
「おや。大技?」
「あらあら、なんて拙くて荒々しいマナの流れかしら。あの子、飛ぶことにマナを使うのは上手くても、攻撃にマナを使うことは殆どやってこなかったのね。とても乱暴で可愛らしい術式。」
「でも、手も足も出ないミアにとっては驚異だね。ミアが動けなくなってしまったら、時間切れでルドの勝ち。なかなか面白いことをする。」
「ひいぃ!『夢見』の空間環境要素が全部影響受けてる!!」
リリスは急に額に冷や汗を浮かべ、空間の制御に奔走する。
マナを練り続けるルドの顔は平坦で抑揚のない顔だった。
金色の瞳はくりくりと動き、最適化された瞳孔がミアを捕えて離さない。
ルドは大きく開かれた翼と両手でマナを練り続けた。
荒々しく、粗雑な、真っ直ぐな思いを込めて。
ゆえに風の精霊達は歓喜し、こぞってルドに同調する。
彼女の無心の呼びかけにお祭り好き達が全力で応える。
時間にしておよそ五秒。
十全に練られたマナは、もはや圧力限界だ。ルドの実力ではもう保持できない。だから彼女は押し出すかのように両手を前に差し出した。
大きく見開かれた瞳と、大きく裂けた口角。
顔が嗤っている。
そして想った。
『ぶっ飛べ。』
風のマナも嗤った。
瞬間。
超音速の大気が轟音を響かせながら上空から叩きつけられる。加圧された空気が超硬度の奔流となって地上へと襲いかかる。
『墜天』
私たちの魔術体系にも似たような術がある。
風の魔術における上位魔術。圧縮した空気を打ち出し対象を攻撃する魔術。その規模次第で戦術級までの効果値を高められる汎用性の高い魔術だ。
個人用に圧力密度や射出速度を高める方向性も可能で、術者の性格が現れやすい魔術でもある。
ルドが選択したのは、広域制圧術式。
効果範囲は訓練領域ほぼ全てだろう。
戦術級。
超音速で迫る高圧大気。熱を孕み、全てを押し潰そうと領域全てに襲いかかる。ミアには躱せない。
これはもう止めるべきかな?
そう思った時、地上のティガが嗤いながらミアを見ていることに気付いた。
ハッとしてミアを注視する。
大きく身をかがめて、全身に力を漲らせている。
深く腰を落とし、限界まで曲げた足と膝にはマナが込められているのが判る。
一切変化のない外観。
だが、一瞬。ミアの足元が青白い光を放ち、『ジジジ……ッ』と妙な音を立てた。
まさか……あの子、もう掴んだというの!?
私は慌ててリリスへの強化値を基準値80%まで高める。
「ひぇ?」
リリスが間抜けな声をあげた。
眼下では超加圧・熱圧縮された大気の塊がミアへと迫る。
効果領域が迫り、ミアのシルバータビーの髪が熱と圧に押されてフワリと揺れた。もう逃げられない。
次の瞬間。
薄暗かった領域が、刹那白く染まる。
まばゆい閃光が弾けた。
『パァァン!!』
同時に空間を切り裂く破裂音が甲高く響き渡る。
その直後。
地面に着弾したルドの『墜天』が轟音を響かせながら、その圧を全解放する。超大型の台風のように吹き荒れる風と圧が熱を孕みながら無茶苦茶な方向へと暴れまわる。
大木を吹き上げ切り刻んで、大岩すらも吹き飛ばし砕きながら、大量の砂と谷底の水すら吸い上げて、、視界ゼロの乱流域を生み出す。
しかし、その暴威そのものはたかが数秒で霧散してしまう。
ルドの魔力総量では維持は難しいのだろう。
ルドはスッと地面に降り立ち、油断なくあたりを見回す。
ミアの姿がない。
「……ミア?」
風の余韻と、巻き上げられた物がバラバラと落下する音だけがあたりに響く。嵐の後の静けさといった具合だ。
「……え。み、ミア?」
ルドの顔が青くなる。
やってしまった!みたいな顔で彼女の顔が悲痛に歪んだ。
「ウソ。まって……ミ――」
彼女が大きく息を吸い、ミアと叫ぼうとした次の瞬間。
「うャん♪」
直上から降ってきたミアが彼女の背後でするり回転し背中におぶさる。
「つかまえたャー!」
完全に意識外。不意におぶさった彼女の重みで、ルドがカクンと地面にしゃがんでしまった。
「ミアの勝ちだャー。」
スリスリとルドのうなじに頬ずりしながら上機嫌のミア。
驚いた顔でカタカタと体を震わせているルド。
決着。
試合開始後、たったの30秒ほどの出来事。
「見事ね。」
「あの子、ルドの術を貫通して上空に跳んだのかしら?」
「そうだね。以前見せた身体雷化の応用だ。文字通り光の速さでルドの遥か上空に跳び、身体制御だけで落下位置を調整。猫人族の靭やかな動きで体を捻り、落下の運動力を完全に殺した。ルドの虚を完全に突いた形だ。」
私たちは心底感心しながら感想を口にする。
「くっ、空間が崩壊するかと思った……!」
脂汗を浮かべ、イスにもたれかかるリリス。
偉いぞ。よくぞあの状況で『夢見』を維持できた。
さすがリリ凄。
「よ、良かった……やり過ぎちゃったのかと思った……。」
「凄かったのャー。でもミァも頑張ったのャー。」
「全然捉えられなかった……ミアも凄いよ。」
仲良く頬ずりしながら2人が互いを称えている。
「最高だぜ。二人とも。」
ティガが感極まった声で評価を述べる。
あの猛威のなか、元の位置から微動だにせず。腕を組んだままで、状況を直視し続けていたのだろう。髪はボサボサ、土埃といろんな破片にまみれながら、それでも満面の笑顔だ。
「セレナの強化を十全に使いこなし、それぞれが見事な動きとマナの行使をやってみせた。試合としてはルドが負けだが、勝負としてどちらも最高の動きだった。」
手放しの賛辞を高らかに宣言しつつ、彼女は組んでいた腕を解いた。
そして、悠然と何度かの拍手を打ち鳴らす。
そんなティガの姿に、ミアもルドも照れくさそうに笑い、嬉しそうに頬を染めた。
「じゃあ、交代だ。」
そして、ティガはいい笑顔のまま事も無げに言い放つ。
「うぇ……ミァ、割としんどいのだがャ。」
「わ、我もちょっと魔力の制御が拙かったのか、凄くしんどいです……できれば休憩したいのでありますが……。」
まだ続けるのかといった具合に、表情を曇らせる2人。
「あめぇぜ。二人とも。敵は油断して疲弊したときにこそ来るもんだ。」
にこり、と貼り付けた笑顔で2人の要求を拒絶するティガ。
「うャー……じゃ、今度はミァが逃げてルドが追っかけるのかャ。」
「時間的な制約はそのままでいいんですか?」
それでも前向きに次に備えようとする2人。
なんだかんだで楽しそうではある。
が、それも長くは続かなかった。
「時間的制約はナシだ。二人とも命がけで逃げろ。」
平坦な声。
「ふャ?」
「えっ。」
対する2人は、意味がわからず間抜けな声を上げる。
「好きなだけ、好きな場所に隠れても良い。地形を生かして逃げ続けても良い。3分間、耐えてみせな。」
「……あ゛っ。」
「……あの?」
ミアの顔面が真っ青になる。
ルドは呆けたままだ。
「もちろん攻撃してもいいぜ、止められるもんならな。」
そう言ってティガは
打ち鳴らしていた両手を下ろし、ゆるく構える。
「コォ…」
独特の呼吸。
丹田に意識を集中し、一瞬で体内に大量のマナを練り上げた。
「ハァ!!」
ティガは練り上げたマナを解放し、濃密な殺意とともにそれを解き放つ。
解き放たれたマナが閃光のように視界を塞いだ。
気づいたときには、そこにティガの元の姿は無かった。
前回と比べ物にならない速さで、ティガの体が膨れ上がり、茶色と黒の毛が体を覆い、大きな牙と爪が生え揃っていた。
「鬼ハ、アタシダゼ。」
誇張なく、大きく裂けた口でニタァと嗤いながら。
『獣化』したティガが身を低く低く構えた。
悠然と、無音で、だが一切の威を消すことなく。
眼の前で怯える獲物を捕えんとすべく。
構えた。
その刹那。
大地が爆ぜた。
かつてティガは夢見で「獣化」して
強化したセレナといい感じに戦いましたね
今のティガは「獣化」して「強化」されていますね
はい
頑張れ!ミア!ルド!
死ぬなよ!!




