第18話:かつての戦友
「ガアアアアアアアアアッ!!」
異形と化したタイムキーパーの咆哮が、大ホールの空気を震わせる。
すさまじいスピードとパワー。それに加えて、SORROWの知覚を狂わせる能力が攻撃の当てにくさに拍車をかける。
「……ッ、また空振った!? どこだ、どこにいやがる!」
カイが放った打撃が、何もない空間を虚しく切り裂く。
WRATHになる前は正確無比なタイミングで発動され、デウスの逃亡を助けていたであろうタイムキーパーのSORROWの能力。
それが今や、WRATHの暴走によって能力が垂れ流されているような状態だ。
WRATHになる前のタイムキーパーであれば絶対にこんな能力の使い方はしなかっただろうし、したとしたらあっさり倒せていたハズだ。
攻撃と関係ない所で知覚をずらされたり、攻撃の瞬間にはずらさないことが逆にフェイントになったりする。
タイムキーパーの通常の身体能力でこんな雑な戦い方をすればガブリエルはあっさりと取り押さえていたことだろう。しかしWRATHの身体能力でガチャガチャと能力を使われればかなり厄介だ。
ガブリエルはスピードについていくのが精一杯で、カイはスピードにはついていけるが戦闘経験が少なく、このような変則的な戦いには慣れていない。
「ハァ、……ハァ、……このままじゃ、ジリ貧だな」
ガブリエルが肩で息をする。その全身は、彼女の攻撃によって数え切れないほどの裂傷を刻まれていた。
3階席からは、デウスの耳障りな笑い声が降ってくる。
「素晴らしい! 追い詰められるヒーロー!届かない拳!まさに絶望の極致!タイムキーパーさん、もっと、もっと彼らを翻弄しなさい!」
「……おい、ガブリエル」
カイが吐き捨て、血の混じった唾を吐く。
「何か策はねえのかよ。このままじゃホントにただの筋肉ダルマだぞ?」
「……フン。……一つだけ、……ある」
ガブリエルが、忌々しげにテラー・ハンマーを持ち上げた。
カチリ、と金属の硬質な音が響いた。
ガブリエルの手首に巻いている鉄環とハンマーを繋ぐ、頑強な黒鉄のチェーン。ガブリエルはその接続を、自らの手で解除した。
「……何してんだ、一体?」
質問するカイを無視し、ガブリエルはハンマーのヘッド部分を、直接両手で掴み取った。
「……遠距離から狙うから、タイミングがズレる。……なら、直接殴ればいいだけの話だ」
「何言ってんだ!?あんなむちゃくちゃなヤツと接近戦をするつもりか!?」
「……スカーレット。貴様は手出しするな。……癪だが、この際仕方がない」
ガブリエルの瞳から、迷いが消えた。
彼は深紫のオーラを全身に纏わせ、重厚なハンマーのヘッドを抱え込むようにして、正面から死地へと足を踏み出した。
両手に持ったハンマー同士をガチガチとぶつけて音を出し、タイムキーパーの気を引く。
タイムキーパーがガブリエルの方を向く。FEARに囚われることはないにしても、音自体が不快なのはWRATHからしても同じなようだ。
「どうした、かかって来い!俺の迫力にビビったか!」
「ガァァァ!」
タイムキーパーが雄叫びを上げて突進してくる。
SORROWの能力を撒き散らし、視覚や聴覚を少しずつ狂わせながら凄まじいスピードでガブリエルに向かっていく。
だが、ガブリエルは目を閉じた。
脳が届ける偽りの情報を遮断し、ただその時を待った。
「ガアアアアアッ!!」
緋色の爪が、ガブリエルの左脇腹を深々と貫いた。
肉が裂け、骨が軋む嫌な音が劇場に響く。
「……捕まえたぞ」
ガブリエルが、血を吐きながら笑った。
彼は貫かれた腹の筋肉を強引に硬直させ、食い込んだ彼女の腕を強引に押さえ込んだ。
「……むちゃくちゃやりやがる」
カイが目の前の光景に圧倒されて思わず呟いた。
タイムキーパーが腕を引き抜こうとしても、筋肉に押さえられてすぐには引き抜けない。
「ウガアアアァ!」
タイムキーパーが腕を抜こうとむちゃくちゃに暴れるが、ガブリエルは微動だにしない。
「……捕まえた…ぜ。この距離なら、外さねぇなぁ!!」
ガブリエルが、両手に持ったハンマーでタイムキーパーの頭をはさみ潰した。
ドォォォォォォォン!!!
タイムキーパーの頭部が、ありえない形に歪む。同時に、ガブリエルの腹部から手を引き抜こうと暴れていたのが大人しくなり、その場にへたり込んだ。
3階席でその光景を眺めていたシドが、手元の端末を操作しながら、感嘆したように独り言を漏らす。
「……ほう。実に興味深い。通常の被検体であれば、WRATHの能力に脳を焼かれ、理性を失うと同時に能力の制御も不可能になるはずだが……」
シドの瞳が、ステージで倒れるタイムキーパーを冷酷に射抜く。
「感情…コードのレベルが一定値を超えている個体は、思考を介さずとも、溢れ出すコードそのものが能力を発生させるのか。
……皮肉なものだな。この場合はデウスへの歪んだ感情が深ければ深いほど、タイムキーパーはWRATHとして強くなったということだ」
「そうでしょう、シドさん! 彼女の愛は、もはや理屈を超えた芸術なんですよ!」
デウスが隣で狂喜の声を上げるが、シドはそれを無視し、今度はスカーレットの方へ視線を向けた。
「……それにしても、ヤツはなぜあれほど安定してWRATHを保っている?どこかで作った被検体の生き残りか?」
シドの指先が、端末の画面をスワイプする速度を上げた。
「ガ、……あ、……ぁ……」
ガブリエルのハンマーに押し潰され、至近距離でFEARのオーラをくらったタイムキーパーの体が、限界を迎えていた。
「……終わりだ、タイムキーパー。……地獄へ行くなら、……一人で行け」
ガブリエルが、残った力を振り絞ってタイムキーパーの体を蹴り飛ばす。
ガブリエルの体に刺さっていたタイムキーパーの腕が抜け、力なく地面に倒れる。
次の瞬間、彼女の身体から溢れていた緋色のオーラが、ガラスが割れるような音を立てて霧散した。
「……ぁ……ざ、……ちょ……」
彼女が最後に伸ばした手は、デウスのいる3階席に向かっていた。
その指先から命が抜けるようにして、かつてデウスを補佐し、いついかなる時もそばを離れず、どんなピンチからもデウスを救ってきたタイムキーパーは、ステージに散った。
「……ハッ、……ハァ……」
タイムキーパーの命の炎が消えたステージに、重苦しい静寂が訪れる。
ガブリエルは、自らの巨体を支える力もなく、その場に膝をついた。左脇腹からはドクドクと鮮血が溢れ、床を染めていく。
「……おい、筋肉ダルマ! しっかりしろ!」
カイが駆け寄り、その肩を掴む。だが、ガブリエルのオーラは風前の灯火だった。
「……触るな、……スカーレット。……少し、……休みが、必要なだけだ……」
ガブリエルは強がって見せたが、その瞳の焦点は定まっていない。
「素晴らしい! ブラボー!! なんて美しいカタルシスだ!」
静寂を切り裂いたのは、上層階から響くデウスの拍手だった。
見上げれば、デウスとシドの二人が並んでステージを見ていた。
「タイムキーパーさんの散り際、そして貴方たちの泥臭い足掻き! 脚本以上の出来栄えですよ! さあ、いよいよ……最終幕の開演だ!」
カイとカブリエルが声の方に向き直る。すると、ガブリエルが明らかに驚愕の表情を浮かべた。
「……嘘だ。……そんな、はずが……」
シドの存在に気付いたカイは、今すぐ飛びかかりたい衝動に襲われていた。だが、ガブリエルがシドの存在に気づいて震えているのを見て、少し冷静さを取り戻す。
「……シド……!? なぜ、……なぜ貴様がここにいる……。あの日、……あの爆発で、貴様は死んだはずだ!! 俺が、この目で……!!」
「死んだ? ……ああ、そうだな。あの時に軍人としての俺は死んだよ。今はコイツらと一緒に闇の中で生きている。どうもこちらのほうが性に合ってるようだな」
シドは、ガブリエルの動揺など欠片も気にとめない様子で、冷たく微笑んだ。
「ガブリエル、あんたあの…左目に傷の男を知ってるのか?」
カイがシドを睨みつけながら問う。
「……ああ、……ヤツの名はシド・ヴァンディール。かつて、軍にいた時に俺の相棒だった男だ。とある任務でWRATH化して死んだハズなのに、なぜ生きているんだ……?」
「あの野郎、シドなんて気取った名前だったのか…俺もヤツとは因縁があってね。アンタの相棒だったか知らないが、ぶっ殺させてもらう」
「あぁ、デウスと行動を共にする以上、仕方ないだろう。可能なら生け捕りにしたい所だが、殺さないように気を使って勝てる相手とも思えない。……お前にデウスとシドを任せるのは癪だが……思い切り行け、スカーレット」
スカーレットの緋色のオーラが、一際大きく燃え上がった。
「なんと!シドさんとガブリエル隊長はかつての相棒だったんですか!?おまけにシドさんとスカーレットも何やら因縁があるご様子!これですよ、現実が私の脚本を超えて来る瞬間が最高なんですよ!!」
デウス1人が、場違いなテンションで喚き散らしている。
「ああ、なんてドラマチックな再会!そして私という倒すべきヴィラン!役者はすべて揃いました!」
デウスが両手を広げ、劇場の照明をすべてカイ一人に集中させる。
「さあ、スカーレット! ガブリエルさんはもう動けません! 貴方はたった一人で、この私と、そして私の最高のパートナーであるシドさんに立ち向かわなければならない!」
デウスの瞳に、狂気と歓喜が混ざり合う。
「絶望しなさい、抗いなさい! その怒りが、この舞台を、この世界を最高に美しく彩るのですから!!」
ガブリエルはカイの背中に向かって、かすれた声を絞り出した。
「……行け、……スカーレット。……あいつらを、止めてくれ……私の街を……守ってくれ……」
カイは、デウスとシドに向かって一歩踏み出し、自分を照らすスポットライトの熱を浴びながら、緋色のオーラを静かに、だがかつてないほど濃密に立ち昇らせた。
「……言われなくても、そのつもりだ」
独り、舞台に立つスカーレット。
その視線の先には、デウスとシドが、静かに獲物を待ち受けていた。
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