第17話:悲しき忠誠
時間は少しだけ遡る。
デウスとタイムキーパーが現場を離れ、アジトに戻った直後。
現場ではセラフとWRATHの激しい戦闘が繰り広げられていた時だ。
劇場の薄暗いステージ。デウスは苛立ちを隠そうともせず、豪華な椅子の肘掛けを爪でカチカチと不快な音をさせながら叩いていた。
「……タイムキーパーさん。よくぞ私を逃がしてくださいました。あのままセラフの隊長二人と戦っていたら、いくら私でもタダでは済まなかったでしょう」
言葉とは裏腹に、デウスの声には氷のような冷たさが宿っていた。
傍らに控えるタイムキーパーは、深く頭を下げ、震える声で答える。
「……ありがとうございます、座長。私は、座長のためならこの命さえ……」
「しかしねぇ!!」
デウスが突然、立ち上がって叫んだ。その拍子に、サイドテーブルのワイングラスが床に落ち、赤い飛沫を散らす。
「アナタのやることはいつも正しい。正しいのですが……美しくないんですよ。」
「……え?」
タイムキーパーが顔を上げる。その瞳には困惑の色が隠せなかった。
「私はね、あの場で捕まろうが、最悪殺されようが、別に構わないんですよ。
私は、私の作る舞台が最高に美しくなればそれでいいんです。
終幕後に私がどうなっているかなんて、些末な問題だ!」
デウスはタイムキーパーに歩み寄り、彼女の顎を指先で乱暴に持ち上げた。
「アナタは私を助けた。それは間違いありません。ですが、私の舞台を邪魔したんですよ。分かりますか?」
「…………」
「ほら、モニターを見なさい。私が舞台を降りた結果、今この街で一番目立っているのは誰です?
……スカーレットだ! 以前にも私の舞台を汚した、あの泥棒猫です!これほどの屈辱はありませんよ!」
「……座長……申し訳、ございません……」
タイムキーパーの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちる。
デウスはそれを見て、ふっと憑き物が落ちたように優雅な微笑を浮かべた。
「……しかしねぇ、タイムキーパーさん。アナタが私を助けてくれたのは間違いないですし、そのことに感謝してるのも本当なんです。
今、スカーレットとガブリエルがこのアジトに向かっているという情報が入りました。そこでね、最高に美しい脚本を思いついたんです。
私のことを助けてくれたお礼に、タイムキーパーさんにその脚本で最高の役を演じてもらおうと思ってるんですよ」
「役……? 私が、ですか?」
「そうですよ!アナタなら、私のために演じきってくれますよね?」
「……はい! 座長、私、なんでもやります!」
タイムキーパーは、デウスに否定されたその絶望の淵で、救いを見つけたかのように笑顔を見せた。
時間は現在に戻る。
大ホールの重い扉を蹴破ったスカーレットとガブリエル。
二人の前に広がっていたのは、眩いスポットライトに照らされた無人のステージと、そこにただ一人、凛として立つタイムキーパーの姿だった。
「……なんだ? あの女は」
カイが訝しげに尋ねる。
「アイツはタイムキーパー。デウスの右腕だ」
ガブリエルがハンマーを構え、警戒を強める。
「……そういえば銀行の事件の時に一度見たか。デウスのために俺たちとやろうってのか?」
「……待て、様子がおかしい。前線に出るタイプじゃないはずだ。それに……」
よく見ると、タイムキーパーの手はガタガタと小刻みに震えていた。
目からは涙を流し、怯えたような、覚悟を決めたような、安堵したような、なんともいえない複雑な表情をしている。
「そこで何をしている? 俺たちはデウスを追っている」
ガブリエルが威圧的な声をかける。
「そこをどけば追いはしないが、邪魔をするなら容赦はせんぞ、タイムキーパー!」
「……どきません」
タイムキーパーが、震える声を振り絞って答えた。
「座長を捕まえようとするのなら……私は、貴方たちを絶対に許しません!」
「……!おい、待て。アイツの手にあるのは……!」
カイが叫ぶ。
タイムキーパーが懐から取り出したのは、赤い薬が満たされた一本の注射器。
デウスから手渡された最後の1本。タイムキーパーは、震える手で自らの首筋に注射器を突き立てた。
「……おい、やめろ!!」
ガブリエルが静止の声を上げ、カイがその薬液の注入を阻止しようと地面を蹴る。
だが、彼女の方が一瞬早かった。
「……座長……これで私も、アナタの美しい脚本の一部になれますか……?」
一筋の涙が、彼女の頬を伝い落ちる。
次の瞬間、彼女はためらうことなく、赤い薬を自らに注入した。
次の瞬間、タイムキーパーの周りの空気が弾け飛んだ。
「……あ、……あガッ……!!」
タイムキーパーの喉から、人間のものではない異様な咆哮が漏れる。
彼女の全身から緋色のオーラが溢れ出し、爆発的に膨張していく。
「……座、長……ッ!!」
その叫びを最後に、彼女の瞳から理性が消失する。
ほとばしる緋色の衝撃波が、肉薄していたカイを真っ正面から弾き飛ばした。
「ぐ、あああぁっ!?」
カイの身体は砲弾のような速度で吹き飛び、観客席の椅子を十数脚なぎ倒して、ようやく止まった。
「クソ……なんだ、このパワーは……!」
カイが瓦礫を跳ね除け、立ち上がる。その視線の先では、かつての優雅な面影を失い、異形の怪物と化したタイムキーパーが、舞台を抉りながら立ち尽くしていた。
「デウスの前に、またWRATH戦か。しかもタイムキーパーほどの覚醒者のWRATH化……冗談じゃねえぞ」
ガブリエルがテラー・ハンマーを握り直し、額の汗を拭う。彼ほどの男が、その圧倒的なプレッシャーに本能的な危機感を覚えていた。
「最高ですよ! 素晴らしい! タイムキーパーさん、貴方は今、間違いなくこの舞台の主役だ!!」
大ホールの3階席。デウスが立ち上がり、狂ったように拍手を送っていた。
その目は血走り、眼下で行われる「死の舞台」に陶酔しきっている。
「最悪の敵を足止めするため、愛する私のために命を捨てて自らがWRATHと化す……ああ、なんて美しい、なんて残酷な脚本なんだ!」
「……とことん下衆だな、お前は」
デウスの背後、暗がりに立つシドが冷淡な声を放った。
彼はデウスの熱狂には目もくれず、手元の端末に次々と送られてくるデータ――タイムキーパーのバイタルと、異常なエネルギー値の推移――を無機質に眺めている。
「あれほど尽くした幹部を、脚本とやらのために使い捨てるか。人の心があるとは思えんな」
「何を言っているのですか、シドさん! 彼女は今、私に求められたことで、人生で最高の幸福を味わっているのですよ!これ以上の愛がどこにありますか!」
「……勝手なもんだ。だが、ここまで覚醒レベルの高い個体をWRATHに変異させたのはこれが初だ。何が起こるのか、俺にも分からん……実に見ものだな」
シドの唇が、わずかに吊り上がる。
彼はデウスの美学になど最初から興味はない。彼がデウスに薬を提供するのは、検体に困らないことと、自らが動いていることをカムフラージュするのに都合がいいからだ。
「…しかし……ヤツは一体何者だ?」
シドの目線はスカーレットに注がれている。
「なぜヤツはWRATHを安定させられる?薬を打った被検体の中に生き残りがいたのか……?」
シドはスカーレットの方のバイタルサインの収集も始めたようだった。
「ガアアアアアアアアアッ!!」
WRATH化したタイムキーパーが、音も無く消えた。
いや、加速したのだ。彼女のWRATHとしての本能が、本来のSORROWの能力である「知覚操作」の能力を暴走させ、周囲の時間の流れを歪めていると錯覚するほどの力を発揮していた。
「後ろだ、ガブリエル!!」
カイの警告と同時に、ガブリエルの背後に緋色の爪が迫る。
ガブリエルは即座にハンマーを旋回させたが、あらぬ方向に空を切る。
ズガァァァァァァァン!!!
ガブリエルを襲うタイムキーパーに、スカーレットが横から蹴りを加えてなんとか事なきを得た。
「……ッ、この女、ただのWRATHじゃねえ! 攻撃のタイミングが読みきれん!」
「ああ、平行感覚がムチャクチャだ……! だが、止めるしかねえだろ!」
カイが緋色のオーラを限界まで昂らせ、光の矢となって空中に舞うタイムキーパーへと突っ込む。
最強の二人が、たった一人の「壊れた怪物」を止めるために、地獄の舞台へと身を投じた。
その頭上では、デウスの哄笑と、シドの冷徹な観察の目が、静かに二人を見下ろしていた。
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