第一節「局上争梟」
1179年10月20日(治承3年9月17日)
京・六波羅蜜寺
平安時代において、満中陰法要(四十九日法要)は故人の来世を決定する最後の法要とされ、一族の総力を上げて行われた。
その為、満中陰法要は一族の権勢を示す極めて政治色の強いものでもあった。
つまり、21世紀の現代と同じく平安時代に於いても、『葬儀』という政治セレモニーでは『誰が主催したのか』『誰が出席したのか』が大きな注目を集める。
特に巨大な武力と経済力を有する大寺社の動向には敏感であった。
平安時代末期の大寺社が極端に俗化・暴力化したのには、京の政治にも大きな原因があった。
藤原氏と皇族は政治の主導権を握ろうと争ってきたが、藤原氏全盛の摂関時代になると、両勢力は経済権益の拡大と囲い込みの為に寺社を利用した。
皇族による親政と系統保持を目的とした院政期に移ると、その動きは一層顕著になった。
それにより、領域化した膨大な荘園を寺社が皇族や公家の信託機関として保有する事になり、権益を防衛する為の武装化・軍事組織化も進んだ。
これは、自営農民である田堵・負名の名主への成長・武士化と軌を一にするものだった。
余談だが、当時の日本人は、私有財産とその権利には命をかけて守るべき絶対の価値がある、と考え実行した。
これは、平安時代から戦国期まで首尾一貫した真実の『日本人の生き様』である。
宗盛は、延暦寺と東寺・金剛峯寺に莫大な寄進を行いながら、延暦寺に「東寺と金剛峯寺は承諾した」、東寺には「延暦寺が承諾した」と嘘を吹き込んで双方の競争心を煽り、法要を務める様に促した。
両寺とも、後白河院と平氏の対立激化を予想し慎重な意見もあった。
しかし、『歴史上、寺社が寄進を拒否した例が非常に稀である』という事実が示す様に、『貰えるものは、誰からでも、何でも貰え』の思考が突然変わる訳もない。
何よりも、ここで平氏との距離を縮める事は、次の帝(言仁親王)における護持僧の座を得るのに不可欠であった。
特に真言宗の東寺にとって、天台宗の延暦寺が護持僧の枠を多く占める現状は、看過できないものであった。
加えて明雲・定賢の二人には強い個人的事情もあった。
明雲は、天台座主復権への確かな足がかりを得る為。
定賢は、後白河院の腹心として平氏の動向を探る為。
両者にとって満中陰法要への出仕は願ってもない好機であった。
法要当日。
前天台座主の明雲、東寺長者・金剛峯寺座主の定賢と共に、天台宗と真言宗の高僧数百名が六波羅蜜寺に出仕した。
人数が多く、僧侶たちが座に着き準備が整うまでに半刻もかかる程であった。
その為、法要は午の初刻(午前十一時)から盛大に始められた。
未の初刻(午後一時)、追善供養の要である仏像開眼供養が始まった。
奉迎は仏像一体に僧侶一人であり、共同作業はできない。
そこで宗盛は、開眼供養に二種の仏像を用意し両派の面目を保った。
阿弥陀如来坐像は明雲。
五大明王を定賢。
初七日から満中陰までの短期間で、複数の仏像を用意した宗盛と平氏お抱えの仏師集団は、この件でも高い評価を得た。
奉迎は、本尊となる阿弥陀如来坐像から始められた。
寄木造による丈六の坐像(高さ約3メートル程)は、漆箔の身体・群青色の螺髪・水晶の白毫・赤瑪瑙の肉髻珠・截金が施された着衣・天女が舞い雲が棚引く光背・万華鏡の様な蓮華座に彩られていた。
その見事な造りに、遮水・散華しながら仏像の周りを清めていた明雲は感心した。
五色線が仏像・開眼の筆・明雲・遺族に結ばれる結縁が施されると、
明雲は阿弥陀如来の眼前に赴き、真言を誦呪しつつ手印を結んだ。
「オン アミリタ テイゼイ カラ ウン」
「オン アミリタ テイゼイ カラ ウン」
「オン アミリタ テイゼイ カラ ウン!」
誦呪が百八回に達した時、
明雲は一気呵成に阿弥陀如来坐像へ点眼した。
その刹那、明雲には阿弥陀如来の顔が生前の重盛と重なって見えた。
『おお、これは面影仏であったか』
深く感じ入った明雲は阿弥陀如来坐像をしげしげと眺め、像の両手が下品下生の印相を結んでいるのに気がついた。
『こは、いみじうあはれなり。
前内大臣殿の面影仏が、五逆(殺父・殺母・殺阿羅漢・出仏身血・破和合僧)と、十悪(殺生・偸盗・邪淫・妄語・綺語・悪口・両舌・貪欲・瞋恚・愚痴)を行った大悪人だと示す下品下生の手印を結び、極楽往生を願うとは。
政事と商いは必ず悪行を伴う罪深き生業。
権勢を誇る平氏の方々は、心の内ではそれを自覚し救いを渇望されておられたか』
点眼が成されて堂内数百人の高僧が一斉に法華経を読経する中、明雲は初めて心から重盛への回向を祈念するのであった。
五大明王の開眼供養は、護摩堂に場所を移して行われた。
天台宗による阿弥陀如来坐像の荘厳な奉迎とは打って変わり、真言宗による奉迎は荒々しく激しいものとなった。
五大明王の前で、定賢は芥子の実を含む五種香を護摩に焚べ、勢いよく炎があがり煙が立ち昇った。
定賢は、腕を振りあげ手を構えて複雑な各明王の印を結び、真言を激しく唱え続けた。
「ノウマク・サマンダ・バザラダン・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・ウン・タラタ・カン・マン!」
「オン・ソンバ・ニソンバ・ウン・バザラ・ウン・ハッタ!」
「オン・アミリテイ・ウン・ハッタ!」
「オン・シュチリ・キャラロハ・ウン・ケン・ソワカ!」
「オン・バザラ・ヤキシャ・ウン!」
密封された護摩堂に芥子の煙がもうもうと立ち込め、一定の調子で繰り返される甲高い真言が耳朶に響く。
参列している平氏一門は、意識も朦朧になり、得も言われぬ心地になっていた。
彼らの目には、五大明王が空に浮かび、不動明王を中心に降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王が廻る宇宙が映っていた。
平重盛の面影仏である阿弥陀如来を守護し、願いを成就し煩悩を降伏する五大明王立像には、密かに重盛の子息である維盛・資盛・清経・有盛・師盛・忠房の髪と小刀が仕込まれている。
最前列の維盛・資盛・清経・有盛・師盛・忠房は脱魂入神し、自らを五大明王に投影していた。
『父君、お見守りくだされ。
未だ誰も見た事のない末永き栄華を、見せ奉らん』
開眼供養で満中陰法要は「お開き」となった。
斎会では、出仕した全ての僧に貴重な唐菓子が振る舞われた。
布施として、僧一人一人に絹・麻布・和紙・墨が惜しげもなく与えられた。
延暦寺と東寺・金剛峯寺に対しては、砂金二百四十両(約10㎏)、油二石(約140L)があらためて寄進された。
満中陰法要が終わる事で、重盛の遺族以外は忌明けし、衣食住の縛りがなくなり普段と変わりないものとなった。
両寺の僧達は六波羅蜜寺から引き揚げたが、明雲と定賢は残り、忌明けの酒宴に参加した。
山海の珍味と銘酒が惜しげもなく振る舞われ、明雲と定賢も己が僧侶であるのも忘れ、大いに飲み食い騒いだ。
宗盛は、両名が強かに酔った事を見定めると、長柄の着いた銚子を持たせた家人を伴い、明雲と定賢の側に赴き平伏してお礼を述べた。
「明雲御房、東寺長者殿。此度の満中陰法要でのご出仕、誠にかたじけなく存じまする」
赤ら顔の明雲と定賢は、酔いが廻り声の抑制ができずに大声で応じた。
「これはこれは権大納言殿!此度の御営み誠にめでたく候よし!」
「権大納言殿!前内大臣殿の極楽往生は相違候はず!平氏御一門への回向も広大な功徳となり候はん!」
宗盛は、家人に二人へ酒を注ぐ様合図すると
「誠に恐れ入りまする。相国入道殿も、いたくご満足なされるでしょう」
と誘い水を向けた。
早速、興味津々の様子で定賢が思惑通り話に乗ってきた。
「おお権大納言殿。その相国入道殿は本日の法要にも参られず。京中の噂では、西八条第にお籠りになっておられるとか。真でありましょうか?」
宗盛は神妙な面持ちで、筋書き通りに応じた。
「前内大臣殿がお隠れなされてから、相国入道殿は供御も参らず、御心が弱られているご様子。
一日中御床に伏せらせて、我らも心配しております」
「これはまた……相国入道殿のご快癒を心より願いまする。叡山へ立ち戻りましたら、直ちに修法いたしましょう」
神妙な面持ちの明雲に、慌てて定賢も調子を合わせた。
「拙僧もご祈祷いたしますぞ。東寺と金剛峯寺にても行わせましょうぞ!」
定賢のへつらいに、明雲は心のなかで舌打ちした。
『この乞食法師が!寄進欲しさに、できもしない事を抜け抜けと言いよるわ』
「御房らのお心遣い、誠にありがたく存じます。この宗盛、受けた御恩は生涯忘れませぬ」
感動した宗盛は、袖で涙を拭いながら何度も頷いた。
「此度の法要で前内大臣殿も極楽往生されました。前内大臣殿は、我が一門の中でも広く殿上人や公卿と親しくされておられました。さぞ皆様も惜しまれてございましょう」
「それは……」
明雲は、思わず出かけた言葉を飲み込んだ。
「如何されましたか、明雲御房。何か気掛かりな事でもございましたか?」
明雲は、宗盛に見つめられ名指しで問われると観念した。
「いや、そのですな…前内大臣殿薨去の後、院が岩清水八幡宮に参詣され、白拍子を呼び御遊ばされたとか。のう、東寺長者殿。御房も院に同行されたので、仔細をご存じであろうの?」
定賢は、明雲が話を振り向けた事に心中で舌打ちしつつも、意外にも落ち着いていた。
『此奴等は、院の八幡参詣について真の目的を何か掴んでいるのか?
いや、知れば正面から強引にでも我を責める筈。ここは、院の御謀事通りに応じるか』
「拙僧も、院が前内大臣の喪中にご遊興とは、いと心苦しい心地でございます。
院は怪しき御心でおはしますれば、お止めすることもできず」
宗盛は溜息をついた。
「院は今様狂いであらせられる。誰も定賢御房を責め能わじ。
院は他に御用の向きございませなんだか?」
「然り、然り。ご遊興の為だけに岩清水八幡宮にご参詣とは考えられませぬ。如何かな、東寺長者殿」
「ご遊興の他となりますと……うむ、ございませんでしたな。白拍子も久しく舞いて、いと苦しかろうと思ったものです。ただ……」
「ただ?」
「拙僧の見間違いでなければ、興福寺の別当僧正殿(玄縁)もおられました」
「それはまた訝しく思われますな。今の別当僧正殿は、平氏嫌いの興福寺の中でも平氏に御心を寄せられておられる方、と聞き及んでおりまする」
宗盛は思案顔で応じた。
「そう言えば、興福寺の南都と京の間にある宇治では、藤氏長者に縁ある平等院や浄妙寺で、厩や坊舎を造営する動きがにわかに活発になっておりまする」
宗盛の話に明雲は頷き、
「仏敵の園城寺(※延暦寺と園城寺は本当に殺し合った犬猿の仲である)でも、宇治と同じ動きがございます。これが偶然とはとても思えませぬ」
定賢は二人の話を聞きながら、心中は毛肌が立つほど慄いていた。
『院の智謀のなんと恐ろしい事よ。武者を一人も動かさずに平氏を囲み、言葉一つで大和国を事実上差配する興福寺が平氏を裏切ったと思わせる。あな恐ろしや、恐ろしや』
「如何されましたか、東寺長者殿。御面がいと青うみえまする」
「少し酒を飲み過ぎた様でございます。水を頂きたく存じます」
宗盛は手を叩いて家人を呼ぶと、水を運ばせた。
定賢は水を一口飲むと大きく息を吐いた。
「権大納言殿、誠にかたじけなく存じます。東寺と金剛峯寺に何なりとお申し付けください、必ずや御一門の助けになりまする」
「はっはっはっ、これはありがたいお話ですな。では一つ、東寺・南山と叡山にお願いがございます」
明雲と定賢は宗盛に向き直った。
「権大納言殿、何なりと」
「では。ひとたび大事出来せむ時は、決して動かれませぬ様。これだけお願い申し上げまする」
「は、承りましてございます」
無理難題を申し付けられるかと身構えていた定賢は拍子抜けした。
「確かにお頼み申しましたぞ」
宗盛は扇を拡げて愉快げに頷いた。
数日後。
宗盛は、満中陰法要の報告をする為に、西八条第の清盛を訪ねた。
外からは全く分からなかったが、邸内には非常に多くの郎党・家人が立ち働いていた。
「権大納言殿。お待ち申し上げておりました」
「左兵衛尉(伊藤忠清)か。そちも来ておったのか」
「は。初七日の法要後から、こちらに参っております。某が御案内仕りまする」
忠清の後について渡り廊下を歩きながら、ふと庭を見ると、生い茂る蓬の花が散り、処々に実をつけていた。
「早いものかな。はや秋も果てぬるか」
「春の参り来るも、また早うございましょう。今は枯れた蓬も、春には見事な葉が再び生い茂りまする」
「我らも、蓬の如くに強くありたいものよ」
宗盛が忠清に案内された場所は寝殿ではなく、泉殿だった。
宗盛は上座に向かって平伏し挨拶を述べた。
「相国入道殿、御気色宜しくお喜び申し上げまする」
「権大納言もな、よく参られた」
「ははっ」
宗盛が清盛に挨拶を述べ終わると、下座の二人が宗盛に親しく挨拶した。
「権大納言殿、ご無沙汰をしておりました。この度は御見参を賜り、かたじけなく存じまする」
「主馬首殿(平盛国)に、五条(前)大納言殿(藤原邦綱)。誠に久しいのう」
一通り挨拶が済むと、清盛は扇で手のひらを軽く打った。
「さて、これで皆揃うたな。されば権大納言、先ずは満中陰法要の仔細を聞かせよ」
「は。相国入道殿の御指図通り、明雲御房、定賢座主御房、叡山と東寺の高僧等八百八十人が法要に出仕なされ、前内大臣の追善供養に相応しいものとなりましてございます」
「うむ。権大納言が用意した阿弥陀如来坐像と五大明王の見事さも聞き及んでおる。明雲御房は阿弥陀如来坐像に込められた思いにいたく感心されておられた」
「それは誠に嬉しいお話でございます。あれらの像には、一門の思いを託しております故」
宗盛は一礼すると、清盛に近づき座り直した。
「忌明けの酒宴にて、定賢は、院の岩清水八幡宮ご参詣と、己と興福寺の別当僧正殿の同行を、思いかけず簡単に認めましてございます。しかしながら、院が八幡別当殿と何を謀られたのかは黙しておりました」
「興福寺別当僧正殿の消息(私信)に偽りはなかったか。定賢の態度から思うに、別当僧正殿は誠に知らず巻き込まれたのであろう。院もなかなかに業し給ふよのう。わっはっはっは!」
と、清盛は心底愉快に笑った。
「まあ、院が八幡別当殿と何を語られたか、およそ見当はつく。のう、五条大納言」
「我らと同じ考えでございましょう。事ある時は、淀川と巨椋池の川関を閉ざすと思われまする」
「戦は弓矛だけでするものに非ず。それをお分かりの院は、誠に得難き御方よ。
定賢に謀の一部を敢えて漏らさせ我等を揺さぶるのも、尋常にあらず。
さりながら、院もこちらの動きを全てお分かりではない様だの、主馬首、左兵衛尉」
「その様に思われます。西八条第では日々数人づつ郎党を集めて館の外には出さず、院から近い六波羅では普段通りとしておりますので、暫くは欺けるかと」
宗盛は盛国に尋ねた。
「今、西八条第には何騎おりますか」
「今日で五百十七騎になりまする。これを千騎まで増やし、加えて福原でも肥後守殿(平貞能)が二千騎をまとめる手筈となっております。叡山が動かなければ、来春1月の除目で主上をお守りするのに十分でありましょう。
唐花文様の麹塵衣冠を着込んだ者が、秀衡と基成に拝謁したという怪しき話もございますが、奥州の貢物が京に届くのは、早くても如月(2月)の末頃になりましょう。
叡山は明雲御坊が居られますれば、これも軽々に動く事はございませぬ。
やはり警戒すべきは、園城寺、宇治、南都・興福寺となりまする。
我らが気付かず、南都勢が宇治に陣取り、近江で園城寺が決起、八幡宮が淀川の関を閉めれば、日頃の六波羅勢では窮したでありましょう」
盛国の話に一同も頷いた。
「院よりも、辛うじて一駒早く盤上を上がっているというところか。
権大納言、左大臣と右大臣はどうか」
清盛の問いに、宗盛は厳しい顔で答えた。
「は。左大臣殿(大炊御門経宗)におかれましては、既に我等に同心されておられまする。右大臣殿(九条兼実)につきましては、内々に話を進めておりますが、八条院の御心を気にされておられまする」
「八条院か……」
清盛は扇を弄りながら呟いた。
「堅物の右大臣が、良いところを突きよるわ。
権大納言。県召除目で我らをお助け頂ければ、八条院の西国からの漕運は全て平氏一門が請合い、我らの知行国でも必ず八条院領をお守りするとお伝えせよ」
「は、必ずや説き伏せてご覧に入れまする」
合議が終わり、宗盛は再び伊藤忠清の案内で館を辞そうとしていた。
「権大納言殿。暫し承りたくお願い申し上げまする」
そう言うと忠清は平伏した。
「……分かった。そこで暫し話そうか」
宗盛は、側にある記帳で仕切られた場所をみた。
「満中陰の御業にて、阿弥陀如来坐像では小松流の私事をお許し頂き、誠にありがたく御礼申し上げまする」
と忠清は平伏し宗盛にお礼を述べた。
「左兵衛尉、礼にはおよばず。麻呂も然様に仕りたかりし。我らは知らずして平氏に生い出づ身。皆、思いは前内大臣と同じ」
宗盛の慈愛に満ちた言葉に、忠清は思わず顔を上げて応えた。
「権大納言殿……誠に勿体ないお言葉でございます」
「よろしいか、左兵衛尉。
麻呂は小松流をゆめゆめ見放しはせぬぞ。我らは源氏には似ざるなり。同族相喰む浅ましき振る舞い、決して許すまじき事なり。心に留めおいてくれ」
「ははっ」
忠清は感極まり、一層の忠節を固く心に誓うのであった。




