第四節「平泉」(三)
翌朝。
「鎮守府将軍殿。お渡りの程かたじけなく存じます」
寝殿に入ってきた藤原秀衡に、藤原基成は恭しく頭を下げた。
秀衡は挨拶に軽く会釈して応じると、扇で口元を隠し声を潜めた。
「前陸奥守殿。何故に院使殿を衣川館でお迎えするのじゃ。平泉館にお迎えするのが筋ではなかろうかの」
「私もその様に考えておりましたが、吉次の知らせでは、院使殿が是非にも内密でと仰せられた由。致し方なく……」
「院使殿のお渡りでございます」
渡廊下に控える家人が案内を告げた。
二人は私語を止めると威儀を正した。
暫くして、唐花文様の麹塵衣冠を着込んだ中原景弘が、しずしずと部屋に入り上座に進み出た。
『麹塵か。蔵人というのは真のようじゃの』
『院使殿は随分若く見えるが、麹塵と唐花文様を許されるとは院の寵臣なのであろう』
中原景弘は上座に座り、懐中から院宣を取り出した。
「仙洞の仰せである」
「ははぁーっ!」
秀衡と基成は深く平伏した。
「院の御気色により、従五位上陸奥守に任ぜらるるに依って、明春早く上洛し仙洞に参るべし。ならびに砂金五千両(約80kg)と馬百疋を進上すべきの状、院宣此の如し。治承三年八月十日。蔵人中原景弘。藤原秀衡殿」
景弘は、院宣を一気に読み上げると三方に乗せた。
『はあぁ!?』
『こは心も得ず!』
秀衡に上洛を命じる後白河院の院宣に二人は驚倒し、危うく顔を上げそうになった。
必死の思いで動揺を抑えると、秀衡は身を震わせながら三方を恭しく押し戴いた。
持つ手が震える余り、危うく三方から院宣が落ちかけた。
「蔵人殿、誠にあっぱれなお役目でありました」
「ほっほっほっ。大慶なり、大慶なり」
院宣の奉読が終わると、秀衡と基成は傍目にも下心丸出しの愛想笑いで景弘を褒めちぎった。
「鎮守府将軍殿。前陸奥守殿。かたじけなく存じます。そこで、御上洛についてですが……」
「ほっほっほっ。蔵人殿。まずは酒宴を用意しておりますので、ゆるりとお寛ぎくだされ」
「そうですぞ。京から平泉まで長旅をされ、昨日衣川館に着かれたばかり。お役目も成されたのですから、今日は寛がれよ」
対の間に案内されると、そこには唐様の机が並べられ白磁・青磁が隙間無く置かれていた。
「何と見事な……」
感嘆した景弘は、一つ一つ熱心に陶磁器を見ていたが、四耳壺の前で釘付けとなった。
「……これは、秘色(淡く澄んだ青緑色)でしょうか?」
秀衡は満面の笑みをたたえた。
「さすが院の近くに侍る蔵人殿。お目が高いですな。そのとおり、秘色の四耳壺ですぞ。
本朝にも五つとありますまい」
「四耳壺を蔵人殿に差し上げる訳には参りませぬが、こちらは如何ですかな」
基成は、白磁の梅瓶と経筒を扇で指し示した。
景弘の顔が興奮でみるみる真っ赤になり、はらはらと涙を流しながらその場に平伏した。
「鎮守府将軍殿。前陸奥守殿。誠に恐れ多きことにて、面目の至りに存じます」
秀衡と基成は満足気に頷いた。
当時、中原景弘の様な地下人が、特権階級の象徴である唐物の白磁・青磁を手にする事は一生無いのが普通だった。
隠密裏の院使である為、酒宴は景弘・秀衡・基成・吉次だけで行われた。
堅苦しい宴座は早々に切り上げ、穏座へと雪崩込んだ。
酒の肴として、鮭の楚割・干し鮑・焼き蛸・雉・兎と、山海の幸が存分に振る舞われた。
「ささ、蔵人殿」
吉次が景弘のかわらけに酒を注いだ。
注がれた酒が濁っておらず琥珀色である事に、景弘は驚いた。
「まさか、これは!灰持酒ですか!?」
「然様、蔵人殿。平泉の毛越寺で造られたものですぞ」
「さすがに、京から平泉まで酒を運ばせるのは無理ですからなあ」
「さあり、さあり。途中で腐ってしまいますからなあ。ほっほっほっ」
景弘は一口飲むと、濃厚な甘さが口の中に広がった。
「これは、真に美酒でございます」
「よろしゅうございました。さあさあ、灰持酒は幾らでもありますぞ」
平安時代末期、濁酒のアルコール度数は3〜7%。対して灰持酒は13〜15%。
いつもの調子で飲んだ景弘は、早々に酔い潰れてしまった。
基成は手を叩き家人を呼んだ。
「これ、蔵人殿を御帳台へおつれせよ」
「は」
屈強な家人が数名現れ、軽々と景弘を背負うと座を辞した。
残された三人は深刻な表情になり、暫し黙り込んだ。
口火を切ったのは秀衡だった。
「……さて、如何にすべきか」
「此度の院宣は、北面の武士(上皇近衛の武士)を強くするものでありましょう。
然れども、上洛を命じられる院の御意が分かりませぬ」
基成の言葉を継ぎ、吉次も疑問を述べた。
「砂金五千両と馬百疋を京に運ぶのにも、数十人の人足の他に、護衛として少なくとも二百騎は付ける必要がございましょう。その様な奥州勢を平氏が洛中に入れましょうか」
「さすれば、我らは手勢なしの丸裸で京へ入ることになるかの」
秀衡は苦々しい顔で言うと、扇を床に打ちつけた。
「然様な事はできぬわ。平氏へ院宣を明らかにし、押し通るしかあるまい」
基成が暗い声で応えた。
「平氏と戦になりますな」
重苦しい空気が三人を包んだ。
暫く俯いて考え込んでいた吉次は、平伏すると意見具申の許しを請うた。
「鎮守府将軍殿。前陸奥守殿。恐れながら申し上げても宜しいでしょうか」
「許す。思う所を申してみよ」
「は。我らは初めから京へ入ろうとせず、手勢を引き連れて京に入れるかを院と平氏に決めさせるのは如何でしょうか。
秋までに決まらなければ、冬を理由に陸奥へ帰ればよろしいかと」
秀衡は扇を打ち鳴らした。
「おお、それは妙案じゃ」
「確かに、それが宜しいかと。どちらになっても我らに責はございませぬ。
それで吉次、どのあたりに留まるのが良いと思うか?」
「近江の園城寺、もしくは山城の宇治が宜しいかと。どちらも院や近臣との関係深く、万が一、平氏と争いになったとしても地勢に幾つも活路がございます」
基成は吉次の意見に参意を示すと、秀衡に具申した。
「院使殿には本意を隠し、上洛途中の宿営地としてお伝え、お取り計らい頂ける様に願いましょう。
そこで、誰が上洛されるかでございますが、鎮守府将軍殿は病と称されて辞し、代わりに泉三郎殿(藤原忠衡)では如何でしょうか」
「三郎か。若い三郎に京見物させるのは今後の糧にもなるであろう。
であれば、供には(三郎にとって)義兄の佐藤継信・忠信と、千騎ほど付けるかの」
「御意にございます」
基成と吉次は平伏した。




