第四節「平泉」(二)
関所を出て小川の橋を渡ると、一行は平泉の大路に出た。
路幅は三丈余り(10メートル超)で、京の大路の様に真直ぐではなく蛇行している。
路は綺麗に掃き清められ、側溝も淀みなく水が流れ腐臭もない。
路の両脇には板葺きや藁葺きの家屋が密集して立ち並び、
夕餉の支度による煙が大路にも充満して、先が霞んで見える程だ。
景弘は、京と平泉の違いにまたしても落ち込んだ。
『京には、目を疑う程の豪壮な館や寺社が数多くある。
しかし、その周り以外の京の大半は太郎焼亡で焼け落ちたまま。
流人や物乞いが屯し、今でも焼け残った家や莚小屋が乱雑に立っている。
夕餉の支度の煙で大路が霞むこともない……』
大路を北に進み続けると、板葺きや藁葺きの屋根が瓦葺きに変わり始めた。
やがて大路の両側から土塀が消え視界が開けた。
「蔵人殿。ここが平泉館でございます」
「おお、これが⋯⋯」
大路と同じ幅と人の背丈を超える深さの巨大な空堀が、大路と平泉館の間に横たわり、空堀に渡された橋には多くの人馬が行き交っていた。
しかし、景弘が瞠目したのは其処ではなかった。
空堀に沿って建てられた板塀をも越えて聳え立つ、巨大な高屋(高床式倉庫)の連なりに我が目を疑った。
「このようなものは、京でも見たことがございませぬ」
吉次は我が事の様に喜んだ。
「そうでしょう。そうでしょう。これは、平泉殿の力そのもの。
ここ平泉館と、もう少し上流の白鳥館が北上川の船着き場となっております。
東国は勿論、尾張や越前、宋の品々も日々届きます。
私も京で商いをしておりまするが、平泉は京に些かも引けを取りませぬ」
平泉館を通り過ぎ、大門二つが大路を挟んで向かい合う前まで来ると、突然、吉次は馬を止めた。
吉次は大路の西側にいる門番に何事か話すと、景弘に呼びかけた。
「蔵人殿。鎮守府将軍殿の御わす平泉館が大路の東にあるならば、大路の西は浄土でありましょう!」
吉次と話していた門番が大声で呼び立てた。
「ごーらいーごーうー!ごーらいーごーうー!!ごーらいーごーうー!!!」
門番の声が辺りに響き渡ると、大路を行き交っていた人々が門前に集まりだして念仏を唱えながら跪いた。
「蔵人殿!こちらへ!」
吉次は景弘を呼び寄せ最前列で跪いた。
暫くして、大門がゆっくりと開かれた。
開かれた門の向こうには、深紅の翼を広げた大鳥に乗った阿弥陀如来が、西日を背負って阿字池に舞い降りた……様に見えた。
「なんと尊い」
「御来迎じゃ」
群衆の称名念仏が一段と大きくなった。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
景弘も思わず涙ぐみ、共に念仏を唱え続けた。
京に住む中原景弘だが、六位の地下人では大寺院等の庭園拝観が許される事はまずない。
無量光院は、宇治の平等院を手本とするも、背後の金鶏山に沈む夕陽を借景とし、浄土信仰を具現化したより壮麗なものだった。
しかも奥州藤原氏は無量光院を支配階級の独占とせず、門越しではあるが全ての民に拝観を許したのであった。
東門から見て、阿字池・中堂・阿弥陀如来・金鶏山・夕陽が一直線になる春分の日と秋分の日は、平泉をあげて彼岸会が盛大に行われていた。
日が落ちると門は閉じられ、群衆も解散した。
「蔵人殿。無量光院は如何でしたか」
「大夫。平泉では身分に関係なく誰でもご来迎の阿弥陀如来を拝めるのですか?」
「一切が救われる仏国土でありますれば、誰でも無量光院の阿弥陀如来を拝めるのは当然でありましょう。それが、平泉でございます」
日も暮れた中、押し黙って大路を北上する一行の前に、山火事と見間違う程の無数の篝火が見えた。
「漸く着きましたぞ。蔵人殿、あれが前陸奥守殿(藤原基成)の衣川館でありまする」
景弘は呆気にとられた。
「これが?まるで戦支度の有様でありませぬか」
衣川北岸の高台に屹立し篝火に照らされた衣川館は、空堀、土塀、矢倉で固められた堅固な大砦の様相であった。




