第四節「平泉」(一)
1179年10月上旬(治承三年九月上旬)
陸奥国・平泉
京を出立して15日余り。
初秋の陸奥に、中原景弘は見惚れていた。
周囲の山々は黄と赤に彩られ、銀の穂が山際まで海原の如くになびいている。
馬の歩みを緩めて眺めを楽しんでいた景弘の耳に、微かに声が聞こえてきた。
「よいさーえんやー、よいさーえんやー、よいさーえんやー」
声と共に、規則正しい太鼓の音も聞こえる。
景弘は、前を進む馬上の男に大声で呼びかけた。
「吉次大夫!吉次大夫!! 何か聞こえませんか?」
「んん?おお、聞こえますな」
後白河法皇近臣の蔵人・中原景弘は、錺座の頭で延暦寺と鞍馬寺の供御人でもある奥州藤原氏家臣・吉次の案内で、平泉を目指していた。
吉次は周りを見渡すと、東の小高い丘を指さした。
「蔵人殿。回り道になりますが、あそこならば声の主がよく見えますよ」
両人は馬の向きを変えると、すすき野原をかき分けて進んだ。
「何と!」
丘の上で、景弘は思わず声をあげた。
眼下に流れる北上川は荷を満載した平船に埋め尽くされ、平船を遡上させる為に綱で引っ張る人夫の群れが、川岸に蟻の如く蠢いていた。
平船の船頭が叩く太鼓に合わせた地鳴りのような掛け声がはっきりと聞こえてくる。
「ここはまだ楽な方でしてなあ、彼処をみてください」
吉次は、北上川が山の間に吸い込まれていく場所を指差した。
「彼処からの谷筋は川幅が狭く流れも急で、本当に難儀なのです。そこで、日により船の下りと上りを決めております」
「なるほど。それで大夫、船の積み荷は何ですか?」
「うーん、あれは、尾張の常滑焼を積んでおりますな。
その他には、時々、宋の白磁や青磁も積んでおりますよ」
吉次にとっては日常の光景なのだろう。
自慢する訳でもなく、淡々と説明する姿勢に、景弘は平泉の自信と強大さを感じ取った。
その刹那、景弘にある考えが閃いた。
『そういう事か。治天の君が、下賤な私を平泉への使者とされた意味が全く解せなかったけれども、漸く得心したわ。
私ならば、雑念を抱くこと無くありのままに平泉を見聞するだろう、という院の思し召しなのだ』
景弘は決意を新たにし、細部に至るまで脳内へ刻みつける思いでこの光景を観察した。
景弘達は街道に戻らず、そのまま北上川沿いに平泉へ進む事にした。
すすき野原を過ぎると風景が一変した。
畑が重なり合う丘陵の様に何処までも広がり、無数の農夫がアワ・ヒエ・キビ・ソバ・大豆・小豆の収穫に勤しんでいた。
収穫物を負い縄や連尺で運ぶ農夫の列は、遠く平泉へと続いていた。
重い荷を背負って歩く農夫達の列を追い越しながら平地に下ると、今度は一面が田となった。
農夫達が黄金に輝く稲を鉄鎌で根刈りし、はさ架けにしている。
田と接する街道には、乾燥した稲束を積んだ駄馬が列をなしていた。
京から遠出した事のない景弘でも、京近隣の大荘園は何度も訪れて良く知っている。
それら大荘園と比べても、この平泉近郊の田畑で鉄鎌を扱う農夫と荷を運ぶ駄馬の数は圧倒的に多く、これまでに全く見たことが無い。
驚きが収まらない景弘の顔を見て、吉次は馬を止めて景弘に問うた。
「蔵人殿。何故、平泉にこれ程の人が居るのか分かりますか?」
「……砂金が理由でしょうか」
「わっはっはっはっ!
いや、失礼、失礼。
確かに砂金も理由の一つと言えなくもない。
ですが、もっと単純で大元の理由があるのですよ。
平泉は藤氏三代百年余りの間、戦をしておりませぬ」
吉次は、行く手に見える平泉を指差した。
「康平の合戦(前九年の役)、寛治の合戦(後三年の役)と続いた戦乱の後、
先の陸奥押領使殿(藤原清衡)がこの地に来られた時、何も無かったそうです。
それを、我らは戦をせずに百年かけて育てあげたのです」
吉次は、再び馬を歩ませた。
「もう一つ、大きな理由が平泉にございます。蔵人殿なら、一目みてお分かりになるでしょう」
初秋の肌寒さも吹き飛ぶ人いきれの中、景弘は人混みをかき分け進んでいた。
立ち並ぶ掘立小屋。
飯・汁物・温められた濁酒の匂い。
飲み食い騒ぐ汗臭い男たちの群れ。
平泉の南玄関口前は、仕事を終えた農夫と綱手の群れが出店で飲み食いし、ごった返していた。
腰や首にぶら下げた紐から宋銭を数枚抜いて芋粥や濁酒を受け取り、それを啜る男たち。
濁酒で酔い、浅く掘られた捨て場所にかわらけを勢いよく叩きつけ、大声で騒ぐ。
一瞬、景弘は京の大路か市に舞い戻った錯覚に陥った。
『この様な賑わいは、京でも久しく見ないな……』
「蔵人殿、我らの入り口は向こうです」
吉次が手招いた。
「収穫した作物や商人には別の入口があるのです。我らも其処から平泉に入ります」
稲束を積んだ駄馬の列を横目に、川岸の関所では出迎えの役人が待ち構えていた。
「吉次大夫。ご無事のお戻り、何よりでございます。こちらで積荷を検分いたします」
景弘は怪訝な顔で吉次に尋ねた。
「大夫の積荷も検分されるのですか?」
「私だけでなく蔵人殿の荷もですよ。
私どもは商人と巡礼者という事になっておりますから。
それに、平泉に入る全ての荷と人は、関所で関銭帳に記録されます」
役人は一々荷を確かめると関銭帳に書き込み、木の荷札を付けた。
「吉次大夫。関銭は二百文となります」
吉次は役人に銭を二連渡した。
役人の働きぶりと、役人と吉次とのやり取りを黙って見ていた景弘は、吉次に問いかけた。
「これが、もう一つの理由ですか」
景弘の言葉に、吉次は嬉しそうな顔で頷いた。
「お分かりになりましたか。
陸奥では、鎮守府将軍殿が一手に人の動きや物のやり取りを記録し、それを基に沙汰されておられます。
法に反すれば直ぐに明らかとなり、訴えがあれば事の成り行きを遡って調べられます。
陸奥では、鎮守府将軍殿の許し無く勝手に公事や雑役等を課したり、ましてや荘園の押領は決して許されません。
法を破れば、鎮守府将軍殿の武で成敗されます。
国の文武が整い、誰もが法を守り、気まぐれで財や命を奪われる事もない。
だから安心して人が平泉に集まってくるのです」
景弘は暗鬱になった。
「今の京には、それがありませんか」
「ありませんな」
吉次は素っ気なく答えた。
「その様な京が消えて無くならないのは、周りから奪っているからに他なりません」
吉次は低く重い声で続けた。
「奪えなければ、或いは、奪うものが無くなれば、京は餓鬼道の地獄になるでしょうな」




