第二節「治天の君」(一)
1179年9月1日(治承三年閏七月二十八日)
東山・法住寺殿
時は、重盛薨去の前日に遡る。
当時の上流階級は朝が早い。
天皇、上皇、そして俗世から外れたとされる法皇も例外ではない。
陰陽寮の漏刻で時間を測っている漏刻博士が午前4時頃になると起床時間を告げ、辰司が時を告げる鐘をならしていた。
天皇・上皇・法皇と言えども、時を告げる音に従い日の出前には必ず起床し、魔除けとなる守護星の真言を唱え、勘申を確認した……というのは、真実ではない。
後白河法皇の院政期では、技術が喪われて漏刻は使われておらず、漏刻博士は安倍氏・賀茂氏が世襲独占する権益としての役職に堕落していた。
公的機関である陰陽寮も、1177年の『安元の大火(太郎焼亡)』で焼け落ちて再建もされ無かった。
陰陽寮の業務は、安倍氏や賀茂氏の私邸で行われる事になり、完全に権門の私物と化していた。
要するに、後白河法皇時代では、安倍氏や賀茂氏の館で時を告げる太鼓や鐘が鳴らされると、所々にある寺社や館の地下人・武者・女房たちも音をたてる。
それが伝言ゲームの様に伝わる事で、今何時なのかが洛中に拡がっていく……という大雑把なものだったのである。
そして何よりも、後白河法皇自身が『規則正しい生活』を嫌い完全に無視。
この日も、法住寺殿は後白河法皇らしい一日の始まりを迎えていた。
「博打〜の好むもの〜平骰子!鉄骰子!、四三子〜
それをば〜誰か〜打ち〜得たる〜文三!、刑三!、月々清次とか〜」
女房や白拍子が、笛を吹き、笏拍子や鼓を叩き、「はい!はい!」「それそれそれ!」と院が歌う今様に合いの手を入れる。
後白河法皇は扇を持ち軽やかに舞いながら、昨日から夜通し今様を歌っていた。
何人かの女房が疲れて床に伏し眠り込んでいたが、院は一向に気にかけず咎めることもしない。
「博打法師の〜様がるは〜地蔵よ!伽旃!二郎!寺主とか!尾張や伊勢のみみす〜新発意〜、無下に悪きは〜鶏足房!」
院が歌い終わると、女房や白拍子たちは笏拍子や鼓を乱打して称賛した。
徹夜の騒ぎで時を告げる音はかき消されて聞こえず、いつの間にか外が明るくなっていた。
朝日に気付いた後白河法皇は扇を手のひらに打ちつけると、女房・白拍子たちに声をかけた。
「はや、夜は明けぬるか。いざ、次の今様を今宵の結びといたすべきぞ!」
院の言葉を聞くと、女房たちは床に寝ころんでいた者を起こし、白拍子達は院の周りに集まった。
「拘尸那城の〜うしろ〜より、十の菩薩ぞ、出で〜たまふ〜、博打の〜願ひを〜満てん〜とて〜、一六三〜とぞ、現じたる〜」
院の凛としつつも甘い声に乗って、院の周りで白拍子達は調子を合わせ緩やかに舞い、その中心で院は歌いながら時に激しい調子で足も踏み鳴らして舞う。
女房たちも、今回の宴で最後となる今様を最高のものにしようと心を集中し、院や白拍子達の舞に合わせて笛を奏で拍子を打つ。
院は、歌い終わると同時に舞の構えを決め、残心した。
一瞬の静寂後、女房・白拍子達は歓声を上げて乱打。熱狂的に院の今様を賛美した。
穢れや呪いを心底信じていた当時の公家社会では、夜明け前に起床し、自分の守護星の真言を七回唱え、陰陽師の勘申を確認するのが、社会的常識とされていた。
しかし後白河法皇は、この絶対とも言える社会的常識も自己流に解釈していた。
『事の良し悪しや始まりと終わりは、自分で決める』
この決して揺るがぬ自負が、後白河法皇という人の精神的支柱の一つであった。
院が、今様を喉が枯れるまで徹夜で唄ったり、貧民窟に住む乙前という老婆に今様の教えを請い我が師匠と崇めたのも、評価したもの・好きなものに対する純真な思いに他ならない。
その様な後白河法皇にとって至高とは『己の美意識と直感』であり、治天の君という最高権力の座でさえ『神仏が、我が内にある至高を世に現し示させる為に与えてくれたもの』であった。
徹夜明けで既に朝日も眩しい中、平然と院は武曲星(後白河法皇の守護星である北斗七星の第六星)の真言「オン ギャトロ ウン」を七回唱え、勘申で今日の方違えを確認。
洗顔等で身支度を整えると、漸く法皇としての日課である読経を行った。
院が読経を終えて遅い朝餉を取っていると、女房が関白松殿基房の院参を告げた。
「何事かの?」
「はい。このほど、院より真なるかとお尋ねの年中行事の絵を、お返しにとて参らせてございます」
「おお、そうか!やがて参るほどに、関白に申しおかせよ」
「承りて候ふ」
院は朝粥をかき込むと早々に座を立った。
院が御簾の内に姿を見せると、関白松殿基房は平伏した。
御簾が巻き上げられ、院は直に基房に声をかけた。
「これ、基房よ近う。年中行事の絵はどうであった?」
「は」
基房は院に近づき座り直すと、手ずから預かっていた年中行事の絵を広げて見せた。
「ん?何じゃ、この押紙は……おおっ、点(添削)であるか!」
「真に恐れ多く候へども、故実に任せば過てる事あまた候ふ。卒爾ながら点じましてございます」
「さるにてこそ基房よ!よき計らいぞ。
……あなや!四方拝、元日節会、白馬節会の絵にも押紙しつるか!
これは絵師が今年観て描けるものなるぞ。四方拝、元日節会、白馬節会が過って行われていたとは……」
基房は覚悟の表情で平伏し、院にお答えした。
「年中行事の絵をお指図せられ候ふ院の御心は、正しき故実を未来永劫に伝えんとの思し召しでございましょう。
たとえ今年の四方拝、元日節会、白馬節会でありましても、院の御気色の悪しからんことを恐れずに違えるをば違えりと正すことこそ、道の理と存じ候次第に候ふ」
基房の言葉を聞き終わると、後白河法皇は放心し静かに涙を流された。
「……あな殊勝なるかな。基房が言葉、真に身に沁みるぞ。
本朝の正しき故実を守らんとするその心、いみじうこそ愛おしくめでたく覚え、落つる涙も留まり難し。
この様な押紙を剥がすことなど到底できぬ。朕が宝とし、蓮華王院に納めようぞ」
万全であるはずの行事について過ちを指摘した事で、勘気を蒙るのも覚悟していた基房は、院の思いがけない激賞に心を完全に揺さぶられた。
基房も感涙に咽び、言葉も出せず只々平伏した。
ひとしきり涙を流すと、後白河法皇は
「それにしても、年中行事の絵を完成させるには、まだまだ月日と費えが足りぬのう」
と嘆息した。
「基房。また、八条院に費えを請い奉るか」
院はいたずらっぽく言うと座を立ち、女房に八条院へ忍んで訪れる準備を命じた。
「院、恐れながらそちらは僕の凶方位でございまして……」
「よいよい。朕は吉方位じゃ。そちは朕に伴するのだから関係ないであろう」
「え?あの……」
先程の感動も何処へやら、今日も後白河法皇に振り回される関白松殿基房であった。




