第二節「治天の君」(三)
後白河法皇が八条院御所に「年中行事絵の制作費を無心する」目的で微行されると伝えに来た使者の訪問を受けて、急遽、八条院は源頼政・平頼盛を呼び寄せた。
それは、八条院にも平頼盛を通じて平重盛危篤の情報がもたらされていたからである。
「このほど院の微行おわしまするは、前内大臣の御不例重きに及ぶに深く関わりある事、まず相違ございませぬ」
平頼盛の言に、八条院と源頼政は頷いた。
「さらば、院は何事をか求めさせ給ふ。権中納言はいかに思ふ」
「は。恐らくは、女院(八条院)の御力を仰がんがためと拝察し奉り候ふ。
次の棟梁が権大納言(宗盛)となりますれば、いよいよ小松流は不遇となりましょう。しかるに、小松流の武力と財力は一門の中でも大きなるもの。
もしも、某の池殿流より唆のかし候はば、相国入道殿が一門は大きく割れ、力を失ひ候ふべう候」
頼盛は八条院の問いにお答えすると同時に、沙汰を仰ぐ意思を示して平伏した。
「三位(源頼政)。権中納言が言、如何にすべきと思ふ。心あらんや」
父・鳥羽法皇崩御の翌年1157年に、母・美福門院(藤原得子)に勧められて未婚の暲子内親王(八条院)が尼となってから22年。母・美福門院が1160年に亡くなり、一人になってからは19年。
その八条院にとって、父母の代から仕えている源頼政は、最も信頼し精神的にも頼みとするかけがえのない側近であった。
頼政は平伏したまま暫く沈思すると、おもむろに語り始めた。
「誠に恐れ多き事ながら、女院の御心を推し量り奉れば、全ては高倉の宮(以仁王)の行く末に良き事か、或いは悪しき事になるかにて候。
さらば、相国入道殿御一門の力を弱め、院の力を強めさせ給ふとも、宮の御為には良き事になり侍らじ。今の主上と東宮による簒奪は、いよいよ果つるまじく候」
老練な源頼政の鋭い指摘に八条院と平頼盛は息を呑み、言葉の続きを待った。
「正しき皇統の流れに復し奉るには、院と平氏、双方の力を削ぐ事が肝要でございます。
相国入道殿の御齢は六十一、院の御齢は五十三にて、いづれも御高齢にこそあらせ給へ。しかるに、権大納言殿(平宗盛)と主上(高倉天皇)には、相国入道殿や院ほどの御器量は渡らせ給はず。
相国入道殿と院と、共に主上と東宮を頼みとして、浅ましき奪ひ合いをせさせ給はば、やがて共倒れいたしましょう」
頼政はここで言葉を切ると、頼盛に向き直り真剣な表情で問い質した。
「権中納言殿の御覚悟は如何。院を誑かし奉り、清盛流の平氏一門ことごとく滅亡すとも、些かも迷ひなく、女院と高倉の宮の御為に御奉公仕るべきか、如何に」
頼政の寸鉄人を刺す問いに、平頼盛は体が硬直し冷や汗が背筋を伝った。同時に極度の緊張で思考が吹っ飛び、答えるどころか、今何を考えていたかも分からなくなった。
それでも無為に時間が流れていく事だけが感じられ、焦る頼盛はますます狼狽した。
「よい、三位。今は、権中納言にそこまでの覚悟を強ひてはならぬ。権中納言にも、暫し時が必要であらん。
しかあれど権中納言。かやうの大事をそちに聞かする意、深く案ぜよ」
八条院の涼やかで明瞭な声が鈴の音の様に響き、漸く頼盛は我に返った。
しかし頼盛は言葉を返す事ができず、体中を汗で濡らし震えながら平伏すしかなかった。
頼政は、その様な頼盛を厳しい目で見たが責める事はせず、表情を戻すとあらためて八条院に平伏した。
「話を続けまする。此度は、院へそれとなく小松流の勢いを削がせ給うべき様を、聞こえさせ給はんが宜しかるべし。
院には白河殿お隠れの後、後家一期分を名目に、治天の君として殿下渡領と近衛家領をお預かりになられました。
前内大臣の御事をも、知行国は一代限り、国宛は治天の君に属すべき定めなるを、院が違えずに守らせ給わば、小松流と平氏一門の勢いは大かたに削がれなんと存じ奉る」
頼政の進言に、八条院は大いに満足されて頷いた。
「三位が申すところ、いと理に適うたり。わらはより院へ、それとなく聞こえさせん」
「ん?着いたかの?」
後白河法皇は、牛車が止まり(牛が)脱駕した音・振動と、車が前傾した事で、目が覚めた。
院の気配に気が付いた車副の熊丸が側に近寄り、状況を説明した。
「恐れながら、前より三位殿の御車が近付いております故、避道しておりまする」
「三位?おお、頼政か」
「はい。三位殿の牛飼い童は見知っておりますので、間違いございません」
そこまで話すと、避道の作法に則り、熊丸や猫丸たちは頼政の牛車に向かって平伏した。
後白河法皇も、頼政達に気付かれない様に体を後ろに倒して視線を避けた。
『八条大路で頼政に出会うとは、頼政も八条院御所におったのかの。偶然か、それとも何やら謀をしておったのか』
「愉しみじゃの」
思わず院は独り言ちた。




