泥の杭打ちと手製トランプ
村に来て二週間が過ぎた頃には、僕の一日の動きはすっかり決まりきったものになっていた。
朝、トタン屋根を叩く雨音で目を覚まし、谷底から水瓶を担ぎ上げてきたメバさんに熱い紅茶を一杯もらう。午前中はバハドゥルさんの家の煤払いか、雨漏りしそうな屋根の補修を手伝う。午後になり、土砂降りで外の作業が止まると、土間でドンたち子ども先生にカシ語の発音を直されながら、手製トランプでババ抜きや七並べの相手をする。合間にクワイをガリッと噛み砕いては、男たちと一緒に真っ赤な唾を竹筒へ吐き捨て、夜は豚の燻製をつつきながら酸っぱい濁酒を胃袋に流し込む。
相変わらず言葉は半分も通じていない。
だが、最初の頃にあった「得体の知れない東洋人を遠巻きに品定めするような空気」は、いつの間にか綺麗さっぱり消え去っていた。
昼前、雨足が少し弱まったタイミングで広場へ出ると、隣の家の頑固そうな老人が、高床の下で壊れた豚小屋の柵を直していた。泥だらけになって竹の杭を打ち込もうとしているが、湿気で滑るのか、どうもうまく力が入っていない。
「イアラップ?(手伝いましょうか)」
僕が声をかけると、老人は僕の顔を見て、それから僕の口元を見てフッと鼻を鳴らした。唇がクワイのせいで赤黒く染まっているのを見たからだ。
「オウ(ああ)」
老人は短く頷き、足元に転がっていたナタと竹の束を僕に放り投げてきた。
慣れない手つきで竹を割り、杭の頭を削っていく。東京の厨房で仕込みの段取りを組み立てていた時のように、老人が打ち込みやすい順に杭を並べて手渡すと、老人は何も言わずに受け取り、手際よく木槌を振り下ろしていった。
小一時間ほどで柵の修繕が終わると、老人は腰を叩きながら高床の階段を上がり、奥から素焼きの壺と竹筒を持って戻ってきた。
「ディー(飲め)」
並々と注がれた自家製のライスビール。バハドゥルさんの家のものより少し発酵が進んでいて、舌を刺す酸味の奥に微かな渋みがある。
「バ・ティン(美味い)」
僕が言うと、老人は無言で自分の竹筒をカチンとぶつけてきた。
そこへ、山仕事を終えたラールがぬかるんだ坂道を登ってきた。泥だらけの足を引っ張りながら、僕と老人が並んで酒を飲んでいる姿を見て、呆れたように大笑いする。
「おいおい、ミスター・ジャパン。お前、完全にこの村の風景に溶け込んでんじゃねえか」
「そう見えますか?」
「見えるも何も、村の連中がみんな噂してるぞ。『あの日本の客は言葉も碌に通じないのに、飯も酒も文句言わずに食うし、泥仕事も嫌がらないし、子どもたちと一日中カードで遊んでる。金持ちの道楽者かと思ったら、ただの気のいい居候だ』ってな」
ラールは背負い笠のクヌップを放り出すと、僕の隣にどっかりと腰を下ろした。
「最初はみんな警戒してたんだよ。都会の金持ちなんて、ちょっと雨が続けばすぐ泣き言を言って逃げ出すのが普通だからな。だけどお前は、雨が降れば降るほど嬉しそうに酒を飲んでる。村の長老たちが『あいつは頭のネジが一本抜けてるが、根は悪くない』って太鼓判を押してたぜ」
「頭のネジが抜けてる、は余計ですけどね」
苦笑いしながら竹筒を傾ける。
東京にいた頃は、資本の論理だの、効率的なオペレーションだの、クレームの出ない仕組みづくりだのと、数字の辻褄を合わせることばかりを考えて生きていた。けれど、外部の流通もインフラも届かないこの泥山の上では、僕の持っている口座残高も過去の実績も、何一つ担保にならない。
出された酸っぱい酒を美味いと飲み、手元にある泥まみれの竹を割り、同じ雨の下で煙に燻されながら時間をやり過ごせるかどうか。壊れやすい人間同士が同じ場所で暮らしていくための基準なんて、本来はそれくらい単純で、泥臭い手触りのものだったのかもしれない。
トタン屋根の下から、ドンと妹の湿った足音が近づいてくる。
手には、もう角がボロボロになった手製のスケッチブックトランプが握られていた。
「おい、ミスター! 勝負だ!」
泥のついた顔で叫ぶ少年に、僕は「望むところだ」と立ち上がった。
雨の音に包まれた山肌に、今日もまた、誰のものでもない笑い声が静かに混ざり合っていった。




