3:二重の鉄扉
夜の深まりとともに、風は不気味な鳴き声を上げながら国境要塞『オルテン砦』を震わせていた。
西城壁の内部、外敵を防ぐために数メートルの厚みを持たせて組み上げられた巨石の空洞——石造りの砲門室へと続く階段を下りるにつれ、肌を刺すような湿気と、焦げた硫黄と鉱物が混ざり合った異臭が濃密さを増していく。壁に掛けられた松明の炎が、不規則な影を石畳の上に揺らしていた。
「ここだ……」
先導する老副官バルテルが、怯えたように声を震わせた。その指先が示す先には、要塞の奥深くへと穿たれた重厚なアーチ型の入口があった。
アーチの先にある元は武器庫であったと思われる砲門室の空間は、想像以上に狭苦しく、不穏な熱気に満ちていた。室内の正方形の石畳のほぼ中央を占領しているのは、ネロ商会から持ち込まれたあの巨大な鋳鉄製の試作大砲である。部屋の正面向かいの石壁には、外の闇を覗かせる縦長の狭い砲門が一つだけ開いており、そこから吹き込む凍てつく北風が、壁の松明を激しく煽っていた。
「遅かったな、将軍」
大砲の傍らに立ち、黒い砲身に手を置いた青年将校ヴァルターが、冷ややかな笑みを浮かべて振り返った。その背後には、彼の意を受けた若い側近兵が数名、不気味な沈黙を守って控えている。
「約束の刻限だ。今夜こそ、この神の雷とも呼ぶべき兵器の真価を証明し、我が国の進むべき道を決定づける」
遅れて部屋へと足を踏み入れたアルベリック将軍は、ヴァルターの鋭い視線を正面から受け止めながら、重い足取りで前へ進み出た。
「ヴァルター……まだ間に合う。この過ちなぞ撤回しろ。この兵器がもたらすのは勝利ではない、滅びだ」
「滅びだと? 笑わせないでいただきたい!」
ヴァルターの声が、石造りの狭い室内に甲高く反響した。その瞳には、熱狂と過剰な使命感が渦巻いている。
「怯えに憑りつかれた老人の戯言など聞き飽きた! 見ろ、この鉄の肉厚を! この圧倒的な威容を! この砲口から解き放たれる一撃は、谷の向こうに群がる敵の本陣を覆滅させ、我が国に絶対の平穏をもたらすのだ!」
「やめろ、二人とも……! 争っている場合では——」
老副官バルテルが間に入ろうと手を伸ばすが、ヴァルターはそれを一瞥もしなかった。代わりに、その傍らに佇む朱色の外套の探偵と、白い髪の少女へと胡乱な視線を向ける。
「……バルテル副官、なぜ部外者をここに立ち入らせた。ここは要塞の最高軍事機密だ」
「私が同行を許可した」
ロッソは優雅に外套の裾をさばき、冷ややかな笑みを口元に浮かべながら一歩前へ出た。
「過ちを犯そうとしている青年に、第三者の客観的な視点を提供するためにね。安心したまえ、私はただの観測者だ。君たちの茶番劇の結末を見届けに来たに過ぎない」
「茶番だと……?」
ヴァルターの額に青筋が浮かんだが、すぐにそれを冷笑で覆い隠した。
「いいだろう。誰が観ていようと関係ない。今夜、歴史が新しく刻まれる瞬間をその目に焼き付けるがいい」
ヴァルターは背後の側近兵に向かって短く顎をしゃくった。
「扉を閉めろ。極秘の試射および検分だ。外部に音も光も漏らすな。火薬の爆風の防護も兼ねる」
「はっ!」
兵士たちが動いた。彼らは砲門室の入口に備え付けられた、重厚なオーク材と黒々とした鉄帯で頑強に補強された巨大な二重扉を引き寄せた。
ギギギ、と古びた蝶番が不吉な悲鳴を上げる。
「待て! 閉めてはならん!」
バルテル副官が悲鳴のような声を上げたが、兵士たちは躊躇なく二重扉を叩きつけ、重々しい音とともに閉じ合わせた。さらに、巨大な鉄の閂がドスンと大きな音を立てて溝にはめ込まれる。
カチャリ、と外側から鉄のロックが噛み合う音が、狭い石室に重苦しく響き渡った。
その瞬間、外界からの音は遮断され、完全な閉鎖空間が完成した。
部屋を覆うのは、分厚い石壁と、正面の狭い射撃孔から吹き込むヒョウヒョウという風の音のみ。松明の灯火が石畳を不気味に赤く染め上げている。
「これで、外からの邪魔は一切入らん」
ヴァルターは冷酷な笑みを浮かべ、アルベリック将軍へと詰め寄った。
「さあ、将軍。諦めてあの『鍵』を渡していただきましょう。この砲門室の二重扉を外から完全に施錠し、大砲の固着具を解放するための、あなたが懐に秘めている唯一の鋳鉄の鍵を」
ロッソは静かにその光景を見つめながら、真鍮の懐中時計をポケットの中で指先でなぞった。
(閉じられた部屋。同席者は5名……依頼人である老副官バルテル、被害者となる老将軍アルベリック、加害者となる青年将校ヴァルター、そして私とユキ)
密室の成立。逃げ場のない石の檻の中で、二つの歪んだ熱量が激しくぶつかり合おうとしている。
「断る」
アルベリック将軍は微動だにせず、懐に手を当てたまま、低く言い放った。
「この鍵はお前に渡さん。この大砲を発砲させることも絶対に許さん」
「……ならば、力ずくでも奪い取るまで!」
ヴァルターが腰の剣の柄に手をかけた。その瞳から正気が失われ、純粋な殺意と全能感の混ざり合った狂気が噴き出し始める。
ユキがそっとロッソの外套の裾を掴んだ。
「……ロッソ。箱の蓋が、閉まった」
「ああ。悲劇の舞台の準備は完全に整ったというわけだ」
ロッソは冷徹な眼光を二人の男へと向け、静かに呼吸を整えた。硝煙と血の匂いが、石造りの密室の中に満ち始めようとしていた。
感想いただけると狂喜乱舞しますので感想くださいください




