表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
外れ鑑定士は異世界の賭けを全部読んでいた  作者: じょな


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/17

第3話「4層の匂い」

 ダンジョンの入口は、街の東端にある。

 朝の五時。石畳はまだ夜の冷気を抱えていて、足裏に伝わる硬さがいつもより鋭く感じた。松明の火が風に揺れるたび、壁の影が伸びたり縮んだりする。焦げた油の匂いと、その奥に混じる土と黴の匂い——ダンジョンの匂いだ。

 吸い込むたびに、胃の底がきゅっと縮む。

「よお」

 声がして振り返ると、ガルドが欠伸をしながら歩いてきた。目が半分しか開いていない。寝ぐせが盛大に跳ねていて、革鎧の留め具が一つ外れたままだ。

「なんでいる」

「見に来た。ちゃんと起きれたな、お前」

「当たり前だ」

「いや、なんか心配で。お前って絶対前の日眠れないタイプだろ」

「眠れた」

「本当に?」

「本当だ」

「顔がちょっとやつれてない?」

 俺は返事をするのをやめた。やつれてはいない。ただ、四時間しか眠れなかったのは事実だ。それを言う気はない。

 ガルドは俺の顔をじっと見て、それから「あ、やっぱり」という顔をした。声には出さなかったが、顔に全部書いてあった。

「入口で待て。部外者は入れない」

「わかってる。外で待つよ。でもさ、一個だけ聞いていい?」

「なんだ」

「4層って、3層と何が違うの」

 俺は少し考えた。教える義理はない。ただ、この男が純粋に知りたがっているのは顔を見ればわかった。損得で動いていない顔だ。

「湿度が高い。視界が狭い。通路の幅が半分になる」

「へえ。それって戦いにくい?」

「俺には関係ない。接近戦をしないから」

「じゃあ何で戦うの」

「頭で戦う」

「頭で?」

「相手の生存率と脅威度を読んで、戦わずに済む道を選ぶ。それが俺のやり方だ」

 ガルドはそれを聞いて、しばらく黙った。黙りながら、俺の顔をじっと見ている。

「……それ、楽しいの?」

 予想外の問いだった。

「楽しいかどうかの話じゃない」

「でも楽しくなきゃやってらんなくない? ダンジョンって死ぬかもしれないのに」

「楽しいより、勝てるかどうかの方が重要だ」

「いや俺は楽しくないと勝てないけどな」

「そういう人間もいる」

「お前は楽しくなくても勝てるの?」

 俺は答えに詰まった。

 楽しいという感覚がないわけではない。数字が噛み合ったとき、計算通りに番狂わせが起きたとき、たしかに何かがある。それを楽しいと呼ぶのかどうか、考えたことがなかった。

「……行く」

「あ、逃げた」

「逃げていない」

「今の間は逃げだよ。答えたくなかったんだろ」

「分析中だっただけだ」

「おんなじじゃん」

 俺は向き直って石段を降り始めた。背中でガルドが「頑張れよ」と言った。振り返らなかった。


 4層に降りた瞬間、湿った冷気が首筋に触れた。

 壁が濡れている。天井から水滴が落ちて、足元の石畳に染みを作っている。松明の火が風もないのに揺れた。通路の幅が狭い。両手を広げたら壁に届く。天井も低い。

 嫌な層だ、と思った。


 数字じゃなくて、皮膚がそう言っている。

 俺は歩きながら《命運読み》を流し続けた。角を曲がるたびに数値が弾かれる。小型の魔物、天井に張り付いた何か、床の亀裂の向こうで動くもの——全部数値になって視界の端に並ぶ。

 問題は、ひとつだけ数値が突出して高い、ということだ。

《命運読み》が弾いた。


[未確認 生存率:—— 脅威度:B+ 推奨行動:即時退避]

 B+。


 3層の最大値はCだった。

 俺は壁際に背をつけて、息を殺した。暗い。松明の光が届かない通路の奥に、何かがいる。じっと待つ。30秒。1分。

 ゆっくりと、影が形になった。

 でかい。4本足で、肩の高さが俺の胸まである。皮膚がなく骨格が剥き出しの狼型の魔物。顎が二重になっていて、外側が内側を包むようにゆっくりと開く。

 骨顎狼。


 4層の主として文献に記録されている個体だ。

 逃げた。


 考えるより先に足が動いていた。


 来た道を引き返す。通路の構造を頭の中で再生しながら角を曲がる、また曲がる。背後で骨格の軋む音がする。4本の骨足が石畳を叩く音が反響して、倍に聞こえる。

 次の角を曲がった瞬間、壁だった。

 行き止まり。

 振り返ると、暗がりから骨顎狼が角を曲がってくるのが見えた。外側の顎がゆっくりと開く。

《命運読み》が弾いた。


[骨顎狼 生存率:96% 脅威度:B+ 推奨行動:即時退避——]

 退避先がない。

 壁に背をつけた。右手に短剣。意味があるかわからない。それでも手は下ろせなかった。

 骨顎狼が跳んだ。


 ぐしゃ、という音がした。

 骨格が折れる音だ。俺の骨ではなかった。

 骨顎狼が横に吹き飛んで、壁に叩きつけられていた。通路の入口に、ガルドが立っていた。右手の甲に血が滲んでいる。息は乱れていない。

「よお」

「……入るなと言った」

「お前の顔が変わったから」

「外から見えるわけがない」

「入口で振り返ったとき、眉間の皺が違った」

 骨顎狼が立ち上がろうとした。ガルドが一歩踏み込んで顎の付け根に膝を叩き込んだ。くぐもった音がして、また倒れた。それでも動く。

「しぶとい。これが4層の主?」

「そうだ」

「なるほどね。でも倒せる」

「今の装備で倒せる相手じゃない」

「俺は倒せる気がする」

「根拠は」

「なんとなく」

 ガルドはそう言って、また踏み込んだ。

 三分もかからなかった。骨顎狼は通路の端で動かなくなった。ガルドは肩で息をして、血の滲んだ右手をぶらぶらさせながら振り返った。

「終わった」

「……ああ」

 俺はポーチから包帯を出した。

「貸せ」

「いいよ別に、これくらい」

「感染する。貸せ」

「お前って意外と世話焼きだな」

「違う。お前が死んだら次の賭けに影響が出る」

「え、それだけ?」

「それだけだ」

「冷たいな」

「包帯を巻いている間は喋るな。ずれる」

「はいはい」

 ガルドは黙った。三秒だけ。

「なあ」

「ずれる」

「ちょっと聞いていい?」

「後にしろ」

「今日って失敗?」

 手が止まりそうになった。止めなかった。

「退避だ」

「でも4層クリアできなかったじゃん」

「想定外の個体がいた。装備を見直して出直す。それだけだ」

「悔しくないの?」

「悔しいかどうかは関係ない」

「でも顔に出てるよ」

「出ていない」

「出てる。さっきから眉間がずっとこうなってる」

 ガルドが自分の眉間に指を当てて、険しい顔を作ってみせた。似ていた。腹が立った。

「……余計なことを言うな」

「本当のことじゃん」

「本当でも言わなくていいことがある」

「え、そうなの? 俺そういうの苦手で」

「知っている」

「知ってんの?」

「二日話せばわかる」

 ガルドはそれを聞いて、なぜかちょっと嬉しそうな顔をした。俺が自分のことを観察していたのが嬉しかったらしい。そういう顔をする人間だとは思っていなかった。

 包帯を結んで、手を離した。

「三日後に出直す」

「また来ていい?」

「入口で待つだけなら」

「一緒に入ろうよ。今日みたいなのがいるなら俺がいた方がよくない?」

「お前がいると計算が狂う」

「計算が狂うって、邪魔ってこと?」

「邪魔というより——お前の動きが読めない。《命運読み》がエラーを返す」

 ガルドが少し目を細めた。

「エラー?」

「お前の直感値が数値にならない。計算蟲も弾けていないはずだ」

「……それって、すごいの?」

「わからない。見たことがないから」

「俺、変なの?」

「変かどうかじゃなくて、未知だ」

 ガルドはしばらくその言葉を噛んでいた。噛みながら、右手の包帯をじっと見ていた。

「なあ」

「なんだ」

「お前、俺のこと怖い? エラーが出るから」

 俺は少し考えた。

「怖いというより、気になる」

「気になる」

「ああ」

「それって——」

「分析したいという意味だ。勘違いするな」

「してないしてない」

 ガルドはまた肩を揺らして笑った。さっきより大きく。石造りの通路に、その笑い声が反響した。


 外に出ると、朝の光が眩しかった。

 並んで石段を上りながら、ガルドがぽつりと言った。

「俺の直感、昔一回外れたことある」

 俺は足を止めなかった。ただ、耳だけを向けた。

「友達が死ぬとき。助けに行けると思ったのに、間に合わなかった」

「……そうか」

「そのときだけ、なんとなくが外れた。今でも理由わかんない」

 石段を上る足音だけが続いた。

 俺は何を言えばいいかわからなかった。計算できない話だ。確率でも期待値でも整理できない話が、世の中にはある。

「お前だったらどう考える?」

 ガルドが聞いてきた。責めているわけではない。本当に知りたがっている顔だ。

「……直感は確率だ。100%はない」

「それだけ?」

「それだけだ。お前が悪かったわけじゃない」

「冷たい答えだな」

「そうかもしれない」

「でもなんか——」

 ガルドが空を見上げた。

「楽になった。ちょっとだけ」

 俺は返事をしなかった。

 するべき言葉が見つからなかったし、しなくてもいい気がした。

 外の空気は、ダンジョンの黴の匂いとは違って、朝の草の匂いがした。夜明け前に入ったダンジョンから出ると、いつも世界が少し違う場所になっている気がする。

「三日後、また来る」

「入口で待て」

「考えとく」

「待て、と言っている」

「考えとく」

 ガルドは欠伸を一つして、手を振りながら歩いていった。

 俺は背中を見送りながら、頭の中に書き込んだ。

 直感値エラー。未知。友人の死。——要観察。

 それから、もう一行。

 三日後の装備リスト。骨顎狼、対策可能なはずだ。

 朝の光の中を、一人で歩いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ