第2話「ハズレの値段」
ギルドの受付カウンターは、朝から混んでいた。
石造りの天井から差し込む朝陽が、埃っぽい空気をうっすらと白く染めている。革鎧の擦れる音、武器が床を叩く鈍い音——それから、笑い声。
俺の方を見ながらの、笑い声だ。
「なあ聞いたか。昨日の番狂わせ」
「ああ、命運鑑定士とかいうやつだろ。生存率2%が生き残ったやつ」
「運だろ、どう考えても。次は死ぬな」
俺は列に並びながら、その声を背中で受けた。
否定はしない。
反論もしない。
半分は正しいからだ。
《命運読み》は俺自身には使えない。昨日の生存率が本当に2%だったのか、それとも計算蟲が読み違えていたのか——今でも確かめる手段がない。
数字は嘘をつかない。
だが数字を読む奴が間違えることはある。
「次の方どうぞ」
受付嬢が俺を手招いた。愛想のいい笑顔。ただ俺のギルドカードを受け取った瞬間、その笑顔が0.3秒だけ固まった。
《命運読み》が弾いた。
[受付嬢アネット 生存率:99% 脅威度:E ——困惑——]
脅威度Eは最低ランクだ。戦闘員ですらない。ただ「困惑」という文字が、数値の端にうっすらと滲んでいた。本来の機能にはない項目だ。まだ意味がわからない。後で考える。
「昨日の報酬受け取りと、次の依頼登録をお願いしたい」
「……はい、かしこまりました。片瀬司、様」
様、と付けた。
昨日までは呼び捨てだったのに。
報酬は銀貨18枚だった。
ギルドの隅のテーブルに座って、紙に数字を並べる。3層クリアの基本報酬12枚、配当の取り分6枚、計18枚。
悪くない。
悪くないが——問題がある。
昨日の番狂わせで急騰した俺のオッズを、賭博神殿が今朝更新していた。次回の数字は8.4倍。生存率2%の男が生き残ったことで、「もしかしたら勝てるかもしれない」という期待が市場に生まれた結果だ。
逆説的だ、といつも思う。
強く見えるほどオッズは下がる。弱く見えるほど上がる。
今の8.4倍は、俺がまだ「弱い」と思われているうちの数字だ。これを使い切るまでに、次の一手を決めなければならない。
紙の端に書いた。
4層。推定生存率——
そこで手が止まった。
計算できない。
自分のことだけは、どうしても埋まらない。
そのとき、扉が開いた。
物理的な音よりも先に、空気が変わった。周囲の視線が一点に引き寄せられる、あの感覚。
男が入ってきた。
背が高く、使い込まれた革鎧の肩に古い斬り傷の跡がある。年齢は20代半ば、顎に無精髭。入り口に立ったまま大きな欠伸を一つして、それからゆっくりと室内を見回した。
《命運読み》が弾いた。
[冒険者・不明 生存率:88% 脅威度:A 直感値:——ERROR——]
眉が寄った。
エラー。《命運読み》がエラーを返したのは、初めてだった。脅威度Aはこのギルドで見た最高値だ。それよりも「直感値」という見慣れない項目が気になった。さっきの「困惑」と同じ、数値の端に滲む情報。なぜ、エラーなのか。
考えている間に、男が歩いてきた。
迷いのない足取りで、真っ直ぐ俺の方へ。
「よお」
椅子を引いて、断りもなく向かいに座った。テーブルに肘をついて、値踏みするわけでもなく、ただまっすぐ俺を見る。
「お前が昨日の、生存率2%の奴だろ」
「……そうだが」
「俺、ガルド。ガルド・ロア」
ギルド内がまたざわついた。俺は知っている。直感だけで動いて毎回大穴を当てる天才冒険者。勝率の計算など一切しない。感情のままに突っ込んで、なぜか生き残る。俺の対極にいる種類の人間だ。
「何の用だ」
「用ってほどじゃないけど」
ガルドは頬杖をついて、少し首を傾けた。
「お前に賭けたんだよ、昨日。生存率2%に」
俺は少し間を置いた。
「なぜ」
「なんとなく」
「……なんとなく」
「そう」
完全に根拠がない。
俺は紙をめくる手を止めて、正面から聞いた。
「直感か」
「まあそんな感じ。で、当たった」
ガルドはそこで少し笑った。自慢するわけでもなく、照れるわけでもなく——ただ、当たり前のことが起きたと言うみたいな顔で。
「だから挨拶しに来た。それだけ」
俺はしばらく、その顔を見ていた。
脅威度A。直感値エラー。なんとなく、で2%に賭けて当てた男。
「次も賭けるつもりか」
軽い気持ちで聞いたつもりだった。
「賭ける」
即答だった。
「理由は」
「だって勝ちそうじゃん、お前」
ガルドは少し身を乗り出して、テーブルに両腕を置いた。真剣な顔、というわけでもない。ただ——確信している顔だ。計算も根拠もなく、ただ確信している。
「なんでそう思う」
「わかんない。でも勝つと思う。なんとなく」
俺は息を吐いた。
こういう人間と話したことがなかった。確率論で動く人間か、権力や暴力で動く人間か、そのどちらかしかいなかった。数字の外側に立っている奴が、目の前にいる。
紙を一枚破って、4層の攻略予定日を書いた。
「じゃあ賭けろ」
テーブルの上に滑らせた。
「ただし、ここに書いた金額を上限にしろ。超えるな」
ガルドは紙を拾い上げた。一秒で読んで、顔を上げた。
「少なくね?」
「リスク管理だ」
「お前が勝つのに?」
「俺が勝つかどうかは俺にはわからない」
そう言ったら、ガルドは少し黙った。意外そうな顔だった。
「……自分の生存率、読めないのか」
「自分には使えない」
「へえ」
ガルドは紙をポケットにしまいながら、どこか面白そうに目を細めた。
「じゃあ俺が読んでやる」
「お前に何がわかる」
「なんとなく、勝つ。以上」
立ち上がって、欠伸を一つ。それだけ言って踵を返した。振り返りもしない。
俺は背中を見送りながら、紙の続きに書いた。
直感値エラー——要観察。
その夜。
賭博神殿の一室で、水晶球が静かに光っていた。
「片瀬司の次回攻略、4層が濃厚です」
報告する声は若い女のものだった。ためらいがちに、続ける。
「オッズは8.4倍。連続番狂わせの認定には、もう一度データが必要です。ただ——」
一瞬、間があった。
「計算蟲が、少し……乱れています」
返答はなかった。
水晶球の光が、ゆらりと揺れた。
まるで何かが——笑ったように。




