第1話「生存率2%の男」
生存率2%——。
水晶球の中で、その数字が白く光った。
神殿の大広間がざわついた。観客席から声が上がる。笑い声まで混じっている。
「なあ、あれ見たか。2%だぞ」
「誰だ? 命運鑑定士って書いてある。ハズレ職じゃないか」
「賭けにならねえ。そんなオッズに金なんか出せるか」
俺は石畳の上に立って、その声を全部聞いていた。
耳に入ってくる言葉を処理する気にはなれなかった。ただ、体の芯がじんわりと重かった。転移してから3日間、まともに眠れていない。足の裏に凸凹が伝わってくる石畳の感触だけが、ここが現実だと言い聞かせてくれていた。
——話を、一週間前に戻す。
目が覚めたとき、俺は路上に転がっていた。
空が青すぎた。
見たことのない青だった。東京の空に、こんな色はない。ビルもない。排気ガスの匂いもない。代わりに漂っているのは、雨上がりの土と草が混ざったような、甘くて鋭い空気。
頭を起こすと、石畳の広場が見えた。荷車を引いた馬が通り過ぎていく。鎧を着た男が歩いている。路地の向こうに、羽根飾りのついた帽子をかぶった女が見えた。
FXのモニターを眺めながら寝落ちして、気づいたら異世界——。
こんな状況に適切な感情があるとしたら何だろう。パニック? 混乱? それとも諦め?
俺が最初に思ったのは、「食い物と金をどう調達するか」だった。確率論オタクの末路というやつかもしれない。
---
冒険者ギルドに飛び込んだのは、その日の夕方だ。
登録すれば食事と宿が数日分もらえると、市場の露店の親父に教えてもらった。
鑑定士が俺の手を取って、水晶の板に押し当てた。
「……命運鑑定士」
女性の鑑定士が、板を覗き込んで一度止まった。
隣の窓口で登録していた男が、こっちをちらりと見た。その目が言っていた。あ、ハズレだ、と。
「戦闘系の職でないのはご存知ですよね。ダンジョン攻略の際は充分に——」
「《命運読み》の使い方を教えてほしい」
俺が遮ると、鑑定士の女性はわずかに眉を動かした。
「スキルが発動していないということですか?」
「発動の仕方がわからない」
彼女は少し考えてから、「対象を見ながら、知りたいと思うだけでいいはずです」と言った。
俺はギルドの窓口の向こう、受付列に並んでいる冒険者の一人に目を向けた。
——弾けた。
視界の端に、光る文字が浮かんだ。
```
《命運読み》
[冒険者(男性、20代) 生存率:76% 脅威度:C 現在の主要リスク:装備の劣化]
```
数字が、見えた。
76%。装備の劣化。なるほど、剣の鞘が傷んでいるのはそのせいか。
俺は窓口の外に視線を流した。別の男。また数字。若い女性冒険者。また数字。
面白いように読めた。
ただ——俺自身に向けようとしたとき、何も弾けなかった。鏡に光を当てるみたいに、スキルがすり抜けていく感覚があった。
自分自身には使えない。
最初に気づいた制約が、それだ。
---
翌日、ギルドの掲示板で「神命ダンジョン」の存在を知った。
各地に点在するダンジョン。100層構造。攻略は国家公認の制度で、冒険者は賭けの対象になる。強い者ほどオッズが下がる。市民は賭けを楽しみ、神殿が胴元として収益を得る。
掲示板の前で腕を組んで読んでいると、隣に立った男がぼそりと言った。
「あんた、登録したてか?」
50代くらいの、くたびれた顔の男だった。右腕に大きな傷跡がある。
「ダンジョンで賭けに勝ちたいなら、強くなるしかないぞ。弱いうちはオッズが高くて稼げるが、生き残れない。強くなれば生き残れるが、オッズが下がって稼ぎが減る」
「矛盾してる」
「そういう仕組みなんだ」
男は苦笑いして、立ち去った。
俺はしばらく掲示板を眺めた。
強い者はオッズが下がる。弱い者はオッズが高いが死にやすい。神殿はどちらでも儲かる。完璧に設計された搾取構造だ。
——ならば。
逆を使えば、いい。
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そうして今日、俺はダンジョン前の広場に立っている。
水晶球に映し出された「生存率2%」を、観客席の人間が笑っている。
俺は球の光を横目で見ながら、右隣に立つ男に目を向けた。
スキルが弾ける。
```
《命運読み》
[冒険者ガルド・ロア(24歳) 生存率:91% 脅威度:A 直感精度:異常値検出中]
```
右隣の男——ガルドが、俺に気づいてにやりとした。
「おい、ハズレ鑑定士。今日は俺の引き立て役になってやるよ」
体格のいい男だった。剣を背中に担いで、根拠のない自信がにじみ出ている。
「絶対勝てる、なんとなくな」
数値は嘘をつかない。こいつの生存率は91%だ。今日の1層攻略でほぼ確実に生き延びる。
俺は何も言わなかった。
視線を前に戻して、1層の入り口を見た。石でできた門。中から空気が流れてくる。湿って、冷たい。地下特有の、石と土の匂い。
2%。
計算蟲が弾き出した俺の生存率。
正しい数値だろう。俺は魔法がほぼ使えない。戦闘力は中の下。装備は最低限のものしか揃えられなかった。単純な戦力で見れば、今日この場にいる誰より弱い。
でも——数値は確率だ。保証じゃない。
動かせる。
俺はポケットの中の小石を握った。ギルドを出る前に拾った、ただの石。呼吸を整えるための癖みたいなものだ。
冒険者たちが動き始めた。門が開く。
俺は最後尾について歩き出した。観客席の声が遠くなっていく。
「生存率2%ってことは……」
「諦めてるだろ、どう見ても」
笑い声。
——諦めてなんかいない。
ただ、勝算のない賭けに乗る気はないというだけだ。2%の男が生き残るには、2%の戦い方がある。
石の冷気が肌に張り付く。地下へ降りていくほど、匂いが濃くなった。
《命運読み》が次々と周囲の数値を弾き出す。他の冒険者たちの生存率、脅威度、リスク要因。情報が積み上がっていく。
数字は嘘をつかない。
だから——この数字を使って、全員の計算を狂わせる。
水晶球の前で、計算蟲が俺の動きを追いかけ始めたのはそのときだった。神殿の奥の、どこかで。




