第19話「踏み込む」
朝、リーセの図をもう一度読んだ。
崩落の順番。
0.2秒のズレ。
崩れた直後の場所が、一瞬だけ安全になる。
紙の端に、自分の字で書き足した。
——ガルドが反応したら、その方向へ。
それだけだ。
あとは入ってみなければわからない。
自分の生存率が読めない以上、どこまで計算しても穴は埋まらない。
穴があることを知った上で、動く。
それしかない。
紙を折り畳んで、上着の内ポケットに入れた。
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ギルドでガルドと合流した。
ガルドは珍しく先に来ていた。
入口の柱に背を預けて、腕を組んで、目を閉じていた。
起きているのか寝ているのか、わからなかった。
「起きてるか」
「起きてる」
「珍しく早い」
「今日は早く来たかった」
目を開けないまま言った。
それ以上説明しなかった。
ガルドはこういうとき、理由を言わない。
なんとなくそうしたかった、というだけだ。
俺は隣に立った。
「一つだけ確認する」
「なんだ」
「連続崩落が来たとき、俺がピンチになれば首の後ろが反応するか」
ガルドは少し考えた。
「わからん。でも——7層では重なった。15話でも重なった。今日も重なると思う」
「根拠は」
「なんとなく」
俺は頷いた。
「それで十分だ。反応したら迷わず言え。方向も」
「わかった」
ガルドが目を開けた。
朝の光の中で、いつもより少し真剣な顔をしていた。
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8層の入口で、少し止まった。
階段の下から、昨日と同じ空気が上がってきた。
土と古い石の匂い。
密度の高い、重い空気。
昨日と違うのは——俺の頭の中に、リーセの図があることだ。
「行くぞ」
「おう」
降りた。
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足を踏み入れた瞬間、昨日と同じ感触が来た。
床の下に空洞がある。薄い板の上を歩く感触。
今日はそれを確かめるように、一歩ごとに踏んだ。
昨日は三歩でやめた。
今日はやめなかった。
床の厚みを体で覚えるつもりだった。
「また足踏みしてる」
「確認だ」
「昨日もそう言ってた」
「昨日より意味がある」
ガルドは黙った。
それ以上聞かなかった。
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三十メートルで《命運読み》を起動した。
弾いた。
[岩喰い 生存率:56% 脅威度:B+ 推奨行動:先制攻撃]
昨日と同じ数値に近い。
右前方、壁際に張り付いている。
「右前方、五メートル。先手を打つ」
「さっきから首の後ろがざわついてる」
俺は少し止まった。
「崩落か、魔物か」
「わからん。でも——今日は最初からざわついてる」
最初から。
入った瞬間から反応している。
「無理に進まない。一体ずつ確実に仕留める」
小石を蹴った。
岩喰いが剥がれた。
今日は先手を打てた。
右前足を狙った。
二撃で仕留めた。
「早い」
「昨日の経験がある」
ガルドが仕留めた岩喰いを見た。
「こいつ、床を砕いて動くんだよな」
「そうだ」
「じゃあこいつが死んだら、その分崩落が減る?」
俺は少し考えた。
「減るかもしれない。データには出ていないが——岩喰いが引き金になっているケースがある」
「じゃあ積極的に仕留めた方がいいな」
「崩落のリスクと天秤だ。近づきすぎると床が崩れる」
「でも放置しても崩れる」
「そうだ」
ガルドが頷いた。
「つまり、どっちみち崩れる」
「そうだ」
「じゃあ仕留めながら進む方がまだいい」
単純な結論だった。
でも間違っていない。
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五十メートルで連続崩落が来た。
突然だった。
魔物がいない場所だった。
左の継ぎ目が鳴いた。
一回目。
場所を確認した。
左、二メートル先。
二回目が鳴く前に——
「左」
ガルドの声だった。
俺は左に踏み込んだ。
踏み込んだ瞬間、左の床が崩れた。
でも俺の足はすでにそこにあった。
崩れる床を踏み台にして、右に跳んだ。
右の床が続いていた。
後ろで、正面の床が音もなく抜けた。
ドミノのように三枚続けて。
ガルドが俺の隣に着地した。
二人とも、穴の縁から一メートルのところに立っていた。
しばらく誰も言わなかった。
崩れた床の下から、石が落ちていく音が続いていた。
遠く、遠く、深く。
「……抜けた」
ガルドが小さく言った。
「ああ」
「リーセの図、正しかったな」
「正しかった」
俺は踏み込んだ左足を見た。
靴底が、崩落の縁で少し欠けていた。
ぎりぎりだった。
でも、抜けた。
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七十メートルで岩喰いが二体出た。
今度は床からではなく、通路の両側の壁から同時に出てきた。
挟まれた。
《命運読み》を二体に向けて流した。
[岩喰いA 生存率:59% 脅威度:B 推奨行動:右側を先に]
[岩喰いB 生存率:52% 脅威度:B+ 推奨行動:警戒]
Bの方が脅威度が高い。
でも数値が低い——疲弊しているか、個体が弱い。
「左のAを先に仕留める。お前が右のBを引きつけろ」
「引きつけるだけでいいか」
「仕留めなくていい。動きを止めるだけでいい」
「わかった」
ガルドが右のBに向かって走った。
大声を上げながら。剣を鳴らしながら。
Bの注意がガルドに向いた。
俺はAの側面に回り込んだ。
右前足の付け根——昨日の経験がある。
一撃目で動きが鈍った。
二撃目で崩れた。
「右」
振り返った瞬間、ガルドがBの右前足を打っていた。
タイミングが合っていた。
指示より速かった。
「今のはどうした」
「なんとなく、今だと思った」
根拠なしの断言だ。
でも合っていた。
Bがよろけた。
仕留めるのに三撃かかったが、倒れた。
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九十メートルで、二度目の連続崩落が来た。
今度は四方向からだった。
前後左右、全部。
継ぎ目が鳴いた。
四カ所同時に。
0.2秒のズレを使おうとした。
でも四カ所同時では、順番が読めなかった。
リーセの図は三方向だった。
四方向のデータはない。
頭の中が、一瞬止まった。
——計算が、追いつかない。
「片瀬」
ガルドの声が来た。
「首の後ろ、ぞわっとした。上だ」
上。
天井。
崩落は床だけじゃない。
壁を伝って、天井の岩盤が崩れることがある——データにそういう記録があった。
でも今は天井を見ている余裕がない。
四方向の床が全部崩れれば——真ん中に立っていれば、どこかに落ちる。
天井が崩れれば、押しつぶされる。
計算が出ない。
一瞬、本当に一瞬だけ——全部を手放した。
数字じゃない。
計算じゃない。
「ガルド」
「なんだ」
「お前が動く方に動く。今だけ」
一秒の間があった。
「——わかった」
ガルドが動いた。
俺は一歩遅れてついた。
左前方に、二歩。
床が崩れた。
前後左右、四枚。
ほぼ同時だった。
天井から岩が落ちた。
俺たちがいた場所の、真上から。
二人が立っていた場所だけが、崩れなかった。
四方向が穴になった中で、二人だけが立っていた。
足が、震えていた。
今度は声のせいじゃなかった。
「……なんで、そっちに動いた」
俺が聞いた。
「わからん」
ガルドが答えた。
「首の後ろがぞわっとして——そっちに行けば大丈夫だと思った。それだけだ」
それだけ、だ。
計算じゃない。
根拠もない。
でも正しかった。
俺は穴の縁を見た。
四方向全部が崩れていた。
出口に続く通路が、向こう側に見えた。
あと、十メートルだった。
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「行けるか」
ガルドが聞いた。
俺は残りを確認した。
十メートル。
崩落が続けて来た直後は、しばらく床が安定する傾向がある——データに出ていた。
《命運読み》を流した。
魔物の反応はない。
「行ける。今しかない」
「走るか」
「走る」
二人で走った。
継ぎ目が鳴かなかった。
床が崩れなかった。
魔物が出なかった。
出口の光が近づいた。
扉に手をかけた。
押した。
光が来た。




