表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
外れ鑑定士は異世界の賭けを全部読んでいた  作者: じょな


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/18

14話「滲むもの」

 翌朝、ガルドの傷口は腫れていなかった。

 宿の窓から差し込む朝の光の中で、腕を出させて確認した。


 昨夜のうちに洗って布を巻いていたらしく、巻き方がひどかった。


 緩すぎて、寝ている間にずれていた。

「巻き直す」

「いい、自分でやる」

「見てから言え」

 ガルドは渋々腕を差し出した。


 傷は浅い。縁がわずかに赤いが、腫れも熱もない。


 毒ではなかった。

「問題ない」

「だろ。言っただろ」

「昨日の時点ではわからなかった」

「お前、心配してたのか」

「リスク管理だ」

 ガルドがにやっとした。


 俺は布を巻き直して、端を結んだ。

「きつくないか」

「ちょうどいい」

「なら次から自分でこの締め方にしろ」

「覚えらんない」

「覚えろ」

 ガルドは巻かれた腕を持ち上げて、しみじみと眺めた。

「お前って世話焼きだよな」

「違う」

「いや、世話焼きだ。絶対」

「お前が死んだら7層の変数が一つ消える」

「冷たいなあ」

 言いながら、笑っていた。


 俺は道具をしまって、立ち上がった。


 午前中、ギルドで7層の追加情報を集めた。

 掲示板の依頼票を端から確認して、7層経験者の名前を三人リストアップした。


 そのうち二人は街を離れていた。


 一人だけ、ギルドの奥の席にいた。

 フィネという女だった。


 三十代半ばに見える。左腕の袖が短く、古い火傷の痕が肘から先に広がっていた。

「7層のことを聞きたい」

 単刀直入に言った。


 フィネは依頼票から目を上げて、俺を見た。

「命運鑑定士か」

「そうだ」

「噂は聞いてる。座れ」

 向かいに座った。


 ガルドは少し離れた席で腕を組んで、壁を見ていた。

「何が聞きたい」

「石纏いの弱点と、声のことだ」

 フィネの目が少し変わった。

「声を聞いたのか」

「昨日入った。二体仕留めて出てきた」

「初日で二体か」

「毒の確認のために退避した」

「賢いな」

 褒めているのか確認しているのかわからない言い方だった。


 フィネは依頼票を伏せて、腕を組んだ。

「石纏いは頭より関節だ。肘と膝の内側だけ岩に覆われていない。そこを狙え」

「データには出ていなかった」

「そこを狙える奴が少ないからだろう。あいつらは速い。近づく前にやられる」

「昨日は曲がれないことを使った」

「それは賢い。ただ二体以上いると壁が使えない。開けた場所に誘い込むな。狭い通路で一体ずつやれ」

 メモを取りながら聞いた。


 フィネは淡々と話した。経験を売るような雰囲気はなかった。


 ただ聞かれたことに答えている、という感じだった。

「声は」

 フィネの手が、少しだけ止まった。

「何を聞かれた」

「帰りたいか、帰れるぞ、と」

「……そうか」

 短く言って、フィネは左腕に視線を落とした。


 火傷の痕を見ているのか、見ていないのか。

「私は、死んだ仲間の名前を呼ばれた」

 静かな声だった。

「一度だけか」

「7層にいる間、ずっとだ。入るたびに聞こえた。だから7層は三回で止めた」

「今は入らないのか」

「入れない」

 それ以上は言わなかった。


 俺も聞かなかった。

「声の正体を知っているか」

「知らない。神殿に聞いても教えてくれなかった。ただ——」

 フィネは顔を上げた。

「声が言うことは、全員、自分が一番望んでいるものだという話だ」

 俺は少しの間、その言葉を頭の中に置いた。

「一番望んでいるもの」

「ああ。否定しても、無視しても、ずっと言い続けてくる。——だから厄介なんだ」


 ギルドを出ると、空は曇っていた。

 雲の端が白く光っている。雨になるかもしれない。


 石畳がわずかに湿気を帯びて、足音が朝より少し鈍くなっていた。

 ガルドが隣に並んだ。

「聞いてたか」

「だいたい」

「どう思う」

「声が言うことは、一番望んでることって話だろ」

「ああ」

「お前の場合は帰還か」

「そう聞こえた」

 ガルドは少し考えるような間を置いた。


 珍しかった。こいつが考える間を取るのは。

「俺も入ったら聞こえるのかな」

「ガルドには聞こえなかっただろ、昨日」

「昨日は聞こえなかった。でも声が直感に引っかからなかっただけかもしれない」

 それは考えていなかった。

 ガルドの直感は音や殺気に反応する。


 人語に近い「声」には、反応しないのかもしれない。


 あるいは——ガルドが一番望んでいるものが、まだ形になっていないか。

「お前が一番望んでいるものは何だ」

 聞いてから、踏み込みすぎたかと思った。

 ガルドは少しも間を置かずに答えた。

「強くなること」

「それだけか」

「それだけじゃないけど、一番はそれだ」

「友人の話か」

 ガルドの歩調が、一瞬だけ変わった。


 すぐに戻った。

「……まあ、な」

「聞こえたとき、どうするつもりだ」

「無視できないだろうな、正直」

 俺はガルドの横顔を見た。


 《命運読み》は流さなかった。


 流さなくても、こいつが嘘をついていないのはわかった。

「無視できなくなったら言え」

「なんで」

「お前が声に引っ張られたら、俺の生存率が下がる」

 ガルドはしばらく黙って、それから小さく笑った。

「やっぱ世話焼きだ」

「違う」

「絶対違わない」


 昼過ぎ、ギルドの前でドランとすれ違った。

 昨日のような待ち構えた様子はなかった。


 ただ、出てくるタイミングが重なった。

 ドランは一瞬だけ俺を見た。


 《命運読み》が弾く。

 [ドラン 生存率:98% 脅威度:D 感情値:――(薄い)]

 感情値の濁りが、昨日より薄くなっていた。


 何かが変わっている。何が変わったのかはわからない。

「7層か」

 ドランが言った。

「今日は情報収集だ」

「そうか」

 それだけだった。


 通り過ぎていった。

 ガルドが小声で言う。

「あいつ、変わったよな」

「かもしれない」

「何があったんだ」

「わからない。数字じゃ読めないことがある」

 二度目だった、その言葉を言うのが。


 夕方、宿への道を歩いていると、路地の入口にリーセが立っていた。

 昨日と同じマントだった。


 フードは下ろしていた。

「早い」

「8層のデータはまだありません」

「わかってる。声のことを聞きに来た」

 リーセは少しだけ目を細めた。

「入ったんですね、昨日」

「ああ。聞こえた」

「……そう」

 いつもの相槌。でも今回は間があった。

「何を言われましたか」

「帰りたいか、帰れるぞ、と」

 リーセは視線を少し落とした。


 石畳の継ぎ目あたりを見ていた。

「声は何ですか」俺は聞いた。「神殿は知っているはずだ」

「……知っています」

 初めてだった。


 リーセが即座に認めたのは。

「教えられますか」

「一部だけ」

「聞く」

 リーセは顔を上げた。


 夕光が横から当たって、目の色が思ったより薄いことがわかった。

「声は、神の副産物です」

「副産物」

「神はダンジョンを通じて人間の感情を収集しています。恐怖、歓喜、執念——それが神の糧になる。その収集の過程で、神が無意識に漏らしているものが声です」

 俺は少しの間、黙っていた。

「つまり神が俺の内側を読んだということか」

「読んだというより——触れた、に近いと思います。神に悪意はないかもしれない。ただ収集する過程で、あなたが一番強く持っているものに触れてしまう」

「帰還が、俺の中で一番強いものだと」

 リーセは答えなかった。


 答えない、ということが答えだった。

「お前はどうだ」

「私は」

「7層で声を聞いたことがあると、昨日の顔が言っていた」

 リーセの視線が、わずかに動いた。

「……管理主任として、調査で入ったことがあります」

「何を言われた」

 間があった。


 風が路地を抜けた。マントの裾が揺れた。

「——教えません」

 短かった。


 でも拒絶ではなかった。

 声のトーンが、少しだけ違った。


 いつもの「答える必要がない」とは、違う。

「わかった」

「……聞かないんですか」

「お前が教えないと言ったなら聞かない」

 リーセはしばらく俺の顔を見ていた。


 何かを測るような、でも昨日とは少し質の違う視線だった。

「一つだけ、言います」

「聞く」

「声に引っ張られないでください」

 それだけだった。


 命令でも懇願でもなく、ただ——言葉として、そこに置かれた。

 《命運読み》を流した。

 [リーセ・ヴァルト 生存率:99% 脅威度:E 観察:強 賭け:中]

 「賭け」の値が、また上がっていた。


 前回「微」だったのが「中」になっている。

 何に賭けているのか、数値は教えてくれない。

「7層、また入るつもりです」

「知っています」

「準備が整ったら」

「データが揃い次第、届けます」

 リーセはフードを上げた。


 昨日と同じ動作だった。

 でも今日は、路地を出る前に一度だけ振り返った。

 何も言わなかった。


 ただ見た。

 それからフードを少し直して、歩いていった。


 路地に一人残った。

 風が通り抜けた。


 さっきより冷たくなっていた。夜が近い。

 声のことを考えた。


 神が人間の感情に触れる過程で漏れ出すもの。悪意はないかもしれない、とリーセは言った。

 悪意がないなら、なぜあれほど正確なんだ。

 帰りたいか、帰れるぞ。


 ——俺が一番強く持っているもの。

 本当にそうなのか、と思った。


 帰還は目的だ。でも一番強く持っているものかどうかは、自分ではわからない。

 《命運読み》は自分には使えない。


 だから自分の数値を知る方法がない。

 知らないまま、動き続けるしかない。

 上着の内ポケットに手を当てた。


 フィネから得た情報と、リーセのデータが重なって入っている。

「さて」

 独り言が出た。

 石纏いの関節を狙う。


 声は無視する。

 ——数字は嘘をつかない。


 でも声は、数字じゃない。

 そこだけが、まだ読めなかった。


 宿に戻って、燭台に火を点けた。

 オレンジの光が、天井の染みを照らした。


 紙を一枚取り出した。

 何かを書こうとして、止まった。


 ——本当に、帰りたいのか。


 答えが出なかった。

 出ないまま、燭台の火を見ていた。


 炎は揺れていた。

 風はなかった。

 それでも、揺れていた。


 消すのが惜しくなって、しばらくそのままにしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ