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外れ鑑定士は異世界の賭けを全部読んでいた  作者: じょな


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12/16

12話「7層の値段」

 朝、目が覚めたとき、上着の内ポケットが少し重かった。

 昨夜折り畳んだ紙が、まだそこにある。


 当たり前だ。紙は逃げない。

 それでも確かめずにはいられなかった。

 ——7層、準備できました。

 文字は変わっていなかった。


 俺は紙を畳み直して、また同じ場所に戻した。


 ギルドで7層のオッズを確認した。

 5.8倍。

 6層クリアの情報が出回ってオッズが下がり、さらに昨日の間に削られていた。


 計算蟲は早い。人の噂より早く動く。

「また下がってる」

 ガルドが横から掲示板を覗いた。

「5.8か。6層のときより低いな、最初から」

「俺の評価が上がってるからだ」

「それって喜ぶとこじゃないのか」

「配当が減る。喜ばない」

 ガルドが肩をすくめた。

「で、リーセとはどこで会うんだ」

「神殿側から指定してくる。昨日の紙に場所がなかった」

「待ちか。お前、待つの嫌いだろ」

 嫌いだ、とは言わなかった。


 ——正確には、待つのが嫌いなんじゃない。


 読めない時間が嫌いなんだ。


 指定が来たのは昼過ぎだった。

 ギルドの受付にいたアネットが、小さく折った紙を差し出した。

「神殿の方から、預かりました」

 困惑が、またほんの少し端に滲んでいた。


 俺は受け取って、その場で開く。

 ——市場の北端。水汲み場の裏。夕刻。

 署名はない。


 でもわかる。昨夜と同じ字だ。


 夕刻より少し早く着いた。

 水汲み場の裏は、市場の喧騒から一枚壁を隔てた路地だった。


 石畳が古く、目地に苔が詰まっている。水受けの縁が長年の使用で丸く削れていた。


 水の音だけが、低く一定に続いている。

 リーセはすでにいた。

 神殿の制服ではなく、薄い灰色のマントを羽織っている。フードは下ろしていた。


 壁に背を預けて、腕を組んで、俺が来るのを見ていた。

 《命運読み》が弾く。

 [リーセ・ヴァルト 生存率:99% 脅威度:E 観察:強 賭け:微]

 数値に変化はない。


 でも「賭け」の値が、前回より少し強くなっていた。

「早いですね」

「お前も早い」

「神殿の人間は時間に正確です」

「神殿の外でも?」

 リーセは答えなかった。


 答える必要がないと判断した顔だった。

 彼女は懐から薄い封筒を取り出した。

「7層のデータです。サンプル数は6層より少ない——312件。死亡例が多くて、記録が途切れているものが相当数あります」

「死亡例が多い」

「蘇生が追いつかなかったケースも含めて、7層の致死率は全層中で最も高い。生還率は43%」

 43。

 数字を頭の中で転がした。


 6層が68%だったことを思えば、落差がきつい。

「わかった」

 手を伸ばすと、リーセは封筒を渡した。


 ただし、すぐには離さなかった。

「一つ、聞いていいですか」

 俺は封筒を引いた。リーセの指が、ほんの一瞬だけ抵抗するような間があって、それから離れた。

「聞け」

「なぜ7層に行くんですか」

「オッズを取るためだ」

「それだけ?」

「それだけだ」

 リーセは少しだけ黙った。


 水の音が低く続いている。

「嘘ですね」

 俺は封筒を上着の内側に収めた。

「根拠は」

「あなたのオッズの動かし方を見てきました。利益だけが目的なら、もっと安全な層で長く稼ぐほうが合理的です。でも、あなたは毎回次の層に行く」

「効率の問題だ」

「そうは見えません」

 言い切った。


 感情が動いた顔ではない。ただ静かに、計算で出した結論を告げる口調だった。

「——帰る方法を探してる」

 自分でも少し驚いた。


 言うつもりじゃなかった。

 リーセが初めて、わずかに目を細めた。

「帰る、というのは」

「この世界じゃない場所に。俺には元いた場所がある」

「……そう」

 いつもの短い相槌だった。


 でも今回は、その後に言葉が続いた。

「最深部まで行けば、帰れると思っているんですか」

「わからない。ただ、神の恩寵とやらが唯一の手がかりだ」

「根拠のない賭けですね」

「根拠のない賭けはしない」

「でも今は根拠がない」

「——だから情報を集めてる」

 リーセは少しの間、俺の顔を見ていた。


 観察している、という顔だった。


 値踏みとは違う。もっと静かな、何かを測るような視線。

「一つ、話します」

 声のトーンが落ちた。


 周囲を確認するような間があった。

「神殿の上層部は、あなたの帰還を望んでいません」

「知ってる」

「知っていて続けるんですか」

「知ってるから計算してる」

 リーセは一瞬だけ、何かを言いかけた。


 口が開いて、でも言葉にならないまま閉じた。

「……そう」

 今度は短かった。

 彼女は壁から背を離した。マントのすそが石畳を掠める。

「7層の特徴を一つだけ、口頭で補足します」

「聞く」

「記録には出てきませんが——蘇生から戻った冒険者が複数、同じことを言っています」

 水の音が、ふっと低くなった気がした。

「7層には、声があります」

「声?」

「ダンジョンの声です。何かを語りかけてくる。内容は人によって違う。ただ全員が、『聞こえた』と言う」

 俺はリーセの数値を流した。

 「観察:強」の端に、今まで見たことのない滲みが出ていた。


 数値じゃない。形のない、何か薄いもの。

「お前も聞いたことがあるか」

 リーセは答えなかった。


 答えない、ということが答えだった。

 彼女はフードを上げた。

「次に会うのは8層のデータを取りに来るときです」

「お前から来るのか、俺が行くのか」

「私が来ます」

「神殿に知られる」

「問題ありません」

 問題ない、という言葉の裏に何があるのか、俺には読めなかった。


 数値も、今は教えてくれなかった。

 リーセは路地を出ていった。


 石畳の足音が、遠ざかって、消えた。


 しばらくそこに立っていた。

 水受けの縁に手をついた。冷たかった。


 石の冷たさが、指先から手のひら全体に広がってくる。

 ——7層には、声がある。

 何を語りかけてくるのか。


 俺に語りかけてくるものがあるとして、それは何だ。

 《命運読み》は答えてくれない。


 このスキルは他人のことしか教えてくれないから。

 自分のことは、いつも自分で決めるしかない。

 封筒の厚みを、上着の上から確かめた。


 312件のデータが入っている。

「さて」

 水音を背に、路地を出た。

 空が橙から紫に変わりかけていた。


 市場の喧騒が、壁の向こうで続いている。

 ——7層のオッズは、今日の夕方で何倍になった。

 明日の朝、確認する。


 数字は、嘘をつかない。


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