19.
「よぉ、青白い顔してどうしたよ」
ランスロットは王宮での講義に現れたアリィシアに声を掛けた。軽口に見せているが、心の中はだいぶ動揺している。それほどアリィシアの顔色は悪かった。
「今度の夜会で使うはずだったお花、ヨードル地方なの。この嵐じゃ台無しになっちゃうから、会場全体のイメージを作り直さなくちゃいけなくて」
それで、連日深夜まで王宮で担当者と打合せをしていたらしい。
二人は15歳になっていた。
もうすぐ中等部を卒業し、来年からは高等部だ。王太子の卒業を前に、同世代の貴族の子どもたちを中心に招くパーティーが企画されており、アリィシアはランスロットの母のエスメラルダ妃と一緒に主催をすることになっている。
「そんな緊急事態なら、こっちの講義なんか休んどけよ」
「私もそう思ったんだけど、今日の講義はエルムについての講義でしょう。少し前に害虫の大量発生で被害が出たと聞いたから、聞いておきたくて」
本当は休め、と言いたかった。けれどこうなったアリィシアはランスロットの言うことなど聞かない。
それに、今日の講義が重要なのも確かだった。
「ちゃんと食事取ってるか?忙しい時ほどちゃんと食べないと体力落ちるぞ」
「……うん、食べられるだけ食べてるわ」
「本当か?」
疑いの眼差しでじっとアリィシアを観察する。
アリィシアは観念したかのように肩をすくめて言った。
「食べられるだけね」
これは、ほぼ食べてないと言っていいだろう。アリィシアはストレスが溜まると食欲が落ちるタイプなのだ。
「ほら、これ舐めとけよ」
そう言って、桃色の紙に包まれた飴を差し出した。それを見て、アリィシアは微笑む。
「あなたのポケット、魔法みたいね。いつも飴が出てくる」
「おう、いくらでも食え」
そう言ってぽんぽんぽんっと五つほど差し出すと、アリィシアは声をあげて笑った。
「いくつ入ってるのよ」
クスクスと笑う彼女に、少しだけ安心する。
軽口を叩いている間だけは、少しだけ顔色も良く見えた。けれど、それも一時凌ぎだ。
この数年繰り返した会話に心が重くなっていく。
ー食事を取れてるのか?
ー眠れてるか?
ー休み休みやれよ
ー痩せたんじゃないか?
10歳を過ぎた頃から、ランスロットとアリィシアには公務が徐々に課されるようになった。
ランスロットは王太子として。
アリィシアは、筆頭四家の一員として。そして、王太子妃候補として。
昔からそうではあったが、アリィシアは全てに一生懸命取り組んだ。そして、人前に出るなど苦手なことも、苦手だと気付かせない程完璧にこなした。
だから、誰もが言う。完璧な王太子妃候補だと。
けれど、ランスロットは知っている。
睡眠時間も惜しんで訪問地の予習をするアリィシアを。
慈善バザーのために、空き時間のすべてを刺繍に費やすアリィシアを。
春大祭の舞のために、足の血豆が破けて血まみれになるほど練習していたこともあった。
その度にランスロットは心臓が潰れるほど心配してきた。目眩で動けなくなるのを目にした時は、死んでしまうのではないかと慌てて医務官を呼んだ。
大体の場合、終わった後には元気を取り戻すけれど、本当にいつもそうかは誰も分からないではないか。
今回は大丈夫だったかもしれない。
でも次は?
こうやって、無理を重ねることで取り返しがつかなくなることだってありえるではないか。
ランスロットにとっては、アリィシアが無理するのを見るのがとても辛かった。
自分であれば無理も効く。男だし、体力もある。
けれど、アリィシアはそうではない。なのに、ランスロットが何を言っても無理をしてしまう。そして、周りはそれを気づかない。ランスロットしか、知らない。
自分が何もしてやれないことが、無力でやり切れないのだった。
アリィシアは、頑張りすぎる。
王妃になれば、きっと今よりもっと無理をする。
その未来を思い浮かべるたびに、ランスロットは息苦しくなるのだった。
その日の講義を何とか終えたアリィシアは、その後打合せがあると言って急いで部屋を出て行った。
しゃんと伸びた背筋はいつも通りでも、足取りに力が無いことはランスロットには、明らかで。
だから、ランスロットは母に直談判に行った。
母の執務室の前に到着すると、いつも通り何人かの補佐官が忙しげに出入りしている。
一応ノックして入れば、重厚で磨かれた木材の執務机に向かって積まれた書類を確認しながら何かを書き込んでいる母がいた。
入ってきたランスロットを見て、エスメラルダは首を傾げた。
「あなたがここに来るなんて珍しい。どうかして?」
その通りで、ランスロットは母の仕事場には近寄らないようにしていた。常に厳しい母が、戦闘モードになる場所だ。どんな流れ弾に当たるか分からないではないか。
しかし今日はそんなことを言ってられなかった。
ランスロットは覚悟を決めて、母の前に立った。
「母上、アリィシアの負担を減らせませんか?」
話の内容を理解した母が、静かに羽ペンを置いた。
「……アリィシアはなんて言ってるの?」
「え?」
「分担を減らして欲しいと?それとも、これ以上出来ない?」
「いいえ。シアはそんなこと一言も言いません。俺が」
「そう。貴方の意見ということなら、聞けません」
冷たい声だった。そんな反応になると思っていなかったランスロットは内心怯む。
けれど、母は知らないに違いないのだ、アリィシアの様子を。
だから、気合を切れて続ける。
「ですが、食欲もないようだし、眠れてないみたいなんです」
しかし、ランスロットの期待は裏切られた。
「私も女官も、いつでもフォロー出来るようについてるわ。いつ倒れても大丈夫なくらいにね」
母達は、知っていてアリィシアを助けない。
顔色が悪いことも、食事が取れていないことも、睡眠時間すら、削られていることも。
そのことに気づいて、ランスロットは憤った。
「……っ、倒れてからでは遅いでしょう!」
「これくらい、乗り越えられないようではあの子は王妃にはなれないもの」
体重が落ちても、ふらついても、自分の役目を投げ出さないアリィシアが頭に浮かぶ。
飴を渡したときの、青白い顔。
母の言葉を聞いてカッとなった。
「そんなになるくらいなら……王妃なんて!ならなくてもいいじゃないか」
ランスロットが、思考の奥深くで考えてきたことをうっかり口にした瞬間、沈黙が落ちた。
エスメラルダが、ふーっと、長い息を吐く。
そして、言った。
「ランスロット・アルベール・レオニス・アストリア」
フルネームで呼ばれ、ランスロットは背筋を伸ばした。母が正式名で呼ぶ時は決まっている。王妃として、王太子に話す時だ。
「……はい」
「それは、アストリア王太子としての貴方の意見ですか?」
「え?」
「アリィシアを、王太子妃候補から外す。という決定?」
「いえ、そこまでは……」
「貴方がその決定権を持っているのよ」
「……おれ?」
「貴方が、アリィシアを特別扱いするからメリディアン家は彼女を王太子妃候補として認めざるを得ない」
「え?」
「メリディアン公爵家に、子どもはアリィシアだけ。本来ならアリィシアが婿を取って家を継ぐ立場なのよ。それを、貴方が望むから、望んでいるように見えるから、候補として名を連ねているの。そして、王家が望めば忠実なあの家は、嫌とは言わない」
自分が、アリィシアを望んでいるように見える。
真正面から指摘されて、ランスロットは狼狽えた。アリィシアは、自分の親友であり、仲間であり、大切な……大切な、なんだ?
ランスロットの中で、アリィシアを表現するのに当てはまる言葉がうまく見当たらない。考えるのをやめて小さく首を振る。
「……ですが、筆頭四家なのですから、婚約者じゃなくたってそばにいてもおかしくないでしょう」
「ええ、そうね」
母はあっさりと認めた。
「だから、貴方がアリィシアは候補でないと正式に表明すれば、それで終わりよ。どうする?公爵は喜ぶわよ」
「……」
「そうしないなら、これは貴方の問題じゃないわ。アリィシアの問題に、立ち入る権利はありません」
そう言って、また羽ペンを手に取る。
もう話は終わりだ、という様子にランスロットは途方にくれる。母の言うことは、正しい。でも、このままではアリィシアはまた倒れるかもしれない。
深刻な顔になったランスロットを見かねてか、母はふっと表情を和らげた。
「でもね、確かに本当によくやってるわ。私達の想定以上に。アリィシアは…うまく周りを使うことを、覚えなくてはね。
会場のデザインが終わったら、アリィシアの出番は終わりよ。直前はゆっくり休めるから安心なさい」
それを聞いて、ひとまず安心したランスロットに気づいた母はニンマリ笑った。
——何か、言ってくるぞ
身構えたランスロットの予想通り、母はぶちこんでくる。
「それより貴方、ちゃんとエスコートできるんでしょうね?あと、アリィシアが他の男の子とダンスするのを邪魔しちゃダメよ」
「……母上は俺のことを何だと思ってるんですか」
「だってアリィシアのドレス、青なんでしょ?パートナーの瞳の色に合わせてくれるなんて、健気ねぇ」
なんで知ってるのだ。
これだから、この母と話すのは嫌だ。
ランスロットは鼻に皺を寄せた。
「……俺は好きな色を着たらいいと言っただけです」
「何色が似合うか聞かれて、青って即答したらしいじゃない。それだけじゃなく、お揃いのコーディネートにしてるくせに……」
「せっかくだから合わせただけで……っ」
パートナーだったら、それなりに揃えるものだろう。
たぶん。え、そうだよな?
「はいはい、好きにしなさいな。けれど、本当にそろそろ考えなさいよ。あなたもアリィシアも、いつまでもその関係ではいられないわ。早く婚約しちゃいなさいよ」
急に母親の顔になってエスメラルダは言う。
「俺はともかく、アリィシアの意思が……」
「アリィシアの、意思ですって?」
「俺と結婚したいかは……分からないでしょう」
バキッ
母の手元で、羽ペンのペン先が折れた。
エスメラルダは、理解できないものを見るような目でランスロットの顔を見ている。
ランスロットがあまり向けられることのない目。算術の授業で当てられたヴィクトルが、だいぶトンチンカンな答えを言ったときに講師から向けられる目だ。
"なんだ、このバカな子は"という意味合いの。
母は手で額を押さえ、深い深いため息を吐いた。
「アリィシアの意思はさておき。貴方は王太子、我が家は王家。もっと自分の立場を自覚しなさい。貴方が欲しい、と言ったら大概のものは手に入ってしまうのよ。
そんなに気になるなら、自分でお聞きなさいな。俺の嫁になってくれるかって」
「母上!」
揶揄われたと気付いて、ランスロットが抗議の声を上げる。
「それで嫌だと言われたら、貴方の方から手放してあげればいいだけよ。そして、結婚して欲しいなら、状況に流されるんじゃなくてちゃんと自分の口で言いなさい。……じゃないと、拗れるわよ」
その言葉は、やけに実感が込められていて、母と父の微妙な距離感を知っているランスロットは早々に退散したのだった。




