14.
ようやく、冒頭シーンに戻りました。
建て付けの悪い引き戸を、ヴィンセントがよいしょっと声をあげて開ける。
「これ、女の子には重くない?」
「コツがあるんです」
先程の会話で、だいぶ気安くなった二人からは硬さがなくなって、友人と言ってもいいような距離感となった。
アリィシアの目当ての縄はすぐ見つかり、ヴィンセントの在庫確認も、拍子抜けするほどあっさり終わってしまった。アリィシアは内心、在庫確認はやはり口実だったのかもしれないと思う。
思ったより量の多い縄を、アリィシアが少し気合を入れて持ち上げると
「その縄、本当に全部運べるの?」
と、ヴィンセントが聞いてくる。
「軽いから、大丈夫です」
強がりではなく、実際、持てる重さだと思った。持ち上がったのだから、運べるだろう。
けれどそう返した直後、アリィシアの腕から、するりと束ねた縄が抜き取られる。
「あっ」
気付けばヴィンセントが何でもない顔で肩へ担いでいた。
「平気かどうかと、持たせたいかどうかは別だからね」
その代わりのように、彼が抱えていた帳簿を「はい」と渡される。
反射的に受け取れば、それは驚くほど軽かった。
「……軽すぎます」
「女の子に重い荷物は持たせられないよ」
さらりと言われて、アリィシアは思わず目を瞬かせる。
「ヴィンセント様は、随分慣れていらっしゃるのね」
「何に?」
「その……女性の扱いに」
言った瞬間、少しだけ気恥ずかしくなる。
けれどヴィンセントは吹き出すように笑った。
「それ、誰と比べてるの?」
「えっ」
「褒め言葉と思ってありがたく受け取っておくよ」
からかうような声音なのに、押し付けがましさがない。
その軽やかな距離感が心地よくて、アリィシアは小さく肩の力を抜いた。
「でも意外だな」
「何がです?」
「アリィシア嬢、意外と負けず嫌いだ」
思わぬ言葉に、アリィシアはぱちぱちと瞬きをする。
「そうでしょうか」
「うん。自分で持てるのにって顔してた」
くすくすと笑われてしまい、アリィシアは思わず顔をしかめる。
「実際、持てましたもの」
「うん、そこなんだよなぁ」
ヴィンセントが困ったように笑う。
「君、多分“出来るから誰にも頼らない”タイプだろう?」
その言葉に、アリィシアは少しだけ言葉を失った。
頼る。
その発想自体、あまりなかった気がする。
「別に悪いことじゃないよ」
沈黙を埋めるように、ヴィンセントは穏やかに続ける。
「ただ、君には甘えられた方が周りは嬉しい」
「……そう、でしょうか」
「そうです」
妙に言い切るので、アリィシアはとうとう吹き出してしまった。
その笑い声に、ヴィンセントが少しだけ目を細める。
「良かった」
「え?」
「さっきより、ちゃんと笑ってる」
不意に言われて、アリィシアは目を丸くした。
ただ事実を告げられただけなのに、その言葉の中にある気遣いに、胸の奥が少しだけ温かくなる。
「……ありがとうございます」
小さく礼を言うと、ヴィンセントは「どういたしまして」と笑った。
気付けば、運動場へ続く石畳はもうすぐ終わるところまで来ていた。
遠くから、生徒たちの賑やかな声が聞こえる。
その中に混じる、聞き慣れた声。
思わず視線を向けた先で、ランスロットとノゾミが何やらじゃれあっているのが見えた。
ノゾミが笑いながら何かを言い、ランスロットがうるさそうにその頭を軽く小突く。
周囲の生徒会役員たちは、面白そうに囃し立てていた。
その光景を見た瞬間。
胸の奥に、じわりと苦いものが広がった。
さっきまで軽くなっていたはずの心が、また少しだけ重く沈んでいく。
次の瞬間だった。
ノゾミが「むかつくー!」とでも言いたげに笑いながら拳を作り、軽くランスロットの頬へ突き出した。
もちろん、ただのじゃれ合いのような仕草だ。それなのに、その小さな拳が彼の頬に触れるのを見た瞬間、アリィシアの胸の奥で何かが弾けた。
「——あなた!」
気付けば声を上げていた。
「ふ、不敬でしてよ! この国の王太子殿下に対する態度ではありません!」
自分でも驚くほど鋭い声だった。
ノゾミがきょとんと目を丸くする。ランスロットは一瞬何を言われたのか分からないような顔をした後、なぜだかアリィシアの手元を見て、怒ったように眉根を寄せた。
その後ろでオスカーが「あー……」とでも言いたげに額を押さえているのが見えたが、今のアリィシアにはそんなことを気にする余裕などない。
胸が苦しい。
どうしてこんなに苛立っているのか、自分でも分からない。ただ、見ていられなかったのだ。
あんな風に気安く触れて。
楽しそうに笑い合って。
当たり前みたいに隣へ並んで。
まるで、特別な存在みたいに。
「不敬ってさ……シア、お前だってやるだろ?」
呆れ混じりに返されたその一言が、アリィシアをどこまでも突き落とした。
すうっと血の気が引いていく。
——ああ。
私は、公爵令嬢で。
なにより幼い頃からずっと一緒に育った幼馴染で。
私にだけは…許されているのだと思っていた。
ランスロットの隣に立てるのも。
気安く触れられるのも。
笑い合えるのも。
けれど違った。
ノゾミも同じように笑いかける。
同じように隣へ並ぶ。
ランスロットも、それを自然に受け入れている。
胸の奥が、どろりと濁っていく。
——嫌だ。
そう思ってしまった。
ノゾミがランスロットの隣にいることが。
自分以外へ向けられる笑顔が。
自分の知らない時間を共有していることが。
嫌で、苦しくて、たまらなかった。
その感情に気付いた瞬間、アリィシアは息が詰まりそうになる。
(私は、何を考えているの)
ランスロットを支えたいと思った。
彼が良い王になれるよう、その隣に立ちたいと思った。
それなのに。
その根底にあったのは、こんな醜い独占欲だったのだろうか。
青ざめたアリィシアへ、ランスロットが追い打ちをかけるように口を開く。
「お前さぁ、最近ちょっと荒れてないか?」
軽い調子だった。けれど今のアリィシアには、その言葉が鋭く胸へ突き刺さる。
「ノゾミが嫌がらせされてんの、知ってるか? シアがやったとは思わないけど、お前の取り巻きとかがやってんじゃねーの?」
違う、と言いたかった。
けれど喉が張り付いたように声が出ない。
「取り巻きくらいコントロール出来ないと、……王妃なんかなれないぞ」
「そう、よね。ノゾミ様という素晴らしい候補者が今はいらっしゃるものね」
「ノゾミかどうかはどうでもいいだろ」
苛立ったようにランスロットが吐き捨てる。
「王妃なんて——俺は、シアじゃなきゃ誰でもいい」
売り言葉に買い言葉、の勢いでランスロットが言ったその瞬間、アリィシアの中で何かがぷつりと切れた。
王妃。
その言葉が、まるで罪の宣告みたいに響く。
王妃になるために、ランスロットを支えるために、ずっと努力してきた。
けれど今の自分はどうだろう。
嫉妬して。独占したくて。
ノゾミに笑いかけるランスロットを見るだけで苦しくなって。
こんな感情を抱えたまま、隣にいてはいけない。
こんな自分が、王妃になどなってはいけない。
そして、彼の特別ですら、なかったのだ。
アリィシアが描いていた「王太子妃としての理想の自分」なんて、ハリボテで、その真実はただの——
ただの、独りよがりな、醜い恋心だったなんて。
「……お断りです」
自分でも驚くほど冷えた声が零れ落ちる。
「え?」
ランスロットが目を瞬く。
アリィシアは震える唇を一度きつく引き結び、それからはっきりと言い切った。
「王妃なんて……王太子妃なんて、もう、金輪際辞退いたします!!」




