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10.

アリィシアがランスロットに初めて出会ったのは5歳の時だ。筆頭四家とはいえ、さすがに物心付かないような状態では王城に上げられない。最低限のマナーを身につけた歳になって、ようやく顔合わせの機会が設けられた。


アリィシアが持っている自分の一番古い記憶。それが、父である公爵に手を引かれて、王宮の広い庭を歩いていく場面だ。忙しい父と手を繋いだことなんて初めてで、それだけで心が浮き立ったのを覚えている。背の高い彼に置いていかれないように、はしたなくならないように気を付けながらも一生懸命足を動かした。


気候の穏やかな日で、白い木枠が美しいガゼボが青い空に映えていた。おそらく初夏だったのだろう、周りには王家の家紋である真紅の薔薇が絢爛に咲き誇っていた。

到着した先で迎えてくれたのは、国王夫妻とランスロット、オスカーだった。


家庭教師などから散々言い含められて緊張するアリィシアだったが、国王夫妻の最初から打ち解けた空気に、あっという間に心を開いた。


と、いうより。

アリィシアに会うなり、しげしげと顔を見たランスロットが

「へえ、可愛いじゃん。合格だな」

などと言った瞬間に王妃が持っていた扇で思いっきり頭を引っ叩き、教育的制裁を加えたことにより一気に緊張感を失ったのだった。


「アリィシアちゃん、ごめんなさいね。バカな息子で」

「教育が行き届かなくて申し訳ない」


必死に謝る二人がおかしくて、アリィシアは思わず笑ってしまった。


——ああ、この人たちは怖くない


そう思ったら、あとは速かった。

どちらかと言うと国王陛下の方はアリィシアの父に謝っていたような気もするが。


ランスロットは当時、かなりやんちゃな子供で、しょっちゅうエスメラルダ妃に引っ叩かれていた。それでもまるで意に介さず、ますます悪戯に拍車がかかるのだから手に負えない。

普段は大人に囲まれていることの多い彼にとって、歳の近い友人が出来たのは嬉しかったのだろう。アリィシアを引き連れて庭園の冒険に繰り出しては道に迷って叱られ、母の自慢の薔薇を大量に刈り取ってアリィシアにくれてはまた叩かれる、というように会うたびにこっぴどく怒られていた。


けれど、生まれてすぐに母が亡くなっているアリィシアにとっては、怒られて、許されて、また怒られて、笑って——の繰り返しは、どこか温かな家族の光景だった。



その後すぐに始まった王宮での教育も、二人で抜け出しては教師に並んで怒られた。

どちらかと言うとアリィシアは連れ出されているだけだったが、厳格な父の元、そんなことをしようなどと考えたこともなかったアリィシアには新鮮で、怒られるのすらもランスロットがいれば怖くはなかった。

ランスロットのほうも、子分が出来たように思ったのだろう。いつもアリィシアを誘っては、色んなものを見せてくれた。


それは王宮の、一番高いところから見下ろす城下だったり、庭園の奥深くにある泉の中の、キラキラ光る『でんせつの』石だったり、誰かがこっそり飼っている子猫だったり、どれもがランスロットの宝物であり、アリィシアの宝物にもなった。


小さな手をアリィシアに差し出して、新しい世界に連れて行ってくれるランスロットは、アリィシアにとってはヒーローだった。



あれはそう、10歳になる前のことだ。

深刻な顔で、ランスロットが言った。


「シアは知ってるだろうけど、俺には兄上がいるのに、俺が将来の王様なんだって。兄上は俺より格好良くて、なんでも出来て優しくてさ……なのに俺が、未来の王様だって変じゃないか?

俺、王様になんかなりたくないよ。難しいことばっかり考えなきゃいけなくて、あれもダメ、これもダメってさぁ。兄上がなればいいんだ」


アリィシアには、なんと言えば良いのか分からなかった。王になることがどれほど大変なのか、幼い彼女にはまだ想像も出来ない。

けれど、いつも太陽みたいに明るいランスロットが、今は酷く寂しそうに見えた。



その翌日だっただろうか。


「シア!兄上のところに行くぞ!」


突然そう言い出したランスロットに手を引かれ、アリィシアは半ば引きずられるように王宮の図書塔へ連れて行かれた。


高い天井まで届く本棚に囲まれた部屋の奥で、第一王子レイモンドは静かに本を読んでいた。

窓から差し込む光を受けた銀色の髪は淡く輝き、その姿はまるで物語の中の王子様のようだった。


「兄上!」


勢いよく駆け込んできた弟に、レイモンドは少し目を丸くした後、柔らかく笑った。


「どうしたんだ、ランスロット」

「お願いがあります!」

「……うん?」

「俺、王様に向いてません!兄上が王様になってください!」


静まり返った図書塔に、ランスロットの声だけがやけに大きく響いた。

アリィシアは思わず青ざめたが、レイモンドは怒るどころか、困ったように微笑んだだけだった。


「私は、王にはなれないよ」


穏やかな声だった。

けれど、その言葉は不思議なほど揺るぎなく響いた。


「なんでだよ!」


ランスロットは納得できないと言わんばかりに声を上げる。


「兄上の方が凄いじゃないか!剣だって勉強だって、俺なんかよりずっと!」


レイモンドはいつだって穏やかで、優しくて、なんでも出来た。けれどレイモンドは、少し困ったように笑うだけだった。


「私は、今くらいがちょうど良いんだ」

「そんなの変だ!」


ランスロットが唇を尖らせる。


「兄上、本当はもっと出来るくせに!」


その瞬間だった。

レイモンドが、ほんの少しだけ目を見開いたのを、アリィシアは見逃さなかった。

けれど、それも一瞬のことで、すぐに柔らかな笑みに戻る。


「買い被りすぎだよ、ランスロット」

「違う! 兄上、いつもわざと——」


そこまで言いかけて、ランスロットははっとしたように口を噤んだ。

静かな空気が落ちる。


「——もう、分かるはずだよ」


高い窓から差し込む陽射しの中で、レイモンドはそっと言った。少しだけ寂しそうに微笑んで。


幼いアリィシアには、その空気の意味は分からなかった。

けれどランスロットだけは、何かに気付いてしまったような顔をしていた。


「君は——」


ふと、レイモンドはアリィシアへ視線を向ける。


「メリディアン公爵のご令嬢だね」


アリィシアが応える前に言い当てられて、令嬢の礼を取る。静かにカーテシーで応えたアリィシアに、レイモンドは微笑んだ。


「可愛いお嬢さん、ランスロットを支えてあげておくれ。この子は将来、重い——とても重いものを背負わなければならないから」


アリィシアの頬が、かっと熱くなる。

その様子を見ていたランスロットは、なぜか口をへの字に曲げている。

そこでレイモンドは一度言葉を切り、二人を見て眩しそうに微笑んだ。


「君が近くにいたら、ランスロットはきっといい王になれる」

「俺、ちゃんとした王様になれるのかな」


心許なさそうに呟いたランスロットに対して、レイモンドは迷いなく頷いた。


「なれるさ。お前は父上と、エスメラルダ様の子供だ」


静かな声だった。

けれどその言葉には、不思議と疑いようのない力があった。


「ならないはずがないよ」



その日を境に、ランスロットは変わった。

剣術も、学問も、それまで以上に真剣に取り組むようになった。以前のような、“嫌だから逃げる”ではなくなったのだ。

もちろん時折は教師を困らせ、エスメラルダ妃に叩かれていたけれど。


あの日、レイモンドと話したことでランスロットが何を感じたのか。

幼いアリィシアには分からなかった。

けれど、それまで自由気ままに笑っていた彼が、その日を境に、変わったことが分かった。


剣を振るう眼差しが、以前より真剣になった。

難しい課題にも、投げ出さず向き合うようになった。

時折、年齢よりずっと大人びた顔をすることも増えた。


その横顔を見る度に、胸がきゅうっと苦しくなる。

今まで自分だけが知っていた、無邪気で子供っぽいランスロットが、少しずつ遠くへ行ってしまうような気がしたのだ。


けれど同時に、どうしようもなく目が離せなかった。

歯を食いしばるように努力する彼は、前よりずっと格好良く見えた。


そして、アリィシアも、自分も変わらなければ、と思った。


レイモンドの言葉は、思いの外アリィシアの心に残っていて

ランスロットが、自ら選んだ道を進むのなら

王にランスロットがなるならば、その隣にいるのは自分でありたい。


彼が笑っていられるように。


誰より近くで、彼を支えられるように。


幼いアリィシアがそんな風に願うようになったのは、この時がきっかけだった。

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